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March.2012.3



45年振り、演劇鑑賞会へ入会
2012年03月30日


今日は暖かい一日。
だが吹く風は強く、春の嵐が吹き荒れる。
公園に咲く紅梅の梢が、右に左に揺れている。

風さえなければ、梅の匂いが、辺り一面を包むであろう。
梅の花の先には、碧空を背景にして、桜の古木が端然と佇む。
梢を見れば、今だ蕾は硬い。

明日は三月の月末、一年の四分の一が過ぎ去る。
四月は未来への旅立ちの月でもある。
私も小さな旅立ちをした。

遠き学生時代、四十五年も前のことである。
演劇鑑賞同好会の支部長をしていたことがある。
当時は新劇と言われる、左翼系の劇団があり、全盛を極めていた。

若い労働者や左よりの学生たちは、安くチケットを購入して、たくさんの芝居を観たかった。
そして演劇鑑賞会に入会し、月々の会費を支払い、年間に六本の芝居を観ることが出来た。
新劇は、時代の変革を希求し、新しい未来へ躍動する若者たちの、精神的な欲求を満たした。

矛盾を孕んだ高度経済成長において、新しい時代の精神を映し出すものが新劇であった。
だが現在、新劇と言われる言葉は、死語と化しつつある。
かつて新劇を愛した私たちの世代には、とても寂しい思いがよぎる。

演劇はこの数十年の間に、たくさんのジャンルへ分化した。
そしてそれぞれに、格段の進化と成長をし、たくさんの演劇ファンを育て拡大した。
だが、私たちが、かつて、私たちに感動を与えた新劇の観客は、年々減少している。

新劇の観客が老齢化したことも、大きな原因の一つでもあろう。
そこで、私は妻と共に、今日、板橋演劇鑑賞会に入会した。
青春時代にお世話になった新劇に対する、ささやかなお返しの気持ちでもある。

そして、新劇の素晴らしさを、若者達へも伝えてゆきたい。
一人でも二人でも会員を増やし、微力ながら、新劇を支える力になれればと思う。
来月には、劇団東演「どん底」を、入会第1回作品として観劇する。

劇団東演は、私が二十歳の頃、お世話になった劇団でもある。
年間教室で、演出家の八田元夫氏と下村正夫氏に、
スタニスラフスキー・システムを教えて頂いたことを思い出す。






春三月、新しい旅立ち
2012年03月28日

春三月は桜の季節。
だが今年は梅の花が咲き、麗らかな陽光に、菜の花の黄金色が眩しい。
何年か前のこの時期、埼玉県にある権現堤を訪れた。

蒼穹から降り注ぐ陽光に、咲きにおう桜花が照りかえる。
さらに振りさけ見ると、堤の彼方、菜の花の黄金の海が広がっていた。
だが今年の桜は遅い。

東京の桂離宮恩賜公園では、菜の花が見所を迎えた。
梅の花と菜の花の饗宴も、また一興を誘う。

春三月は卒業シーズン。
学校を卒業して、若者達が社会へ巣立つ。
一昨日、仏教系の大学を卒業したHさんが、実家へ帰る前の挨拶に来店した。

何時会っても、頭を奇麗に剃髪して、清潔感があふれている。
Hさんの実家は、平安時代から続く名刹。
庫裏には平安時代に編まれた、二千巻の経典が、収められていると聞く。

彼のお爺ちゃんはすでに高齢で、かつて脳梗塞に倒れていた。
たった一人の孫であるHさんが、お爺ちゃんの後を継ぐことになった。
まだ若い彼は、これから様々な古い仕来りの世界で、生きてゆくことになる。

「お酒は家で飲むの?」
「いえ、飲みません」
「法事の時なども飲まないの?」

「ええ、そうしようかと思っています。僕のような若造が、人前で飲んだりしてはいけない様な気がしますので・・・・・・」
「でも、古いお寺だし、檀家とは強いきずながあるのだから、少しは頂いた方が良いのじゃないかな」
「そうですか?」

「ママの実家の秩父の人なんか、仏事の後、お坊さんがお酒を飲んでくれると嬉しいみたいですよ。
僧侶との心の交流を愉しんでいるようで・・・・・・」
都会では仏事において、僧侶との関係は浅薄であることも多い。
しかし、地方に於いては、僧侶と檀家の間には、歴史的にも深くて濃密な関係が成立している。

「まだ若くて、経験もないのだから、檀家の人に色々と教えてもらうことが一番かも。
古くからのお付き合いなのだし、君に立派なお坊さんになって貰いたい気持ちから、親身になってアドバイスしてくれると思うよ」
これから、実社会の中で、新しい人生を歩むHさん、優しい瞳の中に、未知へ旅立ちへの光の色が見える。

新しい人生、分からないことだらけで、矛盾したことも多い。
だが、分からないことを、素直に教えてもらう勇気を持つことも大切である。
そして、自己の未熟さを知り、さらに努力をしてゆく。

還暦過ぎの私も、未熟なことだらけで、未だに尽きることのない努力の連続の日々。
その努力も苦しいものではなく、何時の日か愉しさに変わる時が来る。
未来への旅立ち、成長した姿のHさんとの再会を、愉しみにしています。






桜の花が門出のお祝い
2012年03月24日


朝目を覚ますと雨が降っていた。
天気予報では、今日は雨降りではない筈なのだが・・・・・・。
新聞を読み終わり、またひと眠りをし、昼近く目を開けると、明るく日が差していた。

そうだよ! 今日は晴れることになっていたのさ。
そして昼下がり、仕事に出かける。
外に出ると、空は碧く、綿雲が千切れながら棚引き流れる。

近くの公園を見ると、紅梅や白梅が咲きこぼれ匂い漂う。
春の陽気に吹き流れる微風が、梅の妖艶な匂いを運ぶ。
それにしても遅い梅爛漫。

例年であれば、今時は桜の花が開花する頃。
桜名所の公園の桜を眺めると、開花には程遠く、蕾は硬い。
すでに飾られた提灯が、寂しげに春風に揺れていた。

最近は、学校の卒業式前に、桜が咲くことも多い。
私の子供の頃を思い出せば、匂い咲く桜満開の下で、入学式を迎えたような気がする。
どうやら今年は、入学式や入社式を、華やかに零れ咲く、桜の花が祝ってくれるであろう。






夕食前の1時間の読書は愉し
2012年03月21日

お彼岸も過ぎ、いよいよ南の国から、桜の便りも聞えて来た。
東京ではやっと梅が咲きほころびたというのに、今日は四国の高知県で、桜の開花が宣言された。
例年に比べれば、遅咲きの梅とはいえ、やはり3月ともなれば、昼間の寒気は大いに緩み、柔らかな日射しが降り注ぐ。

その日射しに誘われるように、私は毎日、1時間以上早く家を出る。
途中で買い物をして店へ行き、スタンバイをした後、喫茶店へ。
仕入れが無い時は、直接、喫茶店へ出かける。

コーヒーを飲みながら、昼下がりの読書を愉しむ。
今は田山花袋「田舎教師」を呼んでいる。
弥勒高等小学校の教員で、主人公・林清三の心の煩悶と、苦悩の日々の中、一人の青年教師の成長の姿が描かれている。
だが、人が生きることの真実を発見し始める頃、身体は病に冒されていた。

舞台は熊谷、行田、羽生の田園風景や、利根川の美しい情景が描かれている。
明治時代の北埼玉、羽生の自然の風光が、時には寂しげに、そしてまた愛おしむように、陰影深く描写されている。
この辺りは、権現堤の観桜の時、佐野厄除け大師のお参り、行田の忍城址公園へのドライブ等の折に度々通る。

小説の中で、主人公が歩く道筋が、ぼんやりではあるが想像できるのが愉しい。
何時か、花見やお参りの際に、清三が歩いた道を、再度、訪ねてみたくなる。
それにしても、主人公はよく歩く。

2里等は日常茶飯事だ。
2里と言えば8キロの道のり。
私の住む板橋区を直線距離で測れば、何処から測っても8キロ以内だと言われている。

さらに、明治時代に書かれた「田舎教師」には、リアルタイムの明治の歴史が登場する。
青森第3連隊の雪中行軍凍死問題として、八甲田山の死の彷徨事件や、足尾銅山鉱毒事件、
さらに日露戦争などが、リアルタイムの事件として登場する。

すでに、百年以上経過した歴史上の事件が、即時的な歴史として表現されているのを知り、
百年前の歴史が、生々しい歴史となって浮かび上がる。
そして、百年の時間とは、実は遠い歴史ではなく、2世代前の歴史であることを認識させられる。
小説を読む愉しさの1つに、小説を通して描かれた、リアルタイムの歴史を発見することにもある。

昼下がりの夕食前の一時間、一行一行、心の中で声を出しながらの読書は愉し。
さてさてこれから、何時まで続くことやら。
出来るだけ永く続け、愉しい習慣にしたいもの。






逞しいかな、お母さん
2012年03月17日

先日友人の行政書士のSさんが来店した。
Sさんは、私の大学時代の知り合いなのだが、年賀状を交わす位で、あまり話したこともなかった。
やがてお酒が入り、Sさんの口跡も滑らかに、話が盛り上り始めた。

そしてSさんの兄弟の話になり、Sさんの家族構成を聞いて吃驚!
Sさんには、5人の兄弟がいた。
太平洋戦争の最中のこと、Sさんのお父さんは、Sさんのお母さんと結婚する前に、すでに結婚をして2人の息子がいた。
やがて、Sさんのお父さんと、Sさんのお母さんが不倫状態になった。

お父さんは離婚をし、Sさんのお母さんと結婚した。
そしてSさんが誕生した。
やがてSさんのお父さんが亡くなった。

Sさんのお母さんは、Sさんを残して沖縄へ出る。
そこでまた、沖縄在留のアメリカ兵と知り合い、結婚をして新たに2人の男の子を生んだ。
「マスター、僕には腹違いの兄が2人と、種違いで肌の色も違う弟が、2人いるんです」

「それは凄い! お母さん、逞しいね。それで兄弟は会うことあるの?」
「住んでいる所は、それぞれに違うのですが、みんな仲良しです」
「それは素晴らしい!」

腹違い、種違いの5人兄弟が、仲良く親戚付き合いをしている。
殺伐として、人間関係も薄くなり始めた現代社会。
例え母違い、父違いであっても、兄弟の厚い絆で結ばれる。
そこに流れる兄弟の情愛の深さに、強い感動を覚えた。





20年間のご来店、ありがとう!
2012年03月14日


先日、近くの病院で看護師をしているWさんが来店した。
このところ、来店しないので、体調でも崩しているのかなと、少し心配をしていた。
やはり健康状態が、少しすぐれなかったようだ。

「マスター、ハーフのシャンパンある?」
「ハーフでなくて、小瓶ならあるけど」
「それを開けてください」

そして、シャンパンを開ける。
「実は、転勤が決まりました」
「どこへ?」

「武蔵野にある、重度障害者のいる施設みたいです」
「それは寂しくなるな。何時から転勤するの?」
「4月1日からです」


Wさんが私の店を、最初に訪れたのは、今から20年前に遡る。
病院の仲間たちと、5人で来店したと記憶している。
その時はまだ、Wさんは余りお酒が飲めず、お酒を飲んで失神しそうになったこともある。

でもそこは看護師さん仲間、さすがに完璧な看護が見事だった。
そんなWさんも、私の店に通うようになり、スコッチ・ウイスキーのモルトなどを、ロックで飲むようになった。
現在のお気に入りは、グレンローゼス。

柔らかく滑らかで、芳醇な香気が、好きなようである。
考えてみれば、Wさんのために、たくさんのお題をいただき、オリジナル・カクテルを造った。
その記録が、私のオリジナル・カクテル帳に、今も残されている。

何かとお目出度い時には、シャンパンのフルボトルを開けてお祝いもした。
また外国旅行好きなWさん、コーヒーカップやグラス等や、お酒のお土産もいただいた。
オーストリアに行った時は、アイスワインを、イタリアの時はレモンチェッロを。

とろりと甘く、口の中に芳香が広がる、凍るように冷たいアイスワインは美味しかった。
暫くは現在住んでいるマンションにいるようだが、仕事が落ち着いたら、新天地へ引っ越す。
お店からは遠くなり、Wさんに会えなくなるのは寂しい。


だが、出会いがあれば、何時かまた別れの時は来る。
その別れが、新しい未来になるのであるから、喜んで送り出さなくてはいけないであろう。
20年もの長い間のご来店、ありがとうございました。






お酒の話を更新
桃の霊力とピーチツリー」
2012年03月10日







我が町、板橋宿&ハッピーロード「大山ダルマ市場」
2012年03月06日



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