演劇観賞記「東京演劇アンサンブル・日本の気象」

2008年3月30日<日>

3月30日(日)、
東京演劇アンサンブル「日本の気象」を観に、武蔵関まで出かけた。
2年前、劇団は新劇を代表する演出家・広渡常敏氏を失った。
そして、今回の上演は、広渡氏の追悼公演であるとともに、
日本の演劇史に燦然と輝く、久保栄没後50周年記念公演でもある。
創立50周年を迎える東京演劇アンサンブルの原点回帰の意味もある。
「日本の気象」は1953年、劇団民藝の初演以来、再演は1度もなかった。
久保栄の作品は、大変な長篇。
登場人物も多く、科白は実証的で、精緻にして、なおかつ長い。
上演するためには、劇団の総力を傾注しなければ、上演はまず不可能だ。
東京演劇アンサンブルの上演は、
かつて、民芸の公演に感銘を受けた、広渡氏の悲願でもある。
「日本の気象」は、リアリズム演劇の金字塔である。
花冷えのする1日。
桜満開の光が丘公園へ、少し回り道をする。
さすがにこの天気、公園には花見客がいなく、さびしい風情。
かぜに吹かれて、路上に散った桜花は無残で悲しい。
桜の回廊を抜け、川越街道へ。
陸上自衛隊・練馬駐屯所の桜は見事に満開。
そして、環八へ出て新青梅街道へ。
環八が開通したので、あっというまに新青梅街道へ出た。
後は、ひたすら、進むだけ。
家を出て、30分ほどで、
東京演劇アンサンブル「ブレヒトの芝居小屋」へ到着。
近くの駐車場に車を停め、少し早いが劇場へ。
頼んであったチケットを貰い、中へ。
ホールには、友人で俳優の田辺さんがいた。
まだ時間があるので、珈琲を飲む。
珈琲はかなりの深煎りで私好み。
今日は満席のようだ。
私たちも、早めに席へ。
後ろから2列目に座る。
舞台上手に、大きな階段様の大道具。
観客席には、補助椅子も出てきた。
いよいよ、開幕を知らせる1ベル。
そして、すべての照明が落ちる。
やがて、舞台がさーっと明るくなった。
敗戦の夏、ywccに本部を置く、海軍気象部の分室。
気象第2課・特務班、調査研究班の人たちが登場する。
太平洋戦争下、戦時体制に組み込まれた技師たち。
暗号解読の書類とともに、こつこつと積み重ねてきた、
気象に関する膨大な研究資料が、
今、上層部の命令により、焼却処分になる。
若き技手や技師たち、そして研究員たちは、
失われて行く大切な研究資料を、ただ見つめるほかなかった。
日本気象台は、やがて、軍の統制から、解放され、
極東空軍管下、軍属が転籍される。
東京裁判は始まるとともに、戦犯は裁かれる。
やがて、朝鮮戦争。
レッドパージや労働争議の激動の時代。
崩壊したはずの官僚体制も刻々と復活し、戦争責任自体も風化し始める。
かつての軍部の上層部も、するりと、何もなかったかのように転属する。
すこしづつ、社会は安定を取り戻すが、社会の歪は激しくなる。
その中で、
インテリゲンチャーである、気象技術者たちの使命、良心が問われていく。
国の政策と労働者のはざま、右往左往し、
時代の激流に翻弄されながらも、技術者たちは、自分自身の生き方を模索する。
精緻に構想され、検証された社会状況の中、
社会の歪を炙り出す、典型的な人物群像。
一点の曇りもない科白は、淡々と語られ、ドラマは最終章の5場。
かつての仲間の自殺と葬列は、過去への決別。
それぞれの登場人物が、自分たちの進むべき道を模索し、決断し旅立つ。
4時間余りの時間は終わった。
昔は、4時間くらいの作品はざらにあった。
今は平均2時間くらいだろう。
かつて、劇作家・岸田国士は書いていた・。
人間の物理的観劇時間の限界は、3時間くらいだと。
だが、最近の観客は、劇場という空間に、3時間は耐えられないだろう。
4時間の演劇。
かつては、観るものも燃えていた。
熱い新劇に触れる、ずしりと重い感動。
久保栄の精緻なる演劇空間。
舞台の人物たちのディテールのくっきりした表現。
無駄のない簡潔な舞台の中、濃密な演劇空間が存在した。
さらに、昔の仲間・田辺三岐夫さんが、舞台に復帰したことは、ことのほか嬉しい。
劇団の大黒柱として、これからの活躍を期待します