秩父の正月

2009年1月2日

元旦から3日まで秩父で正月を過ごす。
毎日うららかな陽気。
だが、2日の起床の刻は2時過ぎ。
すでに箱根駅伝も終わっていた。
壮絶な往路の最終ランナー。
8人のごぼう抜きにして、東洋大学の往路初優勝も見そびれてしまった。
ママの実家だというのに、何時ものことで気楽に熟睡・爆睡。

さてさて、山里の日が落ちるのは早い。
日が落ちれば初冬の冷気が、つーんと音をなして忍び寄る。
こんな時は、やはり温泉。
最近は「満願の湯」へ出かけるのだが、今回は「武甲の湯」に出かけた。
小鹿野の里も正月の装い。
各家の玄関にはお飾りが飾られている。
夜ともなれば、家によっては、華やかにイルミネーションが灯る。
すでに、里山の峰々は陰り始めた陽光で、深いシルエットを映し出す。

昔ながらの秩父往還の曲がりくねった峠道を登り切れば、武甲山の雄姿。
全山セメントの山、秩父の象徴・武甲山。
100年も削り取られた山肌は鋭角に切り立つ。
秩父の山稜を従えた王者の風格。
空はまだまだ青く高く、雲海は銀白に輝く。
峠の下り道を進めば、さらに、武甲山の威容が迫り、
荒涼と冬錆びた広い荒川の清流。
巴川橋を渡り、武甲山を右に見ながら、県道を進めば秩父市内。
秩父の夜祭見物。
お世話になる病院を過ぎれば、1分もたたずに秩父神社。
駐車場に車を停めて、お参りに出かけた。

すでに、日差しは陰り、薄暮れも間近。
日が落ち始めれば、さすがに冷気が肌を刺す。
しかし、さすがに正月2日。
参拝客も多かった。
今年からは、お参りはあちらこちらでしないことにした。
神様もあちらこちらの一つでは、さぞや気分も悪かろう。
一の鳥居の下、露店の建ち並ぶ参道を進み、
手水舎で手と口を清め、神門を潜る。
神門の両脇の大提灯には、すでに、薄紅の燈明が灯って」いた。

階段を上り、参道をまっすぐ進めば、正面に拝殿。
ママの忠告通り、参道の真ん中は避けた。
参道の真ん中は神様が通る道。
参道にも三つの道があるのだろう。
確かに、三つには意味がある。
三橋という地名は今にも各処に残る。
それは、3本の橋が掛っていたことの証。

今でも上野に残る町会の名、三橋五条町会もそうだ。
かつて、徳川将軍の菩提寺、
寛永寺にかかっていた3本の橋から来ている。
その真ん中の橋は、天皇や公家や将軍の通る橋。
そして、右が武士。
左は民衆の橋だった。

ママの実家前
すでに夕刻間近。
なんとか、明るい内に辿り着いた。
お参りは出来るだけ明るいうちに、済ませなければいければならないだろう。
出来るならば、陽光も強く、境内も凛々としている時だ。
並ぶ列も短く、すぐに参拝ができた。
お賽銭を捧げ、神妙に一礼。
柏手を打ちさらに一礼。
初詣も参殿も終わり、秩父神社に彫りこめられた彫刻の粋を愉しむ。

本殿の右手の天井近くに、左甚五郎作の「つなぎの龍」
鮮やかな青龍が鎖に繋がれていた。
かつて、秩父札所15番少林寺の天ヶ池に住み着いた龍。
暴れると、何故かこの青龍の下に水溜りができていた。
そこで、この青龍を鎖で繋いだところ、
天ヶ池の龍は、2度と暴れなくなったという伝説を持つ。

さらに、本殿真裏に回れば、「北辰の梟」
身体は前向きだが、顔は振り向き、真北を向く不思議な彫り物。
北極星信仰、北辰北斗に根ざした、この方向から、祭神・妙見様が出現するのだ。
その妙見様と深い結縁を持つと言われる。
さらに、西に回れば、「お元気三猿」
庚申信仰にもとずく、日光東照宮の三猿とは異なり、こちらは元気。
「よく見て、よく聞いて、よく話す」お元気ひょうきん三猿組なのだ。
愛嬌たっぷり、元気な体躯で、目もともぱっちりの元気三猿。
百年に一度の世界不況も、元気で、吹き飛ばして貰いたいものだ。

さらに、拝殿に戻る。
拝殿の左には、徳川家康の命により、
左甚五郎が精魂こめて彫り込んだ金彩の「子育ての虎」
徳川家康は、寅歳、寅の日、寅の刻生まれ。
まさに、寅は家康の象徴でもあった。
子虎は母虎の愛に戯れ、それを愛しみながらも、本殿の神を護る母虎の威風。
じっくり見渡せば、秩父神社は彫刻の宝庫だった。

秩父神社を護る「柞乃杜(ははそのもり)」
かつては38000平方メートルもあったという、雑木の杜。
クヌギやオオナラの繁茂する深遠なる杜であった。
すでに、夕色も漂い、しんしんと夕靄に包まれ始めていた。
そして、秩父神社から、「武甲の湯」へ向かった。

ミューズパーク見晴らし台からの武甲山
秩父市内を抜けて、武甲山麓に広がる横瀬へ。
そして、途中、左に折れて、鄙びた山間の、緩やかに蛇行した道を進むと、
横瀬川に面して、「武甲の湯」はあった。
さすが、正月2日、駐車場は一杯だった。
すでに、日はかなり落ち、山里の冷気は厳しさを増す。

車を降りてフロントへ。
入浴料800円を払い中へ。
大宴会場からは、カラオケの声が賑やかに響いていた。
休憩室の通路を抜けて進むと脱衣所があった。
そして、総ガラス張りの大浴場へ。
身体を洗い、きらりと透き通った湯槽に浸かった。

湯はやわらかく、少し熱めだが、身体を芯から温めてくれる。
少し、塩素の臭いはするが、広い浴槽に身体を伸ばせば快愉満載。
身体も湯味に馴染み解れた。
外を見れば離れに露天風呂があった。
連なる石路を歩けば、六角形の総檜の風呂だった。
露天風呂とはいえ、かなりの広さだ。
風呂の中央に向かって、すでに、16人くらいは浸かっていたか。
風呂は少しぬるめだが、湯味は先ほどよりは、少し濃いような気配。
肩まで浸かり足を伸ばす。

すでに日は完全に落ち、湯槽に掛る、太い4本の柱に支えられた、
丸太小屋風の天井の梁には、対角線上に、
四つのランタンの灯が、懐かしい風情を醸す。
天井を支える梁は、太くたくましい古民家の趣。
空には三日月が輝き、一つ二つ、空高く、星が煌いていた。
時折、風が流れ、肌をつーんと突き刺す。
武甲山の麓、山里の湯は、限りなく、優しく、一年の滓を洗い流してくれた。
今年一年、なんとか良い年にしたいものだ。