Today's Comment

JUNE 2003.06

6/29<日>

23日ロンドンのサザビーズの競売で、エゴンシ-レの「クルマウの風景」が
日本円で約25億円で売れた。
エゴン・シーレ(Egon Leo Adolf Schiele)オーストリア表現主義の画家。
1890年6月12日に誕生するも、1918年10月31日に28歳で夭折。
1916年に制作された作品を、友人が買い取っていたが、
ユダヤ人のため、ナチにより略奪没収された。
エゴンシーレとヒトラーは同時代人。
かつ、同じ美術学校の入学試験を受けたが、シーレは合格、ヒトラーは不合格。
シーレは芸術家へ、ヒトラーは史上最悪の独裁者への道を辿る。
しかし、もしも、ヒトラーがシーレの絵を略奪・保管していなかったならば、
戦火に焼かれ、シーレの絵は、永遠にこの地上から消滅していたかもしれない。
なんと、歴史は惨く、パラドキシカルな教訓を与えるのだろうか。

6/26<木>

アジサイの花が公園の隅の薄暗がりに、ポワーッと大輪の花を咲かせている。
赤、青紫、白と、恥らうように、健気に、ヒッソリと、肩を寄せ合うように咲いている。

アジサイは梅雨時の花。
喜びや耀きに対して、何処か悲しみや寂しさを漂わす。
シトシトと降る梅雨に濡れながら、哀しげに、しかし、力強く、
ユラユラと微風に揺れながら咲いている。

アジサイの花の色は、生えている土質によるらしい。
アルカリ性か酸性かにより、花の色は影響されるようだ。
アジサイの花の色は、大地を映し出す鏡。
植物や生物は、何時も自然の在り方を、そのままの真実を映し出す。
公園のヒマラヤ杉の針葉もよく見れば、深い緑も場所により微かに違うのが解る。

呟き日記更新

6/22<日>

このところ、HPの更新が遅れ気味です。
ついついいろいろな事に追われて、なおざりになり、申し訳ありません。
人間、習慣性がいかに大切か、ヘボなマスターは痛感されます。
日々、難しい事を、いとも簡単に、誰にでも出来るようにこなすのが、きっとプロなんでしょう。
ヘナチョコ程、やさしい事を難しく考え、より複雑に行為するもの。
真実は、何時もシンプル、簡潔なのではないのでしょうか。
まだまだ、私の未達の領域、早く辿り着きたいもの。

6/19<木>

台風六号が九州や中国地方に接近しているせいか、
風が強く、天気もぐずつき、少しムッとむせ返っている。

店に来る途中、ドロンコになっている小学生を見かけた。
きっと、近くの公園にある、猫の額ほどの小さな小さな沼池で、遊んでいたのだろう。

私たちが子供の頃、到るところに草むらがあり、川があり、沼池や田んぼがあった。
学校の帰りは、何時も泥にまみれて、地肌が見えないほど、ドロドロドロの助であったもの。
家に帰れば、「ウワー!汚い!○○坊、コッチに来ちゃ駄目!
早く服を脱ぎなさい。すぐ、お風呂、お風呂に入りなさい」

お袋に、半分は怒られてる様で、半分は元気さを褒められてるような毎日の連続。
最近は、泥だらけで遊ぶ、元気いっぱいの子供達を見ることは皆無。
元気に泥まみれで遊ぶ子供三人にあえて、何故か少し懐かしくも嬉しい思いに浸る。

6/13<金>

公園にはアジサイが、薄紫色に、大輪の花を咲かせている。
上品に、何処となく控えめに、そして哀しい過去を思い出しているかのように、
なんとなく寂しいしげに、初夏の強い風にユラユラ揺れている。

初夏の風に誘われて、今日は少し遠回りをしてみよう。
武蔵野の面影を残す、赤塚公園を散策しながら仕事に行こう。

ヒマラヤスギが力強く生い茂る公園の遊歩道には、
ウォーキングやジョギングの人たちがボチボチ活動している。
みな私より高齢者である。
最近の高齢者はとても元気で、とても結構な事。
私の子供の頃は、私の歳でも、もうみな立派な老人であった。

時々、強い陽射しが、木々の間から射し込む。
ピカッと矢のように歩道を照らす。
しかし、ヒマラヤスギの回廊は、キラキラと太陽が輝いているのに、
薄暗く、木々の木霊が囁きあっているのか、ヒヤッとして涼しい。

風がサッと吹き抜けていく。
何処かで、何時の日にか嗅いだことのある香りを残しながら、
私を通り過ぎてゆく。

はて、この香りは何時かいだのだろうか。
確か、かつてハッキリと何処かで嗅いだことのある香り。
私は香りの記憶探しをしているうちに、
高島平駅に着いてしまった。


6/11<水>

暦では今日が入梅。
天気予報では雨模様とあったが、幸いな事に、
今のところ降らないでくれた。
このところ、昼間の陽射しはそこそこ初夏らしくなってきたが、
夜になると、冷気を感じるほどに寒いのはどうしたことか。

6月は衣替え、女性の着物は合わせから単へ。
学生達も上着は脱ぎ捨て、元気よく純白の半袖シャツ。
和風の料理屋の暖簾も、藍色の染め抜きから、麻の白地へ涼しげにかわる。

かつて、四季がはっきりと感じられたものだが、
最近は、季節感がだんだんと薄れてきたようだ。
季節の折々に、模様替えがあり、季節を誇らしげに迎える祭りがあり、
家々でも様々な厳粛な儀式が行われたもの。

居住まいを正して、人々は季節としっかりと向き合っていた。
季節と向き合う事で、時の流れを節々に区切りながら感じ、
一年の時の経過を具体的に感じ楽しみ、時の豊穣な恵みに感謝をした。

時という抽象的な概念を、シンボリックな儀式により、
人々が五感で感じられる、具象に変容させたのである。

日本の四季が、日本の文化としても、少しずつぼやけ始めてきたのには、
いささか危機感を感じるのは、私だけだろうか。

6/8<日>

画集「富嶽百景」で有名な天保の絵師葛飾 北斎(1760〜1849)は、
ピカソに勝るとも劣らない膨大な数の作品を残した事で知られる。
120畳の大達磨を描いたと思いきや、米粒に2羽の鶏を書いたり、
左右反対の絵を描いたり、とにかく才気煥発、機知縦横の天才絵師。

73歳にして、初めて、生物や草木の形や生い立ちの真理を悟ったと言う。
「八十歳にして、ますます進み、九十歳にして猶其の奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならんか、
百有十歳にしては、一点一格にして生きるが如くならん」
謙虚な姿勢のなかに潜む、何とも、凄まじいまでの、絵にかける執念と情念と狂気。
享年89歳にして没したという事は、北斎はまだまだ道半ばにして斃れたことになる。

いまだ何も成してない私の歳など、赤子のごとき、一笑にふされるようだ。
天才にして、此れほどの向上心と努力には、凡才の我、どれほどの努力をすればよいのやら。
しかし、天才は神から地上に遣わされた存在。
幾ら努力したところ、不可能の三文字。
凡人には凡人の生き方があるのだろう。

唯一つ、正確な事は、50も過ぎたら、自分の歳は自分で決める。
過去へ退行してはならないと自分への戒め。

6/4<水>

やっと暑くなったかと思えば、すぐに陽気は崩れ、少し肌寒い。
傘越し小雨に打たれながら駅へ。

元気よく、弾けるように若葉が勢いよく生い茂る。
草木のムワーッとするような、懐かしくも心地よい匂いが、鼻先をくすぐる。
子供の頃、こんな匂いをよく嗅いだもの。

徳富蘆花旧宅「恒春薗」、
私たちは芦花公園と呼んだ、武蔵野の風情を残す公園が今でも世田谷にある。
幼い頃、夏休み前になる頃から、クワガタやらカブトムシを獲りによく行ったもの。

朝一番、おふくろよりも誰よりも早く起き、人気の無い町を、
脇目も振らず一目散、芦花公園の墓地横の林に、
おっかなびっくり入ったもの。

お墓からは、白くいつもモヤモヤーッと朝霧がたちこめ、
幽霊や人魂が出てきても不思議ではないくらい、
小学生の子供には、とてもとても薄気味悪く恐いところであった。

それでも、クワガタとカブトムシが欲しいばかりに、
子供の最上の勇気を出して獲りに行った。
そして、昆虫を見つけ捕まえた時は、最高の気分であった。

誰よりも早く、誰よりも多くの昆虫を手に入れたとき、
太陽が昇り朝日が輝き始める帰り道は、とてもとても楽しい道のりであった事か。
恐くても、寂しくても、薄気味悪くても、
我慢したからこそ手に入れたクワガタとカブトムシは、
ピカピカと誇らしげに、ギラギラ輝き始めた、朝の陽光に自慢げに輝いていた。
それは、幼い私の勇気の代償、大切な大切な宝物であった。

懐かしい板橋徳丸の小雨に蒸したムーンとした懐かしい匂いが、
一瞬の内に、遠い遠い昔の記憶を、一気に、フラッシュバックするかのように蘇らせた。
なんと、匂いの記憶とは、こんなにも激しくも強く、
過去の心象風景を、鮮明に呼び覚ますのか。

人間はやはり感性の動物。
これからも、人間の感性を大切にして生きて行きたいもの。

6/1<日>

今日から6月。
38年ぶりの5月の台風も去り、今日は快晴と思いきや、
相変わらず愚図ついた空模様。

今日は府中で日本ダービーが、15:35に発走。
重馬場のなか、中段から抜け出したネオユニバースが、他の優駿を押さえ一気にゴール。
観客の嵐のような歓声に応えるデムーロ騎手、目から涙が幾筋にも輝いている。
感激に咽ぶ涙は何時見ても美しい。

しかし、最近の競馬は、G1をとるとすぐ引退させ、種牡馬になる。
多くの競馬ファンは、G1馬が次々と重賞を制覇し、より強く逞しく成長していく姿に、
時としては、自分の人生をも照らし合わせながら、二重写しにして、
栄光の競走馬を追い求めていく。

そして、最強のG1馬に挑戦し、敗れ去る馬たちに、散り際の美学を見、
何時かは若き駿馬に力なく敗れ去る、
かつて全ての栄光と栄誉を独り占めにしていた、
偉大な古馬が脆くも敗れ去る時、
何時か必ず来る、敗北の時、
そして表舞台から寂しく去る馬達に惜しみない拍手を贈る。

デビューして、4年から6年位の鮮烈な一瞬の時、
見事に走り抜ける古馬に、自分達の人生のドラマをも、観客は投影している。

最近、中央競馬会の人気に陰りが見えるどころか、
凋落し始めている事の大きな原因は、
G1馬の余にも速すぎる引退にあるのではないだろうか。


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