Today's Comment
DECEMBER.2010.12

埼玉県大宮公園にて、2009年12月6日撮影


秋田県は、日本一、自殺率が高い?
2010年12月25日

秋田県出身のお客様と話していたら、意外な事実を聞いた。
秋田県は高知県と共に、犯罪率が1、2を争うことは知っていた。
その原因の1つとして、両県は酒豪の県として全国に轟く。

酒を飲み過ぎれば、行きつく処は、喧嘩と相場は決まっている。
そして、刃傷沙汰になることも必定。
その結果、警察の厄介になることにもなる。

やはり、お酒は程々に、美味しく頂かなければならないのだろう。
ところが、その程々で切り上げることが、酒飲みにとっては至難の技。
これ以上飲んだら、痛い目に遭うかもと思いながらも、「明日は明日の風が吹くさ」と言いくるめて、墓穴を掘ることになる。

翌日は大いに反省するも、日が落ちる頃には、何やらか都合のよい理由を付け、また酒に手を伸ばす。
そんな事を懲りずに繰り返す、懲りない面々が、酒飲みということなのだろう。
深酒は、大体において、百害あって一利なしになることを、自らの体験が証明している。

さて、本題に入れば、驚きの発見とは、秋田県は日本で一番、自殺率が高い県だそうだ。
さらに、秋田県の男性は寿命が短いので、未亡人が非常に多いと言う。
寿命が短いのは、やはりお酒を飲みすぎることに起因しているはずだから、いたく分かりやすい。

だが、何故、自殺者がそんなに多いのだろうか?
衝撃の話を聞いた翌日、かれこれ20年来のお客様で、秋田県出身の女性がやって来たので、その件を聞いてみた。
もちろん、当たり前の事として知っていた。

それ故、その長い間の自殺率1番の汚名を返上すべく、秋田には公立の研究機関が発達していると言う。
だが、その理由は、いまだに解明されていないそうだ。
彼女が言うには、秋田県は非常に地縁関係が濃い土地柄。

その地縁関係からはみ出してしまうと、その人は孤立状態になる。
若いうちなら、他の土地に行くなり出来るが、歳を取れば、孤立は深くなり、鬱勃とした毎日を送ることにもなる。
そして、深い雪が降れば、外界からも閉ざされ、寂寞として、さらに憂鬱な日々が襲うことになる。

だが、人が自殺する理由の1つにはなるのだろうが、心の奥の闇を解く答えにはならない。
東北に位置する秋田県は、私たちから見れば、海の幸は豊かで、お米の大産地でもある。
その豊かなイメージとは、裏腹な事実があることに驚かされた。
全ての物事には、このように、意外な知られざる側面があることを、改めて教えてもらったような気がする。




板橋区フレッシュ名曲コンサート
第28回
板橋第九演奏会を聴きに
2010年12月18日



洋酒には円高は還元されず?
2010年12月15日


今年もいよいよ残すところ、あと半月となった。
一昔前なら、この12月は、黙っていても、大忙しの嬉しい悲鳴の日々が続いたもの。
それはすでに、過去の昔語りとなってしまった。
せめてものささやかな思いとして、何も不吉なことが起こらず、無事にお正月を迎えられれば幸いである。

それにしても、最近の価格破壊は、想像を絶するものがある。
まさに世はデフレ現象が渦巻いている。
居酒屋をみれば、全てのメニューが280円均一とやら。
また、焼酎とタバコが無料と言う、サービスをしているところもあるから恐ろしい。

一体全体、お店の価格とは何たるものぞと、商売人のはしくれとして疑念を感じる。
だが、私どもが扱う洋酒に限っては、ユーロ高の時に値上がりしたままで、一向に値下がりの気配がないのは、如何なることか。
今はユーロも下がり、とんでもない円高である。
一度上げた物は、絶対に下げない所存なのであろうか。

巷では、円高によって、外国から輸入するブランド物なども、かなりの値下がりをしている。
それなのに、何故、洋酒には円高が還元されないのであろうか。
今年はハイボールブームで、ウイスキーの消費が増え、世界を見渡せば、日本のウイスキーの評価が鰻上りに高くなったのは嬉しい。
そして、夏場には、カクテルのモヒートがブームになり、ラム酒の消費量が飛躍的に伸びた。

だがだが、いまだに、洋酒には円高は還元されずに、放置されたままだ。
その不思議な謎を、是非とも識者に教えてもらいたいもの。
今年もあと僅か、何かと忙しい師走を、つつがなくお過ごしください。





小さな旅&日記を更新
「武蔵嵐山渓谷(埼玉県比企郡武蔵嵐山町)を訪ねて」
2010年12月11日



今日はジョン・レノンの命日
2010年12月8日


今日はジョン・レノンの30回目の命日である。
日本では、オノヨーコや奥田民生などたくさんの歌手が、東京の武道館に集まり、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」が、7時から開かれる。
このチャリティーイベントに参加する聴衆の数は、なんと1万人を越すらしい。


1980年12月8日ニューヨーク市内にあるレコーディングスタジオ「ザ・ヒット・ファクトリー」からジョン・レノンは帰宅した
自宅のあるニューヨークのセントラル・パーク西側72番通りにある、ダコタ・アパート前で待ち受けていた、ハワイ州出身のマーク・チャップマンは、
リボルバー・チャーターアームズ・アンダーカバーから、5発の弾丸を放ち、4発がジョン・レノンの身体に撃ち込まれた。

出血多量のジョンレノンは、病院に運ばれたが、40歳にして凶弾に倒れ帰らぬ人となった。
1975年にオノ・ヨーコとの間に生まれたショーン・レノンと家族のために、全ての音楽活動を休止し、主夫に専念して5年。
そして、いよいよ音楽活動を再開するその時に、不幸な事件が起きた。


その時、犯人は逃げることもなく、、J・D・サリンジャーの小説「ライ麦畑でつかまえて」を、ジョン・レノンの傍らで読んでいたと言う。
そして、逮捕後、彼は単独犯行でああることを認める。

しかし、真相はいまだ定かではなく、当時、ジョン・レノンの平和活動家としての政治的メッセージに対する、何らかの勢力による陰謀説も渦巻いている。

ではクリスマスの飾りも華やかに、そしてクリスマスソングも賑やかに流れる師走。
私の店でもクリスマスのCDが流れる。
今日は、ジョン・レノンを偲び、レノンのCDを流し、オノ・ヨーコと歌う「Happy Xmas(War is Over)」でも聴くことにする。



板橋区大山今昔
遊座商店街に、古本屋さんが誕生
2010年12月4日

私が店を開いた26年以上前には、大山の商店街に、古本屋さんが4軒に、本屋さんが4軒あった。
今ではハッピーロードの中に、本屋さんが1軒だけ残っている。
大山の北口にあった本屋の博文書店は、大山で最大の2階建て。

専門書から雑誌まで、かなりの本が揃っていた。
だが、或る時から、2階部分が貸しビデオ屋になり、それが突然、中華料理屋に変わった。
そして回転寿司のまぐろ亭になり、今は元気寿司になっている。

博文書店の2階部分がなくなった頃から、ひょっとしたら、経営が思わしくないのかなと、嫌な予感がよぎった。
すると、その1年後位に、博文書店は消滅した。
その頃、すでに、3軒の古本屋さんは消滅し、遊座に1軒だけ残った。
しかし、その古本屋さんも、8、9年前には消え、今は焼き鳥屋の治平さんになっている。

その古本屋さんは、80過ぎのお婆ちゃんが、1人で店を守っていた。
なかなか上品なお婆ちゃんで、お店に行くと話し好きなお婆ちゃんが話しかけてくる。
すると、ついつい話が長くなるので、忙しい時は立ち寄らないことにしていた。
お婆ちゃんが言うには、息子が2人いて、何時でもいいから、一緒に住もうと言ってくれていると。

でも、お婆ちゃんは、身体の丈夫な内は、この店を開けていたいと語っていた。
店を開けていれば、近所の人たちが遊びに来てくれるから、長い間住み慣れた、この町を離れられないのだと。
きっと、身体の具合がおもわしくなく、よんどころなく店を閉めたのであろう。
それ以来、大山には、古本屋さんが全て消えた。

私たち団塊の世代の学生の頃は、町の至る所に、古本屋さんが何件もあった。
古本屋さんに入った瞬間に、あの古本のすえたような独特な紙の匂いに、おおいに文化を感じた。
神田や早稲田、高円寺、荻窪、吉祥寺などに出かけると、まずは古本屋巡りをする。
そして、思いもよらぬ古本に出会ったときの感激は、忘れられない鮮明な記憶になったもの。

私たちにとって、まさに古本屋さんは、文化の発信基地的な存在であった。
現在はブックオフなどに押され、個人の古本屋さんの経営は難しいことだろう。
だが、気難しそうで哲学的な風貌の親父が、でんと帳場に座る姿は、まさにそれだけで文化である。
ブックオフなどには、けっして文化は存在しない。

大山の遊座商店街の中に、11月の中頃、古本屋さんが誕生した。
どんなお店なのか、覗いてみたついでに、文庫本を2冊購入した。
店内に揃えられた古本を見れば、かなり私好みの古本が並べられていた。
どうやら、この古本屋さんと、私の相性は合いそうだ。

本屋さんも古本屋さんも存在しない町には、文化の香りは薄い。
ハッピーロードに残った本屋の大地屋書店、そして、新しく誕生した古本屋さんに、エールを送りたい。
暇な時に、ぶらりと古本屋さんに、立ち寄る愉しみが増えたのは嬉しい。






小さな旅&日記を更新しました
奥秩父贄川宿、秋の縁側展を訪ねて
2010年12月01日




戯曲を書きました
3幕喜劇
「人生、それぞれに狂騒曲」

2010年11月27日



小さな旅&日記を更新
吾妻渓谷、白糸の滝&めがね橋を訪ねて





世の男性よ、逞しくなろうではないか!
2010年11月20日


一昨日、Oさんが衆議院議員下村博文さんの講演会に出かけた帰りに、御夫婦で来店した。
Oさんはかれこれ16年ぐらいのお付き合いだろうか。
昔は板橋区に住んでいたが、今は足立区に引っ越して7年になると言う。
Oさんはお父さんの代から、建築会社を経営している。

奥さまの来店は初めてで、とても陽気で気さくな方だった。
Oさんは相変わらずダンディーに、服装もぴちりと決まっている。
そして、最初の一杯は、何時ものウォッカ・マティーニー。
奥さまには、ブルームーンを作って差し上げた。

そして、話をしている内に、何故か逞しい女性の話になった。
Oさん「昔は、建築現場には女性は皆無だったんですね。まさに男だけの世界だった。最近は、鉄筋工なんかにも女性がいるから驚きですよ」
「そうですね、昔はまさに男の聖域のようなものがありました」
Oさん「この前も、夜中の12時からの朝の4時までの型枠作業があったんですね。
来たのは19歳の女性でした。そして、聞いてみたの。こんな深夜の作業、大丈夫って。そしたら、あっけらかんとして、慣れていますからというんだよね」
すると、奥さん「女の人が強くなったのか、男が弱くなったのか。それとも両方かな」


最近は、昔では考えられないような現場仕事で、女性が働いている。
たとえばとび職さんにも女性がいる時代、女性は強くなり逞しくて元気だ。
まさに、肉食女に草食男とは、良く言ったものである。

私の店のお客様で、数年前に離婚した男性がいる。
子供も2人いるのだが、協議離婚して、今でもかなりの養育費を支払っている。
その別れた原因の1つに、奥さまの暴力? があるそうだ。

夫婦喧嘩になった時、ついつい身体的示威行為にお互いが及んだ時、旦那の方が突き飛ばされてしまう。
そのパワフルな力に、たまらなく嫌悪感を覚えたらしい。
最近は女性から、男性に対してのドメスティック・バイオレンスも珍しくなくなった。
世の男性よ、女性に負けずに、逞しくなろうではないか。

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mr