Today's Comment
April.2011.04

このたびの地震により、被害を受けられた皆さまへ、謹んでお見舞い申し上げます。

そして、一日も早い復旧と復興を、心よりお祈りいたします。



大山今昔
時は流れる
2011年4月29日







小さな旅&日記
高遠の桜を訪ねて

2011年4月25日






オリジナル・カクテルを作りました。
2011年4月20日




小さな旅&日記を更新
2011年4月15日
落語鑑賞
「東のさん生、西の鶴二」
神楽坂毘沙門天にて




人間の体は新調できない
2011年4月11日


去年の秋に一眼レフのデジカメが故障。
すでに一度修理しているので、今回は奮発し、280ミリの望遠レンズを装着したデジカメを購入した。
さらにはお店の湯沸かし器も壊れ新調した。

そして今年になり、長年乗っていた自家用車が、先月の初旬に故障した。
車検も間近なので廃車にし、仕方なく新しい車を購入した。
やはり生産された年式が新しいだけあって、なかなか乗り心地は快適である。

すると、6日前のこと、自宅のパソコンが起動しない。
NECのサポートセンターに連絡し、修理の見積もりを出して貰うことにした。
昨日の日曜日に、宅急便で取りに来てくれた。
サポートセンターの話によれば、マザーボードが悪いのかもしれないとのこと。

マザーボードは、PCの心臓部、それが3年程で壊れるものだろうか?
それにしても、20万円位したPCが故障したというのに、連絡しても、「大変にご迷惑をおかけしました」位の詫びの一言もないのが不思議だ。
電話を掛ければ、音声ガイドでの無機質な案内と誘導。

やっと電話が繋がれば、人間味のない機械的な説明が始まる。
生産する人、売る人、サポートする人、修理をする人など、全てが分散しているので、商品に対する具体的な関係性が薄れているのであろう。
それ故、最終ユーザーへの接し方に、思いやりの気持ちが皆無となる。

それにしても、修理や買い替え等が、次々と重なるから不思議なことだ。
これも一つのマーフィーの法則なのであろう。
でも機械や物は、買い替えや新調は出来る。

私も今年は63歳になる。
今はまだまだ元気だが、何時か身体にも、変調を来たす時が必ず来る。
若い頃と異なり、この年になれば、病気でもして体力が落ちると、二度と元以上に戻ることはないだろう。

そのためにも日々、それなりに健康維持に努めなければならない。
人間の体は病気になれば、治療し治すことは出来る。
しかし、身体ごと新しい肉体に変換することは不可能だ。
自分の身体と相談しながら、他人に迷惑を掛けないように、仲良く付き合うことを肝に銘じる。




過度な自粛は、社会を委縮させる
2011年4月6日

入学式や入社式の日を、桜の花が迎えてくれるのは、何年振りだろうか。
私が子供の頃、入学式の日は、何時でも桜の花は満開であり、そして偶然の事だが、春うららの晴天であった。
やはり、最近の暖冬の影響なのだろう。
入学式や入社式の時は、すでに桜の花は桜吹雪も去り、葉桜に変わり果てている。


今日は好天に恵まれ、5月初旬の暖かさだと言う。
東京の桜も8分咲きか。
私の住まいの隣にある公園の桜の老樹も満開であった。
見上げれば、昼下がりの陽光を浴びて、ソメイヨシノの花が、薄桃色に空を染めている。

小高い丘にある公園へ、遠くから微風が渡りくる。
すると、梢一杯に咲き広がる桜の花が、さわさわと匂うように揺れる。
その桜花を抱いた老樹の下、青いビニールシートを敷いて、子供たちと共に、お母さんたちがお花見をしている。


何時もならば、お花見のグループが、何組もいるのだろうが、やはり、東日本大震災の影響なのだろう。
子供たちの元気な声、そして、ささやかに持ち寄られ、広げられたお菓子や飲み物。
桜の満開な季節には、お花見がよく似合う。


東日本大震災の時以来、日本の諸官庁などは、被災者に哀悼の意を表し、いまだ半旗を掲げている。
街では自粛の名のもとに、様々なイベントや行事が中止されている。
上野公園のお花見も自粛され、今年は夜を灯す提灯もない。

上野駅構内にある居酒屋も、夕方の6時で閉店となっているそうだ。
渋谷や新宿などの繁華街のデパートも、先週までは、夕方の6時で閉店だったと聞く。
過度な自粛ムードは、社会の閉塞感を強め、経済の沈滞化を招く危険性も併せ持つ。

被災者を支えるのは、多くの元気な国民と、躍動的に機能する社会である。
自粛することを否定はしないが、過度な自粛は経済を委縮させる。
今年の神田祭は中止になり、初夏を告げる浅草の三社祭りも見送られるらしい。


2001年9月11日、アメリカ合衆国のワールドトレードセンターを襲った、アメリカ同時多発テロ事件の時のこと。
大統領令により、9.11テロ発生日に、被害に遭われた方々に弔意を表し、アメリカでは半旗が掲げられた。
だが、その13日後には、半旗は正常な掲揚に戻った。

アメリカは悲惨な事件の解決と復興のために、アメリカが進むべき道を、確実に進み始めたのだ。
日本もこれからは、被災地の復旧と復興のために、国は総力をあげて、進まなければならない。
今は自粛よりは、ダイナミックで躍動的な行動力が必要なのである。



私の被災体験
2011年4月2日

29年位前のことだろうか。
私が湯島天神前にあるマンションの、13階に住んでいた頃の話だ。
長男の端午の節句のお祝いの時の事。
私の実家から送られた、お祝いの兜を部屋に飾り、両親を家に招待して祝った。

その後、近くの根津権現に、満開のツツジを見に繰り出した。
麗らかな好天に恵まれ、ツツジは燃えるように、華やかに咲き匂っていた。
そして、両親を地下鉄の根津駅に見送り別れた。
迷惑を掛けても、滅多にすることのない親孝行をし、心和む一日を過ごし、自宅でお祝いの肴をつまみながら美味しいお酒を頂いた。

マンションの大きな一面の窓からは、遠くに上野公園の五重塔が夕闇に霞み、左手には不忍池が広がる。
ソファーに腰掛け、テレビを見ながら、酒はひときわ美味しくすすむ。
やがて、心地よい睡魔と共に、深夜0時頃、寝床に着いた。

朝早くから、節句の用意やら、ツツジ見物などで終えた長い一日、私たちはぐっすりと熟睡した。
すると、深夜の3時頃、ママが私に「インターホンが鳴っている・・・・・・」と囁いた
こんな深夜、何事だろうか? 何回も何回もインターホンが鳴らされている。

私は恐る恐る廊下を進み、玄関の小さな丸い覗き窓を覗いた。
如何したことだろうか? たくさんの人が玄関の前にいる気配がする・・・・・・。
玄関を開けると、長男と遊び仲間の子供のお母さんが「14階が家事よ!」

外を見れば、マンションの住人が、上からも下からも私たちを見ている。
すると、消防士が「部屋に水が垂れてないですか?」
私は部屋に戻って天井を見た。

すると、天井にうっすらと滲みが出来ていた。
見る見るうちに滲みは大きくなり、ぽたりぽたり垂れ始めた。
すぐに玄関に戻り、消防士に状況を伝えた。

消防士たちは廊下に青いビニールシートを敷き、部屋の中へ入る。
そして、天井に青いビニールシートを張り、天井から垂れ落ちる水を、窓から外へ逃がしていく。
次々と垂れ落ちる水を受ける、青いビニールシートが、蜘蛛の巣のように張りめぐらせられた。
それはさながら、部屋の中に、大きなテント小屋が出現したかのようだった。

さらに、奥の部屋の天井も、完全にビニールシートで覆われてしまった。
私たちは着の身着のまま、先ほど最初の一報を伝えてくれた女性の家に、退避させてもらうことになった。
やがて、私たちの住まいの上の14階は鎮火し、3人の若者が煙に包まれ死亡し、1人は重体ということであった。

原因はタバコの火の不始末のようだった。
出火したマンションは、すぐ前のホテルの従業員の宿舎になっていて、若いホテルマンが4人住んでいたのだ。
そして私たちは住むところがなくなった。

翌日から、出火した部屋の持ち主のホテルに、無期限で住むことになった。
初めてのホテル暮らし。
朝食も昼食も晩御飯も全て、私たち家族はホテルの食事を自由に摂れることになった。

だが、私は火災の日と翌日は、仕事を休んだが、3日からは仕事に出た。
連休の時は、上野の広小路にある、支配人を務める私の店は、特に忙しい。
そのために、140人位いる従業員には、何かかと無理もさせている。

私自身が休むわけにはいかなかった。
ホテルのレストランで朝食を摂り、毎日仕事に出た。
最初の内は、ママもそれなりに、ホテル暮らしを愉しんでいた。
だが、やがて、2人の幼児の洗濯など、日常の仕事が出来ない不自由さが堪えてくる。

しばらくして、私たちの被災した部屋が復旧するまで、同じマンションにあった空き部屋を、ホテルが借り上げてくれた。
私たちの服や子供の衣類も、消火に使われた水が滲み、煙の臭いが付いていた。
やがて、2ヵ月近い避難生活の後、復旧した自分たちの部屋に戻った。

その頃、ママは実家の秩父に、子供を連れて度々帰ることも多かった。
私は朝から晩まで働いていたので、ママが秩父に帰るのは、却って歓迎していた位だった。
だが、火災以降は違った。

広い部屋に1人で寝れば、当然のこと、真上の天井を見ることになる。
あの部屋で、若者が4人死んだのだと思うと、広い天井に人の形が滲んでいるように見える。
それ以来、広い部屋に1人で寝るのが、だらしがないことだが怖くなった。

私の被災体験など、東日本大震災には比べ物にならない。
それでも、焼け出された日、マンションの自治会の人が、非常食やら毛布を届けてくれた行為に、
ほっと救われた気持ちになった。
やはり被災した人へは、差し伸べる暖かい善意の行為が大切なのだろう。


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