清酒とコンソメ スープ


清酒

今は閑静な住宅街になっている伊丹は、江戸の初期にあっては
日本酒の代表的な銘醸地であり清酒の発祥の地でもありました。

慶長5年(1600年)双白澄酒(清酒)の製法が、
日本酒の製造手法の歴史の中で始めて確立されました。

それまでの日本酒は濁酒であり、今の酒のように透き通っていませんでした。

伊丹の寒村鴻池村において、偶然にも清酒の手法が発見されたとも言われております。
或る日のこと、杜氏である親方が、蔵人の若者に、
もっと気を入れて仕事をするように、きつく注意をした。
しかし、若者は反省するどころか、腹立ち紛れに、仕込んだ酒の大樽に、
燃やして残った灰をぶちまけて、酒蔵を後にして雲隠れしたそうである。

悲惨な事になった酒樽。

翌日、事件の顛末を了解した親方は、酒樽の中を恐る恐る覗いて見た。
なんと、日本酒は真っ白に透き通り、キラキラと輝いているではないか。

この時から、酒は墨を潜らせれば濁酒が清酒になることが発見されたのである。

戦国の武将山中鹿之助の長男新六幸元が鴻池村で造る始めた日本酒は、
元禄(1688−1703)の頃、
大変な評判をとり伊丹の「丹醸」と謳われ、江戸にも大いに輸送された。

やがて、大阪にも事業を展開し、後の大財閥鴻池組の基盤を揺るぎないものにしたのである。

偶然が生み出した清酒と同じような話しが、コンソメ スープにも伝わっています。

コンソメスープ

或る日の事、フランスの貴族の館で盛大な宴会が開かれた。
其の日のスープはポタージュの予定であった。
シェフは、弟子のコックが作っているポタージュの味見をして、ビックリ!
「ナンじゃこのスープは、お前は何年コックの修行をしてたんじゃ。大馬鹿者。作り直せ」

ところが、どやされたコックは、反省するどころか逆上して、なんと、スープの鍋に、
卵白をドカッとぶちまけ、サッサとにげさってしまった。

様子を見に来たシェフはマッサオ!、卵の白身がスープ鍋の上に、
プカプカ浮いているではないか。
しかし、宴会はまさにに始まろうとしている。

とにかくスープは出さねばならぬ。
窮余の策を考えた。
「そうだ、この白身を取って、澄んだスープだけを提供しよう」

彼は、恐る恐るスープを、会席した貴族の面々にサービスした。
ところが、どうだ。
驚いた事に、貴族達一同が、初めて出合った澄んだスープに、
感動しているではないか。

口々に、「なんて、素晴らしいの。スープがピカピカ宝石のようにに輝いてる」
「こんなの初めて。色は透明なのに、味はすごくコクがあるの。
素材のエキスがシッカリと生きてる。今日のスープ、感動的!」
いたるところで賞賛の声があがった。

この時からコンソメスープがフランスに誕生した。
ちなみに、CONSOMMEには、完璧な、熟達したという意味がある。

コンソメ・スープを造るには、調理人の細心の注意と、
最高の技術が必要である、ということかもしれない。

何時の時代も、素晴らしい傑作は、偶然から生まれるようです。