思い出のサミュエル・アダムス&イザラ
2020年3月28日

先週の土曜日、深夜12時を過ぎたころ。
店に電話が入った。
電話は静岡に住む、古屋さんだった。

下赤塚から、車で行きたいので、いいですかとの、確認だった。
私たちは明日、墓参りに行くので、あまり時間が無いですよと。
すると、いっぱいでもいですから、よろしくと言って、20分後に来店した。

古屋さんとは、5年ぶりくらいの、再会であろうか。
彼は生まれも育ちも、板橋区大山である。
その後、アメリカの高校を卒業し、日本へ戻って来た。

そして数年たち、私の店に顔を出した。
すでに20年くらい経つであろうか。
そのころは独身で、現在は2人の子供さんがいる。

今日は成増で、かつてスナックを経営したときの、女性のお客様と同伴だった。
私は古屋さんが、何時も最初に飲む、サミュエル・アダムス・ボストンラガーを用意した。
カウンターに、サミュエル・アダムス専用のグラスを、コースターの上にのせ、来店を待った。

来店して古屋さんが、カウンターに座る。
私は、「何時ものサミュエル・アダムスですね?」
古屋さんは、笑顔で、コクリと頷く。

同伴の女性が、「凄い! 久し振りでも、憶えてくれてる」
古屋さんが、最初に来店したとき、ビールの話になった。
そのとき、サミュエル・アダムスを、紹介した。

サミュエル・アダムスは、アメリカを代表する、マイクロ・ブリュワリー。
村上春樹もエッセーで、アメリカのエクゼクティブが、飲むビールであると、推奨している。
私の店でも、このビールを、欠かすことはない。

私の店のお客様で、アメリカの学会に、出席したお医者さんたちが、憶えてくるビールでもある。
「マスター、アメリカの学会へ行ったとき飲んだ、あのビールありますか。名前は忘れましたが」
私はさりげなく、「これですね」と言って、出してあげる。

そのときから、そのお医者さんは、かならず、サミュエル・アダムスをオーダーする。
古屋さんの同伴の女性は、かなりの酒豪だ。
お酒なら、何でもOKらしい。

そこで、私はハイランドのシングルモルト、ロイヤル・ロッホナガー12年を、ストレートで出す。
30歳の女性は、磊落で明るい性格だ。
店のなかに、陽気な空気が流れる。

古屋さんは、本格派のモスコミュールを注文し、懐かしそうに飲んでいる。
そして彼女に、スペインのバスクの銘酒・IZARRA・JAUNE(イザラ・ジョーヌ)を勧めた。
その酒も、かつて、私が古屋さんにすすめた、黄金に輝くリキュールである。

古屋さんは、アーネスト・ヘミングウェイのファンだった。
そこで私は、バスク地方の薬剤師である、ジョセフ・グラトー(Joseph Grattau)が、1835年に開発し発売した、イザラを紹介した。
この酒は、現在もスペインから独立を主張し、独立運動激しい、バスク地方のバイヨンヌで生産されている。

スペイン内戦で、フランコ独裁政権に、勇敢な戦いを挑むバスク戦士に、ヘミングウェイは共振する
そしてヘミングウェイは、スペイン内戦(1936年7月ー39年3月)で、人民戦線政府を支援する、国際義勇兵に志願した。
そのとき、こよなく愛した酒が、バスク語で星を意味する、イザラである。

古屋さんは、現在、静岡県富士市に住んでいる。
自然を愛する彼は、富士山の雄大な景色と、自然に抱かれ、幸せそうである。
静岡に永住する、決意のようである。