March 2009.3
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小さな旅&日記
「静岡・浅間神社を訪ねて」を更新

2009年3月31日

百歳過ぎのお年寄りは神々しい!
2009年3月28日
NHKに「百歳ばんざい」という番組がある。
時々見ることがある。
百歳をを越した、元気なお爺ちゃんお婆ちゃんが登場する。
さすがに、長生きする人の顔は晴れ晴れ。
そして、深く刻まれた顔には、神々しささえ漂う。
元気なお年寄りは、それだけでも、神の領域に近づくのだろう。

ブレンデッド・ウイスキーで有名なオールド・パー爺さんも、
長生きをしたことで、ヨーロッパでは、超のつく有名人だった。
ウイスキーのラベルの肖像画も、「夜警」を描いたルーベンスの作品。

ヴァン・ダイクも、肖像画を描いたという。
1635年、152歳で死亡。
いまでも、王侯貴族や大作家が眠る、
ウエストミンスター寺院に葬られている。

百歳を超えたお年寄りに、共通しているのは、
小さなことに拘らず、悠々自適であること。
そして、それなりに、自分に合った、食事と体操と、規律を持った生活をしている。
さらに、一番大事なことは、現役で仕事をしていることだ。
やはり、現実世界に、自分の立ち位置が、しっかりしているからだろう。

天気は気まぐれ!
2009年3月27日
午後の3時半ころ、埼玉の戸田方面へ出かけた。
すると、荒川に掛る笹目橋を渡るとき、雨がぽつぽつと降ってきた。
ママの悲しげな声。
「洗濯物を入れて来ればよかった」
進むに従い、雨足もだんだんと強くなって来た。

買い物を済まし、東京へ戻る。
まだ雨は降り続いていた。
そして、埼玉と東京を跨ぐ、先ほど渡った笹目橋を通り、東京へ。
すると、驚くなかれ、雨はまだ降っていなかった。
ほんの僅かな距離。
お天気とは不思議なもの。

今週の日曜日、静岡県三保の松原へ出かけた。
生憎の雨、一日中降りやまなかった。
翌日の月曜日は曇りで、時たま、太陽が顔を出し、青空も広がる。
しかし、雲ひとつない快晴とは言えず、秀麗な富士の名所、日本平は諦めることにした。
そして、三保の松原を散歩して、ゆっくりと、東海道を北上することにした。

何時も東名高速で帰京するので、国道1号線を上るのは愉しい。
街道筋には昔ながらの風情が残り、街並にはそれぞれに顔がある。
やがて、清水を過ぎ、由比に来た頃だろうが、遠く正面に、山なみの上、
ぽっかりと、雪を戴いた富士山が輝いていた。
三保の松原から駿河湾に裾野長く、
ゆったりと広がる富士山を見るのが、今回の旅の目的だった。

だが、目的も果たさず、無念の旅に終わった。
しかし、思わぬところで、霊峰富士を拝むことができたのは幸い。
さらに、富士川を渡り、進めば、眼前に雄大な富士山を眺められるかと期待した。
しかし、物事、何事も思い通りにはならぬもの。
富士山の麓、裾野に来た頃は、またもや、空はかき曇り、富士山の姿は見れなかった。

厚い雲と深い霧に包まれて、僅かに、でこぼこした、暗い裾野が眺められただけ。
一筋縄でいかない天気。
山の天気はさらにさらに手強い。
くれぐれも、気まぐれな天気にはご注意あれ!

ウイスキーの効用?
2009年3月26日
50年近く前のこと、女優の香川京子さんが、旦那様の仕事の関係で、ニューヨークへ移住。
その時、小さな乳飲み子もいた。
子供は夜泣きがひどく、病院に相談に行ったそうだ。
すると、若い小児科の医師が、ウイスキーを、小匙で1、2杯あげれば治ると言ったそうだ。
さすがに、勇気がなくて、飲ませなかったと書いてあった。

戦争が終わってまだ間もないころ、詩人で翻訳家でエッセイストでもある、
田村隆一氏がスコットランドへ旅をした。
勿論、モルト好きのダンディストは、モルト・ウイイスキーの蒸留所巡りをした。
まだまだ、モルト・ウイスキーなど、日本ではほとんど知られていない時代のこと。
さすがに、わが敬愛するダンディスト。
長身ですらりとして美男の詩人は、日本を代表する洒落男だろう。

そして、その紀行に書かれていた。
スコットランドの子供が風邪をひくと、子供にモルトウイスキーを飲ませると。
酒に弱い、モンゴロイドの我々から考えると、とてもでないが信じがたい。
しかし、我々にしても、子供の頃、風邪をひけば、たまご酒を飲んだ記憶もある。
でも、ウイスキーに比べれば、アルコール度数は、天と地ほどに差がある。
お国変われば、生活慣習も様々、面白いですね。

ローライズのジーンズへ手が!
2009年3月20日
少しだけ、上りの道の歩道を歩いたいた。
すると、私の横を、自転車が駆抜けていった。
うら若き女性の、艶なるなる匂いを残して。
長い黒髪が揺れ流れながら、疾走してゆく。

すると、女性の左手が、ロウライズのジーンズへ。
ジーンズと上着の間から、白い肌が覗いている。
私はてっきり、ジーンズを上げるのかと思った。
ところが全くの逆目。
 
ジーンズを、下に下している。
そして、下から下着を、引っ張り出していた。
これがミセパンなのだろう。
そして、手を戻して、しっかりと、
ハンドルを両手で握り直し、走り去って行った。

昼下がりの春の好日。
沿道のソメイヨシノの蕾は、大きく膨らんできた。
冬枯れた街路樹の寂しげだった梢にも、小さな芽が垣間見れる。
うららなかな春日、ぶらりと散歩も愉しき哉。

黄砂とともに、春は駆け足で!
2009年3月17日
今朝の最低気温は10.2℃。
4月上旬並みの気温だという。
窓からは、柔らかな陽光が刺し込む。
午後、外に出れば、駐車場に置いてある車が、
薄い黄色の斑模様に化粧していた。

それは遠く、中国の北京から運ばれて来た黄砂だった。
遥か上空を、偏西風に吹かれてやってきた。
かつて、遣唐使や遣隋使が、命がけで渡った日本海を、いっきに吹き渡る。
東京は一時、8キロ先も、見通せなくなったそうだ。

梅の花も散り、妖艶な匂いも今は何処。
これから、春は駆け足でやってくる。
うす紅に咲き乱れる桜の季節はすぐそこに。
私も今日は、革のコートを脱いで、ブレザーできめた。

一足先のお彼岸
2009年3月16日
昨日はお墓参るりに出かけた。
春うららの好天。
東名高速を飛ばして厚木まで。
相模川の水面はきらきらと輝き、水うるむ流れ。

やがて、お墓に到着した。
空は青く澄み渡り、丹沢の山なみが幾重にも霞む。
銀色の雲海が、どっしりと山々を抱きかかえていた。
空高く、鳶が微風を泳ぐように、旋回していた。

午後の4時近く、お墓には、他に人影は一人。
桶と柄杓と束子をもってお墓へ。
花瓶には花が、すでに飾られていた。
献花はまだ生きいきと、咲きこぼれていた。

きっと、昨日あたり、兄夫妻でも、お参りに来てくれたのだろう。
お墓が花で飾られ、仏さまの笑顔が見えるようだ。
私は束子でごしごし墓石を磨き、ママは草むしり。
そして、綺麗になったお墓に、私たちの花も活け、お線香を焚いた。

両手を合わせ静かに瞑目。
今週はお彼岸。
一足早くお墓参りを済ませて、心は晴れ晴れとなった。
横浜では娘が、友達の結婚式に出席している。
コンチネンタル・ホテルまで、迎えに行ってあげることになっている。

国道16号線を南下して横浜へ。
山下公園でもぶらりと歩き、中華街で食事にするか。
その前に、みなとみらいで働くSさんの店に出かけてみよう。
だが、場所はあまり定かではない。

YouTubeと政治の季節
2009年3月14日
最近、YouTubeを聞いている。
店のアンプに繋げるととてもいい音で聴ける。
お客様もびっくりするほどに響く。
検索すればほとんどが出てくれるから驚きだ。

PCに詳しい人に言わせれば、21世紀の偉大な100の発明に入るそうだ。
かつて、我々の団塊の世代の青春時代、
聴いていた様々な音楽シーンが画面に登場する。
スタイリスティックス、PPM、ブラザーズ・フォー、ビートルズ、
ローリングストーンズ、クロスビー・スティルス&ナッシュ、
ジョニー・ミッチェル、プロコールハレム、シカゴetc.

かつて、新宿にあった喫茶店「風月堂」は、世界中のヒッピーの溜まり場だった。
店内は、煙草の煙がもうもうとたちこめた灰色の世界だった。
極端なことを言えば、1メートル先さえ灰色に霞んでいた。
店内は議論をする若者の声が、大音響でこだましていた。

そして、議論に疲れれば、新宿西口の、通称「しょんべん横町」で、
チュウハイを引っ掛け、そして、新宿のはずれの大久保へ出かけた。
そこには、伝説のゴーゴークラブ「ノアノア」があった。
中へ入れば、派手な曲ががんがんと鳴らされ、若者たちが、
溢れる汗を散らしながら、自分勝手に、自由に、ゴーゴー・ダンスを踊っていた。

疲れれば、また酒を飲み、そして、朝まで芸術論や、政治論をたたかわした。
そんな時代の曲が、YouTubeには山のように収録されている。
あの頃、人は芸術に燃え、政治を語った。
今はいったい如何したことなのだろうか。
人は無関心になり、表情を失っている。

YouTubeには、伝説の1969年のウッドストックの記録も、たくさん収録されている。
ベトナム戦争の最中、世界平和のために、多くのミュージシャンが、ベセタの丘に集まった。
豪雨の3日間、集まった聴衆は40万とも言われている。
そこで、サンタナが出現し、ジミ・ヘンドリックスの弾いた「アメリカ国歌」は伝説となった。

フランスでは1968年、5月革命が起こり、カルチェラタンで学生が立ち上がり、
労働者も呼応して、瞬時の間だが、パリ解放区を構築した。
サルトルとヴォーボワールが、学生の行動を支持し、フランス国立劇場「オデオン座」を占拠。
日本にも若き青年たちの政治の季節は、たしかにあったのだ。

唾液の不思議な力!
2009年3月13日
最近、口の中でぐちゅぐちゅもぐもぐと、口を動かすことにしている。
別に何時やると、決めているわけではない。
朝、蒲団の中で、新聞を読みながらのこともあり、
外を歩いている時もする。

でも、さすがに、人がいる時には、恥かしいのでやらない。
ぐちゅぐちゅしていると、口の中がこそばゆくなり、
だんだんと口の中に、唾液が溢れて来る。
そして、ごくりと飲み込むと、お腹の中に、唾液がゆっくりと落ちてゆく。

そんなことを何回か繰り返していると、やがて、
飲みすぎて疲れていた胃が、ごそごそと蠕動し始め元気になる。
やがて、身体に力が漲り、食欲も回復するから不思議だ。
唾液には人間の生を蘇らせる力があるようだ。

人間、加齢に従い、唾液の量も少なくなるらしい。
唾液には、口内を殺菌する作用もあるそうだ。
たしかに、子供の時に比べると、唾液の量は少なくなっているのが分かる。
抗加齢は唾液から。
そして、唾液ぐちゅぐちゅは、風邪と花粉症にも効くような気がする。

かつてのピンク映画界から、アカデミー賞監督が!
2009年3月12日
先日、昔の芝居仲間のKさんがやってきた。
池袋でナレーションの仕事があって、大山の私の店に立ち寄ってくれた。
kの事務所が赤坂で、板橋まではなかなか来る機会もない。
久しぶりの再開だった。
若いは頃はみんなで、わいわいがやがやと賑やかに酒を飲んだものだ。

しかし、さすが還暦過ぎや還暦間近の歳になると、酒の量もかなり落ちる。
Kさんも最近は、余り酒を飲まなくなったみたいだ。
「マスターのお薦めで何か」
私はファジーネーブルを出して差し上げた。

「マスター、滝田洋二郎監督知ってるだろう?」
「勿論、あのアカデミー賞監督だろ」
「そう、嬉しかったね。彼をね、俺、よく知ってるのよ」
「へー、何処で?」

「昔、俺、ピンク映画やってただろ。その時、俺が主演の映画の助監督やってたのよ。
その時の監督が山本晋也で、かれ飛び回って仕事してたよ」
Kはかつて、ピンク映画全盛時代、ピンク映画界では、かなりの売れっ子だった。
Kが主役で、シリーズさえあった。

その頃のピンク映画には、今をときめく個性派俳優がたくさん出演していた。
そして、助監督たちから、多数の実力派の作家や脚本家が誕生した。
「俺は何か予感がしたんだ。きっとアカデミー賞いけるなと。決まった時、俺、感動したね。
あの時、俺と共演した女優のTに電話したよ、。彼女もポスターに載ってたから」

当時のピンク映画には、映画好きのスタッフや、演劇で生活できない役者たちが、
明日を夢見て犇めいていた。
まさに、映画と演劇を夢見る梁山泊であった。

日本映画が凋落し、観客の動員力も日増しに落ちる。
大手の映画会社は倒産したり、赤字に陥り、青色吐息。
そんな時代、製作費の安い、ピンク映画が大量に制作された。

一本の映画を、2日か3日で撮ったものだと、Kさんは懐かしそうに語った。
かつて、そんなにも燃えて熱い時代があった。
そして、そこからアカデミー賞監督が誕生したのは、ことのほか嬉しい。

あれ? 肩の痛みがない!
2009年3月7日
この2ヶ月くらい、左肩が痛かった。
ある角度になると、びりっ!っと電気が走った。
ある日のこと、椅子に座りながら革コートを着る時、ぎく!っと肩に衝撃が。
それ以来、遅々として状態は改善しなかった。

その間、トレーニングはさし障りなく出来た。
人に言えば、「マスター、それは50肩だよ」と言われるに決まってる。
だから、意地ぱっりの私としては、誰にも言わなかった。
ところが如何したことだろうか?

窓から射しこむ日だまりの中、何時ものように、蒲団の中で、朝刊を読んでいた。
そして、寝返りをうちながら左手を上げてみた。
すると、あれ!、肩の痛みが取れていた。
人間の身体とは不思議なもの。

そして、出勤の道すがら、車の中で、ママに言ってみた。
「ここ数か月、左肩が痛くってね。それが今日、急に取れっちゃった」
すると答えは、案の定、「それは50肩よ。幾つになってもなるものだから」
やはり、治ってから言って良かったと、胸を撫で下ろした。

でも、私も悔しいから、逆襲の一言。
「私は病気にならないの。50肩にもならないことに決めているの」
私は花粉症にもならないぞ、絶対に!
でも、病気は何時やってくるかもしれないから、用心にこしたことはない。
何事も、慢心は禁物!禁物!と言い聞かせました。

今年の観桜は何処へ
2009年3月5日
今日は24節季の啓蟄。
冬ごもりをしていた虫たちが、春の陽気に誘われて、地上に顔を出す。
東京の最高気温は11度、晴天に恵まれた。
長い冬、じっと春の訪れを待つ虫たちが、舞い蠢く。

春の野菜や食用野草の味は苦い。
ほろ苦い菜の花やフキノトウを、おひたしや天ぷらで食べて、早春を愉しむ。
早春の色は黄色。
虫たちに好まれる色らしい。

伊豆・河津では、桜とともに菜の花が黄色に染まる。
埼玉の越生の梅林、梅匂う古木の下に、可憐な福寿草が黄色く花開く。
春うららかな陽光をいっぱいに浴びて、草花が黄色く咲きほころぶ。

すでに、桜が開花しているところもちらほら。
今年も暖冬で、桜花爛漫も早くなりそうだ。
今年の観桜、何処へ出かけるやら。

さな旅&日記
「向島・百花園で観梅」を更新

2009年3月4日


今日は氷雨止まりで
2009年3月3日
空はどんよりと、雲が重たく垂れこめている。
先ほどの瞬時の日差しが、嘘のようだ。
夕暮れ間近、やはり氷雨が、音もなく降り始めてきた。
公園の梅の花も濡れそぼり、哀しげだ。

夜半には、雪になるかもしれないと天気予報。
春近き宵、純白の真綿のような雪が、微風に舞いながら積る。
静寂の中、大地を雪色に染めていく。
やがて雪は止み、漆黒の空に、煌々と月が輝いている。
紅梅白梅の花々も雪化粧。

日本の美、雪月花の雅を愉しみたい。
しかし、美と引き換えに、翌日には苦労が待っている。
やはり、今日のところは、氷雨止まりにしていてほしい。

春間近、寒い一日
2009年3月2日
今日は久しぶりに晴れ上がった。
窓から射しこむ日は長く強く暖か。
日だまりに抱かれるように、蒲団の中で朝刊を読む。
大きな事件もなく、連載小説やら記事を読む。

昨日は少し酒を飲みすぎた。、
お昼過ぎ、ママが作ってくれた月見うどんも残した。
風呂に入り、出てきてから体操をして、4時過ぎに家を出る。
とうとう、今日は確定申告の、帳簿の整理が出来なかった。
でも、今年は2月の初めから始めたので、かなりの余裕。
こんなに追われない3月を迎えるのは、初めてのことだ。

外に出えみて驚いた。
冷たい風が、肌を刺すように吹きつけてくる。
道行く人は一様に、肩をそびやかし、
ポケットに手を入れ、前屈みで、足早に歩く。
今年の花見は何時ごろだろうか。
年々歳々、桜の開花が早くなっているようだ。

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