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SEPTEMBER.2010.9

2008.9.21静岡県熱海市起雲閣にて 


板橋区混成合唱団「第33回定期演奏会を聴きに
2010年9月29日

先週の木曜日の祭日(秋分)の日、私の店のすぐ近くにある、板橋文化会館に出かけた。
大山に古くから住む地元の人は、文化会館とは言わず、今でも区民館という人が多いのだが。
天気は生憎の雨模様。
車に乗って、会場まで出かけた。

開場は午後2時、開演は2時30分。
充分に開演までに、間に合う予定で向かったのだが、車内に流れるラジオは、東京に大雨注意報が発令したことを伝えていた。
思いのほか、道路は混雑し、予想通り、雨脚は激しくなり、フロントガラスに雨が飛び散る。
やがて、目的地に到着したが、何処も駐車場は満車だった。

足早に駆けつけたのだが、文化会館に到着した時は、タッチの差で間に合わなかった。
ホールのロビーのテレビから、公演の様子が流れ、すでに板橋区愛唱歌「愛するふるさと」が謳われていた。
やがて、第Tステージ「メンデルスゾーン生誕200年を記念して」
オラトリオ「エリア」が終わり、会場内に入ることが出来た。

見渡せば、会場内はほとんど満席だった。
たくさんの聴衆がいる中、空いた席を探す恥ずかしさ。
すると、招待してくれた方の旦那様が、手を挙げて席を教えてくれた
申し訳ないことに、私たちの席を確保してくれていたのだ。

着席すると、第Uステージ「生きとし生けるものへの愛をうたう」
合唱曲「二度とない人生だから」が始まった。
ホールには、晴れ晴れと、何処までも澄み通る混成合唱団の声が響き渡る。
歌い流れる詩は、森羅万象への愛に溢れ、メロディーは、優しく心に沁み入る。

この地上に生きる、生きとし生けるものへの愛を歌いあげていた。
最終章を迎え、男女4人が前に進み、手話を交えながら、背後の団員達との合唱が始まった。
ママの従妹のMさん、華やかな笑顔と、大きな手話の身振りが耀いていた

やがて、15分間の休憩。
そして、第Vステージ「耳にしたことのある名曲の数々」が始まった。
美空ひばりの歌った名曲の数々。
そして、「秋桜」
さらに、スコットランド民謡、ロシア民謡、最後には、スメタナ作曲「モルダウ」で終わった。

第Vステージでは、玄関で貰ったパンフレットに書かれた歌詞を見ながら、合唱を聞いた。
すると、合唱の声が明瞭に聞え、ホールに響く声が絵になって見え始めた。
やはり、歌詞と曲と声が溶け合い、豊かなイメージを喚起してくれるのだ。
さらに、これまでは、ただ漫然と聞いていた「秋桜」が、泣けるほどに良い詩であることを発見した。




完成を求めて、永遠の旅路
2010年9月24日

お店のお客様のNさんの叔父さんに、高名な陶芸家がいる。
世界中の有名な美術館に、作品が買い上げられ、国内国外でも個展が開かれている。
そんな叔父さんの弟弟子が、或る日、兄弟子を差し置いて、重要無形文化財保持者(通称・人間国宝)に指定された

ということは、叔父さんの人間国宝指定は、その時点で無くなったと考えられる。

能天気なNさんは、弟弟子の人間国宝指定を受けたことを知らなかった。
私がそのことを教えてあげたら、とても残念がっていたことを思い出す。
最近になって、ある用事があり、Nさんは94歳の叔父さんを訪ねた。
やがて、叔父さんと話している内に、何かの話題の流れの中で、人間国宝の話になったそうだ。

その時、人間国宝と叔父さんの経緯の真相を、初めて知った。
実は、叔父さんは、弟弟子が、人間国宝の指定を受ける前に、すでに、人間国宝の指定を受けていたのだと。
だが、叔父さんは、いまだ、修業中の身なので、人間国保指定を、丁重に辞退していたのだ。

一つの道を究めることに、完成はない。
生涯現役、自分の究極の作品を求めて精進し続ける。
例え、百歳になろうとも、己の現在に満足しない姿に感動をさえ覚える。
きっと、物を作ることに完璧はないのだろう。
しかし、完成を求めて、永遠に努力をし続けることが、より素晴らしい、人に感動を与えることのできる作品を造る。



紅葉狩りのタイミングは?
2010年9月22日

明日は秋分だと言うのに、日本列島は真夏日が続く。
東京も31度を越すのだから驚きだ。
千葉県の茂原では、36度以上のヒートアップだから、異常気象この上ない。

これで、真夏日は、今年になって71日目、2004年を抜いて、史上最高を記録した。
それにしても、すでに、1年の5分の1が、真夏日とは末恐ろしい限りだ。
これはもう、日本列島、亜熱帯と言っても差し支えないだろう。

何度か出かけたことのある、埼玉県日高にある巾着田の曼珠沙華も、まだ咲いていないみたいだ。
高麗川の清流沿いに咲く、彼岸花の朱色が陽光に耀く景色は、想像した以上に素晴らしいものだった。
やはり、余りの猛暑に、彼岸花の開花も遅れてしまったのであろう。

北海道の大雪山系の黒岳(標高1984メートル)では、初雪が観測されたようだ。
やはり、昨年より13日遅れの降雪である。
すでに、黒岳の7−9合目辺りは、紅葉を深めた錦繍の装い。
今日の降雪は溶けてしまうが、さらに、本格的な雪が降れば、雪景色の紅葉が見られるという。

真っ白に雪化粧をした、黄葉紅葉の満艦飾の山々。
想像しただけでも幻想的な景色だ。
それにしても、紅葉狩りはタイミングが難しい。
今年こそは、タイムリーにヒットさせてみたいものだ。

ところで、今年は何処にしようか?
そして、何時に?
やはり、関東の紅葉は、群馬県が最高だと思う。





何時の日か、松本のバーで
2010年9月18日

一昨日の早い時間に、Yさんが来店した。
6年ぶりくらいだろうか?
宇都宮での学会で、論文の発表のついでに、わざわざ大回りして、立ち寄ってくれたのだ。
今は、松本に住み、松本の総合病院に勤務している。

Yさんが、私の店に最初に来店した時は、医学部の学生だった。
学校の帰りに、私の店に立ち寄り、色々なお酒やカクテルなどを愉しんでいた。
Yさんは、お酒にも色々と興味があったので、私もお酒の本などを貸すと、すぐに読んで返してくれた。
だから、こちらも嬉しいものだから、さらに、面白そうな本を貸してあげた。

やがて、国家試験に合格して、茨城県にある国立病院の救命の研修医になった。
たまの休日、茨城から車を飛ばして、私の店まで飲みに来てくれたことも度々あった。
勿論、その頃はまだ、私の店の近くに、マンションは借りてあった。

その彼も、今は2人の子持ちで、40歳になっていた。
振り返ってみれば、最初に私の店に来店してから、20年も経っているのだ。
今の奥さんになる人と、何度もお店に飲みに来てくれてからも、すでに、10年位は経っているだろうか。

Yさんが結婚して、郷里の長野県に帰ると言うので、私の店で使っているショットグラスを2つ、Yさん夫妻にプレゼントした事がある

いまでも、そのグラスを、2人で使ってくれているそうだ。
そして、私のホームページも見てくれているという。

「マスター、色々なところへ出かけていますね。松本城の旅日記も見ました」
「ところで、Yさんの住んでるところは、松本の何処なんですか」
すると、吃驚したことに、明治6年(1873)に開校した歴史を持つ、旧開智学校の隣に住んでいた。

約2年以上前の5月の早朝にに、私たちは旧開智学校を訪れていた。
旧開智学校は、Yさん家族の散歩コースだそうだ。
だが、いまだ、中には入ったことがないらしい。
私は言ってしまった「とても良いですよ。ぜひ、子供さんを連れて入ってみてください」

松本の市内から、車で20分位のところに、2件宿の扉温泉があるという。
そこはとてものんびりとして、湯味も優しい良いところだそうだ。
松本には、なかなか素敵なバーもたくさんあるらしい。

前回、松本を訪れ、城下を散策した時、瀟洒な雰囲気のバーを幾つも見かけた。
その1軒、さすがは蕎麦の松本、昼間は手打ちそばを食べられるというバーで、せいろ蕎麦を食べた。
そこのお店のバックバーには、たくさんの洋酒が並べられ、大きなスピーカーからは、静かにクラシック音楽が流れていた。

私は、年に3、4回は、長野に出かける。
今年になっても、別所温泉に出かけ、先週も、松本から険しい渓谷を越えて、飛騨へ南下した。
今度は都合をつけて、扉温泉の湯を愉しみ、夜は松本のバーで、Yさんと酒を酌み交わそう。
バーを経営していると、全国に、友達の輪が広がるのが嬉しい。
 


爽やかな今日は、憂鬱な一日
2010年9月15日


あの長かった猛暑が、嘘のように今日は涼しい。
暑さの記録ずくめの夏も去り、足早に秋がやって来るのだろうか?
さすれば、今年の紅葉狩りは、何処へ行こうかなどと、思いめぐらすのだから気も早い。
満艦飾の山々を愛でながらの露天風呂は最高の歓び。

そんな爽やかな今日、私にとっては、憂鬱な一日となった。
歯医者さんへの予約時間は4時。
前々からぐらついて、固いものを噛むとぎくりと沁みる歯を、抜くことになっている。
予定の時間を少し遅れて出かけると、すぐ治療室へ案内された。
小心者の私は、麻酔と聞いた瞬間に、ぎくっと肩が硬直する。

それも、2か所に注射を打たれた。
さすがに、2番目は、最初がすでに効いているからだろうか、ちくりともしなかった。
そして、いよいよ抜歯だ。
ごきごきと、何か歯の工事を始めたようだ。

歯医者さんも力を入れれば、こちらは力を抜いてリラックスと思えども、ついつい負けじと力が入る。
そして、ぐつっとしたあたりとともに、奥歯が軽くなった。
どうやら、歯が抜けたようだ。
うがいをすれば、血へどがどろりと出た。

抜歯した血ぬられた歯を見れば、歯は根っこが割れ、中は虫歯になり黒ずんでいた。
63年間、私のために頑張ってきた歯も、さすがに年貢の納め時だったのだろう。
心の中で、ご苦労さんでしたと呟いた。

このあと2時間ぐらいは、食事をしてはいけないと言う。
痛み止めと化膿止めの薬を貰ってきた。
だが、強い薬なので、薬は食事の後に飲んでくださいとのこと。

今、先ほどの麻酔が切れてきたのだろうか?
だんだんと、抜歯したところが痛み始めてきた。
早く来い2時間、その時食べるサンドイッチを、コンビニで買ってきた。

歳と共に、だんだんと歯が残り少なになっていく。
親から頂いた歯、現状維持をはかるだけで、どうにも鍛えようがないのが悔しい。
私はいたって身体は頑健なのだが、子供の頃から、歯には何時も悩まされてきた。
これからは、できるだけ歯医者さんのお世話になりたくないと思うのだが、それは出来ない相談だろう。
残された私の歯、何事もなく、もうしばらく頑張ってくださいね。




熟睡の源
2010年9月11日

残暑厳しいとはいえ、日が落ちれば、さすがに涼風もそよぎ、少しは凌ぎやすくなり始めた。
月が夜半に輝き始める頃、何処やらか、鈴虫の音も聞え、やがて来る秋の訪れも間近なことを知らせてくれる。
それにしても、今年の猛暑は記録ずくめで、尋常じゃない暑さだった。
来年も再来年も、この異常ともいえる猛暑が、常態化すると思うとぞっとする。

早く来い清涼な秋、味覚の秋、そして、夜長の秋、熟睡の秋。
人間の睡眠は、健康にとって非常に重要なファクターである。
睡眠は、人間の健康状態に、大きな影響を与えている。

ある研究機関が、中学生の一年生から、三年生までの追跡調査をした。
体育会に入部したグループと、それ以外のグループに分けて調査をした。
すると、体育会に入った生徒には、その他のグループの子供に比較して、鬱になる子供が、あきらかに少なかったそうだ。
その原因を考えた結果、体育会入部の子供たちは、毎日の運動量が大きく、太陽を浴びる時間が多かった。
それ故、夜になれば、物事をあれやこれや考える前に、心地よい疲労により熟睡してしまう。

人間、年を取るに従い、睡眠時間は短く早起きになる。
それというのも、年を取れば、だんだんと運動量も落ちる。
運動量が少なくなれば、自然と睡眠も短くなり、早起きも道理である。
睡眠は健康の源。
年を取っても、それなりに、適度な運動をしていないといけないと言うことなのだろう。

さすれば、私などは、還暦過ぎてもいまだ現役。
夜遅くまで働き、それなりの運動をしている。
まあ、最近は売り上げも下降気味故、かつてに比べれば、運動量は落ちているのだが・・・・・・。
私の場合は、簡単明瞭、適度なお酒さえ飲んでいれば、部屋が明るくても暗くても、ぐっすりと熟睡出来る。
毎日の適度な運動とお酒が、私の熟睡の源である。



白水阿弥陀堂の本堂にて

小さな旅&日記を更新
みちのく、福島県いわき市を訪ねて
(白水阿弥陀堂・塩谷崎灯台・小名浜・勿来の関)
2010年9月8日




過去・未来、猿は現実主義?
2010年9月4日


猿やチンパンジーは、絶望や後悔をしないという。
人間だけか様々な精神的苦痛を感じ、心の奥深く不安になったり鬱状態に落ち込む。
それは何故なのだろうか?
人間には他の動物にない、物事を思考する性能のよい頭脳というものが存在する。
その頭脳を持つがゆえに、文明や文化が進化したのである。

ところが、この頭脳なるものが、両刃の剣なのである。
人は過去を思い返し、未来を想像することが出来る。
ところが、過去を振り返れば後悔の連続。
未来を考えれば絶望する。

猿やチンパンジーは、過去も未来も考えない現実主義者だ。
生存競争と弱肉強食の熾烈な自然界にあって、生き残るだけでも至難の業。
例え頭脳があったとしても、過去も未来も考えている暇などないだろう。
すると、現実に生存する世界が豊かである故に、人は過去や未来を想起するのであろうか?
それもある真実をついているのは確かなことだ。

さて、自分の事を振り返れば、過去に対して、あまり後悔もすることもない。
過ぎ去ったことは、戻らぬ過去。
哀しいことも辛いことも苦しいこともたくさんあったのも事実だが、良いこと、美しいことだけを記憶するようにしている。
幸いにも、この過去の記憶の仕方に、上手いこと成功しているようだ。

未来のことになれば、齢63にもなれば、自分で出来ることも出来ないことも、それなりに限界は見える。
それ故、残り少ない人生を、猿と同じように、毎日、自分に出来ることを、確実に実行して行くことが最善である。
猿のごとき現実主義は、実は人生における、地に足の着いた、実存主義とも言えるのではないだろうか。

昨日も、店を閉め、ママが運転する車の横で、ビールを飲みながら、独り言のように言った。
「毎月、一度ずつ旅行に行ったとしても、あと10年生きたとしても、合計で120回だな。
桜の季節は、1年に一度だから、あと10回と少ないものだ。
そんな計算が簡単に出来るような歳になったということか・・・・・・」

ママは、何を下らないことを言ってるのと、無言で車を運転していた。
しかし、人は確実に歳をとり、そして老いる。
還暦も過ぎると、残された時間を、はっきりと、現実のものとして認識できる。
その分、時間は濃厚となり、凝縮されているように感じられる。
酒を飲み過ぎず、残された時間を大切にしなければと、毎度、毎度、述懐する愚かなるバーテンダーのくりごとでした。




お酒の話を更新
宗教改革者マルチン・ルターとビール
2010年9月1日

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