Today's Comment

JUNE 2004.06

6/20<日>
今日はまさに夏日。
台風6号が南の島々を暴風雨で襲撃。
ちかじか、四国の高知県に上陸するようだ。
キラキラ太陽の夏、イヨーッ真打登場と思いきや台風。
お手柔らかにお願いします。

公園の樹叢の影は暗く濃い。
空は高く快晴。
風に流れる雲は銀色に照り輝き、
万物を焼き尽くすような陽光は輝く。
フランスの印象派が求め続けた、燦燦と大地に降り注ぐ陽光。
光と影の陰影がとても深いコントラスを描き始めた。

6/17<木>
涼しい風が吹きわたる、板橋区の外れの徳丸地区。
いまだ点在する取り残されたような農家の畑。
道との境に植えられた生垣から、恥ずかしそうに、薄紫の朝顔が顔を出している。
紫陽花の季節もやがて去り、朝顔やほうずきの季節がやってくる。
入谷・鬼子母神境内の夏の風物詩、朝顔市ももうすぐだ。
毎年 7月6日〜7月8日 (三日間)開催される。

江戸っ子は朝一番から、台東区根岸にある現在は創業三百十年、
豆富料理の老舗「笹の雪」に出かけたもの。
豆富つくしの料理をつまみ、一杯日本酒をひっかけ、そぞろ入谷鬼子母神に向かう。
「笹の雪」では、けっして豆腐とは書かない。
食べるものに腐るを書くのはいただけないと考えているから。
いまだに当時の製法そのままのにがりと湧き水のみを使用しているとはありがたいこと。。
リンクを更新 NEWの印:NOBUSAN'PAGE

6/15<火>
イタリアのフィレンツツェ・アカデミヤ美術館が所蔵する、
ルネサンスの巨匠ミケランジェロの傑作ダビデ像の清掃作業が終了した。
大理石のダビデ像は、高さ4.6メートル、重さ約5.6トン、
細く逞しい両足をもってしても支えきれず、両足首には亀裂が入っているそうだ。

今回の清掃作業は、ダビデ像完成500百年を記念して実施された。
昨年の9月より、日本の柔らかい和紙と蒸留水で磨き上げられ、往時の勇壮で華麗な姿を取り戻した。
日本の伝統技術が、こんなところで貢献するなんて素敵なこと。
しかし、早く両足首の修復作業は、早く始めてもらいたいですね。

最近は、イタリアのリキュールが出るようになり楽しい。
私のお奨めは、アペロール・オレンジ、ボッチ・ボール、フェルネッタ・ブランカのソーダ割り。
勿論、グラッパは何時でもOK。
甘口のリキュールのような、エチケッタ・オロも試してください。
ブランデーのイメージが大きく変るかもしれませんよ。

6/10<木>
このところ、スーパーなどでルビーレッドのグレープフルーツが安い。
何故なのか分った。
果肉の赤いやつが不作になるらしいという情報が、商社に流れ、いっせいに買い付けに走った。
ところが、収穫は例年どうりで、日本の港頭冷蔵倉庫に、グレープフルーツの在庫が積み上がり、
仕方なく投売り状態になったらしい。
これからは、南アフリカ産が旬を迎える。
処分できるものは、この際全て売り切ろうと言う算段らしい。
かつて、茨城のカボチャ栽培農家に、肥料として処分した事もあるそうだ。
モノを仕入れるとは、何時でも難しいものですね。
グレープフルーツのカクテルは、これからが本番。
ザ・アラモ、イスラデ・ピノス、スプモーニ、ソル・クバーノ、ぜひ味わってください。

6/8<火>
ぐずついた天気で肌寒い。
街路樹の木陰にひっそりと紫陽花が薄紫で匂うようにが咲いている。
涼しいと言うよりかは、冷たい風に吹かれて、右に左にゆらゆら揺れている。
今は紫陽花の季節。
少し寂しげで哀しそうな風情に、日本人の心の琴線に「もののあわれ」を響かせるのかもしれない。

最近、「開高 健の憂鬱」なる本が出版されたようだ。
豪放磊落で豪胆な行動的芥川賞作家と思いきや、
夏目漱石と同じく、そううつ病であったとは驚く。
病名は「内因性躁鬱病」
躁のときは、多弁で行動的であり、鬱の時は一転、メランコリックになり引きこもり、
原稿に文字を書くどころか、新聞を読む事もできなくなったそうだ。
そんな作家の心の複雑な葛藤と作品との関係を研究した本で、いずれぜひ読んでみたい。
「孔雀の舌」「オーパ!」「ロマネコンチ1935」など、食や酒に関するエッセイは、
日本の文学者の中にあっての金字塔。
1989年食道がんで58歳で逝去。
私ももうすぐその歳になる。
私と比べ、やり遂げた仕事の偉大さに、今更ながら愕然とする。

6/1(火)
昨日までの夏日は嘘のようだ。
今日は肌寒い。
うっかり、半袖だけで出かけてきたが、帰りの道すがら寒さが堪えるかも。
上着でも羽織ってくれば良かったかなとふと思う。

6/1は「ガムの日」だそうだ
誰が何時決めたかは知らないが、起源は平安時代にさかのぼるようだ。
正月には「歯固め」の行事で、硬い餅などを食べ、年の真ん中の6/1は折り返し点、
宮中では硬い氷を、一般庶民は硬くなった餅などを食べ、何時までも物が噛めるように祈願した。
現在のように歯科治療の技術が皆無の時代、自分の歯を何時までも大切に、
そして長持ちさせる事は、自分の寿命にかかわるたいへんな問題であったことに間違いはない。

2004.05 2004.04 2004.03 2004.02 2003.01
2003.12 2003.11 2003.10 2003.08 2003.07 2003.06 2003.05 2003.04 2003.03 2003.02 2003.01
2002.05-12