中世の酒場と旅と看板
476年に西ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパ大陸は暗黒の時代を迎えた。
中央集権的な統一国家ににより、一元的に収斂されていた様々な制度も崩れ、
群雄割拠の時代となる。
勿論、整備された法律も瓦解し、大陸は大変に物騒な時代となった。

まさに、人々が旅をする事は、命がけの行為であったのです。
強盗、窃盗、殺人、強姦、婦女暴行など、日常茶飯事であり、
旅行をする事は、大変な勇気のいる、行動であった。
自分の命は、自分で護らねばならなかった。
そんな時に、旅行者の命を匿ってくれるのは、酒場を兼ねた宿屋であったのです。

宿屋の看板は、葡萄唐草の蔓や藪のブッシュなどであった。
此処には、美味しいワインがありますよ、
気持ちの良い寝床と、食事もありますよ、というサインでもあったのです。
人々は、看板のある宿屋で、一晩の宿をとり、宿屋の食堂とも居間とも酒場ともいえない、
薄暗い場所で、酒を飲んだのでした。
まだまだ、質の良くないワインなどをおおいに飲んでいたのでした。

そして、旅の疲れを癒し、グッスリと床に着き、明日への活力をつけたのである。
しかし、当時の宿屋は、現在のような個室ではなく、大広間でのゴッタ寝であり、
女子供は勿論のこと、男も皆同居であった。

人々は、自分の全ての衣服を脱ぎ、自分で持ち歩いている大きな袋にしまいこみ、
旅館で貸し出している毛布にくるんで、ザコ寝ゴッタ寝だったのでした。

大きなズダ袋に入れるのは、一つには、自分の着衣が盗まれない事。
二つには、自分の衣服に、蚤が移るのをふせぐためであったのです。
自分の身体を蚤に食わせて、自分の着る着衣を、蚤から護ったのでした。
とにかく、当時の旅館は、大変に不衛生この上ないものであったのは事実のようだ。