(The Oldest Bar at Ohyama District)

March 2020.3



小池都知事へ私的反論
「バーは果たして危険な濃密空間なのであろうか?」
2020年3月31日

昨日、都知事が声明を出した。
「特に若者の皆さま方には、カラオケ、ライブハウス、そして中高年の方々については
バーやナイトクラブなど接待を伴う飲食店などに行くことは当面お控え頂きたい。自粛して頂きたい」。

バーが標的にされたのだ。
都心部での、新型コロナウイルスの感染経路に、バーが入っていたということらしい。
それも、深夜から早朝にかけて、営業しているバーのようだ。

果たして都内で、早朝まで営業しているバーが、どれほどあるのか?
さらに、バーは「換気の悪い密閉空間」「多くの人が密集」「近距離での密接した会話」の三つの密が
より濃厚な形で重なる場所」と述べ、当面の間、利用しないよう求めた。

あたかもバーが、不健全で不衛生な濃密空間の業態であるかのように断罪し、標的にするのはいかがなものか。
バーは全国規模においても、飲食業として、圧倒的な数ではない。
さらに、バーには、芸術、文化、そして人と酒を愛する者が集まり、濃密に語り合う、文化的で豊かな空間である。

三つの密の定義に当てはまるからといって、標的にするのに、疑問を感じる。
私の店には、様々な調度品や置物が飾ってある。
しかし、お客様には、埃感がないと言われる。

バーは文化であり、健全、衛生、清潔も、大切な要素である。
今回の都知事の発言により、バーのイメージが、大きく損なわれる危惧をおぼえる。
バーが新型コロナウイルスの感染経路であるなら、具体的な証拠を、明示すべきだ。


桜の古木の幹がボキリッと折れた!
2020年3月30日

新型コロナウイルスの、暗雲垂れこめる東京。
29日(日)の朝、窓外は季節外れの、銀世界に変わっていた。
1週間前には、すでに桜は開花し、満開となっていた。

だが一転、想定外の大雪である。
大粒の綿雪が、空から舞い落ちる。
家々の屋根に、降り積もる雪が、厚みを増していた。

午後になり、雪は霙に変わり、積もった雪を、溶かし始めていた。
そして夕刻を過ぎ、近くのスーパーへ、買い物に出かけた。
近くの公園に立ち寄ると、桜の老木の大枝が折れ、地面に横たわっていた。

見上げると、太い幹が裂け、裂け口を冷気に晒していた。
裂けめは、大きく深く、薄闇に向かい、悲し気に、咆哮しているようだった。
満開の桜の上に、水分を含んだ綿雪が、重く降り積もったためだろうか。

その重さに、桜の幹が耐えきれなく、なったのであろう。
地上に横たわる、桜の幹に咲く、桜花に顔を近づける。
桜の高貴な芳香が、切なく漂ってきた。


思い出のサミュエル・アダムス&イザラ
2020年3月28日
 
こちらからどうぞ↓
http://www.p-poppo.jp/1diary2020-03-21-a-izara.html

幻の歌舞伎観劇と墓参り
2020年3月24日

先週の月曜日、息子が歌舞伎の招待券2枚、プレゼントしてくれた。
歌舞伎座へは、久し振りである。
観劇日は、3月22日日曜日のマチネである。

その日は、墓参りの予定だったが、急遽、変更した。
気合を入れ、早起きして行くことにした。
ママさんも、シルバーパスで、バスと都営地下鉄の、旅デビューするはずだった。

だが、その2日後、新型コロナウイルスにより、公演の中止が、発表された。
そこで、22日の日曜は、最初の予定通り、墓参りに出かけた。
春霞の麗らかな、陽光を浴びながら、東名高速を行く。

渋滞することなく、軽快に車は走る。
多摩川を渡り、しばらく行くと、山なみの中、大山が霞む。
やがて、横浜町田インターを降り、国道16号を行く。

昔はここで、かならず渋滞が発生した。
だが、バイパスが完成したので、スムーズに流れる。
そして、途中、回転ずしスシローで、軽く食事をする。

やはり、新型コロナウイルスのせいか、待つことなく、席に着けた。
私は生ビールを飲み、ママは季節の特選やら、美味しそうだ。
そして、一休みの後、再出発した。

16号から、県道へ入り、厚木に向かう。
片側1車線の県道52号は、昔ながらの雑木林を抜ける。
相模原市当麻で、横浜線を超す頃から、なだらかな下り坂になる。

やがて、前方は田園地帯が開け、圏央道・愛川相模原インターの、入り口が見える。
田植えの季節が来ると、水田の苗の緑と、田の水が反射して美しい。
やがて、相模川に架かる、昭和橋を渡る。

春先の季節、釣り人もいない。
水ぬるむ川面は、陽光に反射し、きらきらと輝く。
整然と並ぶ、工業団地の中を、真っ直ぐに進む。

そして、交差点を右に折れて行く。
そこはすでに、厚木市愛川町の、市街地である。
そこからしばらく行くと、父と母と兄嫁が眠る、田村家の墓がある。

霊園には、何台かの乗用車が、停車していた。
私はお墓の近くにある水場で、水桶に水を汲み、束子を持ってお墓へ。
ママはすでに、草むしりをしている。

師走に来たのに、雑草が伸びていた。
自然の厳しさに生きる、雑草の生命力に、今さらながら、驚かされる。
墓石に水を流し、束子でゴシゴシと洗う。

水に濡れた墓石が、陽光を浴び、輝きを増す。
墓誌を洗いながら、享年を見て、過ぎた日々を思い出す。
お墓参りは、亡き人と生者の、歴史の交感なのだろう。

お墓に花を手向け、かつて、長野県善光寺で購入した、お線香を燻らせる。
このお線香は、ママが大好きな、柔らかで高貴な、薫香を漂わせる。
お墓の前に座り、2人一緒に、手を合わせる。

昔は何時も、お墓参りに来ると、陽がすでに、大きく傾いていた。
朝まで仕事をしていたので、早起きの遠出は、苦行のようだった。
今は、ゆったり、のんびりと、お墓参りができて嬉しい。


YさんはMENSA(メンサ)の会員だった!
2020年3月21日

今週の水曜日、5年ぶりでYさんが、来店した。
浅草に引越してから、足が遠のいたそうだ。
その日は、池袋に出かけ、時間に都合が着いたので、今日こそはと、大山まで来てくれた。

席に着き、懐かしそうに、一息入れ、シングルモルト・ボウモア12年をオーダーした。
そして、ブレンデッドウイスキー岩井を飲んでいると、Mさんが来店した。
Mさんは、子供時代、お父さんの仕事の関係で、オーストラリア、イギリス、アメリカ、オランダに住んでいた。

外国での子供時代、日本人を馬鹿にされたら、喧嘩してやっつけたそうだ。
日本人をナメルナーッ!と言って、ぶっ飛ばしたらしい。
そのたびに、お母さんが学校に呼ばれ、先生に謝っていたそうだ。

私はYさんに、Mさんを紹介した。
Yさんは、非常にIQが高く、IQで日本の上位何パーセントに、入っているって、Yさんの友達が言ってましたよと。
すると<Yさん、「Hさんが、オーバーに言ったんですね。たぶんこれのことだと思います」

そして、Yさん、バッグから黒いカードを取りだした。
そのカードには、MENSAと書いてあった。
そこに、今年、歯科医師国家試験に受かった、Kさんが来店。

私はKさんに、「メンサって知ってる?」と訊いた。
すると、Kさん、「IQの高い人ですよね」
Mさんも、もちろん知っていた。

知らないのは、私だけだ。
メンサは、1946年にイギリスに創設され、世界100ヵ国、10万人以上の会員を持つ、国際グループである。
人口比上位2パーセントの、IQの持ち主であれば人種、宗教、国籍、学歴など関係なく、誰でも会員になれるようだ。

どうやら、IQ130以上の人が、会員になれるらしい。
最高のIQがいくつなのかは、計る方法がないらしい。
私も含め、メンサのカードの実物を、見るのは初めてであった。

そこで私は、「私のIQは、たぶん、Yさんの半分以下だね」
すると、Mさん、「マスターの記憶力は、特殊IQでかなり高いと思うよ」
ときどき、私の記憶力を褒められるが、記憶力は、悪いほうだと思うのだが……。

84年前のビールジョッキとオリンピック
2020年3月19日

こちらからどうぞ↓
http://www.p-poppo.jp/1diary2020-03-19-beer%20mug.html

路線バス下町ぶらり旅
森下・芭蕉記念館から亀戸駅前へ

2020年3月17日

最近は江戸時代を舞台にした、小説を読むことが多い。
平岩弓枝、池波正太郎、山本周五郎、藤沢周平、宇江佐真理、諸田玲子など。
このところ、山本一力の作品を、愛読している。

市井の町人世界を描くのだが、作品は必ず、ハッピーエンドで終わる。
だから、毎回、読後にさわやかな、人情の風が吹く。
江戸時代小説の舞台には、浅草、本所、両国などが、頻繁に登場する。

そして小名木川の名も、小説に情趣を添える。
そこで今回、地下鉄とバスの、小さな旅に出かけた。
地下鉄大江戸線を、午後3時ころ、森下で降りる。

ここへ来るのは、33年ぶりくらいか。
加納幸和主宰・劇団「花組芝居」を観に、隅田川左岸劇場「ベニサンピット」に、来て以来だ。
その芝居は、加納幸和作・演出『ザ隅田川』(1987年4月1日~5日 ) に上演された、ものだったと記憶する。

森下駅前は閑散として、物寂しいくらいだった。
駅を出て少し歩くと、芭蕉記念館の前に出た。
芭蕉記念館は、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、観覧が中止されていた。

松尾芭蕉は、延宝8年(1680年)、江戸日本橋から移り住み、この地に草庵を結ぶ。
この草庵には、芭蕉が繁茂し、「芭蕉庵」と呼ばれた。
そしてこの庵で、革新的な徘徊活動を始め、名句や紀行文を残した。

そこは隅田川の畔。
隅田川の護岸から、川辺に出た。
川は灰泥色に濁り、微かに異臭を放っていた。

川風に吹かれ、川面に漣がたち、降り注ぐ陽光で、輝いていた。
川辺の遊歩道を、老若男女が、ジョギングやウォーキングを、愉しんでいる。
そして、家族連れの人たちが、釣り糸を垂れていた。

釣果を覗くと、人差し指ほどのハゼが数匹、魚籠の中にいた。
隅田川の真ん中を、水上バスや遊覧船が、右に左に進んでゆく。
遊歩道をさらに行くと、隅田川に注ぐ、小名木川の前に出た。

旧中川と墨田川を結ぶ、約5キロの運河の川幅は、隅田川の、三分の一位であろうか。
江戸開府と共に、開削された川は、江戸へ物資や、行徳の塩を運ぶ、動脈を担っていた。
小名木川に沿って、左に進むと、萬年橋が小名木川に、架かっている。

萬年橋を渡ると、前方に新小名木水門が見えた。
このあたりは、相撲のメッカ・両国国技館も近く、相撲部屋が多かった。
さらに進み、地下鉄清澄白河駅へ向かう。

大通りの向こうに、清澄庭園がある。
20年前くらいに、出かけた記憶がある。
やがて、清澄白河駅に到着した。

そして都営バスで、亀戸へ向かった。
森下、両国、本所吾妻橋、本所、押上、スカイツリーを、正面に見ながら行く。
亀戸天神近くを通り過ぎ、乗車して30分くらいで、亀戸駅前に到着した。

亀戸天神には、何度か藤見物に来て、船橋屋で名物の、葛餅を食べたのも懐かしい。
だが、亀戸駅周辺を歩くのは、今回が初めてである。
亀戸駅前の商店街や、路地歩きをする。

裏路地は狭く、立ち飲み屋や、ホルモン焼き屋が、たくさんあった。
まだ日も落ちないのに、開店待ちの行列もできていた。
日暮になれば、ネオンが耀き、ホルモン焼きの匂いで、溢れるのであろう。

この地は、ホルモン焼きの、知る人ぞ知る、メッカなのかもしれない。
亀戸と言う下町の響きから、下町情趣に溢れた、繁華街をイメージしたのだが。
亀戸の町味は、ネオン輝くころに、本格化するのであろう。

近所のお婆ちゃんとは35年のお付き合いでした
2020年3月14日

最近、近所のお婆ちゃんの姿を、見かけない。
どうしているのか、心配していた。
すると、昨日、来店した地元の人が、教えてくれた。

「建具屋のお婆ちゃんは、去年、93歳で亡くなったよ」と。
お婆ちゃんの旦那さんは、腕の良い建具屋さんだと、評判だった。
だが、私がバーを開店した時は、すでに他界し、息子が継いでいた。

お婆ちゃんは、開店当時から、何故か私に、優しかった。
かつて、息子さんが、私に言った。
「おふくろが、お前のことを、あのマスター、ただ者じゃないよって。
何処を見て、言ってるのかね」

お婆ちゃんは、大山のことを、いろいろ教えてくれた。
34年くらい前のことだろうか?
「マスター、○○中華屋さん、最近、閉まってるだろう」
「突然だから、ビックリしました」

その店は私の近くにあり、私は度々、夕食を食べに行った。
「あの店ね、8000万円で、売れたそうよ」
小さな店であったが、当時はまだバブルで、土地が高騰していた。
「驚いたわわね。若い男と、近くにマンションを買って、住んでいるそうよ」

私は得心がいった。
○○中華屋さんが閉店する、少し前のことである。
夕飯を食べに、店を訪れると、若い男の人が、調理場にいた。

何時もは、おかみさんが一人で、手際よく調理していた。
小柄な人の良さそうな、旦那さんは、もっぱら、バイクで出前担当だった。
私はお婆ちゃんの話を聞き、合点した。

ハハーンッ……、あの彼氏なのだなと。
そして、お婆ちゃんは言った。
「女って、灰になるまで、女なのよね……」と。

また、20年くらい前のことを、思い出す。
私が店の玄関を開けていると、お婆ちゃんがやって来た。
「マスターは、色々なところに行ってるよね」
「ええ、まあ……」
「頼みたいことがあるのだけど……」
「私にできることなら、いいですよ」
「形の良い石を二つ、お願いしたいのだけど。いいかしら?」

それ以来、遠出したとき、形の良い石を、探すことになった。
そして、旧お盆、秩父に行ったとき、荒川上流の河原で、ボールのように丸い石を、たくさん見つけた。
そのうちの一つを、いただくことにした。

石は一か所で、たくさん採取しないことにしている。
なぜなら、石には土地の魂が、込められていると、何かの本で読んだことがる。
無神経に、石を勝手に移動させては、いけないと書いてあった。

その後、伊豆に行く途中、沼津に立ち寄り、沼津の浜で、美しくて形の良い石を見つけた。
そこでも一ついただき、帰京した折、お婆ちゃんに、二つの石を届けた。
お婆ちゃんは、お礼を言いながら、嬉しそうに、石を受け取った。

その一週間後くらいに、お婆ちゃんが私に、お茶を届けてくれた。
お婆ちゃんの実家は、静岡のお茶の名産地で、お茶農家であった。
そして、お婆ちゃんは、「とてもいい石だよ。美味しい漬物が出来るわね」と。

そうだったのか、あの石は漬物石だったのだ。
それがわかっていれば、苦労して集めることも、なかったのだが。
でも、お婆ちゃんの、嬉しそうな笑顔を見て納得した。

そして拾った石が、お茶に変わった。
小さなわらしべ長者のようだった。
そのとき、小さな親切が、報われたのかなと思った。

何時も背筋を伸ばし、優しい笑顔を絶やさない、チャーミングなお婆ちゃん。
長い間、お付き合いしていただき、ありがとうございました。
合掌!

薬をなくし再処方は、保険適用外!
2020年3月12日

去年の2月のこと。
私に狭心症の、疑いが出た。
行きつけの病院で、3度にわたり、精密検査をした。

その結果、幸いにも、異常なしだった。
私はよくてカテーテルか、悪くて心臓のバイパス手術を、覚悟してた。
思いもよらない、最高の結果が出て、一安心した。

だが、薬を4種類、飲むこたになった。
狭心症の症状が、出ないようにする薬だった。
高血圧の薬以外、薬は滅多に飲まない。

今回は、普段飲んでる、高血圧の薬と合わせ、6種類になる。
お医者さんは、一ヶ月分の薬を処方した。
そして、15日目のこと、1種類の薬が不足した。

何処かに、置き忘れたのかと思い、部屋を探した。
でも、発見することが、できなかった。
仕方なく、先生に連絡し、不足分を処方してもらった。

その時、私は、「薬を無くしたので、不足分をお願いします」と。
そして、薬局で処方してもらい、会計をした。
するとビックリ!

保険が適用されず、当方の全額負担であった。
再処方は、全額負担なのだと納得した。
そのことを、当日、来店した、脳外科のお医者さんに話した。

すると、彼は、「マスター、そういう時は、間違って飲みました」と言うのよ。
その一言で、保険適用になるそうだ。
なるほど、モノは言いようである。

腹筋運動のあとの正座
2020年3月10日

最近、腹筋運動のあと、正座をする。
去年、京都へ出かけたとき、招待された旧家で、正座ができなかった。
日本人として、情けなかった。

高校生のときは、柔道部だった。
真冬の朝練でも、正座は当たり前だった。
最近は、滅多に座ることも、正座をすることもない。

やはり、人間は怠けていると、如実に退化する。
京都以来、体操のあと、正座することにした。
最初はぎこちない正座であった。

だが、毎日続けていると、牛歩の歩みだが、進化する。
現在はいくらでも、正座を続けることができる。
72歳の古希過ぎの老人でも、努力すれば、確実に機能が向上する。

正座をする。
足の裏を重ね、その上に、ふわりと臀部をのせる。
膝の上に、掌をゆったりと、半円を描くように、組み合わせる。

両肘は外に、柔らかく膨らませ、両手の間に、空気を抱くような、イメージである。
頭を垂れ、瞑想する。
暫くすると、周りの喧騒が消え、沈黙の響きが聞こえるようだ。

さらに正座が上手になれば、周囲の音はすべて消え、無の世界に、とけいることができるのであろう。
そのとき、都会の騒音の中でも、静寂を感じ、空気の振動を、感じられるかもしれない。
毎日一度の正座は、心に平安をもたらしてくれる。

出雲で入ったバーのオーナーは、ショットバー・ピーポッポのお客様だった!
2020年3月8日

先々週の金曜日、深夜12時ころ、店に電話が入る。
それは島根県の出雲からだった。
電話の主は、大手ウイスキーメーカーの、出雲支社に赴任した、Wさんからだった。

Wさんは出雲のバーで飲んでいた。
そしてバーのオーナーと話していると、私の店の話題で盛り上がり、私の店へ電話したのだった。
Wさんは学生時代に、私の店に来店していた。

お父さんの実家が、板橋区大山にあり、実家へ来たとき、私の店に立ち寄ってくれた。
そして大学を卒業し、念願のウイスキー会社に入社した。
だがそのころは、バブルがはじけた直後で、入社後の数年間、新入社員が入らず、部下なしの状態だった。

やがて、東京本社から、中国や四国へ転勤し、現在は島根支社に勤務している。
そして先々週の金曜日、バー好きのWさんが、偶然に入店したバーのオーナーが、かつて板橋区に住んでいた。
そのころ、私の店の近くに、バー「ベーキングパウダー」があり、オーナーはバーの常連だった。

その当時、「ベーキングパウダー」の、通称ヤマさんに、何回か連れて来られた店が、ショットバー・ピーポッポだった。
振り返れば、25年以上前の話になるだろう。
そのころ、ヤマさんも元気で、バーボンをストレートで、ガンガン飲んでいた。

でっぷりした体に、バーボンが素敵にマッチし、絵になっていた。
そのヤマさんも、2年前に他界した。
やがて「ベーキングパウダー」の常連が、島根県でバーを開いたことを、かつて、ヤマさんから聞いていた。

その店へ、私の店の常連さんが、偶然にも入店するとは驚きである。
最近はこんな偶然が、たびたび起こる。
やはり長い間、店を続けてきたからかもしれない。


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