奥秩父贄川宿、秋の縁側展を訪ねて 2010.11.14 早朝の9時半頃、秩父鉄道の終点、三峰口近くにある、奥秩父贄川宿に到着した。 奥秩父地方は、今まさに秋満載であった。 紅葉した山々を背景にして、道路沿いに造られた鉄柵を、野生のサルが、桃色の尻をふりふり歩いていた。 少しも人を怯えた風もなく、のんびりと軽やかに、親子の猿の家族が前を通り過ぎる。 荒川に掛る橋を渡り、空き地に車を停める。 そして車を降り、先ほど通った橋へ戻り、彼方を見渡せば、山々の紅葉が朝日で耀いていた。 眼下には、岩肌を切り裂くように、エメラルド色の清流が、静かに流れていた。 橋から川まで、高さ30メートルくらいはあるだろうか? だが、水は透通り、川床の石や岩さえ、見通すことが出来る。 すると、橋の上の道路に、何処からか野鳥が飛んできた。 奥秩父には、至る所に自然が溢れている。 橋を渡れば、先ほど来た国道140号。 そこからすこし秩父方面に戻ると、贄川宿がある。 すでに、贄川宿縁側展に向かう人たちがたくさんいた。 そして、贄川宿縁側展の大きな看板を見ながら進むと、そこは贄川宿。 かつては、往還を挟むように、36の商家や宿が建ちならんでいたと言う。 贄川宿は、秩父甲州往還の中にあって、大宮郷(秩父市)に次ぐ宿場であり、江戸時代以来、三峰社講中や諸国の商人の定宿として栄えていた。 さらには、上信や甲州への分岐点にあたるため、諸々の物資などが豊富に流通した。 そのかつて栄えた宿場町の面影を残す家々の縁側に、様々な作品が展示されていた。 その中に、親戚の三橋照勝さんのスクラッチド・ブラスも展示されていた。 金色の真鍮に、ハンドグラインダーで彫り込まれた、秩父の四季折々の風景、季節の花々や愛犬等が、見事な光彩を放っていた。 今回も、三橋さん独創のスクラッチド・ブラスを始めることになった、記念碑的な作品「清雲時のしだれ桜」が、中央に展示されていた。 小春日和の柔らかな日差しに包まれて、作品の雅が耀いていた。 その右手には、お孫さんの幼く愛らしい横顔が、朝日に照らされ金色に光っていた。 街道筋の家々の縁側には、日が差し込み、穏やかな日だまりの中に、たくさんの作品が展示されている。 近寄ってみれば、野の清楚な花は、まるで本物のように花開いていた。 作家の女性が、優しく作品の説明をしているのを聞いてみれば、その花は粘土で出来ていた。 作家の女性が、触ってみてくださいと言うので、花に触れてみれば、言われた通り、粘土のぬくもりが伝わる。。 そして、作家の女性の隣には、作家のお母さんなのだろうか? 高齢なお婆ちゃんが、車椅子に座っていた。。 お婆ちゃんの額は、深い皺が彫り込まれ、奥秩父の厳しい自然の中で生き続けてきた、深い年輪を現していた。 時間はすでに11時を回っていた。 贄川宿はますます賑わいを増してきた。 縁側に飾られたたくさんの絵画や写真や書などの前に、食い入るように見入る人たち。 作家さんと気さくに語らう人たちで、辺りは溢れて来た。 ここにはかつては、油屋さんだったのだろうか。 立て看板に、贄川宿油屋と書いてあった。 町には、乾物屋、豆腐屋、魚屋、パン屋、八百屋、駄菓子屋など、専門に商品を扱う個人店がたくさんあった。 そして、町は町に住む人たちのために、ほとんど年中無休で営業をしていた。 また、町の住人たちも、近くの店で間に合うものは、出来るだけ、近所のお店で購入するように努めていた。 だが、高度経済成長と共に、町の構造が崩れ、スーパーが出来、巨大なショッピングモールが出現するとともに、個人商店は消滅する。 現在に至れば、地方都市の商店街は、想像を絶するほどに、悲惨な状態になっている。 現代はモータリゼーションが発達した車社会。 だが、老人たちは、車を運転できない人が殆どだ。 だが、買い物をするにも、昔のように、隣近所にはお店がない。 バスに乗って出かけるにしても、バスの路線が廃止されていたり、あっても、1日に数便というありさまである。 老人たちにとっては、買い物をするにも、1日がかりである。 大量生産、大量消費社会は、一見豊かさに溢れている。 しかし、この日本の社会を支えてきた老人たちには、余りも過酷な現実を強いている。 果たして、老人に優しくない社会は、文化国家と言えるのだろうか? 古い街並みを歩きながら、かつての古き良き町の姿を垣間見る。 その町並みに触れることで、人間の自然な営みに、人は癒しを感じるのかもしれない。 それぞれに、意匠を凝らして展示されている作品群は、奥秩父の四季を、愛情深く表現されたものである。 奥秩父の豊かな自然の美しさが、観る者にそこはかとなく伝わって来る。 秩父の山河を描く勇壮な油絵の大作や、秩父の草花が描かれ、そこに秩父地方の自然の素晴らしさが描かれている。 奥秩父に生きる人々が、自分たちが共生する自然への賛歌を謳いあげている。 晩秋の空は青く澄み渡り、、中天から降り注ぐ、柔らかな陽光に誘われながら歩くと、遠くで太鼓の音が聞える。 すると正面に、交通整理のお巡りさんが2人、道路の中央に立っていた。 ますます人出は増し、道路を行き交う多くの人が、奥秩父の美味しい空気を味わいながら、にこやかに歩いている。 その交通整理のお巡りさんの右手側に、かつての贄川宿の本陣角六が建っていた。 今はお酒屋さんなのだろうか、店の前で酒やお味噌を売っていた。 その横で、お店の主人なのだろうか、80歳は越すであろうご老人が、草の葉でバッタを、本物と見違えるほど精巧に作っていた。 人が元気でいられる秘訣は、人生を愉しめる仕事や趣味を持つことなのだろう。 そして、人々と混じり合い、人々に何かの形で貢献しているのだと言う、自信と誇りが大切な事を、このご老人を見て改めて教えてもらった。 真剣に、寡黙に、驚くほどに繊細な作業を、黙々とゆったりと、愉しそうにこなしていた。 そして、お店の古い木組みの軒先を見れば、蜘蛛の巣が張って、建物の風情を増していた。 左手を見れば、何処へやら向かう道があり、歩いていくと、庚申様を左にして、御堂鐘(みどうがね)地蔵尊があった。 ごつごつした石段の先に、赤い前垂れを掛け、頭にはやはり同じ色の頭巾をかぶっていた。 古より、秩父地方に伝わる民間信仰のお地蔵さまとして、宝暦7年(1757年)に、庚申様と共に建立されたと言う。 その功徳とご利益は、長命・身体安全・無病息災・五穀豊穣・家運隆盛など、「地蔵十福」ありと、近隣近郷の人々に信じられていた。 どうやら、このお地蔵尊までが贄川宿なのだろう、道の先には民家は見当たらない。 お参りを済まし来た道を戻ると、半纏を羽織ったお爺さんが、麹で作ったおなめを売っていた。 さらに、屋台囃子に誘われるように歩いていくと、石組みの角屋の庭で、お囃子が演奏されていた。 いなせな祭り半纏姿のお兄さんの笛や鉦に合わせ、子供たちが、大太鼓や小太鼓をたたいていた。 伝統の秩父屋台囃子は、こうして子供たちに受け継がれ、連綿と伝統は継承されていくのであろう。 12月1日から6日にわたり繰り広げられる、秩父神社の大祭は、2日には提灯や花笠で飾られた、笠鉾や屋台が市内を練り歩く。 そして、3日の7時頃にクライマックスを迎え、秩父神社に集結した、6台の笠鉾や屋台は、1キロ先の御旅所へ向けて順次出発する。 その時、数え切れないほどの花火が打ち上げられ、夜空を万華鏡のように華やかに彩る。 子供たちの屋台囃子を聞き流しながら歩き、旧家の広い玄関を入ると、奥の部屋には、大きな風景画が展示されていた。 そして、絵を見終わり、玄関を出て少し歩くと、朱色の大きな野点傘と、幾つかの長床几が置かれた場所で、たくさんの人が、もつ煮込み等を食べていた。 私たちも少し歩き疲れたので、しばしの休憩をすることにした。 ママももつ煮込みを購入し、美味しそうに食べている。 前の席におかれた座卓を囲んで、何人かの熟年の男女たちが、楽しそうに宴会気分でお酒を飲んでいる。 時間はすでに11時半近く、晩秋の爽やかな冷気の中、暖かい陽光が降り注いでいた。 そして、右手を見やれば、なだらかな土と木で出来た階段の先に、古風な民家が建っていた。 一休みの後、坂を下ってみると、やはりそこにも縁側展の作品が、展示されている番場だった。 藍染の暖簾を潜って中へ入ると、広い土間があり、様々な昔懐かしい小物などが展示してあった。 2階へ上る急傾斜の、狭い木の階段越しに部屋を見れば、家の住人や訪問者が団欒をしていた。 靴を脱いで、どうぞ部屋の中へ入って、色々と見てくださいと誘われたが、ブーツを履いているので辞退した。 部屋の奥には囲炉裏もあるそうなので、上がってはみたいとは思ったが遠慮をした。 土間の天井に切られた明かり取りの窓が、部屋に趣を添えていた。 そして、暖簾を潜り外へ出て、縁側に行くと、部屋の中には額装の絵が並べてあった。 どうやら、こちらもここまでで、縁側展は終わりのようだった。 来た階段を戻れば、先ほどの蛇の目傘の周りには、たくさんの人たちが休んでいた。 さらに蛇の目傘を後にして進めば、秩父屋台囃子が、賑やかに鳴り響いていた。 その石組みの横に路地があり、奥には古色蒼然とした民家があった。 その前には長床几が置かれ、うどん等を食べている人がちらほら。 すると、お店の人が、奥の庭に行くと奇麗ですよと教えてくれた。 言葉に誘われて奥へ行くと、遠くに紅葉した奥秩父の山々が、薄霞の中に燃えていた。 そして、私たちの目の前の畑の端に、ひときわ鮮やかな、薄紫と白のコントラストも美しい、朝鮮朝顔が咲いていた。 時間は12時30分を過ぎ、青く澄み通って高い空から、溢れるほどに陽光が注がれていた。 そぞろに歩けば、路傍のコンクリート台には、春夏秋冬の竹を描いた、大作の日本画が展示され、作家さんが画想を説明していた。 そしてぶらりぶらり、贄川宿を散策し、縁側展の入り口近くにある竹細工を見に行った。 そこでは、趣味で竹細工をしている、ママの親戚の宮原さんが、愉しそうに竹を鉈で割き、細工を凝らしていた。 秋の縁側展の見物を終え、駐車場へ戻る途次、贄川宿観光案内所を見やれば、観光客に掛りの人が、熱心に何やら説明をしていた。 国道140号から橋を渡り、左手を見ると、秩父鉄道の終点駅の三峰口に、蒸気機関車が到着した。 青空に向けて、灰黒色の煙をもくもくと吐いていた。 今日1日の旅の疲れを癒すために、これからさらに、荒川の上流にある日帰り温泉の大滝温泉(遊湯館)へ出かけることにした。 三峰神社へ向かう国道140号は、ここからは上りの道が続く。 遠くに奥秩父の紅葉する山々を眺め、眼下には険しく深い山峡の間を、荒川の川面が陽光に煌めいていた。 険しくカーブを繰り返しながら進めば、素晴らしい紅葉の絶景が繰り広げられた。 やがてその紅葉に包まれて、大滝温泉があった。 荒川の清流沿いにある温泉の露天風呂からは、山々の黄葉紅葉の眺めが広がり、浅瀬を流れる川面は、きらきらと陽光を反射していた。 湯は透明で無臭だが、ぬるぬるすべすべとして、身体の芯まで沁み渡った。 ここの湯は、高濃度のイオン成分を含む、関東でも有数の名湯と言われている。 |