Today's Comment
JULY 2009.07


伝説となったスナックD
2009年7月31日

昨日、N大病院の整形外科のお医者さんが、2人でやって来た。
「今日はどちらからの帰りですか?」
Iさん、「今日は明治記念館のガーデンで、生ビールを飲んできました。
芝生の匂いを乗せた風が、とても気持ちがいいですよ」
「明治記念館、懐かしいですね。30年前、僕たちの結婚式をしたところです。
ママは白いドレスに、私は純白のタキシードで決めました」
Mさん、「それなら是非、、ママと一緒に行ってみてください」

すると、Mさん、「マスター、Dのマスター、先週の水曜日、亡くなりました」
スナックDは、N大学病院のすぐ近くにある、N大医学部御用達のスナック。
医学部に入った学生は、先輩に連れられて訪れ、卒業して医者になれば、
後輩のお医者さんや生徒たち、病院の看護師さんを連れて飲みに行ったもの。
マスターの店は、ドリーと言う愛称が付いていた。

夏にでもなれば、お客様とキャンプへ。
そして、釣り好きのマスターは、N大学の釣り仲間と海釣りに出かけた。
釣果は勿論、マスターの店で、料理され、みんなにふるまわれた。

1年半前の事だろうか。
私の店に、スナックDのかつての常連が、3人でやってきた。
すでに、3人はそれぞれに、板橋を離れて、診療所を開院していた。
「今日は、懐かしいメンバーですね」
Aさん、「Dのマスター、入院したのよ、癌で。だから、みんなで見舞いに来たの」
そして、Dのマスターは、手術も成功し、無事、退院できた。

ところが、最近、癌が再発した。
そして、先週の水曜日、帰らぬ人となった。
臨終の間際、かつての、スナックDのお客様が、大勢見守ったらしい。
「マスター、最期の瞬間、Dのマスターが大きく深く、息を吸いこんだんです。
その時、マスターが一瞬、生き返るのかと思いました。
でも、それが最後の一息でした。それは静かで尊厳な瞬間でした」

そして、お葬式の後、葬祭場へ向かいました。
Mさん、「マスターの骨、とても少なくて軽かったのには驚きました。
言葉には出さなかったですけど、癌の治療で、マスターは大変だったのですね」
マスターは享年61歳。
私より1つ若い。
お店は今年で、創業26年、私の店より1年古い。
スナックDは、N大医学部の伝説の店として、心の中に記憶されるだろう。
Dマスターに合掌。



行田市「古代蓮の里&埼玉(さきたま)古墳群」へ
2009年7月29日


江ノ島&稲村ケ崎へ
2009年7月27日

秩父市「美の山公園」へ
2009年7月25日


アンサンブル公演「ラリー」観劇記
2009年7月24日

愉快な仲間を更新
2009年7月23日


皆既日食と生命
2009年7月22日

11時半前、トカラ列島の悪石島からのテレビ中継。
皆既日食が、日本で一番長く見れるというので、
島民が60人程の島に、3倍の観光客が押し寄せた。
しかし、今日は悪天候。
曇りどころか、雨風に祟られ散々のようだ。
だが、そんな悪天候に見舞われながらも、
今は遅しと天体ショーを待ち焦がれている。・

やがって、画面は切り替わり、太平洋戦争の激戦地、
硫黄島の遥かに碧い海が広がる。
すると、画面の景色は色を失い、灰色から漆黒へ変わり、太陽が月に隠れた。
そして、月の周りにリングが光っていた。
テレビの画面に映し出されるリングは鈍い黄色だ。

日食メガネで、硫黄島で見れば、リングは黄金の輝きを放っているだろう。
きっと、空は言い尽くせないほどに、煌びやかな光彩を帯びている。
日本の陸地で、46年ぶりに起きた皆既日食は、幻想的で魅惑に満ちていた。
数十年に一度の壮大な天体ショー。
たったの数分の時間で、生まれては消えた。
その瞬間の輝きの中に、天球の神秘と雄大さが感動を与える。

人間の生命も誕生した瞬間から、終末への長い旅を歩く。
儚い一度だけの生命だからこそ、大いなる意味がある。
私も還暦過ぎ、残された時間を大切に、創造的に生きなければならないだろう。
それにしても、海洋観測船の船長のOさん、
きっと、太平洋の洋上から、世紀の天体ショーを観測したことだろう。


世界鰻事情
2009年7月18日

オランダ政府が今年の10月と11月の2ヶ月間、
鰻の禁漁期間と決定した。
来年からは、9月から11月までの3ヶ月間に延長されるという。
いずれ、デンマークやフランスなど、
欧州諸国にも波及するのは必至の状況になっている。

対象は、成魚と稚魚の両方で、
2013年までに、欧州連合で、6割の削減を目標としている。
中国は欧州鰻の輸入国。
かなりの稚魚を、オランダから輸入し、養殖している。
そして、成魚は、世界最大の鰻消費国、日本へ輸出される。

なんと、日本の鰻消費は、世界の7割に達しているという。
明日は、土用の丑。
たくさんの鰻が消費される。
去年は、中国産の食品の食の安全問題により、
中国産鰻が敬遠された。

今年は、不景気も後押し、中国産鰻の売り上げが伸びている。
何と言っても、国内産鰻の半額だから魅力だ。
だが、欧州の鰻の禁漁が、回りまわって、
いずれ、日本の鰻価格に飛び火する日が、近未来に、必ず起きる。
ほんとうに、世界は狭くなったものだ。


夏は、冷たい麺が美味い!
2009年7月17日

最近、何故か早起きだ。
朝刊をゆっくりと読み、さらに小説を読んでいると、お昼の時間だ。
昔はほとんどお昼は食べなかった。
夜というか朝までお酒を飲んでいたから、起きれないのと、食欲がないの2連発。
だから必然、お昼は無しとなる。

梅雨も明け、夏本番、各地で猛暑が襲う。
夏となればやはり、冷たい麺類が美味しい。
昨日は、息子がお土産に貰ってきた、原産地数量限定戸隠そばを食べた。
今日は香川のそうめん。
沸騰した湯にお塩を少々振りいれ、ぱらりと広げながらそうめんの束を入れる。

やがて、ぼこぼこと乳白色に、盛り上がるように鍋が膨れる。
差し水をすると、さーっと泡が引き、再度泡を膨らませながらそうめんが躍る。
火を止め、笊に明け流し、水を勢いよく流す。
そして、手でごしごしと、もみ洗いをして、ぬめりを取り、
ガラスの器に盛りこみ、水をはり氷を盛りいれる。

お薬味には大葉の千切り、長葱の薄い小口切り、生姜のすりおろし、梅肉のたたき。
椀に入れたつゆに、お薬味を入れ、そうめんを浸け入れ、ずるりとすする。
大葉の青臭い匂いが快香りとなり、生姜はぴりっと鼻孔へ清涼に広がる。
さらに、しゃきしゃきとした歯触りと、鼻をつく長葱の辛味、
そして梅肉の酸味が、ずしりとした深い味わいに変えてくれた。


小さな旅&日記を更新
2009年7月16日


居酒屋の怖いお話
2009年7月14日

先日のこと、お客様が言った。
「マスター、大山の○○商店街にあったお店なんだけど、居酒屋○○知ってるでしょ」
「ありましたね」

「友達と一緒に行った時のことなんだけど、まずは生ビールを飲んだ後に、
色々摘みも注文して、芋焼酎を頼んだの。
そしたら、なんか変な味がするのね。
そこで、店員に、この焼酎、なんか変な味がするよって言ったの。

すると、店員が何ともないと言いはるから、
悪いけど、店長を呼んでくれるって言ったの。
そして店長がやって来た。
そこで店長にその旨を伝えた。
すると、店長は調理場に行き、そして、また私たちのもとに戻ってきた。

そして、唐突に、本日の代金はいりませんと言うから、
私たちはそんなつもりで言ったつもりはない。
味を確かめて貰いたいだけなのだと言ったら、今度は焼酎を1本持ってやってきた。
もうこれ以上は駄目だと思い、レジでお金を払って出てきた。
ところが、翌日、友達の具合が悪くなり、友達は病院へ行ったの。

すると、どうやら、昨日の焼酎が原因だったようだ。
そこで、もう一度、原因を調べるために、○○居酒屋へ出向いた。
そして、店長に昨日の焼酎の件を質したら、女性の従業員が、嫌がらせに、
洗剤を入れたのだと、店長は説明した。
そんな酷い話ってないですよね」
「それは犯罪ですね。傷害罪ですよ」
「そんな店ですから、それからすぐに潰れました。今は違う居酒屋になっています」

かなり大きなチェーン店の居酒屋での話。
今時、信じられないような怖い話でした。


7年ぶりのご来店
2009年7月13日

先週の土曜日、眼鏡の具合が悪いので、近くの眼鏡屋さんへ行った。
そのために、店を開ける時間が、10分ほど遅れた。
急いで店の玄関を開けようとしていたら、私の苗字を呼ぶ人がいた。
見れば、店の近くの電柱の前に立っていた。

その人は、私の大学時代の同級生だった。
私は演劇に明け暮れる毎日。
彼はクラブ活動も、学業も謳歌していた。
やがて、大学院に進み、今は父親の仕事を継いで、
新木場で材木商をしている。

真面目で、曲がったことは大っきらいな彼は、
新木場にあっても信望が厚い。
彼に紹介されて、私の店にやって来た、新木場の旦那が言っていた。
「Oさんは今、新木場の会長です」
木場から新木場に移って、何十年になるのだろうか。

40年前、新木場には、500軒の材木屋さんが在ったそうだ。
今では、僅か、150軒になってしまったと、彼は寂しそうに語った。
最近は、社会の潮流、現地直送型に移行している。
問屋の存在自体が、非常な危機にさらされているらしい。

彼が前回来店した時、私が一人で、店を切り盛りしていたらしい。
思い返せば、7年前、ママが大病で入院していた時だ。
早いもので、あれからもう、7年も経つとは。
その時は、同時多発テロで、
アメリカの世界貿易センタービルが、破壊された時に重なる。

Oさんの奥さん、「今日はとても楽しかったです。年内にまた来ます」
マスター、「7年後だと、私がもう居ないかもしれませんからね」
次のご来店を、楽しみにしています。


K女史の心意気に乾杯!
2009年7月9日

昨日、K女史が友達とやってきた。
K女史は税理士の実力者だ。
若い頃、芝居が好きで、演劇のクラブにも入っていた。
それ以来、観劇を楽しんでいる。
そんな演劇好き仲間ということで、私とも話が合う。

スコッチのシングルモルト・アードベックのロックを飲みながら、
「マスター、この前、前進座の芝居を観に行って来ました。
お客様30人を招待して、国立劇場で観て来ました」
「それは凄いですね。皆様、喜んだでしょう」
「いちばん良い席で観ました。観劇のあと、前進座の役者さんと、
記念写真など撮ったりして、とても楽しい一日でした」

K女史は前進座の友の会に、昔から入会している。
だから、前進座の特別のサービスだったのだう。
「こんな不景気な時期だから、お客様に頑張っていただかないとね。
それに、長い間、お世話になっているのだから、心からお礼をしないと」
「それにしても、30人のご招待とは凄い」
「前進座の方も、とても喜んでくれました」
「それはそうでしょう」

かつて、新劇と言われた劇団は、現在、何処も苦戦を強いられている。
公演も赤字が続き、学校公演なども急減している。
私たちが若い頃を思えば、まさに、隔世の感があり寂しい限りだ。
そんな現況下、K女史の心意気には、感動さえおぼえる。


いまだ、未完、想像は無限
2009年7月8日

テレビで料理番組を見ていたら、講師の女性が、
お茶と急須の関係を語っていた。
中国では、同じお茶には、毎回、同じ急須を使うと。

なぜなら、お茶の香りや味が、急須に染み込むから。
30年間使い続ければ、お茶を入れなくても、
お湯を注ぐだけでお茶が出るそうだ。
さすがに中国、時間の単位が悠久だ。

すべからく、物事を自分のものにして、
何かを表現するためには、30年以上の時間が必要だ。
さらに、物事を思い通りに、完成する事もないだろう。
常に、未完だからこそ、創造し続ける価値もあるというもの。

窓を開ければ、人で溢れる波照間
2009年7月7日

最近は地方へ行っても、昆虫がいなくなったような気がする。
秩父へ最初に出かけた30年以上前、夏の黄昏時、蝉のヒグラシが、
もの寂しげに悲しげに、煩いほど鳴いていた。
今はほとんど鳴き声を聞かない。
庭でバーべキューをしていても、灯かりに誘われて、カブトムシやクワガタも姿を見せない。

昔だったら、昆虫が躍るように群がって、灯かりの周りを飛び回るのが当たり前だった。
羽が短く、気味が悪いほどに、原色の蛾が、不気味に、飛び回らないのは嬉しいことだが。
でも、やはり、昆虫は夏の風物。
日本の生態系も、だいぶ変化したのは間違いないだろう。

そんな話をお客様としていたら、仙台出身の女性が、何時ものジンリッキーを飲みながら、
「私の実家なんて、昆虫どころか、野良猫が入ってきて住み着いちゃうの」
そこで私は、
「波照間なんか、カーテンを引いて、窓を開ければ、人が次々に、溢れるように入ってくるそうだ。
そして、どんちゃん、どんちゃん、大宴会が始まるらしい」

今でも、夏になれば、波照間へ、ボランティアーに出かける、沖縄県人のIさんが言っていた。
波照間へ、今年も出かけたら、Hさんに、東京のマスターが、よろしくとお伝えください。

美味き酒、旨き食事は元気な証拠
2009年7月6日

土曜は法事で法要を済ませ、1時頃から近くの鉱泉旅館で会席。
たくさんの食事とお酒を飲む。
そして、ママの実家に4時頃戻り、
遺影写真を飾ったお仏壇の前で、さらに会席の続きが始まった。
先日は一睡もしていなかった我、さすがに、深夜12時近くには寝る。

翌日は1時過ぎ、連れだって、秩父市皆野町「美の山公園」に出かけた。
怪しかった空模様も、なんとか曇りで我慢してくれた。
山肌に沿って、アジサイの群生。
色とりどりに咲き誇っていた。

「美の山公園」で皆と別れ、東京へ。
助手席の我は、途中、500_の缶ビールを、
2本消費しながら、ゆっくりと長瀞沿いの国道を進む。
そして、途中から、何時もとは違うコースを通る。
やはり、はじめての道は新鮮で快適。

やがて東京へ到着。
途中、いつも立ち寄る酒屋さんで、店主お勧めの「生原酒信濃鶴」を購入。
長旅の〆に、居酒屋に寄って、日本酒の生酒を3合。
先日の酒がまだ残っていたので、うまい具合に、少量の酒で切り上がった。

まずは、少し温まってしまった「生原酒信濃鶴」を冷蔵庫へ。
その間、がっちり詰め込んだ氷のグラスに、
たっぷり注いだ焼酎を飲んでいたら良い気持ち。
知らないうちに、蒲団に入って寝ていた。
早く寝て、飲みすぎてさえいなければ、自然と早起き。

溜まった新聞をすべて読み終える。
すると、時間は11時。
テレビの料理番組を見ていたら、お腹が空いて来た。
昨日買ったカツサンドと牛乳を、美味しくいただいた。
酒を美味く呑め、食事をおいしくいただけるのは、元気な証拠と考える我でした。


アトピーは、何時か治る
2009年7月3日

一昨日、シナリオライターのIさんが、久しぶりに来店した。
お気に入りのカクテル、ネグローニを飲みながら、
今年の春に生まれた、次男の写真を見せてくれた。
携帯の画面のなか、笑顔のかわいい男の子が写っていた。
どちらかと言えば、お父さん似だ。

「元気そうな子だね。Iさん似だと思うよ」
「僕もそう思う。マスター、ほっぺを見てくれる」
「赤いね」
「そう、アトピーが酷くて」
「それは大変だ」

Iさんの長男もアトピーで、Iさん夫妻はとても苦労した。
語学の堪能なIさんは、世界中から、
アトピーの子供が食べられる物を取りよせ、調理して食べさせてあげた。
保育園へ上がれば、保育園の昼食も、すべて手作り。
その苦労ははた目にも伝わってきた。
だが、I夫妻は愛情を持って、
アトピーの勉強をしながら、地道に治療してあげていた。

何時まで、アトピーは続くのか、不安な毎日を送っていた事であろう。
しかし、I夫妻は明るく、前向きに、アトピーと向き合っていた。
すると、小学校に入学する頃、アトピーは嘘のように治っていた。

「マスター、今度は、長男よりさらに重いアトピーですけど、
アトピーは、何時か治るという事を学びました。
だから、大変だけど、頑張れます」
かつて、Iさんの婚姻届の保証人に、ママとなったこともある。
I夫妻はとても努力家。
自分たちのアトピー体験が、
きっと、多くのアトピーに悩む人たちへの力になることでしょう。


ジャンケンでケーキ
2009年7月2日

昨日のこと、板橋で一番古いスタジオを、経営しているDさんがやって来た。
そして、カウンターに座るや、何時ものサウザ・テキーラを飲む。
すると、小さな紙袋を取り出した。
その中には、冷たいレーズンケーキが入っていた。

「池袋に出かけた帰り、急に甘いものが食べたくなって、ケーキを買ったの。
でも、男が甘いものを一つ買うのも恥ずかしくて、四つ買ったの。だから、あと三つ余ってる」
すでに、カウンターには、他にお客様が四人。
そこで、ジャンケンで、決めることにした。

すると、そこへ、板橋混声合唱団の、練習帰りのT女史が来店。
早速仲間に加わり、五人で、三つのケーキを賭けて、ジャンケンが始まった。
最初はグーの合図で、ジャンケンポン!
なんと、一発で決まってしまった。

M夫妻がパーを出し、他の人は全てチョキだった。
「M子さんは、葛飾育ちなんだから、カツシカないんだけれどもね」と私の駄洒落。
Mさん「うまいね」
そして、三つのケーキの行先は決まった。
だが、それぞれに、渡ったケーキは分けられ、みんなで仲良く食べました。

●追記●
今週の土曜(4日)は、法事のため休ませていただきます。


6月の手術は幻に
2009年7月1日

3月に下された、私へのタロット占い。
私が6月に、病気で手術をするという、息子へのご託宣。
その6月が昨日、何事もなく終わった。

その話を、昨日来たお客様に言ったら、
居合せたお客様みんなで、カウントダウンをしてくれた。
そして、無事、私には、何も起こらなかった。
相も変わらず、いたって元気。
私の辞書には、病気はないと、またもや、豪語してしまった。

それでも、気にしていなかったと言ったら嘘になる。
私は血圧が少し高い。
下が88くらいで、上が152くらいだ。
健康診断に行ったら、去年に比べて、上も下も6くらい落ちていた。
何回も測って、同じ値だったから、信用してもいいだろう。

だから、脳梗塞だけが心配だった。
そこで、不吉な予言を聞いてから、さっそく、脳梗塞体操を始めた。
まだ、やり始めて1ヶ月くらいだ。
その体操を始めてから、頭がとても軽くなったような気がする。

私の開発した脳梗塞体操、そのうち完成したら公開いたしましょう。
それにしても、無事に6月が過ぎ、いちばん喜んでくれたのは、ママのようだ。
帰りの車の中で、そっと囁いた、「無事、6月が過ぎてよかった」


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