2010.12
小さな旅&日記
南伊豆・波勝崎を訪ねて 2010.12.20 西伊豆の松崎町旅館を午前10前にチェックアウトして、さらに南下して波勝崎に向かった。 松崎湾の町が右手に広がり、上りの国道136号を進むし従い、やがて視界から消えた。 室岩洞トンネルを抜け、石部温泉卿を辺りをさらに進むと、 道はかなりの上りの急勾配の坂道に差しかかる。 前方を見渡せば、暖かい日差しを浴びた木立から、真っ青な空が広がる。 そして、右手眼下をみおろせば、紺碧の駿河湾が、眩いほどに広がる。 その彼方に、朦朧と霞みながらも、白い雪を頂いた富士山が、空に浮かぶように耀いていた。 洋々たる駿河湾の海面は、穏やかで波一つなく静かである。 松崎町のある湾を、緑深い岬が包み、その左手に、富士山が空に溶け込みながら、冠雪した雪が真っ白く光る。 伊豆へ来て、初めて見る秀麗な富士山は感動的であった。 思わず車を降りて、カメラのシャッターを切った。 思いがけなく遭遇した富士山に別れを告げるのは寂しいが、交通量も多い片道1車線の国道136号、 何時までも立ち止まるわけにも行かず先へ進む。 やがて、上りの道を進み切ると、下りのなだらかで、名残の紅葉を残す、木立深い道となった。 すると、前方に石部の棚田の表示が出た。 予定外に出現した表示板に従い、車のハンドルを左に切り、なだらかな坂道を上ると、石部の棚田を見渡せるポイントに到着した。 すでに刈田となった棚田には水もなく、晩秋の寂しげな風情を晒していた。 かつて、日本の各地に棚田が存在した。 日本本土の7割がたは森林であり、主食となるお米を生産するために、山を切り開き、水を引き、そこに田んぼを作った。 それほどに、日本人のお米にかける涙ぐましいほどの努力も、国の減反政策とともに瓦解し、棚田は放棄されることになった。 しかし、最近になり、日本古来の建造物や、長い間に造られ継承された田園風景や自然が、再評価され始めた。 日本が高度経済成長と引き換えに、失ってしまった美しい日本の原風景が、様々なところで復活し始めている。 しかし、一度破壊された自然は、完全に元の状態に戻ることはない。 だが、その自然や環境の大切さを認識した時から、未来に向けてまた努力することは、決して無益な行為とは言えない。 確かに、破壊され失った物を復活させるためには、膨大な努力を必要とする。 かつて、ここ石部には、昭和30年代には、1000枚の石組みの棚田があり、総面積は10haもあったという。 それが、高度経済成長の時代の変化と共に、全てが原野化したものを、今に復活させたものである。 標高120mから250mの間に、約370枚、4.2haの棚田が復田され、「石部赤根田村百笑の里」となった。 冬を迎える石部の里から見渡せば、遠くに駿河湾が紺碧に輝き、空の色と溶け合うように広がっていた。 燦々と注ぐ陽光を浴びた後、石部の棚田に別れを告げ、目的地の波勝崎へ向かった。 進むに従い、木立は深く、海から遠ざかっていくかのようだ。 やがて、また、左手遠くに駿河湾が出現した。 左に大きく回るように坂道を下って行くと、そこが波勝崎であった。 波勝崎の猿苑が近づくに従い、路上には、日向ぼっこをする、親子猿やら、我々の車に驚くこともなく遊ぶ野猿たち。 車を徐行しながら進むと、怪訝な顔をして、のこのこと道を空けてくれる。 松崎町から約1時間ほどで、野生の猿が300匹も生息する、東日本最大の野猿の生息地、「伊豆波勝崎苑」に到着した。 ここは、賀茂郡南伊豆町伊浜の北西方にある岬であり、昭和28年のこと、 伊浜の肥田与平さんが、餌付けを初め、4年の歳月の努力の末、餌付けに成功しましたという。 入園料の500円を払うと、玄関前に停まっていたマイクロバスで、岬の海岸に面した猿園まで案内してくれた。 マイクロバスに他のお客様はなく、なだらかな坂道を2分程降りれば、野猿たちの群れが迎えてくれた。 群青色の洋々と広がる海からは、強い風が吹きつけ、水平線と溶け合うような雲一つない水色の空は、陽光に照りかえされていた。 灰色を含む茶色の長い毛足に、顔とお尻を濃い桃色に染めた親猿が、地面に撒かれた餌を器用に拾っている。 そして、親猿に寄り添うように、子猿も一心不乱に餌を拾っている。 見ていれば、母猿は全く子猿を無視し、自分の餌だけを拾い食べている。 自然淘汰の激しい自然界に住む動物たちは、決して子供を甘やかすことがないのであろう。 猿たちの近くにより、猿の顔にカメラを向けると、出会いがしらの一瞬、すぐに横を向いてしまった。
しかし、人間を恐れることはないが、人に媚態を見せることもなかった。 母猿に抱きつく子猿の瞳は、透通るように黒く愛くるしかった。 猿苑に群れる猿たちは、それぞれに気儘に、ほのぼのとした愛嬌を見せていた。 遠く右手を見れば、岬の先に、薄褐色の奇岩群が陽光に照り映えている。 そして、その奇岩群に誘われるように、海辺沿いの散策道を進んだ。 大窪浜(おおくぼはま)の真っ青な海面は、盛り上がりながら、波となって押し寄せていた。 海岸には、色とりどりの夥しい数の丸い石が敷き詰められ、波飛沫に洗われていた。 海が時化て荒れている時、この浜の波濤の凄まじさを、物語っているようだ。 そして、散策道を降りて、石がごろごろと敷き詰められた浜を歩き、奇岩へ辿り着く。 正午近くの中天の太陽から、燦々と陽光が降り注ぎ、皮ジャンパーの中の肌は少し汗ばんでいた。 先ほどいた猿苑の方に目をやれば、駿河湾に伸びる緑深い岬が、静かな海面に影を落としていた。 |