ダイキリ(Daiquiri)とヘミングウェイ

1940年、すでに流行作家・アーネスト・ヘミングウェイは、
キューバのハバナ郊外に農場「フィンガ・ビヒア」を購入、執筆活動を行なう。
執筆の間は、酒を飲まないように努力はしたようだが、生来の酒好き、彼が飲む酒の量は半端ではない。
農場のプール上がりには、ハイボールやトムコリンズを。
昼はロゼワインに始まり、さまざまな酒を飲む。
そして、毎日のように、農場の近く、ハバナのオスピス通りにある、レストランバー「エル・フロリディータ(El Floridita )」で、
主人コンスタンテ・オリジナルの「フローズン・ダイキリー」を飲む。

たっぷりのラム酒に、ライムジュース、グレープフルーツジュース。
そして、砂糖のかわりに、マラスキーノチェリーーを少々。
それを、ブレンダ-で高速のシェーク。
ダブルの特別サイズを12杯注文。
約ボトル1本分の量を飲みほす。

さらに、持ってきた水筒に、フローズンダキリーをたっぷりと同量詰めて、飲みながらの帰還となる。
キューバ人からも愛されたヘミングウェーは、愛称をこめて、パパ・ヘミングウェーとも呼ばれた。
このカクテルは、パパダイキリ、あるいは、ワイルド・ダイキリとも呼ばれた。
ダブルのラム酒に、たっぷりのグレープフルーツジュースを加え、砂糖を抜いて作られていた。

2006年1月13日早朝のこと、カリブ海の島国、バハマのビヒニ島の小高い丘にある、かつての邸宅「ラ・ビビア」、
現在のヘミングウェー記念館と、ヘミングウェイが愛したバーのあるホテルが全焼。
多くの資料や写真、遺品なども焼失した。
1930年代、カジキ鮪釣りに、この地を訪れ、その体験をもとに傑作「老人と海」は執筆された。