分の豆、幾つまで食べられるかな?
2009年1月30日
夕刻間近、外に出れば雨。
だが、微かな雨脚は優しい。
思いのほか、外気は暖かに感じる。
もうすぐ節分。
そして、翌日は立春になる。

南の島々では、桜の便りも聞かれ始めるだろう。
温暖な伊豆や熱海では、紅梅白梅も開花する。
そして、受験生たちには、厳しい季節がやってくる。

節分と言えば、子供のころ、
どこの家庭でも、節分の声が聞こえた。
夕餉のひと時が終わり、しばしの団欒。
やがて、何処からともなく、「鬼は外、福は内」

負けじと、戸を開けて、「鬼は外、福は内」
外は深々と冷え込み、冷気が部屋に流れ込む。
そして、冷気を切るように、さらに、「鬼は外、福は内」
煌々と灯る近隣の家々でも、元気な声が響く。

勿論家の中にも、たくさんの豆が投げこぼされる。
それを歳の数だけ、拾って食べた。
さらに、余った豆も、たくさん食べた。

炒った豆は塩味で、噛んでいると、炒り豆の薫香が立ち上り、
噛むほどに、ほんのりと、甘さが染み出してきた。
最近は、神社やお寺さんくらいしか、節分はない。
日本の季節と伝統文化や風習が、薄れているのは寂しい。

節分の豆は歳の数だけ食べれば除災招福。
今年は62個にもなる。
知らず知らずのうちに、たいした数になったものだ。

果たして、最後に食べる豆の数は、幾つになるのだろうか。
そんなにもたくさん、食べたくもないのだが。
こればかりは、自分で決められない。

飛騨の木々は、何の木?
2009年1月29日
車で駅への道すがら、ママが「前の車、飛騨ナンバー」
黒塗りの乗用車だった。
去年の6月、信州から飛騨への旅をした。
信州「寝ざめの床」で泊まり、翌日は、妻籠、馬篭と中山道を南下した。

新緑の木曽路は快晴に恵まれ、汗ばむほどだった。
木々の緑は陽光を浴びて陰翳深い。
大雨でも降れば、逆巻く激流になる暴れ川、木曽川も緩やかに流れている。
渓谷の川面はきらきらとさざ波、金鱗の輝き。
飛騨ナンバーを見た瞬間、初夏の木曽路の思いでが蘇った。

そして、何気なく、ママに質問をした。
「飛騨の山は美しかったね。飛騨の山の木々は、何の木だろう?」
すると、ママはしばし考えた。
また、何か洒落ているのだろうと。
だが、答えは出なかった。

私は答えを待ち切れず、「檜」
ママは怪訝な顔。
「飛騨だから檜」
ママは無言。
私は、「ヒノキだからヒダー」
ママは、「そうきたか」と少し不服そうだった。

風邪と鼻呼吸
2009年1月28日
風邪の予防にはうがいが良いとのこと。
私も寝る前と、起きがけには、うがいをするように心がけている。
だが、風邪には鼻呼吸も大事だそうだ。
もともと、人間以外の哺乳動物は鼻呼吸。
言葉をしゃべる人間だけ、口からも呼吸ができるらしい。

動物の鼻も人間の鼻も、大変に重要な呼吸器官なのだ。
人間の鼻には無数の繊毛が生え、吸う空気を浄化している。
だから、空気中のウィルスや細菌を滅菌して、体内に空気を運ぶ。
さらに、鼻には加湿機能があり、体温に近い温度に空気を温め湿らせる。
おかげで肺は酸素を吸収しやすくなるのだ。

私も朝起きると、喉が少しひりひりする。
どうやら、寝ている時に、口呼吸をしているみたいだ。
口呼吸には、表情筋の一つ、口輪筋が影響するという。
この口輪筋を鍛えると、口を閉じる力が強くなり、
鼻呼吸も出来るようになる。

そこで、口の中に空気をいっぱいに入れて、
口をしっかりと閉めて、上下左右に空気を動かしてみた。
思ったよりも、意外やハードだ。
でも、かなり効きそうな気配、毎日やってみよう。
さらに良いことは、表情筋を鍛えることで、
抗菌作用のある唾液の分泌も促進する。

あなたは口呼吸?チェック
気がつくと口を開けていることが多い
口の端(口角)が下がっている
上唇が上がっている
唇がたるんでいる
起床時に口臭が強いと感じる
起床時に喉が渇いていることが多い
起床時に唇が渇いていることがおおい
家族などから大きいいびきをかくと指摘されることがある
(注)ひとつでも当てはまる項目があれば口呼吸の可能性がある。
片山氏と大木准教授の話を基に作成

日本経済新聞2009・1.24


頑固バーテンダーは、風邪をひかないのだ!
2009年1月27日
今年の風邪には要注意らしい。
真性インフルエンザが上陸したら、日本は大変なことになると厳戒態勢。
猛威が襲えば、ワクチンも対応できなくなるという。
看護師さんにも、気をつけるように言われている。
「今年のインフルエンザは、マスターみたいなタイプが、一番危険です」

私は店を開いて25年、一度も風邪をひいていないと豪語している。
ママには、そんなこと言って、自慢しないほうがいいと、たしなめられる。
でも、風邪は勿論、病気で、店を休んだこともない。
肝臓を壊したときも、半年間、毎日、病院で点滴を受けながら店を開けた。

確かに、時々、風邪のような症状になることもある。
鼻がぐすぐす、くしゃみがはっくしょ〜ん!
人は皆、「マスター、それは風邪ですよ!」
鬼の首を取ったかのように、昔からの馴染みのお客様は、自慢げに言う。

だが、私は、「風邪じゃない、たんなるくしゃみ」
「マスター、強情なんだから」と呆れ顔。
自分で決めている。
私は風邪をひかないのだ!
すると、不思議な事に、翌日はすっきりしている。

こんな頑固さが、今年のインフルエンザには、とても危険らしい。
自分の健康を過信して、手遅れになる。
「マスター、風邪かなと思ったら、すぐに病院へ行ってくださいね」
還暦過ぎの充分な年寄り。
何事も過信は禁物。

最近は糖尿病が増加しているらしい。
予備軍を含めれば、二千二百十万人と言われている。
年齢とともに、基礎代謝が落ち、様々な病気にも襲われる。
加齢とは仲良く、付き合わなければいけないだろう。
そう言いながらも、抗加齢だと言って、今日の晩飯はカレーにした。
抗加齢は食べてしまえと。

懐かしき哉、雉と真鴨のすき焼き
2009年1月26日
まだ世田谷に住んでいた子供のころ。
母親の実家、新潟から、真鴨や雉が送られてきた。
狩猟が趣味の母親の兄から、何時もきまって、雄の雉一羽と真鴨が二羽。
そして、私と兄と一緒になって、庭で鳥の毛をむしった。
毛はふんわりつやつやぴかぴかと七色の光沢。
やがて、すべての毛がむしり取られ、無様な裸の姿が晒される。

その日は勿論、すき焼き。
大きな皿に、見事に盛られた鴨肉と雉肉。
座卓にはこん炉が置かれ、丸いすき焼き鍋。
まずは、熱して来た鍋を、鴨の脂肪で拭く。
じゅるじゅるじゅると脂が踊る。

そこに、葱、シラタキ、車麩、椎茸、春菊。
焼き豆腐に、梅花人参を鍋に飾る。
その上に、たっぷりの白糖を乗せ、上から醤油を掛ける。
やがて、じゅるじゅるじゅると焼け煮える音とともに、香ばしい匂いが充満する。

鍋からは、柔らかく濡れたような温かな蒸気が立ち上る。
母親が父親に、肉と野菜を盛りつけたら、それが合図だ。
家族六人が仲良く、すき焼きで晩餐となる。

青磁の器に割落とされた玉子は黄色く、ぷりーんと盛り上がっている。
箸で玉子を溶き、すき焼きを食べる。
元気盛りの子供四人、次々に鍋の中の具はなくなる。
そのつど、母親はすきザクを加え、肉を継ぎ足し、割り下を整える。
父親は無口に、ぬる間の酒を飲んでいた。
勿論、私たちには酒はなく、ご飯を食べながらの、すき焼き鍋だ。

自然の鴨と雉肉には、時として、野生の独特な強い匂いが鼻を突く。
そして、煮込みすぎれば硬くなった。
時折、がちっと歯に固いものが当たった。
それは散弾銃の弾だった。
まさに、フランス料理の最高峰、ジビエの証拠だ。

今にして思えば、最高のすき焼き。
とてもじゃないが、外で食べたら凄い金額になる。
そんなことも知らず、雉一羽と真鴨二羽をすき焼きにし、
さらに、日を追って、水たきにして食べたもの。

自然がいっぱいの当時、誰もが自然の稔りの豊かさを認識せず、
当たり前のように、有機農法で栽培された作物を食べ、野鳥を食べていた。
それはそれは、とても、豊かで贅沢な時代だった。

深夜の大立ち回り
2009年1月24日
今日の0時40分ころ、店の外で、ドカーンと車が衝突する音がした。
外へ出へみると、タクシーが2台衝突していた。
ここの交差点では、度々衝突事故が起きる。

線路の踏切を渡って、この交差点を、車が通過する時、
スピーを落とさず、フルスピードで直進する原付バイクとの事故が多い。
私が見ている限り、原付側に非がある場合が多い。
今日のケースはかなり稀だ。

タクシーの横腹にぶつけたタクシーから、
猛烈な勢いで、男の人が2人、飛び出してきた。
真夜中、大声を出して威嚇するように、脅すように叫んでいる。
口髭をはやし、見るからに怖そうな風体。

すると、もう一方のタクシーから、男が飛び出してきた。
すこしばかり、イントネーションのおかしい声で、
「ヤクザーなんて怖くねーぞー!ヤクザーがエレーノカー!」

路上で、男たちの大立ち回りが始まった。
小柄な怖いお兄さん2人に、1人で立ち向かっている。
それは勇気ある、ドレっドヘヤーの元気な若い黒人だった。
すると、車から赤ちゃんを抱いた女性が、私の処へ逃げてきた。

「お願いします、警察へ、電話をお願いします」
私は店に入り110番をした。
そして、女性を店に入れてあげた。
やがて、警察官が1人、近くの交番から自転車で駆け付けた。

警官はかなりの高齢。
喧嘩を止めるわけでもなく、右往左往。
だが、喧嘩は続いている。
タクシーの運転手は2人とも、ただただ傍観している。
電話から、30分ほどで、やっとのことで、
パトカーが駆けつけ、事態は沈静した。

余りにも遅い警察の対応。
もし、その間に、怪我人でもでたら、どうするのであろうか。
現場から、板橋警察まで、歩いても15分はかからないだろう。

しかし、不思議な話だ。
ぶつかったのはタクシーとタクシー。
それが、タクシー運転手は傍観して、乗客と乗客が喧嘩をしている。

それにしても勇気のある外国人。
やくざのような脅しが、許せなかったらしい。
でも、本物のやくざだったら、大変なことになっていたはず。
日本のやくざを侮ってはいけない。
まあ、本物のやくざだったら、こんな真夜中、堅気を脅かしもしないはず。

それにしても、真夜中のこれだけの大騒ぎ。
近所の人も聞こえたはずだが、誰も出てくる人はいなかった。
これでは、女性の悲鳴が聞こえたとしても、
誰も助けてくれないのではないのだろうか。
無関心がはびこる世の中、寒中とはいえ、少し肌寒くなった。

子供たちの人気者、犬の置物
2009年1月23日
お店に着いたら6時少し手前。
急いで、玄関の鍵を開けて中へ。
そして、玄関横に、何時も置く犬の置物を出した。
すると、小さな小さな、よちよち歩きの女の子が近づいて来た。

でも、私の顔を見て、それ以上近づいて来ない。
私は、ワンちゃんを指差し、どうぞと言った。
すると、お母さんも、ワンちゃんに触っていいよと。
すると、女の子はよちよちと近づき、
にこにこ笑顔で、ワンちゃんを撫ぜなぜしている。

お母さん、「この子、何時も撫ぜなぜしていくのですよ」
そして、保育園の年少組であろう、小さな女の子の手をひいて、
仲良く、夕暮れの町を歩いていった。

私のお店の隣の隣に、昔からの古い歴史を持つ保育園がある。
けっこう遅くまで子供を預かってくれている。
その子供たちの、だいの人気者が玄関横の犬の置きもの。
動物好きの子供たちが、毎日頭を撫ぜてくれる。

ある時、出すのを遅れた時があった。
すると、外で子供の泣き声。
「ワンちゃんが居な〜い」
私は慌てて出したら、
ワンちゃん、ワンちゃんと言って、頭を両手で撫ぜなぜ。
いっぺんに笑顔に変わった。

このワンちゃん、時々、本物の犬に吠えられているから、
きっと、存在感があるのだろう。
「馬鹿ねー、それ犬の置物よ!」
こんな声が時折聞こえる。
ひょっとしたら、このワンちゃんが、
私の店を、長い間、守ってくれたのかもしれない。

煙草を止めてて思うこと
2009年1月22日
煙草をすわなくなって、34年くらいになるだろうか。
この18年くらいは、1本もすっていない。
止めたきっかけは、料理屋の支配人を、することになった時だった。
お店の料理の味を憶えるためだった。
とりあえず、1年半だけ止めようと決めた。

そして1年半後、もう大丈夫だと思い煙草をすった。
煙草は美味しかったのだが、何故か、煙草が身体に合わなくなっていた。
それ以来、ほとんど煙草をすっていない。
別に煙草を止めてるという意識はない。

煙草の香りは今でも好きだ。
だから、他人が吐き出す紫煙も、ちっとも気にならない。
喫茶店やレストランに入っても、わざわざ、煙草OKのフロアーへ行く。
煙草のフロアーは賑やかで、取りすましたところもなく、かえって、私には落ち着く。

最近は、煙草を止めていて良かったと思うことがある。
煙草が社会に敵視されているからだ。
まさに、煙草は諸悪の根源。
愛煙家の人間性をも、否定するような極端な風潮。

20年くらい前までは、みんなすっていたではないか。
私が学生の頃は、煙草と酒が飲めなければ、こっぴどく馬鹿にされた。
極端なことを言えば、それでも男かと。
それが今では、煙草の存在自体をも、否定され始めている。

だから、へそ曲がりな我は、「そんなに、目の敵にしなくてもいいじゃないか!」
「なら、貴方から止めなさいよ!」
「残念ながら、34年間、ほとんどすっていません。17、8年間、1本もすってませんね。
たかが煙草。べつに止めているわけではありません」
そんなことも、時には言えるので、煙草をすわないでいて良かったと思う。
確かに、煙草を止めいて良いことも、山ほどあるのも事実だが。

食恐ろしいほどに、食欲旺盛なご老人

矢来能楽堂(神楽坂)で能を鑑賞
2009年九皐会定例公演日記
2009年1月20日


見知らぬ他人に、ほんの僅かな恐怖
2009年1月19日
4時過ぎ、銀行のキャッシュディスペンサーへ。
2台しかないディスペンサー、前に2人並んでいた。
私もその後ろで順番待ち。
私の後ろには誰もいなかった。

すると、ひやっとした空気とともに、バターンとドアが開いた。
振り向けば、ぬっくと背の高い男の人が、私の後ろに並んだ。
黒のジーンズに、深々と黒色の三角フードを被り、顔が陰に。

たぶん背丈は、180センチ以上はあるだろう。
見知らぬ人が、物言わず、携帯の画面を眺めてる。
他に人もいて、決して密室ではない。
しかし、何処か不気味で薄気味悪い。

最近は、タクシー強盗や悪質な現金強盗が頻発している。
きっと、そんな情報の氾濫で、
なんでもないはずの事にも、敏感になっているのだろう。
それにしても、見知らぬ他人に、
僅かでも危険を感じるんなんて、なんとも淋しい世の中になったもの。

阪神大震災とわが友
2009年1月17日
今日で、阪神大震災発生から14年経った。
あの頃は、朝まで仕事をしていることも多かった。
店を閉めて家に帰り、お酒を飲みながらテレビをかけた。
すると、画面には、阪神地方に、大地震が発生とテロップが流れていた。

画像はまるで静止しているかのように、瓦礫となった市街地を映し出していた。
遠くには、もくもくと黒煙が立ち上り、不気味で荒涼としていた。
そして、テロップの死者の数が、次々と増大していた。
余りにも凄絶な光景。
我が目を疑うほどに、真実を受け止められなかった。

すぐさま、芦屋の隣、夙川に住む友達に電話をした。
すると、友達は無事だった。
すさまじい轟音とともに、アパートは傾いたと言っていた。
そして、友達の無事を確認して眠りについた。

昼前に起きて驚愕した。
私の想像を絶する大地震になっていた。
勿論、夙川の友達に、電話は繋がらなかった。
あれから14年。
毎日のように、朝まで働いていた日々をふと思い出す。

そして、夙川の友達は今、尼ヶ崎に引っ越している。
それから暫くして癌になり、今も癌と闘っている。
震災以来、何かとツキのないかつての演劇仲間。
早く元気になって、演劇活動を復活してもらいたい。

ベストセラーは、原著作者の3分の1の削除の翻訳
2009年1月15日
昨年11月に発売以来、すでに16刷り、43万部のベストセラーがあるそうだ。
それも、脳科学者による翻訳本。
原著者は自己啓発ゼミナーのカリスマ的存在だが、日本では知名度は低い。

だが、なぜそんなにも、何故売れるのか。
その大きな要素に、翻訳者の存在が大きく関わっているようだ。
翻訳者は脳科学者であるとともに、パーソナリティーとして、
マスコミに引っ張りだこの時代の寵児。
難解な事柄も、易しく分かりやすく解説するので人気があるという。

だが、この翻訳本、原著作の3分の2で、3分の1は削除されているらしい。
さらに、原著者よりも、翻訳者の紹介が、たっぷりとなされているという。
勿論、原作者からは、翻訳許可はとっているのだろうが、
少し、老婆心ながら疑念を感じる。

小説や戯曲や詩などの作品とは異なるのだが、
著者は本にする内容に、無駄は書かない。
無駄を削ぎ落とした核を、本として表現するもの。
それを、なんとも、3分の1の削除とは驚きものだ。
まあ、まだ読んでいないのだから、大きな事も言えないのだが。

棚板と神託
2009年1月14日
店の棚板を買いに、近くのDIYのドイトへ出かけた。
しかし、目的の黒の化粧板が売っていない。
仕方なく、少し離れたDIYのビバホームへ。
やはり、黒の化粧板はなかった。
あるのは、茶色と白。

確かに、店の黒の化粧板は、池袋の東急ハンズで購入した。
でも、黒の化粧板など、決して変わった色ではないはず。
どうも、最近は、何事も、偏りが大きい傾向にある。

仕方なく、昨日外した黒の棚板を、繋げて使うことにした。
必要な材料を購入して、黒の棚板を切り貼りしたら、
それ風に、違和感もなく出来上がった。
きっと、神様が、「使えるものは何でも使いなさい。
無駄はいけませんよ」
そんな神託が聞こえるような一日でした。

神楽坂界隈には、昔の町名がたくさん
2009年1月13日
一昨日の日曜日、神楽坂の矢来能楽堂へ出かけた。
開演は1時からだった。
家を11時ころに出る。
珍しい事に電車で出かけた。
三田線で巣鴨へ出て、JRに乗り換え飯田橋へ。

ここから、大久保通りを行く予定だったが、駅前の交差点で道を間違えた。
おかげで、下宮比町方面へ出てしまった。
大きく大回りをすることになった。
こんなことなら、近回りなど考えず、素直に神楽坂から、
坂を上り、赤城神社から下れば大久保通りに出る。
そして、まっすぐ進めば矢来町に出る。

でも、大回りをしたおかげで、神楽坂界隈を愉しめた。
このあたりは、今だに、昔ながらの町名が、しっかりと残っている。
牛込柳町、箪笥町、二十騎町、横寺町、細工町等など。
数え上げればきりがないほどだ。

もともと、地名には意味がある。
地名を見ることで、その土地の歴史を感じ、
その土地の由来を具体的に、イメージすることができる。
この30年くらい前から、俄かに、地名は、
行政側の意図により、勝手気ままに改称された。

江戸の下町、浅草や上野なども最たるものだ。
浅草○○丁目、元浅草○○丁目、上野○○丁目のオンパレードだ。
上野不忍池に面する黒門町も、今は上野2丁目だ。
いまだ各地、町会は昔ながらの町会名を残すが、地番は全くの無味乾燥な名前だ。
最近の平成の大合併による、町会どころか市名の変更は目に余る。
神楽坂に出かけ、昔ながらの町名を見て、
江戸の昔を偲びながら、なぜか気持ちがほっとした。

小さな旅&日記を更新
「佐野薬師さまへ厄落とし」
2009年1月10日


何事も半歩先が良いのかも?
2009年1月9日
正月三が日、神社・仏閣への初詣の数は9939万人。
昨年度より、121万人多かったそうだ。
統計の残る1974年以降では、最高の人出だったと、警察庁は公表した。
やはり、大不況の前触れ。
除災厄・来福招運。
今年こそは良い年になるようにとの、人々の切実な祈願なのだろう。

一昨日は七草。
七日正月も終わり、昨日は家のお飾りを外す。
早めに家を出て、近くの北野神社に納めた。
そして、お店のお飾りは、私の店の氏神様、子安神社に納めた。
まだまだ日のある内に、納められたので気持ちよかった。
やはり、お宮さんへ出かけ時は、陽明がなくてはいけない。

そして今日。
深夜の2時ころ、霙まじりの氷雨が降り始めた。
予報では、夜明け方には雪になる。
せっかくの、正月明けの金曜日、無情の雪か。
だが、蓋を開ければ、最悪の事態は回避された。

どんよりと重たそうな冬空。
しとしとと音もなく、街を氷雨が濡らす。
早めに納めた正月飾り。
今日でなくてよかった。
何事も、半歩先が良いのかもしれない。

2009年1月8日
小さな旅&日記
「秩父の正月」を更新

七日正月、髪切りは目出度し!
2009年1月7日
今日は床屋へ出かけた。
昨年のうちに、さっぱりしようかと思いきや、やはり師走。
何かと忙しく、ついつい行きそびれてしまった。
昔は、床屋さんに行くのが嫌で、ママに切って貰っていた。
しかし、何時でもという訳にもいかず、様子を伺いながら切ってもらった。

なぜ、床屋が嫌かと言えば、長い間、鏡と睨めっこしながら、
好きでもない自分の顔を、見ていなければならない地獄。
そして、時には、床屋の旦那と、たわいもない話をしなければならない義務感。
そんなこんなで、20年あまり、家庭内床屋だった。

ところが、1000円床屋さんという便利なものが登場した。
値段も安ければ、髪を切るだけなのでスピード満点。
余計な会話もなければ、つまらない自分の顔を眺めなくてもすむ。
私にとっては最高の床屋さんだ。

昨年の或る日のこと、気に入りの床屋のお兄さんがいなくなっていた。
自分の髪形を覚えてくれているので、余計な説明をせずありがたかった。
その時には女性に代わっていた。
若い女性だったのだが、どうも私とは相性が悪かった。

何所か他にないものか?
探してみれば、去年の年末、近くに1000円床屋を発見した。
どんなものか入ってみたら、私と近い年配の女性が担当してくれた。
どうも女性の床屋さんは苦手なのだが、私には相性がぴったり。
だが、他にも2人のスタッフもいた。

今日もあの女性だったらばと思い出かけたら、
偶然にもその女性が髪を切ってくれた。
2度目だというのに、私の髪形も覚えていてくれた。
これからも、その床屋さんに出かけるのだが、そんなに偶然は続かないだろう。
今日は七日正月。
お目当ての女性スタッフに髪を切って貰い、
取りあえずは、目出度し目出度しの一日でした。

割り箸とエコロジー
2009年1月6日
夕飯はチェーンの天ぷら屋さんですます。
最近はエコロジーの関係で、
竹箸や再生箸、さらには置き箸のところも多い。
私も使い捨てではなく、何度も使い回しで、十分だと思う。
まだ少数派だが、自分の箸を持ち歩いている人もいる。

今日のお店は、箸紙に包まれない剥き出しの元禄箸。
最近の元禄、なかなか、まっすぐに割れてくれない。
それだけ、原料の質が落ちたのもむべなるかな。
日本は、南洋やアマゾンの森林伐採の元凶のようなもの。

割り箸を見れば、少なからず胸も痛む。
だが、割り箸を割る時は、何故か別もの。
パチッと割れるかなと少しの運試し。
斜めに割れると、アレッと凶の運勢。
やはり、どうせなら、パッキリと、ど真ん中で割れて欲しい。

両細の利休箸では滅多にないこと。
資源問題は、毎日の食事にも、大いに関係している。
小さな小さなことから、地球規模のエコロジーを、
考えなければいけない時が、来ているのだろう。

今年一年はまだ後厄
2009年1月5日
正月三が日も終わり、今日から仕事始めのところも多い。
私の店も今日から営業。
正月の目出度き酒を酌み交わしながら出る話題は、世間の不況風。
生の声を聞けば、実体経済はかなり悪いようだ。

初春のうららかな陽気。
目出度い時には、目出度きも旨き酒を酌み交わしたいもの。
しかし、不況の余波は、隅々に吹き渡るだろう。
今年一年、私の後厄。

一昨日、秩父より帰京し、昨日は佐野薬師様へ出かけた。
うららかな陽光を突き抜けて、まっすぐと東北道を北進。
遠くの日本アルプスの山々は、銀雪の輝き。
きっと、今年も良い年になってくれるだろう。

2009年1月元旦
明けましておめでとうございます。


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