佐野厄除け大師さまへ厄落とし

2009年1月4日

私は今年で62歳になる。
佐野厄除け大師さま(春日岡山転法輪院惣宗官寺)は満で厄を数える。
多くは数えのようだが、厄を数えと満で数えるたりするので、
いったいどっちを信じればよいのやら。
数えなら、私の場合は後厄も消えたわけなのだが。
そこで、佐野厄除け大師さまへ、厄除けに出かけた。
前厄も本厄も、佐野厄除け大師さまへ、厄落としに出かけたのだから、
最後の〆もお大師さまに決まりだ。。

今年の初詣は、例年通り、秩父神社へ。
それ以外は、お参りに行かなかった。
やはり、初詣は一本締めで決めなくてはと。
それでは、佐野薬師さまはどういうこと?と言われそうだが、
この場合、厄落としだから、初詣とは違うのだと、何だかわからない理屈。

さてはと、ゆっくり起きて、午後2時半ごろ家を出た。
途中、店に用事があり立ち寄る。
年賀状がたくさん届いていて嬉しい。
最近は、メールなどで済ませることも多くなったようだが、
葉書の年賀状は、一味も二味も三味も違う。

人によれば、年賀状は虚礼の最たるもの。
全くもって必要なしという御仁もいる。
しかし、何とはなしに、付き合いそびれた人。
かつての古い友人への安否なども、さりげなく、年賀状を出せば、
失礼もなく、誤解されることもなく分かることも多い。

店を出て、中山道を下り、
戸田の先から首都環状に乗り、そして一路、東北道へ。
去年の日光以来の東北道、まっすぐに北上する。
やがて、ゆったりと流れる、かつての坂東の暴れ川、利根川を渡る。
さすがに、今は整備され、昔の面影はにない。
川面は陽光に反射し、きらきらと金鱗のさざ波。

やがて、正面に、雪を戴いた日本アルプスの山々が、靄りながらも銀雪に輝く。
空は抜けるように高く、雲海も傾き始めた日に照らされている。
さらに進めば、渡良瀬川。
水量は少なく、ゆるやかに穏やかに流れている。
この川はかつて鉱毒により、魚も住めぬ川だった。

足尾銅山から流れ出した鉱毒により、数え知れぬほどの民衆を苦しませた。
そして、時の貴族議員であった田中正造翁が、民衆のために立ち上がり、
行幸途中の明治天皇に直訴した。
田中正造は、世界で初めての公害運動家として、世界で認知された。

私が学生時代、20歳位の時通った「劇団東演」
八田元夫氏と下村正夫氏という、日本を代表する演出家がいた。
そして、私を鍛えてくれた師が下村正夫氏だった。
その下村氏が演出し、上演した作品が、今は亡き「宮本研作・明治の棺」だった。
まさに、渡良瀬川と足尾鉱毒事件の深部を暴き、
主人公旗中正造(田中正造)の苦悩と葛藤の中に表現された。

当時の私たちには、劇作家・宮本研の描き出す世界は、
民衆と革命がうねる鮮烈な印象を齎した。
だから、この渡良瀬川を渡る時、少なからず、
かつての演劇に夢中になった青春をフラッシュバックする。

渡良瀬川を渡れば、あとわずかで佐野薬師に到着する。
正面には雄大で、神秘的とでも言える日本アルプスの山嶺。
大きく傾いた陽光に、前を行く車の影が長く深く伸び、
路面に陰翳の濃い影のシルエットを刻印している。
やがて、影の向きが変わり、前方に短く、車と影が合体して進む。
そして、佐野藤原インターに到着した。

だが、如何したことだろうか、
昨年も一昨年も訪れた佐野薬師さまなのに、迷子になってしまった。
日はだいぶ傾き始めている。
日のあるうちに、何とか辿り着かなければと少しの焦り。
方向感覚だけを頼りに進めば、何とか佐野市街の表示。
ほっとしながら市街地を抜ければ、佐野薬師さまの門前に出た。
勿論、門前前は交通規制。
ぐるりと大回りして、何時もお世話になる無料の駐車場に車を停めた。

すでに日差しは弱く、栃木の空気は冷たい。
彼方には日本アルプスの雪が、残照に耀いていた。
秋山川の水嵩は少なく、淀みなくゆるやかに流れていた。
その川向うに、佐野薬師さまの本堂の甍が望む。
天明橋を渡り、門前通りには、たくさんの露天が出ていた。
やはり、三が日が終わったとはいえ、まだ正月。
正月の華やぎと賑わいがある。
晴れやかで、寿ぎの賑わいには良気が漂う。

露店商の呼び声の賑わい。
門前道を進めば、佐野薬師さまの参道。
山門を潜り進み、突きあたりの鐘楼を右に折れれば、本殿への参道。
すでに参拝の列もなく、並ぶこともなく、お賽銭を奉じ手を合わせる。
満年齢の後厄落としも終わった。
今年1年、何事もなく、平穏無事で終わってくれればと願う。
そして隣の札所で、厄除けの小さなお守りを、
ママと私それぞれに一つずつ買った。

境内の大香炉には、お線香の薫煙が漂う。
その隣に、あどけない幼顔のの「子育て地蔵尊」の石像。
箒を持ってせっせとお掃除の風情。
子供とお爺ちゃんが、水をかけ、ごしごしと束子で洗っていた。
すでに夕刻が迫り、境内に射す日は大きく傾き、人影は長く伸びていた。

参道の露店も、店じまいを始めている。
出口の裏門を出れば、
さすがに、先ほどの賑わいは薄れ、どこか閑散としている。
ぶらりぶらりの正月の後厄払い、小腹も空いた。
せっかくの佐野、佐野厄除け大師さま正門、
「大師庵」で、名物・佐野ラーメンでも食べることにしよう。