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February.2012.2
雪の一日 2012年02月29日 昨日の深夜2時頃、外へ出ると雪が降っていた。 針の先ほどに小さな雪は、霰と見間違うほどに硬く冷たい。 だが、それは確かに雪で、顔に触れると冷やりとする。 先ほどまでの凍える様な寒さ、雪が降るのも納得する。 空は玄く垂れ込め光り無く、降り落ちる雪が、街灯の明かりに、きらきらと幻想的に煌めく。 3時頃、お客さまも退け、車で帰路につく。 フロントガラスに、雪が弾け散り、万華鏡のような文様を描く。 すでに歩道は雪化粧を見せている。 行き交う車のヘッドライトが、白く煙り始め、朦朧とした外気を照り返している。 車以外に人影は無く、街灯だけが鈍く灯っていた。 家の近くの駐車場は、すでに雪がうっすらと積もっている。 早暁も間近、雪明かりの仄かな灯りが、静寂をさらに深めていた。 果たして、雪は何時まで降り続くのであろうか・・・・・・。 昨日の酒も残る翌日の朝、窓から外を眺めれば、一面は白銀の世界。 綿のような牡丹雪が、空を覆うように、戯れるように降り落ちていた。 前の家の屋根は、すでに厚く雪が積もっている。 梅の花も咲き始め、初雷も轟く啓蟄も近い時節なのに、どうやら大雪の様相をていしている。 これでは今日は、店は閉店せざる得ないかなと心配になる。 だが幸いに、昼過ぎになると、雪は少し小降りになり、時には雨交じりになった。 風呂に入り、気持ちも新たに、午後3時半頃家を出る。 久しぶりの雪道、雪景色を愉しみながら、駅まで歩いた。 |
猫的な生活は素敵 2012年02月25日 すでに、24節気の雨水も過ぎた。 言葉が示すように、雪や氷が溶け出して、水に変わる季節だが、まだまだ寒さは厳しく、衣をさ更に重ねる衣更着(きさらぎ)の月でもある。 だが日は少しずつ長くなり、三寒四温、例年に比べて、遅い春の足音も聞こえ始めている。 やがては草木の芽吹きも待ち遠しく、春めく穏やかな日に誘われて、日々、木々は春の日へ蘇る木更月(きさらつき)。 昼近く、窓から差し込む陽だまりに温もりながら、布団の中での読書は愉しい。 昔ならば、小説を読むことは、ストーリーの愉しさや展開に、気持ちが躍ったものである。 だが、最近の私の読書は、内容もさることながら、作家特有の文章や表現の仕方を愉しむ。 それぞれの作家が描き出す風景の描写や、心理の綾の見事な表現に感銘を覚える。 まさに、作家にとって、文体が作家の血となり肉となった思想である。 それ故、本を読むスピードは、昔とは比較にならないほどに遅くなる。 さらに、文体を愉しむには、集中力が必要になる。 だから、疲れるとすぐに本を置き、布団にもぐりながら、ラジオから流れる音楽を聴く。 そしてまた、降り注ぐ陽光を浴びながら、本を読み始める。 昔ならば、本は集中力を持って、一気に読むものと思い込んでいた。 だが、本を読むのには、それぞれに愉しい読み方があることを認識した。 例え、細切れであっても、ゆっくりと作家の文章と表現を愉しみ、飽きたら無理をせずに本を置く。 そして、気が向いたら、また読み始める。 読書だけでなく、何事も無理をせず、愉しみながら、今日一日、済ませなくてはならないことをこなす。 毎日、私は自己流の独特な体操をしている。 その体操は、連続して行えば、40分位は掛かるであろう。 だが、体操は纏めて行わず、細切れで空いている時間に、済ますことにしている。 今日一日の内に、消化すればよいのであり、出来なければ、無理をしてするほどのことでもない。 毎日、纏めて体操をやらねばならぬと、考えただけでぞっとする。 健康のためにしていることで、やらねばならぬと言う、自己規制は本末転倒である。 それではかえって、心にストレスを抱える。 運動には心地よい緊張と負荷があればよいのであり、健康中毒になっては意味がない。 何事も心地よく、している行為を愉しみながら出来るのは、やはり年齢のなせる技かもしれない。 猫を見てると感心することがある。 愛猫を主人が呼んでも、まったくの無視。 後ろを向いたままで、振り向きもしない。 お腹がすけば、主人に身体を擦り寄せながら、食事をねだる。 お腹が一杯になれば、暖房のきいた暖かい場所で、またすやすやと居眠りをする。 食事にしても、全部は食べず、時折、思い出したように、のそのそと起き上がり、また食べ始める。 何時も自分の思いのまま、気の向くままに、主人に媚を売ることもなく、勝手気儘に生きている。 猫のような生活は、現代社会に生きる、働き盛りの生活人には、不可能なことであろう。 だが、猫のような、一見、怠惰に見える生き方こそ、現代社会が必要としているのかもしれない。 還暦過ぎの今ある生活、出来うる限り、自分流にのんびりと、生活を愉しんでいたいものだ。 |
愉快な仲間たちを更新 2012年02月24日 「アスカちゃんと仲間たち」 |
愉快な仲間たちを更新 2012年02月22日 「Mさん、8年ぶりの来店」 |
三島由紀夫のカクテル説 2012年02月21日 三島由紀夫「魔群の通過(1958)」で、銀座のバーテンダーが登場する。 三島由紀夫は、バァテンダァと表現する響きに、氏が抱くバーテンダーに対する、心地よい余韻を感じる。 その作品の中で、蒼白い小男が、吃りながら、たどたどしく、カクテルの講釈を始める。 「十八世紀中葉の一書誌の著者が云う。 その処方は著者がヨンカーズ町のコックステール・タバーンなる居酒屋の美しい女将ペギー・バン・エイクよりの直伝の秘法であって、 彼女はさる年の某月この調合法をば、許婚なる船長アプルトンのために調整し、 その酒の勢で、彼女の父親の不機嫌に圧倒されないように元気を附けたのだった。 すると彼女の大好きな闘鶏があたかも重大事件を寿ぐかの如く、声高く鶏鳴をつくり、思い切り羽博いたので、 彼の素晴らしい尾羽が一本ヒラヒラと舞い降りてこの美しい娘(今はコックステール・タバーンが女将)の前へ落ちた。 その羽を拾って、彼女はグラスの中を攪きまわした。かくしてこの飲み物がカクテルと命名され、爾来その名で呼ばれるようになったのである。」 三島由紀夫「魔群の通過(1958)」より 私にとっては、今まで読んだことのないカクテル説。 インターネットを駆使して調べてみたが、原典は今だ分からず。 資料を精確に渉猟する氏のことであるから、きっと何処かに、その原典はあるはず。 暇な時に、「十八世紀中葉の一書誌の著者」を探す、遊び心の旅をするのも愉しいもの。 |
小さな旅を更新 2012年02月17日 「早春の熱海を訪ねて」 |
ナムコでコナミ、以心伝心 2012年02月14日 私たち夫婦の最近の会話では、よくあるお話。 話の最中に、名前が出てこずに、アレ、ソレ、ホラが非常に多くなった。 固有名詞がなかなか出てこないのだ。 だが、2人の間では、その話題のモノは見えているのだ。 だから、話自体は成立しているのだが、名前を思い出し、発音できないのが、誠にもってどかしい。 そこでさらに、言葉が連なる。 「だからさ、アレさ、分かるでしょ?」 「そうなのよね、ソレ!」 やがて、気持ちが少しイラッ! イラッ! 名前が出ないだけなのだから、話を先に進めればよいものを・・・・・・。 ところが、そうは簡単に、問屋がおろしてくれない。 「だからさ、アレなの! 分かるでしょ!」と気持ちが昂る。 やがて、イライラから、無言の溜息が洩れる。 まったく、俺たちも歳には勝てねーなッ・・・・・・。 ところが不思議なもので、諦めの心境になった時、突如として、2人は名前を思い出す! 顔を見合わせ、答えの合唱である。 心の霧が一変に晴れる! そして、気持ちよく、話は軽快に進展し始める。 先日もお客様と話している時、スポーツ・インストラクターの話になった。 ところが、またもや、スポーツクラブの名前が出てこない。 出ない時は、さながら、イメージ戦略。 「あのさ、大山にもあるスポーツクラブの名前なんだけどね。感じとして、ナムコみたいな・・・・・」 すると、お客様は即座に答えた。 「マスター、それコナミでしょ」 「あたり! よく分かったね」 私は感心した。 分かる人には、でたらめなイメージでも分かるのだ。 その時、ママは呆れ顔で感心していた。 ナムコでコナミとは、それにしても凄い! 人の心は以心伝心、分かる人には分かる。 |
小さな旅を更新 秩父夜祭を訪ねて 2012.2.10 |
日一日、春の色の青は強く 2012年2月7日 昨日は生憎の天気だったが、今日は暖かい風が吹くと、お客様が言っていた。 だが、予想に反して、小雨混じりの肌寒い一日だった。 それでも昼過ぎには、雨もやみ、どんよりした重い雲が垂れ込めていた。 少し前までは、午後5時と言えば、すでに日も落ち、夕靄に包まれていたもの。 季節とは正直なもので、最近は午後6時近くになって黄昏となる。 日が長くなると、気持ちも緩み、なんとなく背筋もきりりとたつようで、気分も華やいでくる。 やはり春は少しずつ、近づいてきているのであろう。 やがては、だんだんと日射しも強くなり、草花も芽を吹く季節がやって来る。 空は青く澄み渡り、玄い季節の冬に別れを告げる。 青を象徴する東からは、柔らかな日差しが、春をもたらす。 季節はまさに青春である。 人間にも辛く苦しい玄冬の季節もある。 厳しくも辛い季節がるからこそ、待ちわびた青春の季節が鮮やかに蘇る。 そして躍動的な朱夏もやって来る。 はたさて、振り返ってみれば、私もそれなりに、人生の季節を、乗り切ってきたようだ。 |
袋田の滝も全面凍結、今年は厳寒! 2012年2月3日 毎日、寒い日が続く。 人と会えば、挨拶は「寒いですね」の一言。 それ程に、今年の寒さは痺れる! 店を閉める深夜、人通りもなく、街は暗くどんよりと冷気に沈んでいる。 空は玄く垂れ込め、下弦の月も灰色が滲み、何処か異様で、不気味さを漂わせる。 日本海側に面する地方では、毎日が想像を絶する豪雪。 山間部では、1日で3メートル近くも積もるのであるから、すでにそれは災害でさえある。 茨城県大子町にある、日本三名曝の一つ、袋田の滝も、今月に入るや、6年ぶりに全面凍結した。 4段に折れ続く、高さ120メートル、幅73メートルの滝の巨大な氷塊は、観るも壮観であろう。 富士山も冠雪し、澄みきった空に、美麗な姿を晒しているのが想像できる。 だが、今年は富士山の麓の町、山梨県甲府地方にも、地震が頻発している。 さらに、富士山からの流れ出す湧水が、異常に多いとも聞く。 やはり巷間で騒がれているように、日本列島に異常が、発生しているのであろうか。 東京にも近いうちに、間違いなく、直下型地震が起こると、信憑性を持って報道され始めた。 去年起こった3月11日の地震の怖さを思えば、さらに激しい地震を想起するだけで恐ろしい。 今日は節分、明日からは、暦の上では立春である。 今では、節分の鬼祓いの豆まきは薄れ、恵方巻きに席を譲る。 益々季節の節目が、鮮やかな色彩を弱めていく。 |
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