ウォッカとスミルノフ

ウォッカの歴史は古く、モスクワ公国(1271−1547)の時代に遡るといわれる。
当時のロシアはイスラム圏との交易が盛んだった。
イスラム圏で発達した蒸留技術が、アランビックとい蒸留器とともに、ボルガ川を北上したと思われる。
そして、ロシア語の「水(ヴァダー」として発達する。
さらに1810年、
サンクト・ペテルブルグの薬剤師のアンドレイ・スミルノフが、活性炭でろ過する方法を発見。
ウォッカは、無味、無臭、無色の酒として、急速に、国民酒として発展する。
やがて、1917年にロシア革命が起き、ロマノフ朝は崩壊した。
革命政府は、一時、ウォッカの製造・販売を禁止。
革命を避け、貴族階級はパリに亡命した。
その中に、白系ロシア人・ウラジミール・スミルノフもいた。
スミルノフは、ヨーロッパで、ウォッカの生産をはじめるとともに、ヨロッパにウォッカ普及させた。
1933年、アメリカに亡命中のロシア人・クネットが、スミルノフ・ウォッカに着目。
そして、アメリカとカナダにおける独占的製造・販売権を買収。
禁酒法が廃止されるや、スミルノフ・ウォッカは、アメリカで、飛躍的に、生産・消費が拡大された。