GUNS新年会2008−2010
GUNS新年会&20周年2008.2.17(火)


昨日は、私がGMをしている草野球チーム・GUNSの新年会。
久しぶりに、私も出席。
私の店の近くにある中華料理「高社郷」の2階へ。


GMとはなばかりで、最近は、ほとんど試合にも出かけていない。
パーティーに出席するのも、GUNSのメンバー、
竹原慎二さんの店「カンピオーネ」に出席して以来だ。


会は1時から始まった。
監督兼エースの「団長」は、残念ながら欠席。
一番楽しみにしていた本人が、出席できなくて、さぞや残念至極。
GUNSのすべては、「団長」の仕切り。


なにからなにまで、すべて、「団長」におんぶに抱っこのチームだ。
その「団長」が、3月から大阪へ転勤に。
草野球チームGUNSに、どっかりと暗雲が漂うことに。
そこで、これからの、GUNSの運営に関して、緊急の会合となった。


GUNSも、早いもので、今年で20年を迎えた。
そのお祝いもかねて、酒でも飲みながら、
今後を検討するかということになったのだ。
午後の1時。


メンバーたちが集まり、中華料理を摘みながら、お酒を飲み、今後のことを検討。
結論として、無理のないところで、
今までどおり、GUNSを存続させようという事に。
メンバーの、GUNSに対する愛着は、なみなみならぬものがあった。


私も、以前のように、スカウト活動を、復活することになった。
GUNSも、なんと20年も経ったとは驚きの一語。
当時、「団長」たちは、まだみんな学生だった。
その、かつてのメンバーも、今は37、8歳になった。


最近は、ほとんど、会うこともないが、みんな結婚をして、子供がいる。
そして、会社では、バリバリの働き盛り。
その分、野球の試合には、来れなくなるのだが。
今日のメンバーは、昔のメンバーより、かなり若返っている。


チームは生き物。
何時も新鮮な若き血が注ぎ込まれて、いつまでも生きつづける。
GUNS存続の危機は回避された。
ゆったり、のんびり、楽しく雑談をしながら、飲み会は5時前に終わった。
これから、2次会に、私の店「ショット・バー・ピーポッポ」へ向かう。


日曜日は、私の息子がやっている。
私もGUNSのメンバーとして、
美味しくお酒をいただく事にする。


GUNS新年会2009.2(日)
居酒屋「落合」にて


今年も新年会に参加した。
場所は中野坂上にある「居酒屋・落合」
この店は、私たちとも馴染みの落合さんのお父さんが経営。
割烹「落合」の御主人 落合の息子さんで、我々の仲間
今は、息子さんと二人三脚で、美味しい料理を作っている。
私は「居酒屋・落合」は初めてだ。

 
すでにこの地で、40年やっているというから驚きだ。
私の店などまだまだ若造。
 
親父さんは37歳ころからマラソンを始め、
日本のトライアスロンレースに欠かさず参加。
その世界では知る人ぞ知る存在らしい。

 
今日の新年会は2時から始まる。
中野坂上駅に集合して、ぶらりと「居酒屋・落合」へ。
天気は快晴。

 
陽光を浴びながら少し歩くと到着した。
奥の座敷にそれぞれ座り、ティームの頭領、

通称「団長」がまずは挨拶。
そして、生ビールで乾杯をした。

 
すると、次々と料理が運ばれ、
美味しい肴を摘みながら、おのずと酒もすすむ。

それぞれに、自己紹介が始まり、やがて楽しい歓談が始まった。
私もこの草野球ティームとは、21年の付き合いになる。


そのころのメンバーは皆、学生だった。
今は、当り前のことだが、全員結婚している。
監督で主戦投手 
さすがに
、昔のメンバーは、団長と弟さんのヨっちゃん以外は、
ほとんど参加できなくなった。


家庭やら仕事やらで忙しくなってしまったのだ。
だが、絶えず新しい人たちが参加してきて、
ティーム自体は元気に存続している。
これからも、きっと、草野球ティーム「 GUNS」
は大活躍するだろう。

 監督一家

GUNS新年会2010.2.14(日)
居酒屋「落合」にて


「出席者」男性10人、女性3人、子供1人でした
今日は私がGMをしている草野球チーム「GUNS」の新年会だ。
待ち合わせ場所は、何時もの地下鉄中野坂上で、12時30分。
ママに地下鉄東京メトロ副都心線和光駅まで送ってもらった。
地下鉄東京メトロ副都心線など滅多に乗ることもない。
ほとんど、店への通勤に、東武東上線か、地下鉄三田線を使い、店からの帰宅はママの運転する車だ。
だから、たまに乗る地下鉄副都心線は新鮮だ。
何でもないようななものにも、新鮮さを感じれるのだから、いたって安上がりにできている。

やがて、乗り換えの新宿3丁目駅に到着した。
駅を降りて乗り換え口へ。
しかし、間違って、改札口から外へ出てしまった。
駅員に事情を話したら、信用してくれて、新しく切符を作ってくれた。
やはり、乗りなれない都心の地下鉄、私も田舎者になったものだと自覚した。
これでも、れっきとした東京生まれの東京育ちなのだが。
板橋区に引っ越すまでは、東京のど真ん中に住み、仕事場へは歩いて通っていたものだ。

そして、地下鉄の駅員に教えてもらって、丸ノ内線に乗り換えた。
丸ノ内線は、若いころ乗り馴れたた路線だ。
新高円寺と銀座を、いったい何度往復したのだろうか。
やがて、中野坂上に到着した。
待ち合わせ時間より、10分くらいの遅刻だった。
そして、チームの仲間と、新年会場「大衆割烹落合」へ向かった。

駅を出れば、新宿の高層ビル群が、強い陽光に照らされていた。
このところ、愚図ついた日が続き、こんなに清々しく晴れ渡ったのは久しぶりだ。
仲間たちと雑談を交わしながら、10分ほどで、「大衆割烹落合」に到着した。
すでに、奥の部屋には、宴席が設けられていた。

「GUNS」が誕生したのが1989年。
当時は、ほとんどが大学生だった。
そのメンバーたちも、今は全員結婚をして、それぞれに子供たちもいる。
そして、驚いたことには、すでに40歳を越している、立派にオジサン&オバサンなっているのだ。
当然のこと、この私も、還暦過ぎの初老オジサなのだ。

「GUNS」誕生以来、すでに、20年以上も経過している。
その間に、チームメンバーもたくさん変わった。
そして、かつての仲間たちも、まさに今は働き盛り。
地方や海外で活躍する人達もいる。
だから、かつてのように、日曜日に草野球をやる余裕もなくなった。

「GUNS」誕生の発起人で監督を務める、通称「団長」も、1昨年、勤務するスポーツ用品会社から転勤を命じられた。
そして、約2年の間、神奈川に家族を残して、大阪へ単身赴任した。
1ヶ月に2度は、家族に会いに帰省した。
その時、「GUNS」のメンバーを集めて、対外試合をしていた。
だが、今年の3月、家族を大阪に呼び、家族水入らずの生活が始まる。

そこで、今回は、監督の休部と新監督への引き継ぎでもあった。
新監督は、チームで1番若い大輔さん。
そして、それをサポートする温和で面倒見の良いな春日さん。
団長の挨拶が終わり、大輔さんが新任の挨拶と、乾杯の音頭ともに、宴席は始まった。
今年もまた、「大衆割烹落合」の親方と息子さんが作る手作り料理が、次々とテーブルの上に並べられた。

私は名前だけのGM、この時くらいしか、「GUNS」に顔を出すこともない。
かつての仲間は、団長以外に誰もいない。
だが、団長が直接に運営する事はなくなったが、「GUNS」はまた新しく、今日、新監督と共に新生した。
やはり、草野球チームも公器、人が変わっても、永遠でなければいけないのだろう。
団長、長い間、お世話様でした。