ネルソン提督(Horatio Nelson/1758−1805)とラム酒

時は1805年10月21日、トラファルガーの海戦。
ネルソン提督が率いる27隻の大英艦隊が、ナポレオン旗下のフランス・スペイン連合艦隊33隻を、完膚なきまでに駆逐した。
この時を境にヨーロッパの覇者・ナポレオンの威光は失墜し、ナポレオン帝国の崩壊をもたらす。

いっぽう英国は海上覇権を確立、大英帝国として7つの海を制覇し、世界に君臨することになる。
1765年に完成した、104門の砲を持つ、英国海軍最強の軍艦ビクトリー号で、総指揮を執るネルソン提督。
黄色と黒の縞模様に飾られた、甲板から船底まで6層のビクトリー号は、敵船団を二つに分断する。

だがフランス艦隊に突撃する時、ネルソン提督は敵の銃弾を浴びた。
すぐさま下層デッキに運ばれるが、3時間後に側近のハーディー大佐に、自らの任務を果たした満足の言葉を残し、名誉の戦死をした。
遺体は棺に懇ろにともなれ、腐敗せず本国に帰還できるように、ラム酒に漬けて運ばれた。

英国海軍では、仕官はジンを、水兵には1日につき半パインとのラム酒がふるまわれていたから、大量のラム酒が存在した。
やがて救国の英雄の棺は、英海軍の軍港プリマス港に帰還した。
そして棺を開けてみれば、なんと一滴のラム酒も存在しないではないか。

ネルソン提督の勇気と名誉にあやかろうと、水兵たちが全部飲んでしまっていたのだ。
今でもラム酒のことを、NELSON’S BLOOD<ネルソンの血>と言われるゆえんである。
ホレーショ・ネルソン提督は、12歳で海軍に入隊。

20歳で大佐となり艦長に昇進し、数々の海戦で勝利し勲章と爵位を得る。
そして幾多の戦闘のなかで、ネルソンは右目の視力と右腕を失っていた。
イギリスの博物館には、ネルソン提督の着ていた、銃弾により穴の開いた軍服が飾られている。

その軍服は意外に小さいらしい。
ネルソン提督は、身長168センチで、きゃしゃなバレーダンサーのようであったそうだ。
ナポレンの英国本土侵略を阻止した英雄・ネルソン提督は、平民出身者としては初めての国葬が執り行われ、
セント・ポール大聖堂に安置された