劇団東京アンサンブル公演「アゴタ・クリストフ作『道路』を観て」
2011.02.20


東京演劇アンサンブルの田辺三岐夫さんから、公演の案内が来た。
そこで、練馬区武蔵関にある、「ブレヒトの芝居小屋」と名付けられた劇場まで出かけた。
余裕を持って家を車で出たので、20分前に劇場に到着した。
すでに、ロビーには大勢のお客様がいた。

消防法の関係で、2000万円かけて修理された劇場に入るのは、今回が初めてである。
舞台には大きな灰色の道が設営されていた。
その舞台上の道を歩いて、一番前の席に座る。
少し前過ぎるとは思ったのだが、すでに客席は込み始めていたので、変更せずに座る。

やがて、場内は暗くなり、開演時間の2時きっかりに、劇は進行し始めた。
劇場を斜めに、真っ二つに横切る灰色の道路を、ぼろを纏った人々が、力なく夢遊病者のように、一方向に歩いてゆく。
さらに、舞台後方の壁際にも道が造られ、その道を、登場人物たちが、次々と同じ方向に歩いてゆく。

その道は、どうやら、かつての高速道路なのだった。
生気を失った顔の人々は、道路で生まれ道路で育ち、そして留まることもなく、決められた方向に歩き続けている。
今は通る車もなく、道路は荒廃し残骸を晒す。
人々は家も失い、家族も友達もいない。
全ての人々は愛も感動も知らず、無感動にうつむきながら、出口も入り口もない道を、果てしなく歩き続ける。

かつて、地球には豊かな自然が存在し、太陽は燦々と輝き、人々は家を持ち、家族と共に生活をしていたことさえ忘却の淵に沈む。
今はただ太陽が輝くこともなく、灰色の重く厚い淀んだ空気が垂れ込めている。
人々はただただ、振り返ることもなく、強制されるように、ひたすらに自己放棄したままに歩き続ける。
自然という豊かな神からの贈り物を犠牲にし、近代化の名のもと、世界中に高速道路を建設された。
そして、世界は高速道路の瓦礫の果て、暗黒の闇に葬り去られたのだ。

その世界の終末的な黙示録が、舞台上で、寓意劇として表現されている。
民主主義国家の基本は主権在民である。
だが、世界にはいまだに、独裁政権はたくさん存在している。
そして、今、北アフリカのチュニジアに始まり、サウジアラビアや中東諸国の独裁政権が、インターネットを媒介とした民衆の蜂起により激震している。

国家の圧政は、民衆がNOと言わなくなった時から始まり、やがて、全ての民衆の権利は蹂躙され剥奪される。
次々と国家元首が変わる現在の日本は、とても危険な匂いを感じる。
私のお店のお客様で、美輪明宏さんの大ファンがいる。
チケットが取れれば、何回でも公演を観に行く。

そして、公演の度に、美輪明宏さんは言うそうだ。
今の日本は戦前の日本に、とてもよく似ていると。
だから、皆さん、騙されちゃだめよ、しっかりと自分の目で見て、自分の頭で判断してくださいねと。
私も最近は、日本の歴史を学ぶことの重要性を、認識するようになった。

そして、とくに、戦争に向かい始めた1930年代からの昭和史を、勉強する必要性を強く感じている。
今回、「道路」を鑑賞し、人間の尊厳、自由などの根源的なことを考えさせてくれた。
一度動き始めたものを停めるには、とてつもない力が必要である。
だが、多くのNOといえる民衆の力により、それを押しとどめ、あるべき方向に動かすことは可能である。

だが、その前に、間違った方向へ行きそうな匂いを感じ取り、それを阻止し、あるべき道へ向かわせることが大切であろう。
そのためにも、何時も目を見開き、政治から目をそらしてはいけない。
国家に対して、無関心であることは、罪悪でさえあるかもしれない。


田辺三岐夫さんの舞台は久しぶりであった。
このところ、色々なことが重なり、舞台を遠ざかった時期もあった。
だが、今回は学者の役で、飄逸な演技で新境地を見せてもらい、とても愉しい舞台でした。