寿命 2010年5月27日 最近、私より一回りも二回りも若い人たちに、よく言われることがある。 「マスターだけは、俺たちが死んでも、,生きているような気がする」 確かに、風邪もひかなければ、花粉症になることもない。 だから、開店以来、約26年間、病気で店を休んだこともない。 しかし、私ももうすぐ63歳になる。 歴史上に名を残した人達を見てみれば、ほとんどの人達は、60歳に至らずして亡くなっている。 やはり、還暦を過ぎれば、必然的に、死を意識する。 この事は、決して、否定的な意味合いで、言っているのではない。 人は生まれた瞬間から、何時か必ず訪れる、避けることのできない、死に向かって生きている。 還暦を過ぎたということは、その訪れる死が、確実に、物理的に、近づいていることなのである。 だから、若い人に、不死身だと言われた時、私はこう言う。 「あと10年、長くても15年で充分」だと。 すると、「そういう人に限って、長生きをするもんです」と、返って来る。 だが、自分に与えられた寿命だけは、私にも誰にも分からない。 神様から頂いた命は、生ある限り、全うすることは自明の理である。 物理的に限られてきた命であればあるだけ、生きていることの意味は大きく、そして凝縮されてくる。 だから、生の輝きは燦然としてくる。 禅の心は、和敬清寂。 最近は、その意味合いを、深く感ずる。 日本人は、世界の宗教や思想の中において、死に関する根源的な意味を問い、体現する唯一の民族だろう。 武士は君主の命令の下、戦陣で大刀振り下ろし、時として、己に降りかかる危険を避けるために、、または、義のために、長太刀を持つ。 しかし、戦闘に破れ、己の義を果たさねばならぬ時、また、己の正義と、生の美を全うするために、小刀で自刃する。 果たして、私は何歳まで生き続けることやら・・・・・・。 出来るならば、生涯現役で、誰の迷惑にもならず、少しは人さまの役にたちたいと思っている。 さらに、欲を張れば、より想像的な仕事をして、他人さまに喜んで貰いたい。 と、思いながらも、昨日は少し飲み過ぎて、今日は、大切な時間を無駄にしたのだが・・・・・・。 |
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23年目、看護学校の同級会
2010年5月24日
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2010年5月19日
東秩父村「彩の国ふれあい牧場」を訪ねて
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2010年5月15日
茨城県ひたち那珂市「国営ひたち海浜公園」を訪ねて
幼稚化する日本 2010年5月12日 最近は、料理教室で、写真を見せながら、生卵の割り方を教えるところもあるらしい。 きっと、そのうち、包丁の研ぎ方ではなく、包丁の持ち方から、教えることになるのだろうか。 かつては常識と言われ、知らなければ笑われるようなことも、今はいちいち教えなければならないとは・・・・・・。 企業でも、新入社員を採用すれば、企業の一員として、どのような仕事をするのかと研修で教育する。 しかし、近頃の研修において、まずは、新入社員に、挨拶の仕方、行儀作法など、一般的な常識から教育しないといけないそうだ。 かつては、家庭で教えられていたことが、完全に崩壊してきたのだろうか。 法律や条例にしてもそうだ。 余りにもくだらない、細かいことの規制や禁止条項が多すぎる。 人間の自由と命は、究極においては、自分で守るものと、私は思っている。 最近は、企業の顧客相談窓口へ、様々な問い合わせや苦情が送られてくるそうだ。 それは明らかに、お客様の常識では考えられない使い方や保存の仕方などである。 その為に、企業は製品に、様々な使用上の取扱説明書や注記を書き込む。 さもないと、事故が起きた時、PL法=製造物責任法 (製造物の欠陥により損害が生じた場合、製造業者等の損害賠償責任について定めた法規。1995年7月1日施行)により、 被害者に損害賠償を請求されることになる。 私の住む近くの公園に、子供たちに人気の回転遊戯機械があった。 或る時、その遊戯機械に、青いビニールシートが被せられていた。 そして、1ヶ月位後に、跡かたも撤去されていた。 噂によれば、その遊戯機械で遊んでいた子供が、怪我をしたということだった。 私たちの子供の頃、怪我は元気な証拠と褒められたものだ。 怪我をした子供も、自分の不甲斐なさに涙したもの。 そして、度を越して危険なことでない限りは、再挑戦し、かつての失敗を克服して悦にいった。 危ないから禁止する、怪我をしそうだから撤去するという発想は、余りにも幼い。 このまま、この状態で日本が進んでいくのなら、間違いなく、日本は世界の笑い物になるだろう。 |
「粘り」という言葉 2010年5月7日 建築家の隈研吾さんが、大学院生の時、アフリカのサハラ砂漠に、調査旅行に出かけた時の話。 サソリもいれば毒蛇もいる砂漠の危険極まりない環境、張られたテントの中で、先生が語った。 「建築っていうのは結局は粘りなんだよ」 さらに、その後、発見したのは、その言葉は、その先生の師匠にあたる、丹下健三氏のものだった。 私も、今、戯曲を書き始めた。 予定としては3幕喜劇だ。 現在は、1幕がほとんど完成した。 当り前のことだが、作品は、無から生み出される。 途中、今、書いている作品は、果たして、面白い作品に仕上がるのだろうか不安になる。 そして、小休止しながら、資料をあたったり、頭の中で人物を動かしてみる。 だが、人物がまったく動かない時もあり、その作品の先行きが不安になる。 その時、切れそうになる想像力を、粘りずよく持続する。 すると、或る時、突然に、人物たちが動き始める。 物事は全てそうなのだろう。 やり始めたら、自分が望んだ形に、少しは変形していても、形にして完成させなくてはならない。 先行き苦しい時や不安な時は、何時もついて回って来る。 その時、止めてしまえば、次にまた壁にぶつかった時に、その不安は増殖する。 人生何事も、粘りは必要だろう。 私もバーを経営して、26年目を迎える。 その途次、自分のしているバーは、果たして、このままで生き残れるのか、不安になったこともいく度か。 でも、自分の信じる生き方に、自分自身が粘りずよく信じる努力をしたことが、結果として、生き残れた事なのだろう。 「努力と粘り」、あまり好きな言葉ではないが、私のような鈍才が生き残るには、大切な言葉だろう。 だが、人生、駄目なものを深追いしても、駄目なものは時駄目である。 傷が浅いうちに、すっぱりと、捨てる勇気も持たなければならない。 その結果、吉と出るか凶と出るかは、その人の人生の歴史の中で判明する。 だから、人生は難しくもあり、愉しくもある。 |
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「宮沢湖を訪ねて」
2010年5月4日
アンチエイジングと私 2010年5月1日 今日はメーデー、私も63回目のメーデーを迎えたことになる。 還暦過ぎの年になると、糖尿やら痛風などの病気持ちになる人も多く、たくさんの薬やら栄養剤を持ち歩いている。 でも、私は、薬も栄養剤も無縁だ。 今年、飲みすぎで、2回だけ、漢方の胃薬を飲んだのだが・・・・・・。 私の生活は、あきらかに、人間の生理に反している。 暗い間に仕事をして、明るくなれば寝る毎日。 さらに、毎日、来る日も来る日も、お酒を飲んでいる。 そして、人が朝の活動をし始める頃、眠りに就く。 だから、自分の健康は、自分の力で、つくり出していかなければならない。 そこで、毎日、飽きることなく、体操をする。 私がバーを経営して、今年で26年目になる。 その間、たまには、1日位休むことはあっても、毎日、繰り返し体操をしている。 最初の頃に比べれば、体操の強度も、かなりのものになり、今でも少しづつ進化している。 片手片足の腕立て伏せ(右手と左足、左手と右足)右左交互に10回。 腹筋110回を、2セットで220回。 20回と言う半端な数字は、捻りを加えたものだ。 親指と人差し指の2本で支える腕立て伏せを10回 スクワット30回 さらに、腰痛に効く、野口体操。 これは、芝居をしていた頃、野口三千三先生、直々に、群像座に足掛け2年、通って教えてもらったものだ。 この体操をすれば、確実に腰痛は治ると、私は確信している。 さらに、私特有の柔軟体操をする。 だが、一連のトレーニングは、まとめては、しないことにしている。 毎日、これだけの体操を、まとめてやると思うだけで、鬱陶しくなる。 だから、時間が空いている時、テレビを見ている時、コピーをしている時などのついでに、することにしている。 取りあえずは、1日のうちに、体操メニューが、完了すれば良いのだ。 この体操のお陰なのだろう、26年間、風邪もひかなければ、花粉症にもならない。 たまに、クシャミをしたりすると、お客様に、「マスター、風邪ですよ!」と言われる。 私も、瞬間! 「風邪かな?・・・・・・」 でも、私は強がりを言う。 「私は風邪はひかないのだ! 私の辞書には『病気』という文字はないのだ!」 何時も強がりを言う我としては、風邪をひくわけにはいかないのだ。 すると、風邪じゃないと突っ張ったまま、明日の朝になれば、奇麗に治っているという具合。 やはり、病は気からなのだ。 最近は、アンチエイジングという言葉が喧しい。 私はアンチエイジングではなく、その時々の年を愉しみたいから、トレーニングをする。 そして、元気で強い気は、健康な肉体にしか、宿ることはないと信じている。 人間の肉体の限界とは、人間の心の気が、躍動しなくなった時に訪れる。 人間の肉体は、幾つになっても進化すると、私は信じている。 私は、アンチエイジングではなく、マルチエイジングで生きたいものだ。 |
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