今こそ、夏目漱石の時代
2010年8月25日
このところ、なんとなく夏目漱石を読んでいる。
漱石が生まれたのは、1867年(慶応2年)のことである。
同年に生まれた人物に、正岡子規、南方熊楠、幸田露伴などがいた。
さらに、 豊田自動織機を創業した、豊田佐吉も名を連ねる。
ついでに書き述べるならば、この年に、幕末の志士、高杉新作、坂本龍馬、中岡 慎太郎が死去している。
まさに、夏目漱石の生きた時代は、激動の幕末を終え、開国した明治と軌を一にする。
それ故、廃仏毀釈 に始まり、伝統的文化を破壊してまでも、欧化へ驀進する蒙昧な時代でもあった。
そして、不幸にも、日露戦争で、日本は奇跡的な勝利を収め、西欧列強に加わることになった。
清国のように、西欧の餌食となり、国家は侵略され占領・分割される危機を乗り切った日本は、一気に一等国になった。
巨大なロシアに勝ったことで、自信を喪失していた日本は、戦勝に酔いしれ、物質的に豊かさを求める文明国家を目指す。
やがては、満州に侵略し、第二次世界大戦で、悲劇的な結末を迎えることになるのだが。
そんな明治の時代に、日本のあり方を、夏目漱石は絶えず自問自答しているのだ。
全てが、西欧化し、物質文明を求める知識人や政治家、官僚などの愚かさを嘆きながら、
日本の文化伝統の豊かさ、日本人の生き方を小説の中で表現している。
明治の時代にあって、日本人が、おのれのアイデンティティを確立するために、如何に生きるべきかを描いている。
まさに、物質の豊かさを求め続ける社会は、やがては、何時かバブルの如く消滅する。
現代は、物質的な豊かさと引き換えに、人間の本質である心の豊かさを犠牲にしてしまった。
今こそ、夏目漱石を再認識する時であろう。
日本人が、日本人であること、日本の伝統や文化の素晴らしさを、世界に発信する必要がある。
日本の文化や伝統を理解し、日本語を正確に書き、読み、話すことは、日本人であることの基本である。
最近は、子供の時から、全て、英語で教える学校があるそうだ。
外国語を学ぶことを否定はしないが、その前に、日本語をしっかりと、教える必要があるのではないだろうか。
言葉は、伝達ツールである。
しかし、国語を学ぶことは、その国の文化を学び、文化や歴史を思考する事でもある。
インターナショナルであることにおいて、外国語は必要であることは勿論である。
しかし、インターナショナルであることを、すこし浅薄に、理解しているのではないのではないだろうか。
自分の生まれ育った国の歴史や文化を認識し、世界に堂々と発信できることが、真のインターナショナルである。
ナショナルであることは、逆説的にインターナショナルである。
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