夏の花火の思い出。
2008年08月02日
東武練馬の駅の辺り、とても混雑していた。
板橋サティー前も、駅の構内も、浴衣姿の若者や、中高年の人たちで溢れていた。
今日は、荒川で花火大会。
電車に乗れば、何時もはガラガラなはずなのに、やはり混雑していた。
何処かの花火を見物に行くのだろう。

日本の夏。
全国津々浦々、夏空を、鮮やかに、花火が極彩色に染める。
ドドドーンと、夜空に鳴り響く。
スルスルスルと尾を引いて、夜空に真っ直ぐ、白煙を上げながら立ち上る。
そして、パカーンと花火が弾け、夜空は煌く光の万華鏡。
一瞬の溜息。
そして、うっぉー!と歓声が湧き上がる。

30年くらい前だろうか。
まだ私が、上野の料理屋で、支配人をしていた頃の話だ。
その年、隅田川の花火が復活した。
マスコミでも、大々的に報道をした。
その日は、何故か店は夜になっても暇だった。
やはり、浅草にお客様が奪われたのだろうか。

余りにも暇。
ビルの屋上から、浅草方面を見た。
花火が次々と打ち上げられ、浅草の空は、七色に彩られていた。
そして、何時も通り、9時半にラストオーダーを取ろうとした。
すると、なんとしたことか。
最初はぱらぱらと、お店にお客様が入ってきた。
少し、ラストオーダーを延長した。

すると、次から次へ、お客様が、怒涛のように、押し寄せて来た。
緊急事態発生。
お店の板前さん、コックさんは勿論、仲居さんから、ホールの従業員まで、すべて残ってもらった。
本店と支店とも、一気に、地下一階から、地上5階まで、満席になった。
そして、時間を延長して、従業員一同、必死の思いで働いた。
店は11時ごろ、閉店となった。
レジを閉めたら、一万円札の厚い束が、ずしりと重かった。

翌年、この失敗に懲りて、全員待機で、万全を期した。
すると、如何したことだろう。
浅草の花火は終わったと言うのに、まったく、音沙汰がない。
昨年は、花火の見物客を、上野方面へ、重点的に誘導。
それにより、かなり混雑と混乱きたしたようなのだ。
それを教訓に、観客達も行政も警察も学習したのだった。
やはり、柳の下に、二度の泥鰌は居ない。
そして、用意万端、用意のし過ぎには、空振りが多いという教訓を得た。



Tシャツ雑感
2008年08月01日

何時頃からだろうか、私はTシャツを着ていない。
かれこれ、20年以上は、着てないのではないのだろうか。
何故だか分からないのだか、丸首のシャツ類が着れなくなった。
ワイシャツを着て、ネクタイは出来る。
勿論、バーテンダーだから、蝶ネクタイもOKだ。
だが、丸首は駄目なのだ!

それでは、すべて、丸いものが駄目かと言えば、そうではない。
もっと、ハイネックの、トックリのセーターは大丈夫だから、これまた不思議の一言。
人に言えば、それはおかしいと言う。
私も同感だ。

でも、やっぱり、なんと言おうとも、駄目なのは駄目なのだ。
何とか努力して、着たこともある。
最初の一時間ぐらいは、やったぞ!着れたぞ!と感動する。
しかし、時間が経つにつれて、肩がはり、コチコチに凝ってくる。
やがて、首回りが苦しくなり、やっぱり着るんじゃなかったと、後悔をする。

Tシャツのデザインには、素敵なものが多い。
色も鮮やか、センス抜群のものが、目白押しだ。
何故着れないのか、理由がかいもく見当がつかない。
人は何かのトラウマじゃないのと言うかもしれない。
でも、人間には、理由がない理由って、あるのではないのだろうか。
ことしこそ、やっぱり、駄目だと思うけど、Tシャツに、トライしてみたい。
真夏の浜辺を、Tシャツで決めて、歩いてみたいもの。

東京の土
2008年07月31日

今日は歯医者で治療の日。
少しだけ早出して、駅へ向かう。

すると、近くの畑で、麦藁帽子に、地下足袋姿のお爺ちゃんが、畑作業。
耕運機で、土を掘り返していた。
関東ローム層の赤土。
風に乗って、土の匂いが流れてくる。
懐かしい大地の夏土の、遠い記憶が記憶が蘇る。

世界には、土を食べる民族が結構ある。
日本でも、土料理を出すお店もあるようだ。
外国の部族によっては、新婚夫婦のお嫁さんが、壁土を食べ始めると、お祝いをすると言う。
それは、若奥様が妊娠した証拠。
大地はマグネシウム、カリウム、鉄分などの栄養の宝庫。
その大地の恵みをを享受して、野菜や植物も育つ。

ギリシャ神話の大地の女神はガイヤ。
人間の母なる女神でもある。
その女神から、人間の母も生まれた。
その母が、胎内から生まれる子供のために、土の養分を欲しがるのも、当然のことなのだろう。
そんな事をつらつらと、考えながら歩いていると、東武練馬駅近くに着いた。
すると、炎天下、道路工事。

土がショベルカーによって、大きく、掘り返されていた。
しかし、土の匂いは少しもしない。
地方から、出稼ぎで、道路工事に従事している人たちがいる。
豊かな生きた土味を知っている人たち。
無残な東京の土を見て愕然とするそうだ。
道路を掘り返すと、余りにも土が傷んでいるで、哀しくなるという。

季節と蝉
2008年07月29日


公園近くの道を歩く。
ジージーと鳴くニイニイゼミの声。
今年は喧しいほどに鳴いている。
単調な、ジージーとだけ鳴き続ける蝉の声が、盛夏の訪れだった。
しかし、どうしたことか、ここ数年、聞くこともなかった。
子供の頃、この蝉の声を聞くと、わくわくした。
カブト虫やクワガタ取りが始まる。
朝一番に起きて、世田谷の芦花公園まで取りに行った。

誰もいない早朝、昆虫のいる場所は、墓場の脇のクヌギ林。
墓場には、薄青白い朝靄が立ちのぼり、不気味な様相。
その怖さを堪えて、朝露に濡れた草木を掻き分け、はじめて、昆虫達を手に入れた。
子供ながら、怖さと引き換えに、大切なものを、手に入れる事を学習した。
やがて、ジージーと鳴く蝉の後には、アブラゼミが登場する。
まさに、真夏の象徴のような蝉だ。
網を持って、そーっと近づけば、捕まえられた。

そして、手の届かない、高いところで、ミーンミーンミーンと鳴くミンミンゼミが出現する。
羽は透き通り、王者の風格。
滅多に、目にすることもなく、ただただ聞く、澄んで響く高貴な響き。
その蝉も、今はかなり低いところで鳴いている。
アブラゼミのように、捕まえることも可能なほどだ。
やはり、日本の夏が、熱帯化してきた事と関係するのだろうか。

盛夏も過ぎる夕暮れ時、ヒグラシが哀しげに、カナカナカナカナと震えるように鳴く。
日は落ち、かすかな残照の中、ヒグラシの鳴き声が輪唱となり、うら寂しく響き渡る。
そのヒグラシの鳴き声も、今は聞けなくなった。
晩夏には、オーシンツクツク、オーシンツクツクとツクツクボウシが忙しなく鳴き、
さっと逃げ飛んでいく姿も、滅多に見なくなった。
日本列島も少しずつ、季節感が薄らいできたが、
昆虫達の生態にも、季節が失われ始めているような気がする。


夕映えのプレゼント
2008年07月28日
昨日は各地で、豪雨や大雨が猛威を振るった。
秩父地方や群馬でも、大雨注意報が発令された。
大相撲は千秋楽。
白鵬が見事に、横綱になって、初の全勝優勝を飾った。
白鵬時代の幕開けだろう。
私の子供の頃は、柏戸と大鵬の柏鵬時代だった。
これからは、たった一人で、ハクホウ時代を築くのだろう。
その牙城に立ち向かう、日本人力士が、見当たらないのは寂しい。

結びの一番、琴欧州も無様な相撲にならず、善戦したと言えよう。
千秋楽も終わり、酒を仕入れに、少し遠出をすることにした。
駐車場を出た時は、すでに、6時を回っていた。
おもてに出ると、雨がぽつりぽつりとやって来た。
車を発信して、新大宮バイパスに出ると、一気に空は掻き曇って来た。
西高島平から、笹目橋に出た頃は、バケツをひっくり返したような土砂降り。
フロントガラスは、音を立てて雨が弾ける。

路上は、水しぶき。
前方は雨煙。
視界は3メートル、あるかなしかの灰色の世界。
埼玉県と板橋区に架かる笹目橋。
快晴ならば、荒川がゆったりと流れ、河川敷のグランドでは、
草野球チームのユニホームが、陽光で耀いているのだが。
川に係留されたヨットも、猛雨に打たれ悲しそうだ。
外環状の下に到達して、やっとのこと、豪雨から一時の避難。
道路わきでは、びしょびしょに濡れたバイカーが、雨宿りをして休んでいた。

やがて、雨も小降りになり、予定のお酒を仕入れ、満足顔で和光方面へ戻る。
すると、小雨の中、前方は燦然と黄金色の夕映え。
道路沿いの建物、行き交う車を、陰翳深く、照らし出していた。
思いがけない素晴らしい光景。
さらに進むと、彼方に、七色に耀く夕映えに遭遇した。
雨の中、小さな小さなドライブ。
美しき哉、夕映えのプレゼント。


遊座大山・フラダンス&ハワイアンの夕べ
2008年07月26日


夏も本格化、いよいよ、猛暑が到来。
そんな昨日の黄昏時、板橋文化会館前。
爽やかに、ハワイアンのメロディーが流れる。
遊座大山恒例の、音楽の夕べが開かれた。

今回は、ダボスタジオを経営する、桜井さん、通称ダボさんの友人のプロのハワイアンバンドの演奏。
そして、フラダンス教室を主宰する方と、そのお弟子さんたちが、華やかな衣装でダンスを踊る。
甘く切ないメロディー、哀愁溢れる優雅ハワイアンの調べ。
何処か懐かしく、艶かしい抑揚のある声が、広場に響き流れる。

緩やかに、時には、軽快なリズムにのって、たくさんの踊り手が踊る。
きっと、この板橋に住む女性達だろう。
子育ても終わり、今は、自分の時間を、フラダンスを踊りながら、楽しんでいるのだろうか。
どの踊り手の顔にも、緊張の中、そそとした笑顔が窺えて嬉しい。
時には、振りを間違え、恥ずかしそうに、てれている人もいるが、それも愛嬌のうち。

ハワイアンダンスのメンバーは、板橋区だけでなく、東京の様々な老人ホームなどへ、
ボランティアで、慰問に出かけているいう。
きっと、そんな優しさが、踊り手の笑顔に現れているのだろう。

やがて、日も落ち、照明に灯が灯った。
ハワイアン・バンドの艶かしくも、爽やかな響きは、聴衆を、さらにさらに佳境へと誘う。
文化会館前、ハワイアン・バンドとフラダンスの夕べ、大いに楽しませていただきました。


2008年07月24日
愉快な仲間達を更新

若者の夢
2008年07月23日
昨日のこと。
2時になり、店を閉めようとしたら、2人の若者が店へ。
「すいません、もう終わりですか?」
「いいですよ、どうぞ」
「何時くらいまで、いいですか?」
「あと、1時間くらいかな」
そして、2人は入店した。
前から、私の店が、気になっていたらしい。
でも、1人で入る勇気がなくて、今日、友人を連れてやって来たのだ。
2人はモルト好き。
カリラ12年をロックで飲む。
ラフなスタイルの、目鼻立ちの整った青年Sさんは、
私の店のすぐ近くのマンションへ、最近になって、引っ越してきた。
今はフランス料理のコックさんをしている。
そして、彼に、今、住んでいるマンションを、
紹介した不動産屋さんが、連れの中井貴一似の青年Tさんだった。
Tさんは、少し前までは、大手の電機メーカーの営業で、海外を飛び回っていた。
だが、自分がする仕事に、疑問を感じ、現在の仕事に転職した。
Tさんは、子供の時、お父さんの仕事の関係で、南アフリカやイギリスで生活をした。
その時、差別や被差別問題も含め、世界の様々な矛盾を、身をもって体験した。
そんな体験を、少しでも活かして、社会のために貢献したいと考えた。
そんな時、今の仕事に出会った。
外国人同士、あるいは、日本人と外国人が、同じ賃貸のマンションで生活をする。
つまり、ルームシェアをする事を、斡旋する仕事だ。
日本に来て、不自由な生活を強いられる外国人に、少しでも、好環境を与えてあげたい。
日本人と同居することにより、より深く、日本を理解して欲しい。
また、同居する日本人にも、普段着の外国人と接して、外国文化を肌で感じ取って欲しい。
そして、Tさんは、これから、自分がしたい夢を語った。
もっともっと、仕事を頑張って、よりいっそう多くの外国人たちや日本人のために、
ルーム・シェアリング事業を拡大したいと。
すると、Sさんも、いずれ、フランスへ渡り、
本場のフランス料理を勉強するつもりですと、決心を語った。
そして、実業家の親戚の住むアメリカに渡って、フレンチの店を出す計画だそうだ。
30歳の2人の青年の夢。
強く強く希求し、確実に1歩1歩努力していけば、何時かは必ず叶うだろう。
自分が、本当にしたいことであるならば、どんな苦境にも耐えられる。
そして、人は強くなり、成長する。
その結果として、振り返ってみれば、人の為になる事を実現している。
若者の望みは、大きければ大きいほど良い。
なかなかな実現できない夢だからこそ、人生をかけてやるだけの価値がある。
気がついてみれば、4時近くなっていた。
その間、同じマンションの、女性階に住む、友達も仲間入りしていた。
「時間がオーバーして済みませんでした」と言って退店した。
夢に向かって、ひたすら前進する若者たちの熱い心。
蒸し暑い夜、爽やかな一陣の風が、吹き抜けていきました。


インコの悪戯(いたずら)
2008年07月22日
昨日、家に着いたら3時だった。
撮り溜めておいたDVDを見ながら、先日買い求めた、地酒「獺祭(だっさい)」を飲む。
ー「獺祭(だっさい)」:旭酒造株式会社. 〒742-0422 山口県岩国市周東町獺越2167-4ー
すると、まだ起きていた娘が、インコを籠から出して放した。
インコはすぐさま、私の飲んでるグラスへとまった。
そして、グラスの中へ、頭を突っ込み、嘴でちょこちょこと酒をつまんでいる。
「こら!ピーちゃん、駄目だよ」と追っ払うが、また飛んできて、ちょこちょこ。
仕方なく、インコをグラスに乗せたまま、お酒を口元へ。
それでも、インコは逃げない。
純米吟醸酒。
精米歩合は50%の端麗な酒だ。
しかし、吟醸香はしつこくなく、優雅に匂い漂う。
その香りに、インコは呼び寄せられるのだろうか。
今のインコは2代目だ。
初代はとても物覚えがよく、物まねの天才だった。
ママが、色々と仕込んだおかげで、とても饒舌なインコに成長した。
余りにたくさんの言葉を覚えたおかげで、名詞や動詞がごっちゃごちゃになる。
ママが娘用に教えた科白「りなちゃん、お勉強をしましょう」
私用には「おとうさん、行ってらっしゃい」
ところが、或る日、私が出かける時、「おとうさん、お勉強しましょう」
つい、私もインコに言ってしまった。
「俺の勉強はいいの!」
2代目のピーちゃんは、余り物覚えが良くない。
ひとつには、初代ほど、熱心に教えなかったからだろう。
心のどこかに、初代の代わりなんだと言う、意識が働いていたように思う。
だいぶ前の深夜のこと。
テレビを見ながらお酒を飲んでいた。
すると、バターンと、戸が閉まる音がした。
でも、ドアは閉まったままだ。
きっと私の空耳だろうと思った。
ところが、どうやら、それは2代目の、インコのピーちゃんの仕業だった。
娘も騙されたらしい。
バターンという音を聞いて、娘はドアを見た。
やはり、ドアは閉まっていた。
すると、またもや、ピーちゃんが、バターンと鳴いていたのだ。
ドアの傍に、鳥籠は何時も置かれている。
バターンと戸の閉まる音を、何度も聞いている内に、閉まる音を覚えてしまったのだ。
遠藤周作の小説に、「九官鳥」という短編があった。
九官鳥の飼い主は、結核だった。
だから、何時もゴホッゴホッと咳き込む。
やがて、一人暮らしの主人は亡くなった。
そして、九官鳥が取り残された。
残された九官鳥は、飼い主とそっくりの咳をしたと言う、とてもブラックな話だ。
2代目のピーちゃんにも、もっとたくさん言葉を、教えてあげれば良かった。
これからでも遅くはない。
好奇心いっぱいのインコのピーちゃんに、言葉を教えてあげよう。
ママさん、頑張ってください。


2008年07月21日
「小さな旅&日記」を更新
キャバクラと男の熱情!
2008年07月20日
何年くらい前のことだろうか。
店を出て、駐車場に向かう時、駅前でお客様に出会った。
地下にあるキャバクラから出て、携帯電話をしていたところだった。
「マスター、帰るの?ちょっと、寄っていかない」
ママもいたので、さすがに遠慮した。
ところが「ママも一緒にどう?」
ママは早く帰宅したいようだった。
私は、どちらかと言えば、誘いに弱いタイプ。
誘われるがまま、気乗りのしないママと一緒に、地下のキャバクラへ。
思ったより中は広かった。
週末なので、さすがに店は混んでいた。
彼の席に着くと、入れ替わり立ち代り、
艶かしいドレス姿の女性達が来て、お相手をしてくれる。
「マスター、ママ、何でも好きなものを飲んでください」
ママは運転なので、ソフト・ドリンク。
私は彼と同じお酒をいただいた。
その酒は、なんとバランタイン30年だ。
久しぶりに飲むバランタイン30年。
滑らかで、柔らな芳香。
時が紡いだ塾成香が漂い、高貴な余韻となって響く。
やがて、ボトルが空き、追加を注文した。
バランタイン30年、一体全体、このお酒は幾らするのだろか。
彼は、このお店のお気に入りの女性を、売上トップにしていると、かつて言っていた。
私はその時、興味本位で聞いてみた。
「月にどれ位、あの店で使うの?」
「大体、200万か300万くらいかな」
たしかに、お店には、足しげく通っている。
そして、彼女のトップの売上を、維持させていだ。
私には良くわからない、男のキャバクラ嬢に傾ける情熱。
お金で、彼女をどうのこうのとは、訳が違うようだ。
店の奥のソファーには、私たちが行った時から、
中高年の男の人が、気持ちよさそうに熟睡していた。
私は、お店の女性に、聞いてみた。
「奥の人、ずっと寝てるでしょ。あれでも、料金は発生してますよね」
答えは、当たり前のことだが、「もちろん」でした。
「あの方、来ると何時もああなんですよ」
寝るなら、家で寝ればいいものをと、貧乏人はすぐに考えてしまう。
キャバクラでの熟睡はかなりのお値段。
この場所で、若い女性に囲まれて寝るのが、至上の安らぎなのだろう。
でも、寝てる間は、ほったらかしなのだが。
男のキャバクラにささげる熱情。
なんとも、健気で罪がないですね。
人には人それぞれの貨幣価値がある。
私にとっての10万円と、億万長者の10万円では、天地ほどの開きがある。
自分の身を滅ぼすほどの散財には、気をつけないといけないですね。
中年男の恋の炎の行方
2008年07月18日
或る日のこと、Mさんがやって来た。
Mさんは元ミュージシャン。
現役時代はかなり人気があった、ロック・グループのボーカルだった。
そして、今は親父さんの会社を継ぐことになり、大手の鉄鋼会社で修行中。
今は立派なサラリーマン生活をしている。
今日は妙齢の女性と一緒だ。
Mさんは何時でも、ジャック・ダニエルのダブル・ロック。
女性にはホワイト・レディーを。
やがて、話が銀座のクラブの話になった。
「Sさん、まずいよ。あのままじゃ潰れちゃうよ。
N子さんに言ってくれないかな。もう来ないようにって」
「それは出来ないわよ。私達の仕事、来る限り、断れないのよ。
だから、N子さんにも言えないわ。銀座って、そういうところなの」
SさんはMさんの上司で課長だ。
或る日、会社の接待で、部長達に連れられて、銀座の高級クラブへ出かけた。
そこで、Sさん、N子さんに一目ぼれした。
それ以来、Sさんは、自分のお金で、高級クラブに出没するようになる。
だが、大手の鉄鋼会社と言え、サラリーマンの収入。
足しげく、高級クラブに出没するには無理がある。
「Sさん、あのままだと破産だよ。それでも、放っておくの?」
「仕方ないのよ。それに、私のお客様ではないし」
Sさんには、奥様もいれば、子供さんもいるらしい。
多分、Sさんの給料は、あっという間に、高級クラブに消える。
そして、こつこつと蓄えた貯金も、やがて消えるだろう。
一度燃えた中年男の悲しい恋の炎。
家庭崩壊する前に、早く消し止めてもらいたいですね。

検診結果に安堵
2008年07月17日
今日は、板橋区の検診の結果を見に、高島平中央病院へ出かけた。
さすがに7月の中旬、外は真夏日。

ぎらぎらと容赦ない太陽が照りつける。
でも、まだ、梅雨は明けていないというから、何処か釈然としない。
3時40分頃、病院に到着。
今回は、大腸がんと肝炎ウイルスの検診。
受付を済ませ、内科に用紙を提出。
暫く、廊下で待つていると、ママが呼ばれた。
結果は陰性。
ほっとした表情をしていた。
そして、私の番だ。
やはり、陰性だった。
昔は、健康が当たり前だと思って、さほど、検診の結果を心配しなかった。
だが、還暦過ぎの今、少し、どきどきする。
ひょっとしたら、結果によっては、即、入院なんて、最悪の自体も考えたりする。
やはり、自分の周りに、いろいろな病気で、苦しんでいる人を見るからなのだろう。
一年前、高校の同期会に出席した。
そして、名簿を見たら、すでに、鬼籍に入った人たちも散見された。
健康は何者にも変えがたい宝。
これからも、元気で、何時までも、仕事をしていたい。
そして、お客様に、寂しい思いをさせないためにも、健康で頑張ります。

アカデミー賞作品「ジュノ」を観て
2008年07月16日
先日、アメリカから、帰国中のNさんが、映画のチケットをプレゼントしてくれた。
チケットと一緒に、彼の私達への感謝の手紙を添えて。
そして、今日、池袋まで出かけた。
映画は、本年度アカデミー賞の最高脚本賞に耀いた「ジュノ」
Nさんが言っていた。
「マスター、この映画はアカデミー賞をとったのですよ。
でも、何故か、日本ではいまいち人気にならない。とても残念です。
ぜひ、観にいってくださいね」
池袋には2時20分頃到着。
上映時間の2時55分にはまだ早い。
メトロポリタンプラザの7階、ビアーレストラン「ライオン」でランチを食べる。
ママはランチ。
950円で、意外にボリュームがあって美味しそうだ。
私は軽く食事をしていたので、コーヒーを飲む。
最近は、何処でコーヒーを飲んでも、とても美味しい。
コーヒー・マシンの性能が向上したのだろう。
エスプレッソのように、柔らかでふくよかな泡が心地よい。
勿論、深入りコーヒーのコクも申し分ない。
やがて、上映時間が近づき、入館する。
席はすべて自由席。
観客は客席の2割ほどで寂しい。
予告編の後、「ジュノ」は始まった。
古きよきアメリカのようなイラストの中、
主人公ジュノが、小走りに走りながら、本編が始まる。
16歳のジュノーは、同級生のポリーと、たった一度の性交渉をする。
ポーリーに抱く淡い感情。
しかし、恋人の認識はない。
だが、ジュノーは妊娠していた。
ジュノーもポーリーも、親になり、子供を育てる勇気は持てない。
ジュノーは養子縁組を決心し、タウン誌で縁組先を見つけた。
そして、その事を両親に告げる。
両親も、仕方なく了承する。
やがて、父親に付き添われて、縁組先に出かけた。
家は豪奢な邸宅。
とても、優しそうで上品な、とても幸せそうな夫婦だった。
これから生まれる子供に、ふさわしい家庭環境であると、ジュノは安堵する。
ジュノのお腹の子供は、日ごとに成長。
ジュノの胸もお腹も大きくなって、はちきれそうだ。
ところが、幸せそうなマークとヴァネッサ夫婦にも、大きな亀裂が入っていた。
養子縁組が近づくに従い、その亀裂が大きく顕在化してきたのだ。
そして、夫婦は離婚した。
その時、ジュノーは広告紙の裏に、走り書きのメモを、妻(ヴァネッサ)に残した。
やがて、ジュノは、継母と友達の見守る中、元気な男子をを誕生する。
父親は娘に、「今度、もう一度此処にこよう」
それは、今度こそ、自分の子供を、此処で生み、
母親になり、子供を育てようと言う父親の愛情なのだ。
誕生した息子は、ヴァネッサに引き渡された。
ジュノーが書いた走り書きは、この事の約束だったのだ。
身ごもり、情緒が定まらず、不安定な精神状態の中、ジュノーは成長した。
ヴァネッサが、心底から子供が欲しいのだと確信していたのだ。
人の心を、正確に受け止める力を育てたのだ。
人の愛、優しさ、真心を、あるがままに受け止める心を、持てるようになった。
生まれた子供を失う悲しさと引き換えに、大人として、豊かに生きる事を発見した。
そして、関係の曖昧だったポーリーは、自分の愛すべき恋人であること自覚した。
最終シーンは、ポーリーの家の庭で、二人でギターを、幸せそうに爪弾く姿は、
かつての、カーペンターズの幸せだった頃を彷彿とさせる。
過剰なセックスシーン、破壊的な暴力、残虐な殺戮がない映画は、観ていて楽しい。
Nさん、大いに愉しませていただきました。

私の焼きうどんが、アジアの三大料理の一つに?
2008年07月15日
昨日の2時頃、店の前にタクシーが止まった。
そして、店の近くに住むNさんが来店した。
「店がI開いていて良かった。焼きうどんください」
私は、Nさんが、何時も最初に飲む、サンミゲルを出す。
Nさんは大手新聞社の政治部記者。
2年間ほど、フィリピンのマニラ支局の特派員生活。
そこで、毎日サンミゲルと、フィリピン料理を愉しんでいた。
やがて、東京本社に戻って来た。
そして、私のバーに復活した。
毎日、午後から上がり始めた原稿を整理して、
最終稿を上げると、早くても2時近くになるらしい。
それから、タクシーで帰宅する。
かなりハードな一日を送っている。
だから、私の焼きうどん、
疲れた時には、最高に、身体にエネルギーを与えるらしい。
ある日のこと、Nさんは嬉しいことを言ってくれた。
「マスターの焼きうどん、アジアの三大、辛くて、身体に力を与えてくれる料理ですね」
そこで、私は質問した。
「あと二つは?」
Nさんの答え。
「韓国の参鶏湯(サムゲタン)、マレーシアの肉骨茶(バクテー)。
そして、三つ目に、マスターの焼きうどん」
マニラ支局時代、アジアの料理をたくさん食べ歩いたらしい。
そのNさんの言葉だから、重みがある。
「食薬同源」「食医同源」思想が根底に流れるアジアの薬膳料理。
私の焼きうどん、それらと同格の評価とは嬉しいですね。


夢の続き
2008年07月12日
M夫妻の旦那さまはゾンビ博士。
ゾンビを語らせたら、おそらく板橋区一番だろう。

ひょっとしたら、東京一かもしれない。
その該博な知識は恐るべき。
語らせれば、ゆうに、一日は語り尽くすだろう。
何処へ出かけても、ゾンビの出現しそうな所を、予見するそうだ。
眠っている時でさえ、夢の中で、ゾンビ体験をしている。
夜の帳もおりた真夜中、突然、布団の中で、うめくような叫び声。
「ぎゃー、助けてくれー。ぎゃー、食われるー!」
隣の奥様「何やってんのよー!」
我に帰ったMさん、溜息混じりに
「ゾンビに、内臓を食われるところだった」
かなりの疲労困憊。
そして、また、眠りに付いた。
暫くすると、また始まった。
奥様「いいかげんいしてよ、まったく」
Mさんは、ゾンビの夢を、またもや見たのだ。
寝付いた瞬間に、先ほどの続きを見る、高等技術を持っているのだ。
私も、深酒をした時など、時々、夢を見る。
そして、布団の上で、手足をばたばた振り下ろし、暴れる。
女房が「何やってんのよ!」
肩を揺すって、おこしてくれる。
「やー、疲れた」
私の場合、天にも届くほどの、大恐竜と格闘しているのだ。
それも、何故か徒手空拳、武器を持たずに、大恐竜と格闘している。
大恐竜は大きな目を剥いて、威嚇するように睨みつけながら、
蟻にも満たない私を、どしん、ずしんと踏みつけようとする。
逃げても逃げても、大地を揺らしながら追いかけてくる。
絶体絶命、神様仏様、助けてくれー!
何故かそんな時、隣の女房が、夢から醒めさせてくれる。
汗はびっしょり。
夢の中での格闘は疲れる。
そして、また、眠りに落ちる。
だが、私は夢の続きを見ることはない。
いまだ、こんな夢を見るのは若い証拠なのだろうか。
でも、還暦過ぎの此処一年、まだ見ていない。


2008年07月11日
「小さな旅&日記」を更新


朝酒と眠り
2008年07月10日

Nさんの奥様は、真っ暗でなければ寝れないらしい。
だから、部屋のカーテンを引き、電気を消さなければ寝れないと言っていた。
私は、極端な言い方をするならば、明るくても大丈夫だ。
勿論、暗いにこしたことはないが。
昔は、けっこう、朝まで仕事をしていた。
家に着けば、すでに夜が明けている。
冬ならまだまだ日も頼りなげだが、夏場だと、かーっと照り付けてくることもしばしば。
よくママと言ったもの。
日が照り返さない内に、帰って来たいものだと。
家に戻り、テレビを見ながら酒を飲んでいると、夏日が容赦なく部屋に照り付けてくる。
朝日にあたりながらのほろ酔い気分。
それはそれで、また楽しい。
世の中が寝静まっている時に、仕事をしている代わりに、
世間が活動し始める頃、朝日とともに酒を飲む。
外はざわざわ朝の気配。
街が活動を開始。
外光は燦々と照り始める。
それでも、ほろ酔い機嫌、何事もないかのように布団の中へ。
たまには楽しい夢心地。
昼過ぎまで眠る。
最近は店も早く閉めるので、朝日を見ることもなくなく、寝るようになった。
眠りに関して言えば、お酒を一滴も口にしない時が問題だ。
目が覚醒していて、なかなか眠りにつけない。
仕方なく、本を読む。
やがて、朝刊が来る。
何時の間にやら、読みきってしまう。
いらいらしながら、目を瞑る。
しかし駄目だ。
また本を読み、少し疲れたところで、再度、眠りに挑戦する。
こんなことなら、飲んでおけばよかったと後悔しきり。
いらいらしながらも、時間は無情にも過ぎる。
そのいらいらの中、何時しか眠りに落ちていく。
やはり、軽いアルコール依存症なのだろう。
慣れないことは、しないことに限ると、一人得心をする。

良い気と還暦過ぎのトレーニング
2008年07月8日
深夜12時頃、U女子がやって来た。
何時ものジン・リッキーを注文。
「先日来た時言ったわよね。
マスターの店に来ると、何故か次の日に良いことが起きるって」
「言ってたね、確かに」
「あの日の翌日、まだ二日酔いで、家でごろっとしてたの。そしたら電話がかかってきて」
3年前まで、付き合いのあったお店が、新しいお店を開店することになった。
そこで、店の宣伝をよろしくとのことだった。
U女子は広告宣伝会社を経営している。
酒も強いが、仕事もばりばりにこなすタフネス・ウーマン。
「マスターのお店、何か良い気が漂っているのかもね」
なかなか嬉しい事を言ってくれる。
私達にとっては、最上級の褒め言葉。
良い気を保つためにも、我々は何時も、心も身体も健康でなければならない。
そのためにも、私は毎日のトレーニングを欠かさない。
前後、横、屈伸などの柔軟体操。
右手左足、左手右足の片手片足、一本腕立てを10回づつ。
腹筋を200回。
親指と人差し指の二本指たてを、10回などなど。
還暦過ぎのトレーニングは楽しき哉。


2008年07月7日
「小さな旅&日記」を更新しました。
池上本門寺散策

楽しみにしていてください、梅酒カクテル!
2008年07月5日
久しぶりに、Oさんがやって来た。
二年ぶりくらいになるだろうか。
奥様に、お子様ができる前以来だから。
結婚前は、王子辺りに住んでいたので、高知大学のOB仲間達とよく来てくれた。
最初に私の店に来たのが、
アメリカ州立大学のインディアナ大学へ留学する前だから。
かれこれ10年位前になるのか。
あの頃、私の店に来ていた仲間達も、すべて結婚、多くは子供さんがいる。
Oさんはベルギーのシメイ・ブルーを飲みながら、
「マスター、去年漬けた梅酒、近々持ってきます。
そして、美味しいカクテルを作ってください」
去年、奥様には子供さんが誕生した。
身ごもった時から、勿論、奥様は来店できなくなった。
以前は、引越し先の西葛西から、二人でよく店に顔を出してくれた。
「女房もやっと、子供連れで外出できるようになりました。
マスターの梅酒オリジナル・カクテル、とても楽しみにしています」
一年前、Oさん夫妻と約束をした。
梅酒が美味しくなったら、オリジナル・カクテルを作って差し上げると。
O夫妻は、私のオリジナル・カクテルを作ってもらうまで、梅酒の蓋を開けないらしい。
梅酒カクテルを飲める時を、O夫妻は楽しみにしているようだ。
こちらも、今から、美味しい梅酒カクテルを、考えておかなければいけない。
Oさんは仕上げに、ウンダーベルクを飲んで、店を切り上げた。
Oさん一家、明日の早朝、実家のある茅ヶ崎へ出かけるそうだ。
きっと、孫の顔を観て、一人住まいのお父さん、大喜びするだろう。
生まれ故郷は茅ヶ崎海岸のすぐそば。
サーファーのOさん、好きなサーフィンをしながら、親孝行が出来るなんて幸せ。
ちょこちょこと、実家に顔を出してくださいね。

1枚のCDは鮮やかな空間を創造する
2008年07月4日
アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla 1921年 - 1992年)のCDを聴いていた。
昔は何時もジャズを流していたが、最近は、その時々、
自分が聴きたい曲や、お客様の好む様々なジャンルの曲を流している。
すると、お客様の反応も様々。
我々団塊の世代は、1970代の曲が流れると、
かつての青春時代を懐かしむように聞き惚れる。
それぞれの世代の華やかな時代に耳にした曲、
それは瞬時に、その時代を蘇らせてくれる。
すると、お客様が来店した。
カウンターに座りビールを飲む。
「ピアソラ、良いですね。僕、大好きなんです」
ピアソラはアルゼンチンの英雄的な音楽家。
バンドネオン走者として、そして、作曲家として世界的に有名な音楽家だ。
アルゼンチンおいては、サッカーの大スターとともに英雄的な存在だ。
だが、日本では非常に知名度が低い。
アルゼンチン・タンゴのピアソラ的世界。
複雑な旋律とメロディー。
バーの店内には、時には哀愁的で切なく、物悲しく、
そして、ある時には情熱的で、陰翳深い曲が響く。
「僕、ピアソラの曲探して、結構、持ってます。でも、なかなか、無いんですよね」
彼は子供の時から、ピアノを習って弾いていた。
そして、高校で吹奏楽部、そして、Y国立大学で、オーケストラに所属していた。
だが、彼が心惹かれるものはピアソラ。
私が購入したCDも持っているみたいだ。
1枚のCDとお酒。
それが紡ぐ愉悦の時。
1枚のCDが流れる瞬間、店の空気が瞬時にして変わる。
フリオ・イグレシアスのような、華やぎのある曲を流せば、
店には色めくほどに、艶やかな空気が漂う。
アストラッド・ジルベルトのボサノバが流れれば、心はほのぼのと解きほぐされる。
1枚のCD。
それは、お店の空間に、様々に変容する、鮮やかな色彩の空気を醸しだしてくれる。


バーカウンターの1日
2008年07月3日

昨日、早い時間に、K&Mさん夫妻がやってきた。
何時もは週末に来るのだが、如何したことか。
「あれ、珍しい日のご来店だね」
Mさん「マスターの焼きうどん食べたくなって」
Kさん「あまりホームページで書くものですから。最近、営業してますね」
そして、Kさんは、何時もの本格派モスコミュールを。
Mさん「少し甘くて、さっぱりしたロング・カクテルを下さい」
そこで、アプリコット・クーラーを作って差し上げた。
アプリコット・リキュールに、
レモンジュースを絞り、グラナディン・シロップを少々加えてシェーク。
グラスにたっぷりの氷を加え、シェーカーから注ぎいれる。
そして、仕上げに、冷やしたソーダーを注ぐ。
アンズの香りとレモンの酸味、グラナディンの耽美な朱色が美しい。
Mさん、大いに気に入ってくれた。
暫くして、お望みの特製焼きうどんを2人前作ってあげた。
やはり、家でつくった焼きうどんとは、何処か違うと、しきりに感心。
辛いものの駄目なKさん、何故か、私の作るピリ辛は大丈夫なのだ。
汗かきなKさん、汗を拭き拭き綺麗に食べきった。
二人が食べ終わった頃、税理士さんが3人やって来た。
私と同世代の3人と、若いK&Mさん夫妻のカウンター越しの交流は楽しい。
税理士さんには、私のお勧めのスコッチ・ウイスキーということで、
ハイランド・パーク12年のロックを出した。
スコットランド最北端、オークニー島のモルトを美味しそうに味わっている。
11時過ぎ、税理士の2人が退店。
そして、足立区に住むK&Mさん夫妻が、名残追いそうに退席した。
カウンターには、税理士のKさんだけが残った。
「マスターも何か一緒に飲もうよ」
そこで、私もお付き合い。
アイラ島のモルト、ブナハーブン12年を、私はストレートでいただく。
Kさんにはロックで出して、乾杯をした。
そこへ、遠慮気味に、Eさんが入って来た。
「カウンターを見たら、女の人が一人で飲んでいるから、一人で入って来ちゃった」
前回は、スキーの仲間達と大勢で来店してくれた。
確かに、何時も来店する時は大勢だ。
一人で来るのは、やはり、女性には勇気がいることなのだろう。
でも、私の店には、意外に、一人でみえる女性も多い。
今日は、昔からの馴染みの料理屋さんで、仲間達と飲んだ帰り道、立ち寄ってくれたのだ。
今日から、一人娘さんが、山中湖へ、林間学校に出かけている。
55時間の主婦Eさんの自由時間。
その時間内に、ぜひとも、わたしの店に、顔を出したかったそうだ。
あと残された、20時間余り、大いに愉しんでください。
皆さんのご来店、昨日はありがとうございました。

力をつける、カクテルと特製焼きうどん
2008年07月2日
深夜の1時ころ、Mさんが友達とやって来た。
Mさんは若いのだが、相変わらず、堂々とした体躯で、風格がある。
今の仕事には最適だ。
友達は、Mさんの半分くらいの体型で、二人並んだそのコントラストにユーモアがある。
二人は学生時代の同級生だ。
Mさんは、何時も最初の一杯は、本格派のモスコミュール。
今回もやはり何時もどおり。
すると、友達も同じカクテルを注文した。
銅のマグカップにたっぷりの氷。
スミノフを注ぎ、ライムをぎゅっと搾り、ジンジャー・ビヤーを注ぎいれる。
そして、程なくして、モスコミュールを飲み終わった後、Mさんが言った。
「マスター、彼に、力が出るカクテル作ってくれる」
何処か元気のなかった友達。
奥さんとの離婚の危機で、Mさんに相談に来ていたようだ。
離婚は決めたようだが、二人の子供の親権問題で悩んでいるらしい。
それならばと、私は、蜂蜜たっぷりの、スコットランドの伝統的なリキュール、
ドランブイたっぷりのカクテル、ラスティー・ネイルを作ってあげた。
Mさんは、バーボン・ウイスキーのエライジャ・クレイグのロックを飲んでいる。
やがて、Mさん、
「マスター、もっと力をつけさせたいので、焼きうどんをお願いしてもいい?」
「もちろん。それならば、気を入れて作りますよ」
そして、深夜2時過ぎ、、少し辛目の焼きうどんは出来上がった。
お互いの皿に盛り分け、二人は満足そうに食べ終わった。
3時頃、最後のお酒を飲み干して、二人は店を後にした。
Mさんのお友達、色々と大変なことが続くと思いますが、頑張ってくださいね。

真夜中の焼きうどん!
2008年07月1日

昨日の12時頃。
一段落して休んでいると、息子と友達がやって来た。
王子辺りのお祭りの帰りみたいだ。
友達はまだ食事をしていなかった。
彼は、私の焼きうどんが、1度は食べてみたかったようだ。
そして、早速、私は焼きうどんを出してあげた。
するとそこに、
秩父夜祭で、何時もお世話になる病院の、院長先生がやって来た。
東京に用事があり、今日は、池袋のホテルに泊まるそうだ。
そして、明日一番で、秩父へ戻る。
その合間に来店してくれたのだ。
先生は何時ものラフロイグ。
そして、2杯目には本格派のモスコミュールを飲む。
すると、暫くして、TOEIC990ホルダーのNさんが登場。
珍しく、今日はバーボン・ウイスキーの注文。
IWハーパー12年のストレートを出す。
すると、Nさんもまだ食事をしていなかった。
またもやの焼きうどんの注文。
野菜を切り、ウインナーを小口に切り、塩・胡椒・ターメリックを降り掛け、
フライパンで炒め、うどんの玉を入れて、さらに強火で炒める。
そして、水を加え、ひと煮立ちさせ、チキンブイヨンを加え、
さらに煮立て、豆板醤を加え、マーガリンを加え出来上がり。
深皿に、スープたっぷりのうどんを盛り込み、上から溶き玉子をとろりと掛ける。
仕上がりに、緑の彩り鮮やかに、バジリコのあしらい。
現在はアメリカに住むNさん、18年位の付き合いだ。
今まで、私の焼きうどんを何十回食べたことだろう。
するとそこへ、広告代理店を経営している、K女子が登場。
何時ものジンリッキーをグビリグビリ!
何時見ても、男勝りの見事な飲みっぷり!
すでに、時間は2時。
すると、そこへ、美容師さんの一団。
奥の席へ。
それぞれにカクテルを注文。
するとまたもや、焼きうどんの注文。
せっせせっせと、本日3つ目の焼きうどんを作った。
1度食べたら病み付きになる、私の焼きうどん、1度はご賞味あれ!
皆様にレシピーを、細かく教えてあげるのだが、
レシピー通りに作っても、私の味にはならないそうだ。
「マスター、如何してでしょうか。レシピー通りに作っているのですが?」
私は、私の胸に手を当てて、
「ここ、ここですよ。私のハートと愛情が、たっぷりと注がれているのですよ」
夏近くの宵、時間は4時近くになっていた。
すでに、外は朝の気配。
どうやら、今日も良い天気のようだ。
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