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February.2011.02


劇団東京アンサンブル公演
「アゴタ・クリストフ作『道路』を観て」
2011年2月24日




お酒の話を更新
バスクの酒イザラと雪のカクテル
2011年2月19日





小さな旅&日記を更新
2011年2月16日
熱海来宮神社&初島を訪ねて



昨日の雪、臨時休業の美味い酒
2011年2月12日

昨日は東京にも雪が降った。
私の住む所は、板橋区のはずれ、かつては徳丸ヶ原と言われ、1841年6月27日(天保12年5月9日)、
高島 秋帆(たかしま しゅうはん・1798年 - 1866年)が、日本で初めて、洋式砲術と洋式銃陣の公開演習をした所として有名である。
今でも畑も残っていれば、武蔵野の面影を残す屋敷林や雑木林が点在している。

そんな豊かな自然を残す徳丸は、私のお店のある板橋区大山よりも、温度は2度ほど低いだろうか。
かつて、板橋区土木部の職員は言っていた。
「マスター、板橋区は直線距離で測ると、何処から測っても8キロ以内なんですよ」
そんな短い距離なのに、大地の高低差があるわけでもなくて、気温に2度の差があるのは、やはり、自然が伸び伸びと残っているからなのだろう。

さて、そこに雪が降った。
窓から見渡せば、家々の屋根には、すでに、雪が積もり、白銀の世界に変わっていた。
テレビの天気予報を見れば、これからが本格化するらしい。
こんな事態を分かっているのなら、店から一眼レフカメラでも持ってきて、雪化粧をした景色を写真に撮りたいところだが。

さて、今日はこれから如何したものか・・・・・・、店を開けるべきか閉めるべきか・・・・・・。
さらにさらに、気温は下がり、夜半にかけて、降雪はさらに本格化すると言う。
昔ならば、何があっても店を開けたのだが、還暦過ぎの我には、店で一夜過ごすのも辛い。
そして、取りあえずは、風呂に入り、出て来たらまた考えることにした。

風呂から出てみても、天気予報は、やはり、同じ情報を流していた。
そこで決断、何時まで考えていても、逡巡する時間がもったいない。
今日は店を閉めることに決定した。
そして、布団の中に入り、永井荷風著「江戸芸術論」を読み始める。

やがて、外は暗くなり、重たく垂れ込めた空からは、大粒の綿雪が降り続いていた。
そして、雪の中、近くのスーパーに酒の肴を買い求め、日本酒を飲みながら、ボクシングの世界タイトルマッチを観戦する。
私の予想通り、井岡一翔が、5ラウンド、右のボデーブローで、 40戦39勝(14KO)無敗1分の王者、オーレドン・シッサマーチャイをTKOで倒し、
日本史上最速の7戦目にして王座獲得、世界ボクシング評議会(WBC)ミニマム級の新チャンピオンになった。

金曜の夜、愉しくテレビを観ながら、酒の肴をつまみ、3種類の日本酒を味わう。
外を眺めれば、雪がしんしんと降り続ける。
さらに、ビデオに撮りためた番組を観ながら、暖房で暖かい部屋の中、飲む酒の味わいは深い。
冠婚葬祭以外、26年間、平日に店を休むことはなかった。
初めての、平日の休みは、とても新鮮で愉しかった。





今年は日帰り温泉巡り
2011年2月8日


今年になって日帰り温泉巡りをしている。
まず、1月の2日(日)は、埼玉県秩父市小柱にある「梵の湯」へ。
荒川の清流を眺めながらの露天風呂は、つるつるすべすべで気持ちが良い。
泉質は日本国内最高級の
重曹泉で、無色透明の湯は優しく肌を包み、味はその爽やかで気品がある。

16日(日)は、埼玉県和光市白子にある「極楽の湯」へ。
露天ぶろは二つあり、岩風呂は少しぬる目で、長湯に向いている。
檜の露天風呂は、かなり熱いが、体の芯まで湯が沁み込んでくる。

湯の色は真っ黒であり、千数百メートル掘り下げた温泉らしい。
かつて、東京の湯島に住んでいた頃、根津の銭湯の湯が同じ色をしていたのを思い出す。
そして、かつて、フレンチのサービスをしていた頃、時々立ち寄った麻布十番の銭湯の湯も同じ色だった。
東京近郊の温泉の色は、黒なのかも知れない。

23日(日)は埼玉県戸田市氷川町にある「彩香の湯」へ。
ナトリウム-塩化物強塩温泉で、地下1500メートルから掘りあげる湯の色は、土色をして濁っている。
だが、無臭で少し低めの泉質は体に馴染む。
ドラム缶を大きくしたような露天風呂に浸かっていると、時の経つのを忘れるほどに癒される。

日帰り温泉ではないが、30日(日)は静岡県熱海の沖に浮かぶ初島にある、「グランドエクシブ初島」の8階にある、
海洋深層水の露天風呂に入りながら眺める夕陽と日の出は最高だった。
ナトリウム塩化物強塩温泉は、口に触れと、磯の香りと微かな塩味がして愉しい。
そして、静かな相模湾に耀く朝日と夕陽が繰り広げる、海上と天空のドラマは劇的でさえあった。

2月6日(日)は、埼玉県蕨市錦町にある「大和の湯」へ。
露天風呂は、まさにエスプレッソコーヒーのように真っ黒で、コーヒーオイルが浮いているような輝きに満ちていた。
地下1200メートルから湧出する湯の泉質は、炭酸水素塩温泉の重曹泉で、胆汁の分泌を促進し、肝臓や脾臓の働きを高めるとされている。
ヨーロッパでは、「肝臓の湯」と呼ばれ、胆のう炎、糖尿病にも効能ありと言われているそうだ。

愛飲家の私には、まさに、最高の温泉かも知れない。
冷たい空気に包まれながら、無心に湯に浸かっていると、気のせいか、肝臓が脈動し始めているようだ。
さぞや、風呂上がりの生ビールは、至上の味わいだろう。




脳梗塞に倒れても、翌日は仕事へ
2011
25

昨日のこと、3年ぶりのお客様が来店した。
私の店のある板橋区大山には来ていたのだが、店に暫く顔を出さなくなると、なかなか店の扉を開けられなくなるようだ。
長い間、会社を経営する彼もやはり、この不況は応えているようだ。
だが、やはり全共闘世代の闘士だった彼は、どんな苦境にも負けない逞しさを持つ。

「マスター、このところ、軟なお酒が多いので、今日はガツンといけるやつが欲しいな」
そこで私はアイラ島のモルトのカリラを出した。
「やっぱり、これだな、ガツンと旨い」
すると「マスター、2年前、俺、脳梗塞で倒れちゃったよ」
「でも、後遺症もなくて、元気じゃないですか」

「それがね、倒れた場所が良かった」
「何処で倒れたのですか?」
「UFJ銀行の本店なのさ。取引の事で話している時、急に意識がなくなってさ。ずるずるずると倒れてしまった。
銀行員は様子を察知して、すぐに救急車を呼んでくれ、東京タワー近くの済生会中央病院に搬送されたのよ」
「それで、何日位入院したの?」
「いや。次の日、会社の事で、どうしても行かなければならない所があるので、退院しちゃった」
「それは凄い!」
「病院の人は呆れていたね。なんて我儘な人だって」

彼はそれ以来、後遺症もなく、まったく元気そのものらしい。
かつては、自分の父親の故郷の会津若松まで、走って帰ったり、
私の店で飲んだ後、荒川区尾久の自宅まで走って帰ったことも度々あった。


若かりし頃、さる工業系の国立大学の協議会議長になり、学生闘争を指揮し、
警察に逮捕され、大学生活
8年にして除籍処分。
かの伝説的な全共闘の闘士、藤本敏夫を校内に匿ったこともあるという。
やはり、全共闘世代の猛者は、心身ともにタフなのだろう。




旅の終わりはスピード違反
2011年2月2日

130日、息子が熱海の沖に浮かぶ、軍艦のような形をした初島にある、
エクシブ初島リゾートホテルへ招待してくれた。

4部屋もある広いスペースに、ベッドは2部屋に合計4つもあり、
相模湾に面する部屋からは、果てしなく広がる紺碧の海を眺望できる。

ゆったりと流れる時を、押しては返す波の音を聞きながら飲むお酒は心地よく、
夜になれば、深い黒を溶かした群青色の空には、満天の星が耀いている。

翌日の昼近く、初島から熱海行きの定期船に乗り熱海に戻った。

そして、預けておいた車に乗り、熱海梅園に向かった。
来宮駅の前を通過し、市街地をぬけると、熱海梅園はあった。
前回訪れてから何年たつだろうか・・・・・・。

梅園には想像した程の人出はなく、のんびりと観梅が出来た。
天気は快晴、暖かい日差しが降り注ぎ、何処からか箏の音が流れて来る。
だが、日陰に入れば、やはり熱海といえども大寒過ぎ、冷気が肌をさす。

柔らかな風がそよぐのだが、梅の香が殆ど流れて来ないのはどうしたことか?
前回の時は、梅の蜜を吸うメジロが、あちらこちらで散見できたのだが。
梅園を出て、川沿いの桜並木の熱海桜は、まだ3分咲き位だろうか。

ソメイヨシノの花に比べれば、桜花も厚く大ぶりで、濃い桃色をしている。
すでに、1時過ぎだが、昼食を摂るには、まだ余りお腹が空いていなかった。
そこで今回は昼食を摂らずに、このまま帰京することになった。

十国峠の山越えをして、芦ノ湖から御殿場へ出ても良いのだが、来たコースを戻ることにした。
熱海から海岸線のビーチラインを進むと、右手には、初島が相模湾に浮かび、その向こうには大島が霞む。
やがて、遠くに真鶴岬を望みながら、西湘バイパスを抜け、そして小田原厚木道へ出た。

海とも山とも別れを告げた平坦な道。
制限速度は70キロとかなり遅い。
フロントガラスからは陽光が降り注ぎ、私は缶ビールを飲みながらゆったりの時間。

ママはすいすいと車を飛ばす。
追い越し車線から車をかわして、先頭を切らないように注意しながら進むのだが・・・・・・。
そして、追い越し車線の先頭を切った時、後方にいた乗用車が、サイレンを鳴らしながら、突如、車の前に現れた。

それは無慈悲にも、覆面パトカーだった。
そして、我々の車は停まるようにと、車窓から手を出し合図をしている。
車を道の横に停めると、交通警察姿の若い警官が出て来て、「前の車に乗ってください」と。

ママは覆面パトカーの中に消え、何か取り締まりを受けている。
やがて、車から降りてきたが、何やら小さな書類を持って戻って来た。
ママは車に戻り、運転は開始し、警官の誘導の下、我々の車は発進した。

聞いてみれば、24キロオーバーのスピード違反で、罰金は〆て15,000円なり。
120キロ以上出していた時もあったから、24キロオーバーは助かった。
幸いにも、免許証は奇麗だったので、向こう3カ月間、何も違反がなければ、点数は付かず、罰金だけで済むらしい。

スピード違反が40キロオーバーなら、簡易裁判所に行って、罰金は決定され、免停になるところだった。
不幸中の幸い、24キロオーバーはラッキーと思い、これからはスピード違反には留意しよう。



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