Today's Comment
JUNE 2009.06


さてと、何処へ出かけるか
2009年6月28日

今日は生憎の天気。
このところ、真夏日が続き、はや真夏が到来と思いきや、
そうは甘くはないぞと、昼過ぎから雨になった。
当り前の事だが、今はまだ梅雨。

沖縄では今日、梅雨が明けたと、
テレビで、真夏日の中、
海辺で遊ぶ子供たちの映像が流れていた。
東京では紫陽花が満開。
白や薄紫、淡い黄緑の紫陽花が、
雨に濡れて、鮮やかに花色を増す。

紫陽花は日本の花。
都会の庭や垣根からも、はみ出るように顔を出す。
新聞も読み、読みかけの本も読んだ。
そして、うたた寝をしながらなラジオも聞いた。
すでに夕刻、薄明かりが雨に煙る。
さて今日はこれから、何処に出かけるか。

幻の焼きそば
2009年6月27日

関東地方は、今年1番の暑さだが、
窓から風が吹き渡り、蒸し暑さは感じなかった。
朝刊を読みながらの午前11時ころ。
隣のママに尋ねた。
「何かお昼ある?」
すると、「トーストか焼きそば」
そこで、私は、「焼きそば」と答えた。

新聞を読み終えて、テレビを観る。
ママはまだ小説を読み、焼きそばを作る気配はなし。
やがて、「天・地・人」の再放送が始まった。
先週見逃したので、ちょうどよかった。
体操をしながらテレビを観る。

やがて、ドラマも終わり、「百歳万歳」が始まった。
その時、ママが隣の部屋から、のっそりとやってきた。
少し遅れたが、さっそく焼きそばと思いきや、まったく作る気配はなし。
「百歳万歳」も終わり、時間は2時。
私の夕飯は5時だから、2時過ぎではもう遅い。

私は言った。
「もう、焼きそばいいよ」
すると、「さっき、作るの止めたの」
「あれ、待ってたのに。止めたのなら、言ってくれたらいいのに」
ママは無言で、テレビを観ていた。
これ以上言わないのが、紳士のたしなみと我慢。

私は隣の部屋に戻って、蒲団に寝転がりながら、読みかけの本を読む。
吉田健一著「酒・肴・酒」
昔読んだはずなのだが、すっかりと忘れている。
流れるように、しなやかな文体で、古き良き時代の飲食風景が描かれる。
その表現の豊かさの中で、食べて呑んで満足をした。


深夜のジョーク
2009年6月26日

梅雨とはいえ、さすがに夏近し、真夏日も記録する今日この頃。
店にも冷房が欠かせなくなった。
昨日の深夜、ママが寒そうにしていた。
冷房の風が直撃していたのだ。

私は風向きを変えて、天井方向へ向けた。
「ママは暑がりで寒がりだからな。暑さ寒さに結構敏感だね」
ママは無言。
「俺は暑さ寒さには、結構強い」
すると、お客様のI氏「身体も頑強だけど、マスターの体感、少し可笑しいから」

「ということは、私の身体はメガネ?」
ママがにやりと笑っている。
I氏はママを見て?
暫くして、「そういうことか」
ママ「そうなの」
I氏「マスターとママは、長い付き合いだから、
つまらない駄洒落もすぐに分かるんだ」
深夜のつまらないジョークでした。


かつて読んだ本を、読み直す愉しみ
2009年6月25日

夏目漱石「三四郎」を読んでいる。
主人公の三四郎が、本郷を中心にして、
根津、千駄木、池の端、上野、谷中など、毎日のように散歩をする。
私にとっても、すべて、かつての散歩道であった。

いまから25年前まで、湯島天神前のマンションの13階に住んでいた。
下を見下ろせば、池の端文化センター、その左向こうに不忍池。
真っすぐ見渡せば、上野公園の五重塔が見える・
そして、右手には、湯島界隈のネオンが煌いていた。

かつて、数十年前に、「三四郎」は読んだ記憶がある。
しかし、舞台になった上野、本郷、谷中など、
動物園に来るぐらいで、まるっきり道案内がない。
だが、湯島に9年住んでいたおかげで、歩く道程がすべて目に浮かぶ。

だから、昔とは一味も二味も、愉しさが豊かになる。
歳をとって、かつて読んだ本を読み直すことは、
内容は勿論だが、こんな愉しみを齎してくれるので嬉しい。
それにしても、三四郎は勿論だが、登場人物は全員、驚くほどの健脚だ。

自転車で回ってもかなりの距離。
それを苦もなく、疲れることもなく歩いている。
そして、当時の東京の風景が描写されている。
湯島、谷中界隈は、草叢と田園が広がる長閑な土地。
東京の風景の激変には、今更ながら驚かされる。

たった1度のための贅沢は粋かな
2009年6月24日

先日、看護師のお客様が宝塚へ出かけた。
それも、宝塚歌劇の公演を、たったの1回だけ観劇に。
せっかくの関西、見どころ、食べ処、買い物処満載の神戸は、すぐそこにある。
でも、宝塚辺りで食事をして、日帰りで東京へUターンした。

何とも忙しい観劇の旅だった。
出来るならば、1泊したいところだが、休みが取れなかったようだ。
翌日は日勤で、朝から仕事をした。
今日、夕刊を読んでいたら、宝塚歌劇の公演のことが紹介されていた。

今年で、宝塚歌劇は95周年。
それを記念した特別公演「百年への道」
現役トップスターは勿論、往年のスターたちも顔を揃えた、
大イベントだったようだ。
大盛況で、立ち見も出るほどだったと書いてある。
チケットをとるのが大変だったと言っていたのも、むべなるかな。

私の店に来る能のシテ者N氏に訊いたことがある。
「今までの公演で、これはと思う面白い体験がありますか?」
「そうですね。何年前になるかな。モナコ公国へ招かれた時ですかね」
「ヨーロッパのモナコ?」

「たった1回の公演のために出かけました。時間は1時間足らずの公演です」
「勿論、囃子方の笛・小鼓・大鼓・太鼓、地謡、それに狂言師もすべて一緒ですよね」
「勿論です」
「その1回だけの公演のために、ヨーロッパのモナコまでですか」

「ヨーロッパは良いですね。言葉は分からないはずなのに、何かが伝わっているって感じです」
「やはり、文化的な伝統に対する理解力だと思いますね」
「フランスやオーストリーには、常設の能舞台があるくらいです」
今年の秋、オーストリーで、1か月ほどの公演が待っている。

たった1度のために、時間とお金を使う。
これが贅沢と粋というものだろう。
私には、なかなかできない贅沢である。


タムサン肝臓神社って何?
2009年6月23日

Yさんが久しぶりに来店した。
そして、私に護国寺近くの鬼子母神のお札を届けてくれた。
大学で神道の勉強をしたYさん、何とはなしに、神社の話になった。
そこで、私も調子に乗って、言ってしまった。
「私も創ってみようかな、タムサン肝臓神社。酒飲みを護るありがたい神社」

Yさん、「何か権威がないな」
マスター、「権威がないとこがいいの」
すると、居合わせたTさん、「俺、信者になります」
マスター、「日本の神様は、誰でもなれるところが良いのよ」
Yさん、「そうなの、誰でもがなれる」

戦後、南方戦線で戦死した山本五十六を記念して、
山本神社ができそうになった事があった。
だが、山本連合艦隊司令長官は、戦前、東郷みたいにはなりたくないと、
語っていたのを知っていた人たちが、神社にすること抑えた。

ことほどさように、日本の神は、八百万、森羅万象、何でもOKで寛容である。
ギリシャの神々にも通じる、ばか騒ぎもすれば酒も呑む。
ギリシャのゼウスほど好色ではないが。
するとYさん、「京都の松尾大社に行ってきて、お墨付きを頂いてきます」

松尾大社は京都最古の神社、日本第一醸造之神。
我々酒を商うものにとっては、大切な大切な神様。
冗談とはいえ、もったいない、もったいない。
私も一度は、お礼かたがた、京都嵐山まで、
お参りに行かなくてはならないだろう。

匂いと香りの文化
店を終え家に着く。
早暁間近の朝まだき、車を降りた瞬間、
朝露に濡れた木々から溢れる新緑の匂い。
この匂いをきくと、子供の頃、クワガタやカブトムシを捕りに、
近くの蘆花公園へ、出かけた頃を思い出す。
匂いは人間に、鮮明な記憶を刻みるけるのだろう。
匂いとともに、かつての情景が鮮やかに蘇る。

日本人の匂いに対する感性は、非常にナイーブで鋭い。
匂いや香りには、必ずと言っていいほどに、
微妙なニュアンスの形容詞が伴う。
外国の言葉には、匂いや香りそのものに単語がある。
あげてみれば、
smell 、tang、scent、fragrance、flavor、
perfume、odor、aroma、bouquetなど。
香りや匂いそのものにより、単語がそれぞれにあてられる。

日本は遠い昔から、匂いや香りを愉しむ文化が存在している。
人々は、香りをきく香道は勿論、日常性の中に、香りや匂いを愉しむ。
子供の頃は、お線香の匂いの中に、抹香くささを感じ、
死を連想し、仏壇やお寺のお線香に、怖い物を感じた。
しかし、歳をとるに従い、死を意識するとともに、
お線香の匂い中にに、人間の生の意味を嗅ぎ取る。
その匂いと香りの文化が、すこしずつ薄れつつあるような気がする。

私が手術?
2009年6月19日

昨は成人検診に出かけた。
場所は志村坂上,、一里塚近くにある板橋中央病院。
一時間足らずで、検診は終わった。

3ヶ月ほど前、私の息子が,よく当たるという占い師に見てもらった。
すると、本人のタロット占いは、吉と出たようだが、
帰り間際に、占い師の人が、息子に言ったそうだ。
「お父さん、6月に手術があるようだから、気をつけた方が良い」と言った。
それは息子が頼んだ、占いではなかった。

それ以来、家の子供たちが、私の健康を心配する。
早く、検診に出かけろと、ママを急き立てるようだ。
私はあまり、気が進まないのだが、
「貴方が行かないと、私が怒られるのよ」と。

一昨日は、朝の4時頃まで営業していたのだが、
ママに怒られそうなので、軽くお昼を摂ってから、3時半頃に出かけたのだ。
そして、すべての検査を済ませたら、午後の4時半前。
何か大きな義務を果たしたようでほっとした。

店に着き、時間もあるので、馴染みの自転車屋さんへ。
壊れたサドルと、自転車の微調整をしてもらった。
私も検診をしたのだから、自転車にも、検診と修理をしてやったのだ。
自転車も喜んでくれたのだろう、ペダルも軽やか、道を滑るように進む。
私の辞書には、病気という文字はないのだが、
悪い占いは、取りあえずは、堪忍してして欲しい。


なんと、尾長鳥に追われるカラス
2009年6月17日

マンションの玄関を出たら、空から、堅い金属を、
引っ掻いたようなギギギーと鈍く響く、鳥の鳴き声がする。
見上げれば、この辺りによく見かける、尾の長い灰色の体色の野鳥だ。
電線に5羽、カラスを取り囲んで、ギーギーギー、ギギギーと威嚇していた。

カラスも対抗、取りたちを睨むが、多勢に無勢。
カラスは、尾長鳥に追われるように逃げ去った。
だが、5羽の尾長は、追尾の羽を収めなかった。

やがて、カラスは近くの青葉茂れる木の梢に退却。
勝ち誇ったように、5羽の尾長は、何もなかったかの様に、
電線に舞い戻り、揃って正面を見ていた。

身体は小さくても、何十倍も大きなカラスに、
勇敢にも立ち向かう尾長の勇気に、いささかの感動。
自然界は弱肉強食、適者生存の摂理を、少しだけ垣間見たような気がする。

東京は板橋の外れ、森もあれば林もある。
そして、途切れ途切れに畑も点在する。
6月の梅雨空、音もなく降る雨に、濡れた木々の緑が冴える。


和菓子は文化
2009年6月13日
長女がよく江戸銘菓を貰って来る。
一昨日も、家に帰ると、新橋の「新正堂」の最中が、テーブルに置いてあった。
お酒を飲んだ後は、甘みをしっかりと味わえないので、翌日のお昼頃に食べた。

最中は2種類入っていた。
一つの名前は、「切腹最中」。
元禄十四年、かの有名な殿中、松の廊下の刃傷事件。
浅野内匠頭がお預けになったのが田村右京太夫邸。
その跡地に建っているのが、和菓子司「新正堂」。

そんな由縁から、「切腹最中」が考案されたらしい。
はちきれるほどに膨らんで、黒光りした小豆の餡が、最中に詰まっている。
袴の帯のように、切腹最中と印刷された、真っ白な和紙の帯をほどき、持てばずしりと重い。
だいたんに、ぱくりと噛むば、餡の上品な甘みが広がると同時に、
もっちりと、餡に包まれた滑らかで、つるりとしてなお、純白の艶めいたお餅が顔をだす。

切腹最中を愉しんだあと、もう一つの「景気上昇最中」へ。
世の中、景気の悪い昨今、景気上昇最中を食べて機運上昇↑。
最中は小判の形をして、少しこぶりで、決して大判ではない。
切腹最中ほどのボリューウムはないが、黒字を願い黒糖を使っているわりに、
餡は甘さ控えめで、さっぱりとして上品な味だった。

日本では、酒呑みは左党といって、辛口と相場は決まっている。
しかし、フランスでは、デザートに料理の神髄は、収斂するとも言われている。
私がかつて、大使館でフレンチのサービスをしていたころの話。
フレンチのフルコースの仕上げ、デザートのケーキをサービスする時、
外国人たちのケーキを選ぶ、真剣な眼差しを思い出す。

お茶席にも和菓子は欠かせない。
最近、若者にも、和菓子が人気になってきたという。
和菓子は日本の大切な伝統文化。

大いに和菓子を愉しみましょう。

陶然と、長い時の贈り物
2009年6月12日

店に入ると、何処からか、艶なる匂いが漂う。
灯りをともして、匂いに誘われながら進む。
懐かしい日本酒の古酒にも似た豊潤な熟成香。
その犯人は、花彫紹興酒だった。

黒塗りのテーブルに置かれた、花彫紹興酒の甕の底から、酒が滲んでいた。
割れているわけでもないのに、確かに漏れているのだ。
底を拭いて、またその位置に置いて、翌日。
やはり、同じように、部屋を匂いに染めながら、微かに漏れていた。

この酒は、17年くらい前だろうか、中国へ出張する人に、
中国本土から2本買ってきてもらったものだ。
その当時、甕に若い美貌の仙女を彫り込んだ、
花彫紹興酒は、日本で手に入らなくなっていた。
それから、長い歳月の熟成。
甕の中の紹興酒が叫んでいたのかもしれない。

この花彫紹興酒は、とてもお目出度いお酒なのだ。
待ちに待った女児が誕生した時、仕込むお酒だ。
女児が健康に成長し、やがて結婚をする。
その時まで、じっと熟成しておき、
その祝宴の時に、みんなで飲み交わすお酒なのだ。

そして、さらに、余った花彫紹興酒は、
嫁ぎ先に持参金として贈られたともいう。
婚礼の祝宴の日もままならぬ、日本での今。
甕の中のお酒が、涙ながらに叫んだのだ。
「今が一番おいしいの。これ以上時間がたてば、
日一日とお酒が美味しくなくなって行くわ。
だから、今、甕の蓋を開けて飲んでください」

そこで、甕の化粧された蓋を割る。
すると、甕の口には、茶色くお酒が染みだしたコルクが顔を出す。
オープンナーで、コルクが崩れないように、優しくゆっくりと引き揚げる。
コルクが甕口から開いた瞬間、紹興酒の匂いが立ち上る。

甕の中のお酒を茶漉しで漉すと、微かに澱が残る。
酒瓶に移された紹興酒は、濃褐色。
20年を越す眠りから醒まされたお酒は、
瓶の中で、どんよりとまどろんでいる。
グラスの中へ流し込む。

ゆらりゆらり揺らすと、空気に触れながら、
ゆったりと油のように流紋を描く。
辺りの空気は、紹興酒の妖艶な匂いに包まれる。
グラスを鼻先に近づけると、高雅な熟成香が深く広がる。
口に含むと、幾星霜、静かに生き続けた酒が、口の中に優雅に踊る。

つるし柿の甘やかな匂い。
杏の高貴な香り。
艶なる熟れた桃の華やぎ。
熟成されたたまり醤油のように、甘さが渾然と囁く。
長い長い眠りから醒めたお酒は、
飲むものに陶然とした時の贈り物をしてくれた。


今日の夕食は、「やよい軒・おまぜ定食」
2009年6月11日

きょうの夕飯は、近くの定食屋「やよい軒」へ行った。
チェーンの定食屋で、昔は「めしや丼」と言っていたが、
ある日突然「「やよい軒」に変わった。
ここのメニューに、最近、おまぜ定食が加わった。
たぶん、春から夏メニューの新顔だ。

注文すると、暫くして、お盆にのって運ばれて来た。
一人前にしては、少し大振りの丸皿には、
納豆、キハダマグロ三貫、イカの糸造り、オクラの小口切り、
昆布の透き通るほどの千切り、
真っ白な雲のような山いも、京風大根の古漬け、山葵。

まずは、納豆をほぐしながら、箸で混ぜる。
少し、粘りが出てきたところで、全体をよくかきまぜると、
丸皿の中が混ざり合い、泡立ちながら盛り上がる。
そこで、別盛りの卵の黄身を混ぜ溶かす。
色が少し淡い黄金色に変わったところで、
琥珀色のだし汁を加え、さらに混ぜ合わせる。

どうやら、この混ぜ混ぜを、どんぶりに盛られたご飯に、掛けるようなのだが。
私は丸皿にご飯を入れ、混ぜ合わせる。
そして、その中に、生醤油を少しだけ加え、さらに軽く混ぜ合わせる。
丸皿の中は、ねばねばご飯の饗宴状態で賑やかだ。
ご飯を箸で取り、口へ運ぶ。

マグロのピンクの肌を噛めば、ほっくりと上品な旨みが広がる。
納豆特有のにおいと、粘りに捲かれながら、糸造りのイカのさっぱりとした甘味。
そして、追いかけるように、オクラの青臭くもほろ苦い夏の味わい。
さらに、昆布と漬物が、こりこりと噛み味を楽しませてくれる。
やがて、後追いをするかのように、鼻孔から山葵の快香が漂う。
シマホッケの焼き物少々に、味噌汁つきで、790円でした。


元気な女性が象徴するものは?
2009年06月10日12:24
最近は何処へ出かけてみても、女性がとても元気だ。
若い人から、我々還暦過ぎの女性も、
さらにその上の世代の女性たちも、溌剌として躍動的。
それに比べると、男たちに頼りなさを感じるの私だけだろうか。
最近の言葉で、草食男に肉食女なんて表現もある。

もともと、男は環境が許せば、怠惰な性格で、ものぐさなのかもしれない。
寒い地方では必然的に、男が働かなくては生きいけない。
ところが、暖かく物も豊かな所では、男が働かなくても生きていける。
だから、暖かい気候の土地に住む男たちに、働きものは少ないような気がする。
日がなのんびりとした姿を想像して、羨ましいくらいだ。

女性は、どんな状況にあっても、子育てがあり、
一生懸命に子供たちのために、働かなくてはならない。
何時の時代も、男の陰には女性がおり、歴史を支えているのは女性なのだろう。
もともと、女性は外交的で、逞しい存在なのだとも言われる。
それは、外婚制度によるという説もある。

太古より、人類の婚姻形態の歴史を辿れば、
男は部族内に留まるが、女性は外の部族のもとへ嫁ぐ。
また、地球が危機的状況になると、女児の誕生率が高くなるそうだ。
女性が元気なのは、地球が危機に陥っている事の証明なのだろうか。

朝までの商売、久しぶりでもあり、楽しい思い出でもある。
2009年6月9日

先週の土曜日、K&M夫妻がやってきてくれた。
そして、TOEICの990ホルダーのNさんが、大きな荷物を持ってやってきた。
大好きなバリ島から帰国して、
明日、奥さんと子供が待つアメリカのボルダーへ帰国する。
NさんはTOEICの専門書の新刊が出ると、
私のもとへ届けてくれ、そして、目の前でサインをして贈呈してくれる。

ある日のこと、K&M夫妻が来店。
その時、何故かTOEIC話題になった。
M夫人もTOEICの試験を受けているという。
そこで、私は手元にあった、サイン入りの、
TOEICの本を、M夫人へプレゼントした。

そして、後日来店した折、M夫人の試験結果が40点アップしたと聞いた。
そんな経緯のあったNさんとM夫人は同席、話題に花が咲いた。
M夫人は大学で、教育心理学の研究をしているからなおさらのことであろう。

すると、偶然にも、Kさんの高校の弓道部の先輩、Tさんが来店した。
Tさんは関東大会の引率で、甲府まで出かけたのだが、
主力メンバーを欠いた今回は惨敗だった。
だが、今日はTさんの高校時代のクラス会。

何とか出席でき、仲間を連れてやってきてくれた。
そこで、またもや、高校の弓道部の後輩のKさんと、ばったりと出会わせたのだ。
そして、仲宿では一番の料理屋の若主人、Oさんがやってきた。
OさんとNさんは、偶然にも誕生日が一緒、以前、同席した時紹介した。

そんなこんなで、土曜日の一日。
気がついてみれば、朝の5時近く、空はすっかり明けていた。
還暦過ぎの我、最近は店を2時か3時で閉めている。
昔は、朝まで商売は当たり前だったのだが。

特に、夏場は日差しも強く、「暗いうちに帰ってきたいね」とよく言ったもの。
噺家さんや編集屋さんやら役者さんなど、時間に関係無い人が、
夜中の2時、3時など当たり前にやってきた。
久しぶりの朝帰りは、楽しくもあり、懐かしい思いでもある。

Nさんが14年か15年前だったろうか。
もっと遅い朝まで、大好きなモルトウイスキーをたくさん飲んで、
そのまま、TOEICの試験会場へ出かけた。
そして、日本人初の990点ホルダーの快挙を達成した。

座席を変えれば、小さな感動!
2009年06月08日

何時も乗る駅に着いた時、電車がやってきた。
今からでは間に合わないかとも思ったが、急いで切符を買った。
すでに、電車はホームに到着して、乗客が降りている。
私より先に切符を買った人は、改札を済まし、ホームへ走って行く。
無理かなと思ったが、改札をして、慌てるほどでもなく、ホームへ走った。

すでに、乗客が下車し、ホームで待ったいたお客様が乗り始めていた。
もうだめかとも思ったが、諦めずに走ったおかげで、電車に乗れた。
電車の中を、前に進む人について進むが、先に進む人の歩足が遅い。
面倒になって来たので、何時も座る位置よりは、かなり手前の座席に座った。

そして、何時ものことで、夕刊を読んでいた。
すると、途中の駅で、急行列車の通過待ちで、電車は停まった。
何気なく、新聞から目を離し、窓外を眺めた。
夕暮れも近い空は、どんよりと重く垂れこめていた。

あれ?、でも、何時もと景色が違う。
眼差しを右へ流せば、そこに、何時も目の前に広がる風景があった。
そうか、私の座る位置が違うので、正面に見える景色が違ったのだ。
たまには、違う座席に座るのも、小さな驚き、小さな感動があって愉しい。


泳げなくとも、海のなかでで遊べる?
2009年6月6日

ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんは泳げないそうだ。
だが、2000年、フィリピンのセブ島で、スキューバ・ダイビングを体験して以来、
海の素晴らしさに魅せられ、毎年一度は、海外の海に潜るという。

昔、私の店に来ていた女性もカナヅチだった。
でも、福岡に住んでいたころ、
玄界灘で、毎週のように、ウィンドサーフィーンを楽しんでいた。
かなり沖まで、風任せのセーリングは爽快だったという。

しかし、泳げないのに、海を潜り、
風に吹かれて沖までのセーリングは、怖くはないのだろうか。
装備さえ完全なら、まったく怖くはないそうだ。
そうは言っても、万が一、故障することだってあるだろう。

機械には絶対はないと考える小父さんには、とてもじゃないが真似は出来ない。
故障した時のことを考えたら、ぞくぞくと空恐ろしくなる。
やはり、最後に頼れるのは、自分の身体だと、愚直にも考えているからだろうか。

暇な時は自分に栄養
2009年6月4日
 このところ暇な日が続く。
新聞では、経済の底入れも近いと言うが、果たしてそうだろうか。
何はともあれ、早く経済が上向きに、復興してもらいたいものだ。

すでに鮎釣りも解禁し、天然の鮎も市場に出回っているが、販売量は伸びず、
市場では、前年の2割安。
高級魚の鮪も、前年比で2−3割も安くなっている。
やはり、経済不況のあおりを受け、消費者が高級魚を控えているのであろう。

我々の仕事は、世の中が明るくならなければ成立しない生業。
一日も早く、社会が活況を取り戻して貰いたい。
そこで、こんな時ほど、自分に栄養とばかりに、
パソコンのブラインドタッチに挑戦している。
やってみれば、これは意外にいけそうな気がする。
1ヶ月後が楽しみだ。

さらに、昔書いていた戯曲を書き始めた。
たぶん、2時間くらいの作品に仕上がるだろう。
昨日は2時間くらい書き上げた。
かなり筆も進み、科白もなかなかの出来栄えであった。
ところが、何を間違えたか、
フラッシュメモリーに保存するはずのデータが消えてしまった。

ゴミ箱に入れたのかなと、探しても見つからなかった。
しつこくいろいろとやってみたが無駄だった。
悔しいやら悲しいやら、PCとは所詮そういうもの。
そこで、絶対に失敗しない方法を考えた。
インターネットを使って、保存する事にした。
暇な時は急がず騒がず、
やるべきことを疎かにせず、泰然と構えて待つことであろう。


夕食はなくとも深夜の酒
2009年6月3日
一昨日の日曜は少し酒を飲みすぎた。
飲みすぎたといえ、昔に比べれば、たかがしれた量なのだが。
飲めなくなったということは、それだけ、身体に優しくなったということだ。

飲んだ量は、生ビールを中ジョッキで2杯。
赤ワインを250CC。
日本酒を2合、埼玉県行田の酒「桝川しぼりたて純米生」。
この酒はコストパフォーマンスがとても高い。
そして仕上げに、焼酎を2合くらいか。
いやいや、もう少し飲んだかもしれない。

翌日、少し酒が残っていた。
だが、何時も通り、朝刊を読み、体操をする。
すると、ママが醤油ラーメンを作ってくれた。
細麺のあっさり味だった。
時間は2時。

毎日、夕食は5時ころ。
中途半端な昼食になったので、あまり食欲もなく、夕飯はなしにした。
人間、たまに食事を抜いてみても大した事もない。
以前、2日ほど絶食した時に感じたことだ。
食事は無理をしてまでする必要はないと悟った。

食べる時は、美味しい美味しいと思いながら、
ありがとうありがとうと感謝しながら食べるに限る。
そして、1日の仕事が終わる頃、
スコッチのシングルモルト・ロイヤルロッホナガー12年をワンショット。
エビスビールの中瓶を2本を飲む。
そして、家に帰り、本日いただいたばかりの大振りの馬上杯で、
一昨日の残りの日本酒を2合飲む。
夕飯はなくとも、深夜の美酒に酔いしれた愉しい1日だった。



長野県白骨温泉を訪ねて
2009年6月2日

梅雨と梅酒
2009年6月1日
例年のこと、5月の末ともなれば、毎日、雨の日が続く。
それにしても、このところ、雨の日が続いた。
やっとの事で、おひる頃から、久しぶりに晴れ空が広がった。

今月の11日頃になれば、本格的に梅雨入りとなる。
各地に梅雨入り宣言がなされる。
青梅が熟する頃の雨だから「梅雨」、黴が発生する季節の雨「黴雨(ばいう)」にかけたとも。
また、毎日にように降ることから、毎に木と毎を合わせて洒落たとも言われている。

青梅もお店に並び始められた。
去年、お客様が漬けたコニャックの梅酒は、とても美味しかった。
日本の懐かしい梅の香り、フランスの華、コニャックの高貴な香りが、馥郁と匂い漂う。

今年もまた新しいお酒で漬けるから、愉しみにしていたくださいとのことだった。
はたして今年は、どんなお酒で造るのだろうか。
来年届く、1年醸した梅酒を、愉しみに待っていよう。


2009.05 2009.04 2009.03 2009.02 2009.01
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