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September.2011.09



日帰り温泉で相撲観戦
2011年9月27日


日曜日は日帰り温泉に行くことが多い。
先週も神奈川県厚木にある、両親の墓参りの帰り道、町田にある温泉に立ち寄った。
地下1400メートルから湧出する温泉は、漆黒に近く、泉質はつるつると優しい。
年4回くらい墓参りに出かけ、帰りの途次、ゆっくりと温泉が愉しめるように、出来るだけ早い時間に家を出ることにしている。

1昨日は埼玉県戸田にある日帰り温泉へ出かけた。
この辺りには、たくさんの日帰り温泉があり、それぞれに泉質も異なり、趣向を凝らしていて、どの湯も1日愉しませてくれる。
1昨日は大相撲の千秋楽、露天風呂に入りながら、露天風呂に備えてある、大画面のテレビで、大相撲観戦と洒落てみるか。
そこで日帰り温泉の受付の時、NHKで中継される大相撲に、4時半頃からチャンネルを合わせて貰えるように頼んでみた。

ジャグジー風呂で休んでいると、4時半がやって来た。
果たして、相撲中継に切り替えてくれるのかと思い、露天風呂へ出かけてみた。
すると、すでに相撲中継が始まっていた。
関脇稀勢の里が3敗、関脇琴奨菊と横綱白鵬が2敗で千秋楽を迎えた。

このところ大相撲は覚せい剤や八百長などで、大相撲の存続自体が危機に瀕していた。
さらに、相撲場所がひらけば、毎日、客席に空席が目立つ惨状。
かつての大相撲の隆盛を考えれば、満員御礼の垂れ幕が、下がらない場所など信じがたいことだ。
大相撲が始まっているのに、テレビのある食堂へ行っても、大相撲を掛けていない所さえ多い。

日本人力士が2人も絡んだ、優勝を左右する大一番が、刻々と近づいて来る。
やがて、千秋楽恒例の三役揃い踏みが始まった。
東方の力士3人が順番に登場し、扇の形で正面を向き、3人揃って四股を踏む。
そして、それを返すように、逆扇の形をかたどる逆三角形で、3力士が揃って四股を踏んだ。

私が注文した相撲中継、出来ることならば、見物人で、露天風呂が溢れてほしい。
すると、露天風呂にぞくぞくと人が集まり、映し出されるテレビ画面の取り組みに、見入っているではないか。
そして稀勢の里対前頭豪栄道の1番。
稀勢の里は前頭豪栄道を押し倒し、格の違いを見せつけ3敗を守り、残り2番の行方に期待を繋いだ。
やがて、呼び出しの声が館内に響き、琴奨菊が登場、大関把瑠都との大取組の仕切りが始まった。

そして制限時間一杯、両者腰を下ろし、睨み合い手をつく。
が、呼吸が合わず、琴奨菊が突っかけ、把瑠都が待った。
この時、勝負の女神が、把瑠都へ傾いたのか?
再度の立ち会い。
一瞬、琴奨菊が立ち送れ、がっぷり胸が合い、琴奨菊が得意のがぶり寄り。

しかし、がっぷりの四つ身では体力が違う。
攻めきれず、土俵際で把瑠都の豪快な上手投げ。
琴奨菊はたまらず土俵から吹き飛ばされた。
残るは、白鵬が大関日馬富士に敗れ、3敗同士の三つ巴の優勝決定戦に望みを繋ぐ。
露天風呂を出る観客は誰もいず、皆、テレビにくぎ付けになっている。

千秋楽の結びの一番に、全てが託された。
呼び出しの声が消え、横綱白鵬の顔が、画面に大写しになった。
紅潮した顔、目はきらりと輝き、身体に力が溢れる。
両者、土俵で仕切りが進む。

館内は
日馬富士の声援一色になった。
やはり、大関栃東依頼、5年ぶりの日本人の優勝を、観客は願っているのであろう。
だが勝負は強いものが勝つ。
このところ対白鵬戦2連勝といえども、百戦錬磨の白鵬の牙城は堅い。

制限時間一杯、今場所で引退する、立て行事木村庄之助、最後の軍配が返った。
立ち会いは決まり、両者立ち上がった。
だが、先場所のように、白鵬の動きを封じる、俊敏な日馬富士を見ることもなく、あえなく白鵬の上手投げに沈んだ。
この瞬間、露天風呂の観客に溜息が洩れた。

そして、露天風呂の観客は、無言で他の風呂へ流れていった。
相撲人気を復活するには、強い日本人力士を育て出現させることだろう。
日本の国技大相撲、日本人力士の横綱が待望されている。
日本人の横綱が誕生する時、大相撲は新しく生まれ変わり蘇る。





酒飲みの自己弁護
2011年9月17日


去年、高校時代の同期会があり、昔の仲間に再会した。
還暦過ぎの面々、頭が薄い人やら、禿げあがった人、そしてほとんどの人が白髪混じりであった。
受付で名簿に目をやれば、すでに鬼籍に入っている人の名前も見える。

一昔前のこと、私たちの歳なら立派なお年寄りで、すでにほとんどの人が、あの世へ旅立っている。
今は寿命も延び、還暦過ぎなどは、元気溌剌と生活している。
勿論、現役で活躍している人も少なくない。

先月、私の古い友人が亡くなった。
私の店の開店後、3年目くらいに来店して以来のお付き合いであった。
だが今年の1月、健康診断をしたら、癌が発見されすぐに入院。
治療に専念したが、残念な結果となってしまった。
亨年62歳。

彼は8年位前だろうか、糖尿病になった。
それ以来、好きな酒も止め、毎日、健康増進に努めた。
忙しい仕事の中、時間をつくりウォーキングを始めた。

板橋区から川越までの往復やら、群馬県館林まで徒歩で出かけたり、かなりの距離のウォーキングだった。
身体も昔に比べ、贅肉が削ぎ落ちスリムになった。
だが、私には、健康体になった彼に会うたび、何故か彼の存在感が、薄れているように思えて仕方がなかった。

私は妻に「Oさん、健康体になっているみたいだけれど、だんだんと影が薄くなっているみたいなんだ」と言ったことがある。

病気のために、タバコも吸わず、酒も止め、ひたすら健康に努めざるを得ないことは、仕方のないことかもしれない。
だが、長い間の生活習慣を、急激に変えることは、私流儀の言い方をすれば、少なからず、身体や心に、ストレスを抱えさせるのではないだろうか。

そのストレスが、人間の身体の免疫力を弱くすることもあるのではないか。
私もかれこれ18年くらい前、アルコール性肝障害になり、6カ月間、毎日、病院に通い点滴をうったことがある。
その時から、お医者様には、お酒を飲むことを禁止されている。

だが、喉元過ぎればなんとやら、血液検査も正常値を示したところで、愚かにもまた、飲酒を始め今だ飲み続けている。
確かに、あれ以来、飲酒の量が減り、少ないお酒で酔えるようになり経済的にはなった。
だが、いまだに、肝障害の厳しい断罪にもめげず、せっせと酒税を払い、国家に貢献している。

お酒は社会的な存在。
人を繋ぎ、様々な分野で生活する、老若男女と忌憚なく付き合い、歳も職業も社会的な地位も関係なく、仲間にさえなれる。
確かに、完治したとはいえ、かつての肝障害の前科持ちの身で、酒を飲み続けるなど、お医者さんに言わせれば、自殺行為なのだろう。

だが、お酒を飲むことで、少しずつ命を削っているとしても、お酒を飲む楽しみを失い、
寂しい人生を送るのは、却って心や身体に、ストレスをためることになるのでは?
社会的存在の人間には、社気的な存在であるお酒は必然である。
少しだけ不健康なことをしても、毎日を元気に楽しく生きることが、一番、免疫力をたかめてくれるのではないだろうか。

健康的であり過ぎる生活は、かえって人間の本質的な力を弱めるのではと危惧する。
人間の存在自体が矛盾に満ちている。
人間の身体もやはり矛盾した側面を持つ故に、少々の不健康は、健康の源とも言える。
夜の帳が落ちれば、満月が輝き、満天の空には星が煌めく新秋は、旨酒の季節、酒飲みの勝手な世迷言、自己弁護でした。






禁酒運動(temperance movement)とトーマス・クック旅行会社
2011年9月10日

禁酒運動と言えば、アメリカ合衆国の禁酒法(Prohibition)が有名である。
「高貴な実験(The Noble Experiment)」と揶揄されながらも、米国憲法修正第18条の下、1919年から1933年まで施行された。
だが、世界的な視点に立てば、19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ諸国に禁酒運動団体が、多数発足していた。

英国でも、バプティスト派などのプロテスタント教会が中心となり、禁酒運動活動を推進。
飲酒の代わりに、紅茶を飲むことを勧め、紅茶を飲む習慣を促進したとも言われている。
やがて、厳格なバプティストの両親に育てられた、 トーマス・クック(Thomas Cook, 1808年ー 1892年)は、
様々な職業をしながら、バプティストの布教活動をしながら禁酒運動を推進した。

或る日のこと、 トーマス・クックは、禁酒運動の集会に行く途上、
イースト・ミッドランズにある、レスターシャー州 (Leicestershire)キブワース (Kibworth)で、駅馬車を待っている時、はたと思いついた。
禁酒運動に参加する人達に、旅行を提供してはどうかと考え、団体旅行を考案した。
それは1839年のこと、ミッドランド・カウンティーズ鉄道のレスター駅から、フラバラー駅までの、11マイルの日帰り旅行計画であった。

そして1841年、トーマス・クックは鉄道会社とかけあい、鉄道会社はラフバラーで開催される禁酒運動大会へ向かう臨時電車を出し、
500人程の乗客は、往復運賃と食事付きの乗車券を、1人1シリングで、世界初の日帰り団体旅行を楽しむことが出来た。
これを機会に、 トーマス・クックは旅行代理店を創業し、近代ツーリズムを確立。
1885年にはヨーロッパ諸国にも、団体旅行を企画斡旋した。

その後1871年に息子たちと、トーマス・クック・アンド・サン社を設立し、
さらにトーマス・クック・ヨーロッパ鉄道時刻表(Thomas Cook Continental Time Tableを発刊。
旅行客に、ホテルの予約や乗車券の手配、そして団体旅行の企画・斡旋・代行業務を行い、
当時はまだ高額であった鉄道にも、気軽に乗車出来るようにした。
まさに、近代的な意味で、世界最初の旅行代理店であり、1874年にはトラベラーズチェックも扱い始めた。


また、1872年には世界一周旅行を企画し、220日の旅をトーマス・クック他8人のお客と楽しみながら、日本にも立ち寄る。
そして、トーマス・クック社は1907年には、日本支社を横浜に開設し、翌年には、日本初の世界一周団体旅行を実現した。
禁酒運動を契機に、世界初の旅行会社が誕生した不思議。

でも私としては、美しい景色を眺めながら、ゆったりと旅情に浸りながら、のんびりと美酒を飲んでいたい。
旅に旨酒は、絶対に欠かせませんね。









東京ドーム、野球観戦
2011年9月5日


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