84年前のビールジョッキとオリンピック
2020年3月19日

私の店に、84年前のビールジョッキがある。
それは1936年(昭和11年)2月、ドイツ・ガルミッシュパルテンキルヘン開催、第4回冬季オリンピックを記念するものある。
私が30年くらい前、偶然に立ち寄った、骨董屋で購入したものと記憶する。

1リッター入る、磁器製のジョッキーは、握るとズシリッと重い。
ドイツ人なら、ビールを注いで、片手でグイッとやるのだろうが、日本人には無理だ。
さて、1936年を調べる。

ヒットラーが台頭し、1933年の総選挙で大勝利し、政権を握り総統になった、2年後である。
反ユダヤ主義を標榜し、国民から熱狂的な支持を、受けていたころである。
そしてヒットラー政権は、国家の総力をあげ、オリンピックを開催し、国威発揚に利用した。

アーリー民族を誇り称え、自身の偉大さを証明するための、プロパガンダに、オリンピックを変容させた。
それはまさに、祝祭のように、劇的でセンセーショナルな、歴史的イベントであった。
2月開催の冬季オリンピックには、日本からも選手たちが出場した。

そのなかに、フギュアスケート選手で、12歳の少女・稲田悦子が出場し、一躍人気者になる。
結果は10位で、東洋の妖精は、ヒットラーを魅了し、2人が握手する写真が残る。
現在では、冬季オリンピックと、夏季オリンピックは、別々の年に開催される。

ドイツオリンピックは、同年開催の最期となった。
また、その夏季ベルリン大会で、日本のサッカーチームが、初戦で大番狂わせを演じた。
優勝候補の一角、スウェーデンを破る、大金星をあげた。

まさか、無名の日本チームに、本場のサッカーチームが破れるとは……。
誰もスウェーデンが、初参加の日本に、負けるとは思わなかった。
3-2の逆転勝利に、競技場は歓喜した。

ヨーロッパは、日本チームを称賛するとともに、敗退の事実に震撼し、ベルリンの奇跡として、歴史に刻まれた。
そして、その3年後、世界大戦に突入。
日本のサッカーチームの、若きイレブンの多くは出征する。

同点ゴール決めた右近、逆転ゴールを放った松永は、南方の戦場で、帰らぬ人となった。
かつてオリンピックの歴史で、延期されたことはない。
新コロナウイルス感染症が、猛威を振るい、東京オリンピックが、危ぶまれている。