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ANUARY 2004.01
Today's Comment

1/27<火>
葉が落ち、欅の枝は灰褐色、夕日に照らし出され、厳しい冬景色を演出する。
冷たい風がサーッと吹き抜けると、剥き出しの梢がブルブルッと震えているようだ。
毎年のことなのだが、この季節は本当に寒いの一言。

しかし、厳しい寒さに耐え忍ぶからこそ、暖かい春の再生の季節を歓ぶことができる。
震え上がるように寒い季節、葡萄の木の剪定をキッチリと行なうからからこそ、
夏場にしっかりと大きな実をたわわに結ぶ事ができる。
地球の生物の死と再生のリズムは永遠である。
愚かにも、思い上がった人間がかってに手を加え、森羅万象の生態系を変容し破壊してはならない。

この時季、動物達はシッカリと栄養を蓄え、厳しい冬を命がけで乗り越える。
今、日本山々で狩猟は解禁されている。
無情にも、撃ち取られた鹿や熊やウサギや鴨や雉は、脂が乗り最高に美味い。
アントレのフィレステーキなどの後に来る、フランス料理でいえばジビエである。

フランス料理のアントレは入り口の意味。
何故、入り口がビーフステーキだったりするのか?
それは、飼われ飼育された動物の料理は、まだまだ小手先調べ。
本物の料理はこれからが本番。
だから、口直しにソルベで休み、一息ついて、次のジビエをお楽しみということになる。
フランスでは封建領主たちが、戦争に備える訓練もかねて、士官達を引き連れ、猟をする習慣があった。
そして、たくさんの獲物は大事に余すところなく、大切に料理されたのである。
特に、この季節のジビエは最高と歎賞された。

イベント&ライブを更新栄養

1/22<木>
昨日は大寒、寒さは日々厳しくなる。
昼時はそれなりに陽が差し、ポカポカ陽気で気持もよいが、
陽が落ちると、さすがにズコッと冷え込む。

朝方になると震えるほどに冷え込み、凍るようである。
朝は普通の人の場合、起き始める時間なのだが、
夜昼が逆転している我らは、なんともはや寝床に潜り込む時間。
寝酒の朝酒をグビッと呷って、昼時までの熟睡でジ・エンド。

どう考えても、これじゃ身体にいいわけないよなと、一人合点、微苦笑な毎日。
でも、可笑しく楽しく働かせてもらい、生活できているのだから、
これはこれは皆様に大感謝しなければ罰があたるぞと、
あらためて肝に銘じ、さらにさらに皆様に感謝感謝、頭を垂れるマスター&ママです。

ピーポッポのHPもあとわずかで、アクセス数が20000件に到達します。
19999.20000.20001めをヒットした方には、ささやかなプレゼントを考えています。
店に来たおり、遠慮なく、自己申告してください。
呟き日記を更新

1/15<木>NO2ー1/14<水>の続き 

ピーポッポ店内写真を更新 NO1 NO2

前日の夜半から、氷雨が降り出す。
せめても、明日の昼間だけは晴れてもらいたいものと、
せつない思いが通じたのか、翌日の朝はまだ小雨に煙っていたが、
空はどんよりと雲が張り出し、今にも雲間から微かながら朝日がのぞきそうな好気配。

予想通り、雨が上がり、陽が微かにさし始めた。
朝の朝食を済ませ、ホールでの読経も型どおり済ませ、歩いて隣り合わせた斎場に向かう。
本当に、雨が上ってよかった。
氷雨の中を傘をさして、とぼとぼと歩く葬列は、あまりにも辛く哀しい。
斎場につき、荼毘にふされる間、1時間半の時間がある。

待合室を出てみる。
外は風は強くはないが、静岡といえども、やはりこの時季は寒い事にかわりはない。
斎場は背後のこんもりとした山に包まれるようだ。
山あいの風に吹かれ、鳶がすーいすーいと、何事もなかったように、
時は永遠で不変であるかのように、風に乗り流されるように飛び交っている。
ときたま、ヒュルーヒュルーと甲高い声で鳴く。
声は切なく物悲しく哀切に響く。

すぐ側には、安倍川があった。
交通量の多い道路を越えると、小高い土手。
土手に上ってみると、想像以上に大きな川である。
河は砂利石が削られたようで、荒れ果て茫漠としている。
この世に生を享けた時から、人はいつかは死を迎えることになる。
ある意味において、生まれた瞬間に、すでに日1日と死に向かって生き続けているのかもしれない。
きっと、人が死ぬと、1度はこんな寂寞として荒涼とした河を渡るのかも知れない。

はるか彼方、山脈の向こうに雪化粧をした富士が、雲海のきれぎれにニョッキリと顔を出した。
静岡で見る富士山はもっともっと大きくて、圧倒するほどの威容を誇っているのかと思いきや、
以外に小さいので少し拍子抜けである。
人の人生はいつかは死とともに完結する。
できるものならば、少しでも人様の役に立って己の終末を迎えたいもの。

1/14<水>NO1
13−14日と店は臨時休業。
急用ができ、静岡まで出かけた。
13日は昼間は快晴、東名高速を一路静岡まで快走。
途中は事故渋滞にあったが、何とか4時間くらいで目的地に着く。

箱根のトンネルを越すと、太平洋の海岸線が美しく、
キラキラと昼の陽光に穏かな海は耀き、漁師の小船が点在、のどかな風景。
突然、雪化粧をした富士山が、ドカッと山の向こうにの雲間に大きく顔を見せた。
さすがデカク威風堂々、霊山と呼ぶにふさわしい威容を誇っている。

なだらかに湾曲した駿河湾は美しい。
冬でも温暖で住みやすそうで羨ましい限り。
しかし、風光明媚で素晴らしい景観を誇る湾岸は、波除か風除けなのか、
殺風景で味気ない白いフェンスで覆われていて残念至極。

ヒョッとしたら、事故防止なのかもなんて、好意的に考えたりしてみる。
ドライバーがあまりの景色の美しさに見とれて、大怪我をしないようにとの計らいなのかも。
一瞬の油断が大惨事になるのは、高速道路ではしばしばあること。
取り敢えずは、無事に静岡に到着。
陽射しが強く高いうちに、こんな遠くまで来たのは、はたして何年ぶりだろうか。
続く

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1/10<土>

2003年度のビール・発泡酒の統計がでた。
アサヒが前年度比2.6%減少の1ケース大瓶20本換算で2億400万ケース、
キリンは7.6%減の1億8320万ケースでさらにアサヒとの差は拡大した。

終戦後アメリカ占領軍GHQによる、財閥解体・独占的企業の解体などにより、大日本ビールは、分割された。
大阪を境に、北をサッポロビール、西を朝日ビールの2社に分割。
その時、麒麟麦酒は弱小勢力で漁夫の利を得急拡大、圧倒的で独占的な企業となる。
一時は市場シェアは60%を越すに至り、残りをサッポロ、朝日、サントリーで分かち合うことになり、
朝日ビールは新興勢力のサントリーにも猛追されるテイタラク状態。

しかし、住友銀行から自動車メーカーマツダの社長に、そしてボロボロになりかけていたマツダを再建した手腕をかわれて、
25年くらい前に、アサヒビールの再建に送り込まれた樋口氏により、アサヒビールはみごと再生した。
一人の社長により、名門アサヒは復活、さらにスーパードライのスーパー・ヒットにより、
日本のビール史を塗り替える結果となった。

長い間、麒麟伝説とまで呼ばれ、麒麟の牙城は、誰しも揺ぎ無いものと信じていたが、
あっという間に、アサヒ・ビールの後塵を拝することとなるとは驚きにつきる。
日本ビール市場において、ラガー・ビアーと言えば麒麟ラガー、代名詞の観すら呈した時代が長く続いた。
「盛者必衰の理」「奢れるものは何時か滅びるの習い」
慢心は何時の時代も、己の破滅を招く理の歴史の証左かもしれない。

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1/6<火>
正月も過ぎ、明日は七草粥。
店に飾ったお飾りも外し、近くの子易神社に納めに行く予定。
秩父神社で引いた御神籤、今年の運勢は、なんと大当たり!「大吉」
「流れに逆らわず、自然体で行けば、全てが希望のまま叶う」とあった。
昔、鎌倉の鶴岡八幡宮で御神籤を引いたら、「大凶」がでて、愕然とした事がある。
でも、その年は決して、悪くはなかったような気がする。
さて、大吉の今年はいかように展開するものやら楽しみである。

明けましておめでとう御座います。
昨年度はいろいろとお世話様でした。

早いもので、ピーポッポも今年で20周年を迎えました。
開店当時、私の毛髪は黒々フサフサでしたが、
さすがに歳月にはかなわず、悲しいかな、
今では白髪交じりで、微妙にボリュームも後退気味。

しかし、気力体力は此処にいたってにわかに増進、精気煥発やる気もりもり。
今年も飲み過ぎにだけは気をつけながら、大いに頑張る所存覚悟。

みなさまの健康と安寧とさらなる飛躍を祈念するとともに、
本年も旧年にまして、ご愛顧のほど、よろしくお願い致します。

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