トーマス・パー物語<オールドパー物語>

スコッチのオールドパーのボトルの人物、トーマス・パーは1483年、スコットランドの寒村の農家に生まれる。
1518年、父親が死没。
生家の農場を遺産相続。
土地の賃貸などで、なに不自由なく、のんびりと暮らす。
1563年、80歳にして、初めての結婚。
1男1女に恵まれるが、幼くして死別。
1588年、105歳のパー爺さん、村一番の美人、キャサリン・ミルトンと、なんと不倫。
私生児をもうける。
村の掟の定めるところ、教会の会衆の面前で、屈辱的な懺悔をさせられる。
1605年、妻が他界するや、122歳のパー爺さん、精力絶倫、再婚。
またしても、1児をもうけ、幸せな日々が、30年過ぎる。
やがて、パー爺さんの驚くべき長寿は、スコットランドはおろか、イングランド、遠くは、ヨーロッパまで轟く。
1635年の春、チャールス1世は、豪華な2頭立て馬車を設え、宮廷道化師も伴わせ、宮廷に歓呼を持って招く。
スコットランドからロンドンまでの街道は、長寿の奇跡にあやかろうと、多くの群集が押し寄せ、立ち往生さえする始末。
やがて、宮廷では、当時の大画家、ルーベンスとヴァン・ダイクが肖像画を描く事になる。
現在のオールド・パーのボトルの肖像がは、その時、ルーベンスが描いたもの。
やがて、イングランドの王家に招かれ、大邸宅を与えられたパー爺さん、衣食住は勿論、何から何までの贅沢三昧。
それがたたってか、1635年11月14日、突然、152歳の長寿を全うし、あえなく、昇天してしまう。
医師による検死の結果、生命器官には、まったくの異常なし。
死因は、贅沢な料理の大量摂取、高級ワインなど、お酒の飲みすぎであった。
スコットランドの片田舎で、静かに、のんびりと、粗食に甘んじていたなら、
さらに、何年生きられたか、見当がつかなかったらしい。
チャールス1世は、パー爺さんの突然の死を深く悲しみ、葬儀は勅命で公葬とした。
そして、亡骸は、歴代の国王の、戴冠式や国葬がおこなわれる、英国随一の教会・ウエストミンスタ寺院に埋葬された。
教会には、数多くの国王や貴族のほかに、たくさんの芸術家も眠る。
パー爺さんは、教会の通称「詩人のコーナー」に、
チョーサー、シェイクスピア、ワーズワース、バイロン等、偉大な作家や詩人に囲まれて、今も眠る。


(追記)
かつて、明治の元勲、外相岩倉具視が、1873年(明治6年)、西欧視察の折、日本へ持ち帰ったスコッチがオールドパーだった。
それは、始めて日本へ持ち込まれたスコッチウイスキーであり、西洋文化の象徴であり、明治天皇へも献上されたという。
それ故にか、大企業の重役や政治家たちは、オールドパーを愛飲するようになった。
特に、日本の保守政治家に人気があり、保守政治本流の吉田茂を筆頭に、昭和の太閤と言われた元首相田中角栄も愛飲していた。
それ故、日本のエグゼクティブたちへのご贈答用に、かなり重用されていた。