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March.2011.03
このたびの地震により、被害を受けられた皆さまへ、謹んでお見舞い申し上げます。
そして、一日も早い復旧と復興を、心よりお祈りいたします。
お墓参りの後、日帰り温泉へ 2011年3月29日 一昨日、厚木にある両親のお墓参りに出かけた。 予定としては、先週のお彼岸に、お参りをするはずだったのだが、大震災によるガソリン不足により断念をした。 幸い天気は穏やかな好天に恵まれ、正午丁度に家を出て、お墓には2時過ぎに到着した。 渋滞が無ければ、本当に高速道路は早い。 小高い丘に抱かれた霊園には、家族ずれがあちらこちらで、お墓参りをしていた。 私は水汲み場で、桶に水を入れ、束子と歯ブラシを持って、両親と兄嫁が眠るお墓へ。 ママはすでに、お墓の周りの、地面に生えた雑草を抜いていた。 私も束子でごしごしと墓石を洗い、彫られている字面を歯ブラシで磨く。 すると、花活けの台石が、定位置から少しずれていた。 やはり、あの地震の揺れによる影響なのだろう。 雑草も抜き取られ奇麗に磨かれ、墓石は陽光に照らされ、きらりと笑顔をしているようだ。 清浄になった花活けにお花を飾り、フルーツを添え、お線香を焚いて手を合わせる。 陽がまだ高い内のお墓参りは、心が清々とする。 私たちのために、一生懸命に生きてくれた両親へ、感謝の気持ちで瞑目する。 自分の歳が、両親の亨年に近づいているからなのだろう。 お墓参りは、自分たちにとって、とても大切な行事になっている。 お墓参りを終わり、駐車場へ向かう道すがら、遠くの幾襞に折り重なる山並が、春近くを告げるように霞んでいる。 そして、お墓を後にして、帰り道、日帰り温泉「ここち湯」へ出かけた。 このところ、日曜日には、日帰り温泉に出かけることが多い。 大震災が無ければ、今日の日は、北茨城に出かけ、アンコウ鍋でも食べながら、地酒を飲んでいるはずだった。 そして、旅館へ泊まる前に、岡倉天心記念館を訪ね、太平洋を望む六角堂を見学する予定だった。 今は瀟洒な朱色の六角堂は、津波に飲みこまれ、跡かたも無くなってしまった。 残念なことだが、去年、岩場から遠目に見たのが最後になってしまった。 相模川を渡り、20分程で日帰り天然温泉「ここち湯」に到着した。 駐車場に車を置き、温泉へ。 700円の入湯券を購入し、2階の温泉へ行く。 ロッカーに服を預け、温泉の中へ入り、身体を洗い、丸い石造りの露天風呂へ。 相模大地の底、地下1200メートルからくみあげた、源泉名相模原の湯は、石炭を溶かしたように黒かった。 湧出量は毎分350リットル、摂氏42.6度、ナトリウム - 塩化物・炭酸水素塩温泉の源泉掛け流しの湯は、ぬるぬると身体を包みこむ。 湯を鼻先に嗅ぐと、腐葉土が熟成したような、微かにヨードの臭いが混じり合い漂う。 美人の湯とも言われるこの湯は、色からしても、埼玉県戸田にある「七福の湯」の「肝臓の湯」に似ている。 きっとこの湯は、私の大事な肝臓にも効くはずと、勝手に信じ込み目を閉じて湯を味わう。 そして、隣にある循環温泉の少し高めの湯温、長方形の露天風呂「ぬくもりの湯」に浸かる。 湯船には、昼下がりの陽光がきらきらと耀いている。 真っ黒な漆のような湯面に、陽光が反射し、揺らめく湯面を金色に染め変えている。 見上げれば、水色に澄んだ空は何処までも澄んで高く、銀灰色の綿雲や千切れ雲がゆっくりと流れて行く。 左彼方より、旅客機が空を二つに割りながら、雲の中へ消え、そしてまた顔を出し、やがて消え去っていった。 すると、高度も低く、1羽の鳥が時間を現実に引き戻すかのように、早い速度で、右から左に飛び去っていった。 お墓参りの後、悠久な自然を愉しみながらの露天風呂。 この同じ空を、大震災で被災している人たちも見ている。 こんな癒しの時を味わえる日が、一刻も早く来ることを祈るばかりです。 |
お酒の話を更新 2011年3月24日 カクテルのモヒート(Mojito)ストーリー |
遠出のできない日曜、自転車で散策 2011年3月21日 先週は確定申告の提出もあり、地震の影響による物資不足や、ガソリンの欠乏など、何かと気ぜわしい毎日だった。 自転車の通勤やタクシーでの帰宅やら、やはりガソリンの欠乏は痛かった。 昨日の日曜日、ガソリンが無いので、車での遠出は勿論できず、取りためたビデオを見た後、 娘の折りたたみ自転車を借り、近場の散策をすることにした。 幸い外はうらうらかな春めいた陽気。 公園の白梅は満開、柔らかく吹き流れる風に、梅の香りが匂い漂う。 ぷらりぷらりとぺダルを踏み、歩道を進むと、地下鉄三田線西台駅近くのブックオフに着いた。 文庫の古本を1冊とCDを3つ買い求め、またのんびりと自転車を走らせた。 途中、ガソリンスタンドがあり、ガソリンを求める長蛇の列が出来ていた。 どうやら、ガソリン不足は、少し解消されているようだ。 きっと明日からは、お店から車で帰ってこられるだろう。 車が無いと、遠くまで仕入れに行けないから、私たちには死活問題だ。 やがて、時々顔を出す酒屋さんに到着し立ち寄る。 買いたいお酒もなく、缶ビールを購入し、また自転車を漕ぐ。 高速道下の道をとろとろと進むと、やがて赤塚公園に到着した。 公園の中へ自転車で進み、広いグランドを眺められるベンチに座り、先ほど買い求めた缶ビールを開ける。 モルトたっぷりのエビスビールは、ほろ苦くふくよかで味わい深い。 グランドでは、若者達や、家族連れが遊んでいた。 夕暮れ間近、空は夕陽に染まり、大きく傾き始めている。 やはり、陽が陰れば、微かに吹く風も冷たさを増す。 東北地方太平洋沖地震から、すでに9日を過ぎた。 やがて何もなかったかのように、太陽は陰り、そして日は沈み、静かな闇が訪れるだろう。 私たちは僅かな不便さの中で、こんなにも静かで、安寧な生活を送らして貰っている。 大震災で被災している人々の事を思えば胸が痛む。 一刻も早い、復興と復活を、ただただお祈り申し上げます。 |
例え微力であっても、それぞれの援助 2011年3月16日 スーパーに買い物に行ったら、トイレットペーパーもティッシュペーパーもなければ、牛乳もジュースもない。 さらにはガソリンスタンドで、車のガソリンも売っていない。 まさに、東京もパニックに陥っている。 5人家族の我が家のトイレットペーパーも、ティッシュペーパーも底をついてしまった。 ママは完全に諦め顔だが、私は諦めずに店の近くのスーパーを探した。 やはり何処の棚を見ても、商品棚には商品が無い。 さらに、食品関係も殆ど払底していた。 そして、期待せずに入ったコンビニに、5個で1束のティッシュペーパーが、2束残っていた。 娘が花粉症なので、2束欲しかったのだが、1つは残し1束だけ購入した。 私が少し我慢すれば、もう1人の人が購入できる。 トイレットペーパーは、偶然にも、震災の前にお店で購入していた。 それを家にも分けて使っている。 今はまさに国難。 震災で被災した人たちの痛みを、私たちも分かち合い、そして、被災者が復興するまで、 被災者を支え、例え微力であっても、残された国民が協力し合い、援助しなければならないだろう。 歴史的な巨大災害となった東北北関東地震、被災した人たちは、無言でじっと苦難に耐えている。 その姿を見ると、こちらの胸が苦しく、張り裂けそうになる。 苦境に喘ぎながら、それを耐えしのぶ姿に、逆に我々が、人間の偉大さと尊厳を教えて貰っている。 国家の最大の責務は、国民の命を守ることである。 国力を総動員し、一刻でも早く被災者を救って欲しい。 私も今日、日本赤十字社に、些少ではあるが、義援金を送った。 今私たちに出来ることを、それぞれの力で、援助していかなくてはならない。 今回の未曾有の大震災に、被災された家族や友の復活を、心からお祈りいたします。 |
地震! 私のバー? 胸撫で下ろす! 2011年3月12日 昨日は東京も凄い揺れだった。 東北地方に比べれば、比較にならないのだが。 私のマンションが、グラリグラリ、ミシッミシッと音をたてながら、大きく横に揺れ始めた。 そして、棚に重ねてあったたくさんの絵額が落ちてきた。 その揺れの長さが、関東大震災の襲来さえ想起してしまった。 やがて地震は収まり、そののち幾度も余震が襲って来た。 テレビでは、東北地方や茨城県を襲った、すさまじい映像が流されていた。 私も覚悟をした。 多分、私の店の中は、酒瓶やグラスの瓦礫の山と化しているだろうと。 電車はすでに全線不通と、報道されている。 夕方まで様子をみても、事態は益々悪化していく。 やはり、店に行って、事態を確認しなければならないだろう。 ママの運転する車に乗せてもらい、家を出た。 やはり、予測通りに、道路は渋滞していた。 やっとのことで店に辿り着き、玄関の横に飾ってある、ウイスキーのボトルを見る。 なんと、ボトルが何時も通り、整然と並んでいるではないか。 ということは、地震の揺れの被害は、意外と少ないのでは? 入り口へ鍵を差し入れ、恐る恐るドアを開けた瞬間、「ウイスキーの匂いがしない?!」 部屋の電気を付けて見れば、カウンターのバックボードの酒棚のボトルが、何事もなかったように、涼しい顔をして並んでいた。 酒は無事だった!! さらによく見れば、やはり、あの地震の揺れに、無傷というわけにはいかなかった。 数本の洋酒は床に落ちて割れ、たくさんのグラスが残骸を晒していた。 そして店の奥を見ると、店内のボトルが数本、床に転がり落ち、他のボトルも棚から落ちそうになっていた。 あれだけの揺れに、私の店の酒瓶や調度品は耐えてくれた。 それにしても、バー経営歴約27年、地震で店内の酒瓶が破損する、初めての経験であった。 我が店の崩壊の悪夢さえ想定したが、最悪の事態を避けることが出来、胸を撫で下ろした一日でした。 --------------------------------------------------------------------------- このたびの地震により、被害を受けられた皆さまへ、謹んでお見舞い申し上げます。 そして、一日も早い復旧と復興を、心よりお祈りいたします。 |
三遊亭歌橘さん、「ペケポン」の人気者に 2011年3月9日 3週間ほど前、お昼のテレビを見ていたら、テレビ東京の「ブラッチ」という番組で、噺家が案内する浅草というタイトルが出てきた。 見れば、噺家さんとは、15年前から私の店に来ている、三遊亭歌橘さんではないか。 なんと、30分も彼が馴染みの浅草のお店を紹介していた。 あの当時はまだ、三遊亭圓歌師匠に入門したてのほやほやだった。 その時の名前は、三遊亭あし歌と言っていた。 彼の故郷の足利から、一字をとっての命名である。 カウンターに座った彼は、小学生のような童顔で、そして非常に小柄だった。 私もママも、いったいぜんたい、この人は女なのだろうか? 男なのだろうか? 判断に迷った。 それほどに、肌はつやつやで、何処か艶めいていた。 それから、噺家仲間や友達と来店するたびに、彼の身長はめきめきと伸びてきた。 今では私より、少し小さい程にまで成長した。 三遊亭圓歌師匠に入門した当初は、師匠よりも小柄だったので、師匠は大変に喜んだそうだ。 何故それ程に身長が伸びたかと言えば、師匠のお供で、美味しいお酒と旨い料理に預かったお陰だと冗談めかして聞いたことがある。 そんな三遊亭歌橘さんも、三年前に三代目三遊亭歌橘を目出度く襲名。 私も襲名披露宴に出席させて頂いた。 最近は三遊亭歌橘さんも、フジテレビで放映されている番組「ペケポン」に出演し、お茶の間の人気者になっている。 2週間程前に、三遊亭歌橘さんがお店にやって来た。 今年に入って2度目になるだろうか。 3週間前、「ブラッチ」で歌橘さんが巧いことを言っていた。 酒と女性は2号までと。 これはいける、何時か私も使わせて頂こうと。 そして、先週の月曜日、私の店を贔屓にしてくれている、私よりかは少し若いお客様が会社の同僚と来店した。 話の流れの中で、「酒と女性は2号まで」と使わせて貰った。 するとお客様が、笑顔でさらりと「酒は一斗、女房は一生」と来た。 さすがに、年季が言った人の言葉には、粋な味わいがある。 |
小さな旅&日記を更新 2011年3月5日 料理の神様 高家神社(たかべじんじゃ)を訪ねて |