Today's Comment
MAY 2009.05


梅雨と梅酒
例年のこと、5月の末ともなれば、毎日、雨の日が続く。
それにしても、このところ、雨の日が続いた。
やっとの事で、おひる頃から、久しぶりに晴れ空が広がった。

今月の11日頃になれば、本格的に梅雨入りとなる。
各地に梅雨入り宣言がなされる。
青梅が熟する頃の雨だから「梅雨」、黴が発生する季節の雨「黴雨(ばいう)」にかけたとも。
また、毎日にように降ることから、毎に木と毎を合わせて洒落たとも言われている。

青梅もお店に並び始められた。
去年、お客様が漬けたコニャックの梅酒は、とても美味しかった。
日本の懐かしい梅の香り、フランスの華、コニャックの高貴な香りが、馥郁と匂い漂う。

今年もまた新しいお酒で漬けるから、愉しみにしていたくださいとのことだった。
はたして今年は、どんなお酒で造るのだろうか。
来年届く、1年醸した梅酒を、愉しみに待っていよう。


小さな旅&日記「長野県松本城を訪ねて」を更新
2009年5月30日

スターアニスとアニスのリキュール、そして、インフルエンザ治療薬
2009年5月28日
メキシコで発生した豚インフルエンザが、
世界的な大流行(パンでミック)の恐怖を引き起こしはじめている。
その対処薬のタミフルの不足は、深刻な問題になってきた。
このインフルエンザ治療薬の原料がスターアニス、またの名を中国料理でお馴染みの八角。
しかし、この植物は亜熱帯性の気候でしか育たない。
だから、中国南部、ベトナム北部、南部インドなどでしか栽培できない。

この八角を乾燥させ、成分のトウキシミ酸を原料にして、10の化学反応を経て生産される。
だが、八角の量は限定されているので、すぐに価格は暴騰する。
では、八角を使う料理を食べればよいのかと言えば、そうではないらしい。
度重なる化学反応の後に抽出された、貴重な精油にして初めて治療薬になりえる。

世界中には、アニスを使ったリキュールはたくさんある。
(フランス)ペルノー、リカールなどのパスティス。
1915年、全世界で禁止されたアブサンに、
似せて作る「 se pastiser(似せる)」から命名されたお酒だ。
そして、他には(ギリシャ)ウゾーや(トルコ)ラキなが存在する。

この酒に共通するのは、水分が含まれると薄黄緑の不透明になったり、
灰色を帯びて白濁したり、乳白色に変化する。
この現象は、水分が加わると、アルコールに溶けているオイル成分が分離。
それが膜を作り、乱反射するからといわれる。
何所か歯磨き粉の味がする、妖しい匂いが漂う不思議な酒だ。
八角料理でさえ、効き目はほとんどないに等しいというのだから、
アニスのリキュールも効くわけはないだろう。

我が町、大山も物騒になった!
2009年5月27日
昨日の午後7時頃、店に2人の男が現れた。
2人は体も大きくがっちりしていた。
玄関越しに、「お客様がいるので済みませんが、警察です。昨日の事でちょいとお話が」
「弥生町の事件ですね。どうぞ、中へ」
すると、写真を2枚、カウンターの上へ。

「見覚えはないですか?」
「ないですね」
「何か噂でも聞いた事は?」
「ありませんね」
「そうですか」
すると、手帳を出した。
その手帳には、小さい字で、びっしりと何か書き込まれていた。

そして、手帳には、何故か私の店の名前と住所が書き込まれていた。
「お名前を教えて貰いたいのですが」
「○村です」
「済みません、フルネームでお願いします」
「○村○アキ。名前は○メイと書きます」
「済みません、ここに書いて貰えませんか」
そこで、私は、自分の店の名前と住所が書かれた下に、自分で書き込んだ。

「生年月日を教えて下さい」
「昭和22年8月13日」
「お店は何時から何時までですか」
結構、私は鬱陶しくなりましたが、「6時から2時か3時位ですね」
「2時か3時、どちらですか?」
ますますうざったくなったのだが、「お客様がいれば、3時位までやります」
「それでは、3時にしておきましょう」
もう、勝手にしてくれって感じになりました。
それにしても、何なんでしょうね。
人の生年月日まで訊いて。
あとで、私の身上調査でもするのですかね。

しかし、最近、我が町大山も物騒になった。
ストーカーによる殺人事件、アパート立てこもり事件、児童誘拐事件。
全て、私の店から、数百メートルの距離です。
私が店を出す少し前まで、大山にはたくさんのヤクザガいた。
そして、東上線の線路を挟んで、どんぱちの抗争も度々あったという。
だが、民間人を巻き込んだ殺人事件など皆無だったはず。

最近の街のコーヒー店事情
2009年5月26日

最近、街のコーヒー事情にも、変化が出てきたようだ。
スターバックスやドトールなどのコーヒー店の売り上げが、3−4割落ちている。
その分、マクドナルドなどのファーストフード店が、売り上げを伸ばしているようだ。
味の評価に対しては、「良い」と「変わらない」と答えた人が、半数以上に上ったという。

ならば、当然、店の雰囲気や店員のサービスに、それほど遜色がなければ、
低価格の方へ流れるのは、自明の理かもしれない。
確かに、最近は、居酒屋やファミリーレストランのコーヒーでさえ、以前とは格段の差がある。

昔は、銀座のレストランでさえ、ランチタイムなどは、大量に落としたコーヒーを、小鍋で温めて出していた。
コーヒーの味で勝負しているような喫茶店でさえ、同じような方法で、提供していたところもあった。
さすがに、サイフォンやペーパーフィルターが出てきてからは、そんな喫茶店は消えて行った。

3本脚の櫓を立てて、ネルドリップを掛けて、クリップで留める。
たっぷりと盛り上げたコーヒーの粉に、沸騰したお湯を少し冷まして、ゆっくりと、約50人前落とす。
そして、その黒光りした上澄みのコーヒーを掬う。
大量に落とした最初の1杯は、仕事前の至福の時だった。
でも、そんなコーヒーは、今は昔の話だろう。

「モカコーヒーが、日本市場から消える?」を更新
2009年5月25日


62歳、韓国とアメリカ
2009年5月24日
昨日、前韓国大統領盧武鉉氏(ノ・ムヒョン)が、
韓国南部・金海市の自宅近くの裏山で転落死した。
パソコンには遺書が残されていたそうだ。
だが、他殺か自殺か事故死か、真相究明が待たれる。

同じ日、アメリカのNASA。
オバマ大統領は、航空宇宙局長に、チャールズ・ボールディング氏を指名した。
上院の承認が得られれば、NASA初の黒人局長が誕生する。
チャールズ・ボールディング氏は海兵隊出身。
ベトナム戦争にもパイロットとして従軍した経験を持つ。
かつて、スペースシャトルにも、4回搭乗し、船長も2回務めた。

奇しくも、盧武鉉氏とチャールズ・ボールディング氏は62歳。
同じ日に、韓国とアメリカで、悲しみと喜びが交錯する。
私も、今年の8月で62歳になる。
出来るならば、喜びの62歳を迎えたい。
身体が健康であれば、まだまだ、創造的に生きることができるであろう。

小さな旅&日記「長野県松本市旧開智学校」を更新
2009年5月23日



オランダの初ニシンとジュネバ
2009年5月22日

目に青葉は日本では初鰹の季節。
オランダでは、5月下旬に、初ニシンが水揚げされる。
そして、最初の1匹は王室に献上。
これが「お召し上がりの儀」という。
この伝統は18世紀初頭から、連綿と伝わるという。

では、2匹めはどうするのかと言えば、高値で取引される。
そして、3匹目からは、普通に市場に出回るが、
やはり高いに相場は決まっている。

日本でもやはり、初物は珍重される。
江戸時代の文久9年(1812)3月25日、
当時は日本橋にあった魚河岸に、初鰹が17本上がった。
6本は将軍家へ。
3本は浅草の料亭八百善が2両1分で買い、8本は魚屋が仕入、
1本は中村歌右衛門が、3両で買ったという記録がある。

かつて、北海道の夕張メロンが、札幌中央卸売市場の初セリで、
2玉200万円まで暴騰したことがある。
さすがに不景気風も強い今年、平年並みの2玉50万円で落ち着いた。
やはり初物、何処でも高根の花なのだろう。
オランダでも、生ニシン「ホーランセ・ニュー」を、
オランダ特産の「ジェニーヴァ(ジュネバジン)」の肴に、
各地の高級ホテルなどで、パーティーが繰り広げえられるという。

ニシンはオランダ語で「ハーリング」
7世紀ころから食用にされていたが、塩漬けの保存食だった。
だが、最近はジュネバの友として、血抜きの後、
海水で洗っただけのニシンを、好んで食べるようになった。
特に、この時期のニシンは、塩味と臭いが強いらしい。
食べ方はいたってシンプル。
頭とはらわたとを取ったニシンの尻尾を、
手で掴んで、そのまま口の中へ流し込むのだそうだ。

ジュネバは、オランダはライデン大学の医学部教授シルビウスが、
熱病の特効薬として開発したものだ。
当時オランダは、東インド会社を16002年に設立、
インドネシアにアジアの本拠地を置き交易をした。
しかし、熱帯のインドネシアには、
特有の風土病があり、その一つ、熱病に苦しめられた。

その特効薬の研究過程に、利尿作用のあるジュニパーべリーを加え、
蒸留した酒が、オランダのジュネバだった。
それを商品化して、莫大な利益をあげたのが、現代もオランダの巨大企業であり、
現存する世界最古の蒸留会社・ボルス社である。
ジンの発祥地、オランダはロッテルダム郊外のスキーダムで、1575年に創業した。

独り酒は身体に悪い?
2009年5月21日
厚生労働省研究班が、21日に発表。
例え、適量でも独りでお酒を飲む人は、家族や友人など、社会的な交流の多い男性に比べて、
飲酒による、脳卒中のリスクが高くなると、調査結果を発表した。

では、そのお酒の適量と言えば、日本酒なら、1日で2合。
ビールなら、大瓶2本程度。
とってもじゃないが、私には無理な適量だ。

適量であるならば、お酒には、血液が固まるのを防ぎ、血流を良くし、
循環器疾患のリスクを、下げる効果があるという。
だが、飲みすぎれば、血圧を上げ、脳梗塞などのリスクを、一段と高めることになる。

私は身体に関しては、まったく健康そのもの。
だが、若干、血圧が高い。
これ以上高くなれば、薬を飲んだ方が良いと、お医者さんに言われている。
でも、薬飲まず、医者いらずの頑固者としては、なんとしても、薬は飲みたくない。

毎日の適量の酒は難しい。
そこで、自分への妥協案として、深酒をなるべく、慎むようにしている。
アルコール性肝障害になったあたりから、だいぶ、飲酒の量は減った。
きっと、還暦過ぎという歳のせいも、あるのかもしれない。
でも、幸いなことに、独り酒ではなく、
何時も社会的な交流の場?で、飲むことが多いのはありがたい。

丸刈りとチョウハツ
2009年5月20日
先日、噺家さんがやって来た。
最近、時間がる時、裁判の傍聴に行っているそうだ。
傍聴するには、抽選で当たらなければいけないのだが、
ほとんど、無抽選状態で傍聴できるそうだ。

「マスター、被告はほとんどが再犯ですね。たまに、初犯というのもいますが」
「凄惨なやつなんてのも、たまにはあるの?」
「この前のがそうでしたね。見た感じは優男で、そんな風には見えなかったのですけど。
でも、ほとんどが、チンピラヤクザの麻薬や覚せい剤ですね。そして、被告の頭は、
私の頭みたいに、綺麗な丸刈りなんですよ」

そこで、私は言った。
「それはそうだろうね。丸刈りでなく、頭の毛を長く伸ばしていたら、裁判官の心証が良くないですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「でしょ。それは裁判への、チョウハツコウイですから」
「マスター、それ、使わしてもらいます。マスター達、団塊の世代には、そういう単純なやつ、受けるんです

挨拶と文化
2009年5月19日
私と同世代の仏文学者が書いていた。
フランスのスーパーで買い物をすると、ついうっかり、無言でレジの前に立ってしまう。
すると、レジ係の店員が、こちらがわに、挨拶を強要すように、
少し強い口調で、「ボンジュール」と言う。
そこで、ここはフランスなのだと、はたと気がつくそうだ。

日本も昔は、何処でも挨拶が当たり前であった。
到る所に、挨拶ありきの日常だった。
最近は、近くで店をオープンしても、挨拶に来る人さえ滅多にない。
挨拶に来ないのはまだ良いとしても、外であっても、挨拶も笑顔もないのには呆れる。
それが、お客様商売の○○産屋だから、開いた口も塞がらない。

やはり、人間活動の基本は挨拶だろう。
挨拶のできない人に、商売はできないと思っている。
さらに、一流の経済人になった人も、いないと断言できる。
はたして、自分自身が、どれほどの挨拶力を持っているかは置いておくとしても。

先月は渋温泉に行ってきた。
九つの外湯巡りは、苦しかったが愉しかった。
外湯に入る時には、「こんにちは」と挨拶をする。
すると、どこともなく、同じように、「こんにちは」の挨拶。

そして、湯に浸かりながら、四方山話が始まる。
それは、同じ旅人であったり、地元の人だったりする。
見知らぬ人との挨拶と会話は、人を癒してくれる。
やはり、挨拶は大切な文化だと思う。

小さな旅&日記を更新・2009年5月14
「我がルーツ、椎名町探訪」


25年の偶然!
2009年5月9日
朝刊を読んでいたら、ハーゲンダッツの広告。
5月9日は、アイスクリームの日と書いてあった。
一体誰が決めたのか?
そして、ハーゲンダッツが、日本へ進出して、25年とも書いてあった。
そうなのか、私のバーをオープンした時と、同じだったのだ。

先日、秩父へ行った時、秩父神社の祭り会館の前を通った。
すると、祭り会館の前の掲示板に、ポスターが貼ってあった。
そこには、祭り会館がオープンして、25年と書いてあった。

私の店も、振り返ってみれば25年、よくやってきたものだ。
25年のたんなる偶然。
だが、その数字には、何か数字の魔力が潜んでいるような気がする。
もちろん、その魔力は、明日に力を与えてくれる、霊力にちがいがない。

小さな旅&日記を更新・2009年5月8日
「栃木県足利フラワーパークを訪ねて」


ゴールデンウィークの短い1日
2009年5月5日
今週の日曜日は秩父に出かけた。
1年の内、秩父には5回位は出かけるだろうか。
季節季節の秩父には、それぞれに、自然が満載で愉しい。
少し遅い桜の季節も過ぎ、山々は緑に燃え上がり、
街道には、色とりどりの花々が咲きそろう。

長閑な山里の風は、若緑の木々の葉の匂いを乗せて吹き渡る。
花々は、右に左に揺れながら、春が仄かに匂い立つ。
さわさわ揺れる木々の葉裏の葉脈が、陽光に照らされ、鮮やかに透ける。
小さな川辺の竹藪の緑が、微風にさわーさわーっとそよぎ、遠くの山で鶯が啼く。
ゴールデンウィークの短い一日、秩父は初夏を迎えようとしていた。

私の1日の始まり
2009年5月2日
私の朝はゆっくりだ。
目を覚ませば、蒲団の中で朝刊を読みだす。
時間はすでに、昼に近い10時か11時ころ。
寝るのがだいたい、早朝の4時過ぎだから、睡眠時間の計算は合う。

そして、やわら、ラジオのスイッチを入れる。
FEN放送だ。
昔なら、さしずめ駐留軍放送。
東京の府中にも、大きな基地があった時代だ。
私たちの学生時代は、学園紛争とベトナム戦争。

米帝粉砕!と叫びながらも、アメリカの文化に憧れていた。
そのアメリカは、毎日、極東放送から、音楽とともに流れて来た。
今でも、途切れることもなく、アメリカの音楽が流れ続けている。
とくに、1960年くらいから、80年くらいのベスト20やら、
30やらの特集をしてくれるから嬉しい。
アップテンポのポップス、身体の血流が躍り始める。

やがて、新聞を読み終わると、読みかけのデジカメの本を読む。
写真を撮り始めると、もっともっと良い写真を撮りたくなる。
そして、気が向いた時、頭の上に置いてある、本のページをめくるのだ。
何故か、蒲団に寝転がりながらの勉強は頭に入る。
少し、頭が疲れれば、本を置いて瞑目する。

ラジオの音がクリアーに身体に沁みる。
そこで、お腹の上に、右手を下に、その上に左手を重ねる。
お臍の下2センチ程にある「気海」と、
その下にある「丹田」の上に、掌のへこんだ「手心」をあてる。
すると、お腹の中が、ごぼごぼと沸き立つように、鼓動するように動き始める。
やがて、身体に力が漲り、さてさて起きるとするかと、気持ちが湧き立つ。

そして、毎日の日課の体操も終わり、私の1日が始まる。
私の商売柄、昼と夜とが逆さの生活。
人間の生理に逆らった生活だ。
毎日毎日、ゆったりとした気持ち、健康な体操は必須条件だろう。

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