2009年九皐会定例公演日記
2009年1月11日

神楽坂の矢来能楽堂へ出かける。
天気は上々。
ゆったりと余裕を持って、神楽坂まで出かけた。
普通に、電車を乗り継いで行けば、家を出て、1時間超で着くだろう。
飯田橋まではスムーズに行ったのだが、駅を降りてからがいけない。
少しの近回りの予定が、道を間違え、かえっての大回り。
能楽堂前に着いてみれば、開演20分前。

近くの喫茶店で休む。
ママは軽くサンドイッチとアイスコーヒー。
私はストレートのブレンドコーヒー。
そして、開演ぎりぎりに、能楽堂の入口へ到着。
受付には、私たちのチケットが用意されていた。
てっきり、チケットと交換で、代金を支払うのかと思っていたら、すでに、支払われていた。
これはこれは、失礼なことをしてしまったと暫し反省。
係りの人に席を案内されて、そっと指定の座敷中正面席へ。

すでに、同席予定だったIさんは着席していた。
昨日連絡があり、今日同席予定のテアトル・エコーのYさんが、観能出来なくなってしまった。
そこで、急遽、沖縄・嘉手納基地から、百里基地に訓練に来ていたIさんに連絡。
Iさんが代わりに、観能することになった。
Iさんは防衛大学出身のエリート。
今は戦闘機に乗って領空侵犯から、日本を守っている。

これから、外国人と接する機会も多いだろう。
その時、知的な外国人が聞くことは、能、歌舞伎であることは間違いない。
まあ、そんなことはさておき、1枚のチケットが無駄にならなかったことが嬉しい。・
ちょうど、神歌が始まっていた。
正面に向かって正座。
裃装束の翁と千歳、そして4人の地謡の声が、朗々と堂内に、厳かに響く。

磨き上げられた、三間四方の舞台。
端座して身を律した姿勢は美しい。
腹の底から、地を這うように、そして、堂内の稟然とした空気が共鳴する。
日本の武士道の魂がそこにある。
そして、最初の能「白楽天」が始まった。
唐の詩人・白楽天(772〜846)が日本へやってくるという奇想天外な話だ。

白楽天は、昔から、日本では有名だったそうだ。
そのことを、白楽天自身も薄々知っていたという。
かの紫式部など、平安王朝にも多大な影響を与えたちらしい。
その白楽天が、日本人の知恵を試しにやってきた。
当時の日本、唐には文化的にも大いに劣る。

ところが、日本へ上陸してみれば、出会った漁師風情さえ和歌を嗜み、
白楽天自身も言い当てられる。
さらに、白楽天が詩を読めば、すぐさま、当意即妙に、老漁師は和歌を返す。
そして、住吉大明神が現れ、舞楽を舞い、日本の神々も登場。
神風とともに、白楽天は唐へ送り還される。
そこには、日本人の誇りと矜持が、曲のなかに表現されていた。

地謡の声は、時が進むに従い、より明瞭に聞こえ始める。
日本人の遺伝子に流れる、謡のリズムと調べは、
意味不明な時もままあるが、心に響く。
小鼓の優しい響き。
ぱちーんと直線的で乾いた音の大鼓。
日本の古来からの心象風景が、横笛の調べでさらに増幅される。
時折、大太鼓が、すとーん、すとーんと、曲の展開に彩りを添える。

そして、午後3時前、休憩となった。
緊張した舞台空間を離れ廊下へ。
扉を開けて、外へ出て、冬日の冷涼な空気を吸う。
観能する人は、さすがに年配の人が多かった。
まだ、松の内なのだろう。
着物姿の婦人も多かった。
さすがに、トイレは長蛇の列。
私もトイレは我慢することにした。

やがて、狂言「筑紫奥」が始まった。
筑紫の奥の百姓と丹波の奥の百姓が、共に領主の館に出かけた。
そしてそれぞれに、年貢を納める。
筑紫の奥の百姓は唐物(からもの・中国渡来品)。
丹波の奥の百姓は柑橘(かんきつ)類を。
領主の奏者(取次役)はさらに、田一反につき一笑いを命じた。
そして、筑紫の奥の百姓は二笑をした。
そこで、丹波の奥の百姓も笑うが、一笑半でやめた。
田が一反半なのである。。
そして、両者笑納めて、領主の館を去った。

だが、ここで二人は案じた。
目出度いことなので、領主の取次役にも、笑って貰おうと館に引き返す。
三者三様に笑い納めて終曲になった。
野村万作と、今や人気者の萬斎親子の軽妙な芸が笑いを誘った。

そして、仕舞。
裃に身を正した三人が、地謡衆五人の謡に合わせ、それぞれに舞を舞った。
まさに、武士の踊り。
威風堂々として端正、さらに高潔。
そこに、日本人の心の道が表出されている。

休憩が十分。
午後4時ころ、「草子洗小町」が始まった。
横笛、小鼓、大鼓、地謡、後見すべて出揃う。
そして、登場人物たちが、橋掛りから厳かに登場する。
帝の前の宮中の歌合せの席。
帝役は子供だ。
はっきりとした物言いは溌剌としている。
話し終われば、じっと前を見て、ぴくりともせず端然と座っている。

紀貫之、大伴の黒主(ワキ)、小野小町(シテ・長沼範夫)たちが歌合せをする。
やがて、盛大な歌合せの宴、小野小町の和歌が歌いあげられた。
だが、その歌は万葉古歌の盗作であると、大伴黒主が異議を唱える。
その証拠に、小野小町の和歌が、書き連ねられた草子を帝の前へ。

小野小町は、、凡河内躬恒、紀貫之、壬生忠峯、万座のなか恥をかかされる。
帝の前、己の潔白を証明するため、帝に、草紙を洗うことを申し出る。
もしや、後から書き加えられたものなら、それは流れ落ちるはず。

帝は許可を与え、小野小町が水で洗えば、入れ筆の歌は、さらりと流れ落ちて消えた。
大伴黒主の悪事は白日の下に。
非を恥じて自害の決意をする大伴黒主。
小野小町が帝にとりなし、大伴黒主も事無く大団円の結末。
小野小町は晴れて目出度く、舞いを披歴する。
一時間半、「草子洗い小町」は、きっちりと、
寸分のくるいもなく、予定の終演時間、5時半に終わった。
2009年九皐会定例公演、堪能させていただきました。
長沼ご夫妻さま、ご招待、ありがとうございました。

「能私観」
西欧の演劇は、役者のことをアクターと呼ぶ。
つまり、行為をする者の意味である。
ドラマとはまさに行為の連続であり、それを科白と所作をとおして表現する。
しかし、能には、ほとんど舞台上で役者の所作はない。
謡と科白が表現の主体である。
能役者の所作は簡潔であり、研ぎ澄まされてシンボリックですらある。

表情は面で消され、所作は限りなく神秘的ですらある。
シテが語り舞う時、ワキやツレなどは絶えず不動の静。
瞬きさえしない。
地謡の声が、さらに、舞台空間の静寂を増幅する。

小鼓の音は優しく、大鼓は舞台の静寂を切り裂く。
横笛の音はシテの役情を抑揚する。
能の空間は謡と音曲と舞の総合芸術なのだ。

しかし、能は観る者に努力を強いることも確かだ。
なぜならば、能に描かれた世界は、当時の武家社会で共有していた世界。
だが、今の観客には、その共有されていた世界は、学ばなければ知らない世界だ。
さらに、曲の科白や謡いも日本の古語。

能は日本の伝統芸能。
ユネスコ文化遺産には、最初に認定されている。
能は世界の演劇にも多大な影響を与えている。
その能を、より一層発展的に継承するならば、
やはり、能に描かれた世界を、日本人が共有しなければならないだろう。
そのためにも、様々な機関を通して、教育・学習する必要があると痛感した。