(The Oldest Bar at Ohyama District)
October 2019.10
令和元年草野球チーム・ガンズの飲み会 2019年10月23日 こちらからどうぞ↓ http://www.p-poppo.jp/1yukai-nakama-guns-2019-10-22.html マスター&ママの初秋の京都の旅Ⅰ 台風19号が去り、その朝京都へ 2019.10.16 こちらからどうぞ↓ http://www.p-poppo.jp/1diary2019-10-13-kyoto.html Shotbarピーポッポ通信 所用があり、13(日)ー14(月)まで休みます。 15(火)から平常通り、営業いたします。 早朝、京都まで新幹線で、行かなければならない。 超大型台風19号が、本土を直撃するようだ。 交通機関は、かなり乱れるだろう。 予定は変更できない。 台風の進路が変わるか、上陸の時間が早くなるか、どちらかを祈る。 それにしても、地球規模で、気象変動が凄まじい! (2019年10月11日) かつては東京に音の風景があった! 2019年10月4日 もう過ぎてしまったが、10月2日は豆腐の日だそうだ。 語呂合わせで、記念日になったのであろう。 日本人は、駄洒落や語呂合わせが、好きなようだ。 豆腐と言えば、私が子供のころ、パープー、パーポーと、間の抜けたラッパの音を、思い出す。 夕方近くになると、豆腐屋さんのラッパが、町に響いた。 おかみさんたちは、小鍋を持ち、豆腐屋さんへ行く。 豆腐屋の親父さんは、自転車の荷台に積んだ、木製の四角い桶から、豆腐を出し小鍋に移す。 そしてまた、ラッパを吹きながら、町を流していた。 早朝には、納豆屋さんが、「ナット~、ナット~」と言いながら、やって来た。 昼過ぎになると、シジミやアサリ売りの、親父さんやおばさんがやって来る。 何時も来る人は同じで、町の人たちも、規則正しいのであてにした。 毎週、曜日も時間も、ほとんど同じである。 何時しか町内と、交流が生まれ、さらに近隣の様子さえ、教えてくれた。 何処から来たのか、訊いたことがある。 アサリ売りの親父さんは、千葉県稲毛から来ていた。 野菜売りのおばさんは、千葉県柏辺りから来たと記憶する。 背中の背負子に、地元産の野菜を積み、電車を乗り換え、世田谷まで来たのである。 初夏になれば、風鈴売りの親父さんが、リヤカーに乗せた、風鈴を響かせながら、町々を行く。 その爽やかな、風鈴の音を聞き、夏の訪れを、子供ながらに知った。 夏祭りのころになると、リヤカーに金魚を乗せて来たものである。 少し太めの、恰幅のよい、親父さんが、「キンギョ~イ、キンギョ~イ」と、鼻歌まじりだった。 金魚売には、江戸っ子の粋が、物を言ったのかもしれない。 そのころ、新聞屋さんも、肩襷に新聞を束ね、走りながら家々に、配達をしていた。 多くはアルバイトの学生で、夕刊などは、顔を合わせば、「夕刊です!」と言って、手渡してくれた。 すでに、あれから60年は経っている。 かつて、東京の町に、物売りの声や、季節を告げる、音の風景があった。 今は町に、雑音や喧騒が溢れる。 街に秋色が忍び寄る 2019年10月2日 黄昏時、店に向かう。 路傍のハナミズキが、赤銅色に色づいてきた。 さらに行くと、一列に並ぶ銀杏並木も、すでに緑が陰り始めている。 青空にうろこ雲がたなびく。 なだらかな坂道を下り、公園の前に来る。 すでに蝉の声も消えている。 遠くから渡りくる涼風は、爽やかである。 だが日中の暑さは、夏の名残を残す。 この暑さも、後わずかであろう。 かつて、台風一過、青空が広がり、急速に秋色を濃くした。 台風が去ると、栗や柿が、大地に落ちていた。 それを持ち主の目をかすめ、拾いに行ったものである。 |