マリッジブルー4月18日(水) 
清清しく心地よい季節到来

だいぶ前の話しです。
税理士学校に通う仲の良い友達がいました。
一人は既に税理士の資格を取り、郷里の豊橋に帰郷し、実家の税理士事務所を継いでいます。
毎年の年賀状には子供達と一緒に写っいてとても幸せそうです。
相方のY君はとても背の高い鼻から脳へ突き抜けるような、とても甲高い声の青年でした。
或る日、何時ものように二人で仲良く連れ立って、当店にやって来ました。
二人はバーボンのロックを飲みながら、夜も更け会話も弾みます。
「Y君、新婚旅行何処に行くの?」
「モルジブに行こうかと思ってる。日本人余りいかないそうだから」
「ヘー、いいな、インド洋の真ん中だろ。俺も行きたくなっちゃうな」
「早くいい人見つけなくちゃ」
「Y君結婚するからって、えらく余裕の発言だね。色男はいいね」
「Iさん、Y君結婚するの?」
「来週の日曜日です」
「Yさん、何処で式あげるの?」「帝国ホテルです」
「それはお目出度い事ですね。もし良かったら、披露宴の時間を教えてくれない。
お祝いの電報でも打ちますから」
「マスター、有り難う御座います。是非お願いします」
私は披露宴の前日、
私なりに考えたそれなりにエスプリの効いた電報を、披露宴の時刻に合わせて打ちました。
数日後、Iさんが学校の帰りに店に顔をだしてくれました。
「マスター、フォアローゼスください」
バーボンを静かに飲み、なんとなく何時もの如くゆったりと寛ぎながら雑談を交わす。
やがて、
「マスター、ご馳走様でした。明日早いですから、今日はこれで帰ります。又ゆっくり飲みに来ます」
ムム、どうした事だ。あの礼儀正しいIさんが、電報のお礼を言わないではないか。
それに、何故かYさんの結婚式のことに、何も触れないのは何か変だな。どうしたのだろうか。
そして、一週間ぐらい経ち、Iさんが店にやって来た。
「マスター、ローゼスをロックで」
何杯か飲み進み、気分もほぐれてくる頃合を見計らい
「Iさん、Yさんの披露宴で、私の電報受けた?」
「それはもう、大うけでしたよ。『Yの奴酔っ払いだから、
飲み屋から祝電貰いやがって』なんて言われて、
大爆笑でした。マスター、有り難う御座いました」
何故か不思議にも、話しが前えへ、それ以上に進まない。
私は切り出してみた。
「Yさん、モリジブには何日行ったの?さぞかし日に焼けて、真っ黒だろうな。今如何してるだろうかね」
「それが、マスター、お嫁さん、行方不明なんです」「え!何時から」
「結婚式をあげて、披露宴も終わったまではよかったのですが、宿泊する予定のホテルに来ないのです。
いまだに行方不明なんです」「だって、彼女とは8年間も付き合っていたんだろ。
結婚式の当日居なくならなくたって、いいじゃないかね。Yさん可哀想だよ」
「実家にも帰っていないそうで、現在、警察に捜索願を出しているそうです」
「それは大変な事になったものだね」
暫くして、ピーポッポのママさんが登場した。
私は斯く斯く云々と、Yさんの事件をママさんに伝えた。
「私も分かるような気がする。最後の最後になって、本当にこの人で良いのかしら。
私が一生かけて共に生きてゆく人がこの人なのか、何故かひどく不安になるもの」
多くの女性は結婚式の当日、幸せでこの上ない歓喜の瞬間の裏で、
本質的な人生の最終的な選択の不安を感じるらしい。
私たちの場合に限って言えば、ママさんの不安は的中したようで、誠にもって申し訳ない事で御座います。
やがて、Yさんは離婚をしました。
事件から半年後、Yさんが女性と連れ立って着ました。
そして彼女を紹介されました。
「マスター、僕のフィアンセです」
私は、アッと声を出しそうになりました。
あの大騒ぎはいったい何なんだったんだろうか。
Yさんは目出度く彼女と半年後に結婚したそうです。今は子供も生まれて幸せだそうです。
8年間で失敗し、1年間で成功する。
男と女の関係は時間の長さでは絶対に測れませんね。


ASHIKAがいたぞ!3月29日(木)
桜満開 急に咲くのでビックリ

ASHIKAが足利で行方不明になり、五年も経ってしまった。
子供ASHIKAは一体全体何処に行ってしまったのか。
関東は勿論全国に捜索隊を繰り出すが、いまだ手がかりもなし。
足利弁を少々覚えた程度のASHIKAでは、人間様には到底理解出来ないだろう。
可哀想で切ないASHIKAちゃん、生きていてくれ。
そんな足利のASHIKAが、或る日突然、高円寺に現れたではないか。
さすがに、五年という歳月は長かった。
ASHIKAは2回りも3回りも大きく、そしてふくよかになっているではないか。
五年の間、苦労どころではなく、さぞかし恵まれた境遇にいたみたいだ。
人間、人様の心配するよりかテメー様の心配をしろってか、まったく。
なんと驚いたか事に、江戸弁は話すわ着物を着てるわ、身体はデカイわ、酒は飲むわ。
俺達の愛くるしい、あの足利のASHIKAは何処へ行ってしまったのだろう。
しかしまてよ、江戸弁の話せるASHIKAはめったにこの地球上に、いるはずはない。
ASHIKAは必ず世界的大スターに間違いなくなるはず。
ハリウッドの一枚看板。
ロバート・デニーロやミッキー・ロークと共演。
アメリカに馬鹿でかいプールのついた大邸宅をつくり、ピチピチ、ムチムチ、
ブルンプルルンの金髪美女に取り囲まれてウハウハハハハ。
コラ、涎を垂らすんじゃねー、クソー!
俺も東京のASHIKAにナリテー!
其の時は、きっとASHIKAちゃんはKUJIRAちゃんに成ってるよ。
ピーポッポのママは言った。
「鯨になると食べられちゃうべさ。可哀想だべ」

なんて入りにくい店だろう。

pm.10頃、店の裏にある倉庫にベルギービールを取りに行く。
すると、店の横に出している看板に掲示されてるポスターを、
食い入るように見ている綺麗なお嬢さんが二人も居るではないか。
瞬間的にサクッと声を掛けようかとは思ったのだが、ドアを開けた瞬間、
でに私の決して長くも無い足が残念にも、倉庫の方に向かってしまっていた。
残念無念、野暮天な私めは声を掛けそびれてしまった。
しかし、まてよ。ビールを持ちながら、ハタと気が付いた。
玄関を又私めは入らなくてはならないのだ。出たところから入る、此れは単純な物の道理ではないか。
私は今度こそはと意を決して、それなりにさり気なさを装いながら声を掛けたのだ。
「よろしかったらどうぞ。中にメニューも有りますから」
この一言で抑えてサクリと交わすのが江戸っ子の粋というもの。
本当はもう少ししつこく話し掛けたかったのだが、私にも叔父さんの意地がある。
後ろ髪を挽かれる思いで店に戻る。
はたしてお嬢様お二人が入店してくれるものか否か不安な気持ちで、
心此処にあらず、グラスの泡立ちに気を使いながらビールを注ぐ。
すると、ドアが開いて入ってきたではないか二人で一緒に。
「いらしゃいませ。どうぞこちらへ」
叔父さんは嬉しい気持ちを抑え、さり気なく迎える。
やがて店に打ち解けた二人、「マスター、石井さん知ってますか。紹介されてきたのですが」
「石井さん?私の知ってる石井さんは二人だけですが。誰だろう・・・・・」
「つい最近まで、チョコチョコ此方の店へ来てたそうですけど」
「あのパチンコ屋さんの上のマンションに住んでいた、あの石井さんですかね?」
「近くにいい店があるから、行って見ればって言われて来たのですけど、
なかなかは入れなくて困っていたんです。外から中が見えないし」
「成る程、そこに私が登場し、優しく声を掛けた。この人がマスターなんだなと思い、
安心して入ってきた。そういうことだ」
「ええ、なんだか怖くてなかなか中に入れませんでした」
人に紹介されて、店の前まで来ても店のドアを開けるには勇気がいるようだ。
私は少しでも入り易いように色々考えているのですが、かえってそれが逆効果なのかも。
小学生の頃から店の前を通って通学するたび、「大人になったらこの店に絶対に入ってみよう」と思って、
25歳になりやっと店の扉を開けて入ってきた人もいる。
はじめて来たお客様は、一様に皆、
「何時も何時も、この店の前を通るたびに、気になって気になって仕方ないのですが、
なかなか中に入る勇気が無くて。今日、思い切って入りました」
そんなにピーポッポは入りにくいのですかね。
もっと入りやすくするために、いいアイデアを教えた下さい。


3月16日(金)
とても暖かい 梅は満開
何故か悲しい10円玉

午後の3時頃、郵便局に出掛ける。私はいつもの如くママさんの運転で、私はチョコンと
助手席に遠慮がちに座る。
目的地に着き、車から降りる時、足元にキラッと光るものがある。
すぐ拾ってみると、なんとも悲しそうな10円玉ではないか。
これでもかこれでもかと何百何千回か分からないほど、
ペチャンコに押しつぶされ痛痛しく変形している。
僕は10円玉をジーパンで綺麗に拭いてやり、財布の中にしまう。
この10円玉は何処に行っても嫌われもの、きっと悪し様に扱われるだけだろう。
それなら、私が御所大事にお守りとして何時も財布にしまって置いてあげよう。
すべての生きとし生けるものに生命があるように、無機質な物体にも生は宿っていると思う。
人々の生活の中で、経済活動を支えるお金で有るならなお更であろう。
例え僅かな貨幣価値しかない10円玉であっても、大切にしてあげなくてはなんとも悲しいではないか。
なぜか、10円玉を拾い綺麗に拭いてあげ、財布にしまうことで、
善行を施したようで少しばかりいい気分である。
何か今日は良いことが起りそうな予感がする。
結果はいずれ報告します。



私も田舎者になったものだな
3月13日(月)
晴れ まだ寒い 梅が見ごろ

久しぶりに築地まで出掛けた。
昔懐かしい勝鬨橋を眺める。小学生の頃遠足で初めて橋が開閉するのを見て驚いたものだ。
あんなに大きな橋が開くなんて信じられなかった。
運河の河べりには鳩やカモメが戯れている。
なんと鳩とカモメは体型は違うものの、ほとんど大きさは同じなので意外な発見をした。
カモメは嘴鋭く目も険しくヒチコックの「鳥」を思い出す。
カモメはそんなに可愛くないなと感じる。
ぶらぶらと築地本願寺に足を伸ばす。
正面の本堂の重々しい扉を開け中に入る。
高い天井に広い講堂、正面に仏像が安置されている。
私は正面の像に向かい一礼をして椅子に座る。
堂内の香を嗅ぎながら何故か背筋がピンと張り、心が洗われるような精精しい気持ちになる。
静謐な非日常の空間に入り込んだ瞬間に、
何か無意識のうちにも崇高なものと向き合っているのかもしれない。
ここには心地よい緊張感がある。
何か晴れやかな気持ちになりながら晴海通りを銀座に向かう。
折角此処まで来たのだから松竹の国際部にいる友達を訪ねてみよう。
彼に合うのも久し振りだ。ちょっと驚かしてやろう。
ところが驚いたのは此方の方だ。松竹本社が無いではないか、何と言うことだ。
建築計画には株式会社松竹とありビルは跡形もなくなっている。
まさか歌舞伎座はあるのだろうか新橋演舞場はどうか心配になる。
確かに嘗ての場所にどっしりと健在だった。
何故かほっとするのだからなんとも情けないやら恥ずかしいやらで、
余りにも浮世離れした自分が悲しくなる。
とぼとぼと万年橋を渡り銀座の和光前に出る。
この辺りに来ると昔働いていた事もあり何故か気持ちが和む。
昔と変わらない佇まいのサッポロライオンの新橋店の辺りから並木通りやすずらん通りに出る。
少し疲れたのでコーヒーショップを探す。
カフェドトロワ、むむ此れはいけそうと思い勇気を出して階段を上がる。
玄関からして此れは私むき、ドアを開け中へ入る。
やはり私の直感は正しかった。
壁には画家藤田嗣治のリトグラフや絵が飾ってあり、ランタンシェードは、
ドームやエミール ガレを思わせるアールヌーボ調で統一されており、
店主の趣味のよさを感じさせる。
まわりはほとんど年配の婦人ばかりでいささか気恥ずかしい気もするが、
美味しくエスプレッソを注文する。
とても落ち着きいざ退店のさいトイレを借りる。
トイレはお店の裏の顏でもある。このトイレがまたいい。
正面の白い壁にさりげなく藤田画伯の絵が飾られ、
便座の横の台にはボーンチャイナの女神の像がさりげなく置かれ、
後の壁に切り込まれた洞に古めかしいピューターの壺が置かれ微かに昭明があてられている。
店と言うものはこうでなければといたく感激する。
エスプレッソの甘い余韻に浸りながらついでにイエーナ書店に寄る。
3階の洋書売り場に行きお酒関係の本を探す。
やはり今日本はワインブームなのだろうか、圧倒的にワインの洋書が多い。
スピリッツやリキュール等はほんの付けたしのようで寂しい限りだ。
リキュールが正当に評価されないようでは、日本の洋酒文化はまだまだですなと慨嘆しながらも、
モルトウイスキーのガイドブックが豊富なのに気分がよくなりなにやら気持ちがわくわくする。
やはり静かにモルトは浸透してきているな。
もう時間がない、のんびりしてる場合ではないのだ。
開店の時間に間に合わないではないか。
昔通い慣れた地下道をとおり地下鉄丸の内線に乗る。
ぼーっとしながら吊り広告やら何やらを見ていると、
車内放送で「新宿御苑前~」といっているではないか。
嫌ですねー、反対に乗っているのじゃありませんか。
こりゃもう本物のイナカッペになってしまいました、お恥ずかしい限り。
いずれまた、情報が入り次第報告します。

3月5日(月) 
晴れ 春も間じかか
そんなの聞いてねーな。

「久しぶりに、ゆっくり入ったな」
「お父さん、お疲れ様。ビールでも、さあ、どうぞ」
「たまにサービスされると、気持ち悪いな、風呂上りの一杯応えられないね」
「何いってんのよ、お父さんがお金を稼いでくれるから、
こうして、家族4人で生活できるのじゃない。何時も感謝してるの」
「有難う。突然、そんな事言われると、照れちゃうよ」
「ビール冷えてないかしら、昼過ぎに冷蔵庫に、入れたばかしだから」
「いや、丁度いい具合だ。余り冷えすぎても、
ビールは美味くないからな。ホップの苦味が利いてとても美味しい」
「それは良かったわ。お父さんには、少し、冷え加減が足りないか心配したの」
「気を使ってくれて有難う。何時も、色々世話かけてすまないね」
「孝雄さん、今更なによ。こちらこそ、照れちゃうじゃないの。
でも、嬉しいわ、そんなふうに思っててくれて。こちらこそ、有難う」
「良子、俺達結婚して、何年になるかな。確か、長女の孝子が、まだ君のお腹の中だったからな。
今で言えば、流行の出来ちゃった結婚だからね」
「孝雄さんが、28で私が25の時。
貴方もまだ沢山髪の毛が、フサフサと有ったわね。とても素敵でしたよ」
「君も、若くてピチピチしてたよ。
胸なんてツンとして、ボインボインで、目のやり場に苦労したものさ。
母乳もあげないで育てた割りに、今は見る影も無いもんな。マー、お互い様って処かね」
「早いものね。あれから17年。大変な時も有ったけど、今こうして生きてこれて、幸せよ」
「良く此処まで来れたよな。もう俺達、これまでか、なんて大騒ぎしたり。
神様も捨てたもんじゃないね。
ところで、最近、孝子見ないね、どうかしたの?」
「実は、お父さんに、何時か言わなければって、
何時も言おう言おうと思いながら、ついつい言い出せなかったことがあるの」
「何よ、一体全体。勿体付けずに言ってくれないか」
「じつは、孝子はね・・・・・・・」
「だからどしたの、孝子がどうしたのさ」
「怒らないでね、今言うから。孝子結婚したの」
「エッ!俺聞いてネーゼ!」
「孝子には、もう子供がいるの。孝輔っていう可愛い赤ちゃんがいるの」
「なにそれ、俺だけ蚊帳の外かよ。それは無いぜ」
「私も、お父さんに隠すつもりは無かったの。言おう言おうと、毎日、
何か機会を見つけていたのだけど、事が事だけに言いそびれて、ご免なさい」
「ソイツ、いったい全体、どんな奴なんだ」
「山崎哲夫、とてもいい子よ。
昔は、ツッパテてたらしいけど、男らしい子。私も若かかったら、惚れちゃうかもね」
「馬鹿言ってんじゃないよ。ところで、カレシの名前は何て言うのかね。
自分の娘の旦那の名前も子供が出来ても知らねーなんて、情けねえ話だね。泣けてくるぜ」
「御免なさい、悪気じゃなかったんですから」
「泣くのは止めてくれ。君を責めてるつもりは無いんだから。彼氏の仕事、何やってんだい」
「彼、孝子に子供が出来た時、『孝子、俺の子供生んでくれ』って言ってくれたのよ。
哲夫くん、男らしいじゃない。平気で、子供を堕ろさせる男が多い時代なのに」
「おお、それは偉い、なかなか見所があるじゃないか。
潔くて男らしいじゃないか。若いのに、立派じゃないか」
「そうでしょう、本当にいい子なんだから。髪は茶髪で今風の男なんだけど、ハートがあるの」
「なかなか出来るもんじゃないぜ。俺だって」
「俺だって?孝雄さん何よ。私、堕ろしてないわ、誰なの。ネー、誰なのヨー、私騙されていたのね」
「おいおい、止めてくれよ。俺の話じゃねーだろ。孝子と、その何て言ったかな。
そう、山崎 哲夫君の話してたんじゃねーか。おい、泣くなってば」
孝子さんが、高校2年生のとき、哲夫君と合コンで知り合う。
哲夫君も、学校は違っても、同学年でした。
彼女に子供が出来たことを知って、哲夫君は、学校を中退、二人で結婚をすることに決めたそうだ。
彼はすぐさま、年の割には収入の多い肉体労働であるとび職についた。
今も可愛い子供と女房のために、汗水垂らして一生懸命に働いています。
哲夫君、頑張ってください。
多くの人は、長続きはしないだろうと思っているでしょう。
でも、こんな形の結婚でも上手くいくという証明をして上げて下さい。
この話は、私達とはまったく関係ありません。
ただし、話の内容は、一部フィクションもありますが、実話です。

3月2日(金)
晴れ 風強く少し寒い
人の人生は、自分以下でも、自分以上でもない。

Yさんがおかしな形相で、店に入ってきた。
「マスター、Sさん知ってるだろう。俺、ハッピーロードで会ったんだよな。
俺のこと分からないんだよ、なにか、変だよ。
隣に奥さんがいたけど、Sさん、ボーっとして、俺を見てるんだよ」
「私は余りよく知らないけど、とてもダンディーで、優秀な人だと聞いているけど」
「俺の見たとこ、アルツハイマーだな。俺の親戚にもいたから、直感で分かる」
Sさんはとても紳士的で温厚、そして物静かな人で、若くして出世街道をひたすら走り続けた。
私の知る範囲のわずかな情報においても、彼に対する否定的なものは、皆無であった。
語学も」堪能ででネイティブなみの達人とのもっぱらの評判でした。
しかし、或る日突然、52歳にして、アルツハイマーが襲う。
人は己自信が絶えることの総量は、きっと決まっているのではないだろうか。
人々の期待やら賞賛やら尊敬などを、何時もいつも背負いながら、しかも、応えながら、なおも、
人々が求めてるものに応え続けながら生き続けるなんて、
本人は意識してないとしても、計り知れなく重く辛い事であったかも知れない。
ひと時も、馬鹿になったり、叫んだり、怒ったり、泣いたり、腹が捩れるほど笑ったり、
剥き出しの感情を表すことが出来なかったのかもしれない。
ギリシャに古くからの諺がある。
「人の幸せ、それはこの世に、生まれてこないこと」
アルベール・カミューが描いた「シジフォスの神話」のように、
人は何時も単調で永遠に続く、生の営みの劫苦にさらされている。
このむなしさの連続が、まさに、アブサードで実存的なのである。
私以上でなければ、私以下でもない。
そんな愚かしい自分の生を、人は引き受けなくてはならない。
あえて、自分から引き受けること、
己の生きていることを確かめることに、生命の存在を感じ取ることが可能となる。
私のように、皮肉を言われても、よく理解できず愚かにも何故か感心したりする。
酒を飲めば酔っ払い、腹立たしいことがあれば、素直に感情的になり大人気なく怒る。
私にはそれなりの正当な理由があるつもりでいるが、お客様には、
「マスター怒ってる、幾つになっても修行が足りないんだから」なんていわれるてる。
毎日酒と向き合い酒に飲まれ、飲みすぎて肝臓壊して、
半年間、来る日も来る日も病院で点滴を打ちながら、
ガンマGTPやらGOTやらが、少し良くなればまたもや、酒とラブラブの生活が始まる。
そして、毎日お客様が来て、色々な話を交わしながら、感心したり発見したり、
驚いたり、泣いたり、悲しがかったり、楽しいような不思議な時が生まれる。
例え出世しなくても、人に尊敬されなくても、いつも自分の好きなことをしながら、
無理をせず、時間を楽しく豊かに生きることが、私には、なんかむいているようで、とても大切なような気がする。

2月27日(火) 
晴れ 寒さ和らぐ
雄さんは何処に・

かれこれ、もう7年も経つのだろうか。雄さんがヒョッコリとピーポッポに出没してから。
当時、65歳だったと思う。とてもダンディーで、
人は誰ももう知らない過去の人、芦田 伸介に似たカッコイイ叔父さんであた。
お客様達は、何故か皆、「マスターに、雄さん似てるー」なんて言う。
雄さんも大人気なく、「マスターのヘボが、俺に似てるんだよ。決まってるだろ、
アタリ○○コのチジリッケヨ」なんて、訳の分からないギャンブル用語を、連発したものだ。
とにかく、早稲田大学にかよっていた時は、年がら年中、マージャンに明け暮れていた。
向かうところ敵なしで、雄さんを倒すために、腕に覚えのある恐ろしい連中が、
次から次えと挑戦してきた。しかし、雄さんは物ともせず全て返り討ちにしたそうだ。
イカサマはしなかったそうだが、積み込み、握りなんでも出来たそうです。
色々と細かい技を教えてくれたが、なかなか話しに信憑性があった。
またヤクザの世界にはメッポウ詳しい。戦後、渋谷や新宿などで大暴れしてたヤクザも、
雄さんにかかっては形無し、皆チンピラ扱いの呼び捨てであった。
何時店にきても、ギャンブルの帰りか、掛けゴルフの帰りで、何時も何故か大金をもっている。
飲むものは、駆け出しヤクザも親分も良く飲むヤッパリツッパリのブランデー。
しっかりと、今は亡き古典的流儀作法に則って、ブランデーグラスをいたわる様に、
手のひらで温めながら、ゆらゆらとブランデー揺らしながら、柄にも似合わずお上品に口に含む。
「サー、皆さん、お飲みなさい。遠慮しないで、ジャンジャンバリバリ飲みなさい」
何時もの雄さんの口癖のジャンジャンバリバリとともに、
ピーポッポの面々は、一気に高級ブランデー一色の宴会の様相を帯びる。
何処で稼ぐのか、何時も、どでかいバッグを持っていない時は、ポケットという全てのポケットに、
一万円札の束を持っていた。深夜になり、だいぶ酩酊してくると、
「ここにも、ホラ、ここも、こちらにも。まだあるよな、
ええと・・・・・・、ホラホラ、まだまだ、いくらでもある、ある、ある・・・」
カウンターは、何故か、十万か二十万円の束をゴムでグルグル巻きにした札束の山になってしまう。
「雄さん、一つくださいよ」なんて、私とママは言いたいところだけど、
私達もひとかどのつまらないプライドなんぞを持ち合わせているから、冗談でもいわない。
心ひそかに、「一つぐらい、落としていってくれればな。絶対に交番にも届けないで、トボケチャウのに」
しかし、かかし、どういう訳か、雄さんは、どんなにど酔っ払になっても、
綺麗きれいにおかたずけをしてフラフラしながら、店の目の前のマンションに帰ってしまう。
でかいバッグを持っているときは、店に入ってくるなり、
「マスター、二千万入っているから、そっちに預かってて、悪いけどな」なんて調子。
確かに、預かった頑丈そうなバッグは、ズシリと重い。
これが全て札束だったら、それこそウンゼン万円は下らないだろう。
或る日のこと、雄さんと同じマンションに住む、
雄さんの早稲田の後輩にあたるヨッチャンとピーポッポででっくわす。
例のごとく、ヨッチャンもジャンジャンバリバリ、雄さんにしこたま奢られて、
同じマンションにまたもやフラフラと二人で帰った時のことだ。
暫くして、ヨッチャンが来店した。
「マスター、ビックリしましたよ。あの日、エレベーターの中で、雄さんに言ったんですよ。
このバッグの中見てイイッスカって。雄さん、アケテマン○のチジレッケって言うもんだから、
チャックを開けたんですよ。開けてビックリですよ、全部万札の山。
あんなの見たの初めてです。ミテミテマン○のチジレッケですよ」
ブランデーはジャンジャンバリバリ奢ってくれるけど、絶対にお金を呉れない、
何をしてお金をかせいでいたのか謎だらけ。
ヤクザのようで絶対にヤクザではない。
軽薄な叔父さんのようでいて、なかなかのインテリで、
格好つけて、たまには、ジャズなんぞを英語で口ずさむ。
誰も知らない芦田伸介似で、マスターにも何処か似てる雄さんに、
最後に会ってから、彼是もう3年経つかもしれない。
店の前で、夕方、偶然に出会う。
「雄さん、元気そうですね。どちらへ出掛けたんですか」
「ちょっと、大宮競輪まで。元気でもないんだ。
来週、また日大病院に入院よ。3回目だから、今回でオジャンかもな。
癌だからさ。マスターも元気で。もう、マスターのとこいくこともなくなっちゃったけどな」
「大丈夫ですよ。元気になって、酒は駄目でも、コーヒーがありますから」
競輪の予想新聞を丸めて手に持ちながら、心なしか、寂しそうに
、ガッシリしてた広い肩を幾分落としながら歩く雄さんを見送りながら
「今度は、雄さん、駄目かもしれない」
なにか、私にも予感があった。
でも、アタリマン○のチジレッケですから、メッタなことでは大丈夫さと言いきかせる。
そして半年後、同じマンションに住む女性から、
雄さんは、私が最後に会って間もない頃、亡くなったそうです。
雄さんがいつも飲むブランデーが、まだ一本ピーポッポにはキープされています。
雄さんが何時来てくれてもだせるように。
とてもお世話になったマスター&ママ、
当時ジャンジャンバリバリ奢られたピーポッポのお客様たちより、雄さんのご冥福をお祈りいたします。

2月26日(月)
晴れ 風強く寒い
出世したくない、加藤さんが出世してしまった。

「マスター、シンハービールください」、「なんか疲れてるみたい。どうかしたの?」
「最悪ですよ。僕が店長になるんですって。たまりませんよ。」
「いいじゃないですか。出世したんだから。加藤さん、オメデトウ」
「マスター、止めてくださいよ。
おかげで、あのクダラナイ『地獄の特訓』ですよ。おかげで、今日は靴探しです」
「だから今日は、ラフなスタイルなんだ」
「夜中、馬鹿みたいに40キロも行軍があるんですって。
普通の靴では、もたないそうなので、
アメ横まで行って、トレッキング シューズを探しに行って来たところです。
せっかくの休みだっつうのに、マタック」
「あの有名な特訓ねー。
朝早くおきて、駅前で大声で叫んだりの、昔の日本の軍隊みたいな奴。ご苦労さんってかんじだね」
「なんだか知れませんけど、40万も50万もかけて、やる気を起こさせるつもりなら、
僕に、黙って一週間の休暇をくれれば、もうやる気満々なのにね。会社って馬鹿ですね」
もともと、加藤さんはマイペースの、すぐ趣味にはまりやすい入れ込み型ノーテンキ タイプ。
エバンゲリオンがはやったときは、全てのエヴァンゲリオン関係文献・グッズ・ビデオ・
ありとあらゆる「エヴァンゲリオン」を収集し、なおかつ読破し研究し尽くす。
ロックに魅了されると、
ロンドンまで日帰り同然にいってきてしまうし、女子プロの工藤めぐみに惚れると、
「非道じゃねー、『邪道『』殺してやる』なんて叫んじゃうし、カナダにタダタダ行きたくなると、
2年近くも、カナダのクソ田舎に行って、弱弱しい牧童になったりしちゃう、
ほんとに一途にのめりこむタイプの愛すべき人物、加藤ちゃん。
「マスター、僕は店長なんて柄でもないし、だいたい、人を使うなんてタイプじゃないでしょ。
人に使われて、休みを取ってタイに行って、
ノンビリと何もしないでボーッと日向ぼっこでもしている方が、僕らしいの」
彼は、一年のうち何度も、暇を見つけてはタイに出掛ける。
日本人がほとんど行かないタイのリゾート地にあるホテルのプールサイドで、
毎日毎日、ビールを飲みながら日向ぼっこをしているそうだ。
たまには、大好きな村上 龍や尊敬するチャールス ブコウスキーを読みながら、白人女性のお尻を、
本や新聞を読んでる振りをしながら、食い入るように見てしまったりしてしまうのだ。
食べるものは、「僕は美食家でもなんでもありませんから、毎日マックのハンバーガーでもOKです」
でも、加藤さんはお酒には拘りを、十二分に持っている。
松田 勇作の好きなオールド クロー、J&B、カクテルのブラック レイン、
ビールはタイのシンハーとイギリスのバス ペールエール、漫画の「レモンハート」に登場するほとんどのお酒。
「レモンハート」に登場する、めったに手に入らないか、よっぽど高くなければ当店で用意できる酒の全てにトライ。
未知のものに、例えどんなやばそうな酒でもトライする加藤さん、あなたはエライ!
嫌かもしれないけど、加藤さんを期待してる人がいるんだからさ、やってあげましょうよ、
江戸っ子なんだから。受けたものは引き受けましょうよ、仕方ないからさ。

2月21日(水)
とても暖か 春もまじかか
役者、OさんとKちゃんのバトル

昔むかし、かの大作家の井上 ひさし氏が、まだまだ大作家ではなく、抱腹絶倒ものの喜劇を書いて、
日本中を笑いの渦に巻き込んでいた頃、大変に寵愛された役者のKちゃん。
声優としても、声優年鑑に乗り切らないほど、メチャクチャにアテレコをこなし、
ルパン三世で一世を風靡した故山田康夫氏に、可愛がれながらも、怒鳴り散らされ、
かの有名な銭形警部ともとても仲が良いが、何故か怒らしてしまう声優としてのKちゃん。
むかし昔、日本の映画監督と言うよりか、世界のKUROSAWAと言った方が分かりやすい程に、
超偉大なKUROSAWA作品「椿三十郎」にもヤクザとして登場し、「水戸黄門」などの時代劇には、
「悪代官」としてつとに有名。アメリカ映画の「メジャーリグ」にも、コーチ役で登場するOさん。
夜中と言うのか、明け方と言ったほうがよいのか、とても悩む午前2時頃、
Kちゃん、Oさん、そして女性が賑やかにと言うか、怒鳴ってと言ったほうが正確なのか、
途方に暮れてしまうほど、とりあえずKちゃんは怒って、ピーポッポに登場した。
Kちゃん「Oさん、自然にやってよ、シゼンに!芝居に嘘があるんだよ、
「Kちゃん、俺の何処が嘘だって言うんだよ、言ってみてくれ。冗談じゃないよ」
「そうじゃないか、芝居はココ、ハートだよ、ハート。感動しなくちゃ。カンドウ、カンドウ!」
「俺の芝居に感動しないって。Kちゃん、ふざけちゃいけないぜ。
俺は、役者を40年以上やってきてる。役者で生きてきたんだ」
「だから、ヘボだっつうの。やればいいってもんじゃねーぜ。お客を感動させなきゃしょうがねーだろ。
嘘ついてちゃ、客は感動しないぜ、マッタク」
「ジャー、K-スケ、お前のあの芝居に真実があるのか。お客が感動するのかね。
俺はそうは思わないぜ。
何処に、いったいハートがある、感動がある。嘘だね。Kースケ、言ってみろ!」
いつもは物静かで温厚そうなOさん、かなり頭に血が上ってきたのか、
K-スケ!と、何時の間にか呼び捨てになっている。
「だからOさん、古いって言うの。何時までも新劇じゃないの。Nの戯曲、去年の演劇賞総ナメしたんだぜ。
日本中の皆が評価したっていう、事実は事実さ。
Oさん、俺はOさんを50年近く知ってるし、45年前、一緒に芝居をしたんだ。
俺の先輩だし、尊敬もしている。だから、もっと自然に、芝居をしてほしいんだよ」
「俺は俺流に50年も、役者やって来た。何を変えろとお前がいうのか、俺にはサッパリ分からん。
俺、悪いけど、先に帰る」なんと、Oさん気分を害してスタコラ帰ってしまった。
でも、私達は目撃するのだ。
またまた二人が、仲良くいがみ合いながらも、労わりあって、時には大声で怒鳴りあったりしながらも、
楽しそうに憎まれ口を叩き合う、「男の熱き熱き友情」というものを。

2月14日(水)
晴れ風冷たし
懐かしの一石堂

今は昔、16年前のこと。
そのころ俺もまだ若かったのだ。白髪も無ければ髪の毛もフサフサのフサ、羨ましいかぎりだ。
不思議な名前の一石さん、ピーポッポに現れる。
何故か、ジャズ仲間の原田ちゃん、嶋さんたちは皆、苗字の玉城を呼ば
ず、「一石さん、イッコクさん」と呼んでいたものである。
ジャズやってる嶋さんとは、なぜかアルバイトの募集に行くと、
何故かそこに、嶋さんが先にすでに働いていたり、一石
堂がすでに居たりの気持ちの悪い不思議な関係で、とても仲の良い妬けちゃう関係であったのさ。
そのころ彼は「劇団民芸」に入団したてでした。
癌に侵されながらも、
「三年寝太郎」の舞台をひっしに勤める役者宇野重吉とともに、全国へ旅公演をしていたんじゃ。
「嶋さん、宇野さんは凄いよ。
あと何回舞台を踏めるか分からないから、今度の東京公演、是非見てください。」
なんて、少し沖縄訛りで、人ナチコク話していた。
彼は少年時代から、沖縄では有名人で、
「物まね上手な少年」として、高校生の時すでにテレビで特集されたそうだ。
高校卒業と同時に上京し、郷 ひろみの物まねが得意で、ときどき失踪して、
馬鹿なマスコミを賑わす声帯模写の名人の弟子になるが、暫くして辞める。
いったん帰郷するが、芸人になる夢捨てたがく、
仲代達也主宰の「無名塾」の試験に合格するが、入団を泣く泣く諦める。
彼は、上京するとき、お婆ちゃんとカタイ硬い約束をしたそうだ。
「うちんちは、金ないよ。東京行って何してもいい。うちにカネ入れねーっとイケネーッチョヨ」
「無名塾」は入塾料も授業料もまったくのタダ。タダより怖いものが一石堂にはあったのだ。
タダは良いが、アルバイトは絶対に禁止。
破った者はなんと獄門さらし首。
一石堂は涙なみだであきらめる。
しかし、頭の切り替えの早い一石堂、なんと見も知らないで聞いたことだけある「劇団民芸」に押しかける。
滝沢 修もビックリ。
当時、「劇団民芸」は公募はせず、コネもなくて猫もいない一石堂が入団するのは、夢のまた夢であった。
「民芸」もエライ、太っ腹、会ってくれたそうだ。
彼は劇団の大御所たちの前で、得意のまだ未熟な芸を披露したそうなんじゃ。
「宇野さん、こいつ面白いじゃないですか。入れてあげましょうよ」、
あのシャクレタ顎の米倉斎加年が言ってくれたそうだ。
それ以来、一石さんの噂を聞かない。
ところが或る日、俺は見てしまったのだ。
朝日新聞の夕刊。文化面の一面にデカデカと写真入で、小さな俺達の一石さんが紹介されてるではないか。
「役者の一石さんが、なになに、ふむふむ。ナンジャト、人形遣いになった。
それも、いちどに二つの人形を同時に扱うと。
なんとも、いやはやビックリ。
一人舞台のティケットは、売り出したその日に完売」
翌日、店で一石堂の話を得意そうにしたのじゃ、お客様たちへ。
「昔むかしのその昔、玉城 一石と言うお客様が、ピーポッポにいたんじゃ。
君達しってる、一石堂って腹話術師?」、みんな、当たり前のような顔して、知っていたのじゃ。
なんと、一石さんは、一国いちの超有名人になっていたのじゃ、というお話。
上島 龍平ちゃんもそうなんだけど、有名になると来ないんだよね。
というより、ピーポッポなんてとっくに潰れてると思っているのかな。
思われても仕方ないッス。
風の便りに、一国さん大山に住んでいるんだって。
この日記よんだら、一度でいいから顔出してください。
「アッそうか、一国さん、酒ぜんぜん駄目だったか、残念ザンネン」

2月13日(火)晴れ 
風冷たくとても冷え込む
誰も知らない、九州の「ある県」育ちの嶋田さんの、感動的な話。
高知大学時代のサーフィンの仲間たちと、楽しいピーポッポでの再会
右から二人目が嶋田さん、彼女を募集中!

「山本さん、嶋田さんの出身地しってる?九州男児ですよ」
「言われてみれば、確かに。そんな感じですよね」
「さて、九州の何処でしょう」
「福岡」「残念だね」「鹿児島」「だいたい、みんなそくるよね。またもや残念。さてさて」
「熊本かな?これまた違う。ウム、、マスター、分かった」「当たるかね、こんどは。けっこう難しいよ」
「長崎。エッ、違う。あと、あたっけな、他に」
「そうなんだよな、俺のところ、本当にマイナーなんだから。君の出身地は何処?なんて聞かれても、
説明するのがめんどくさくて。牧瀬 理穂なんて、うちの隣の出身なのに、チャッカリと、福岡出身に変えてるギャー。
アリャ、イケネー、出ちゃった」嶋田さん、いつにもなく興奮気味。    
「カエテルギャー。名古屋じゃあるまいし、九州?マスター、決まり、決定のケンケンモチ!宮崎ダギャー!」
「おしいおしい、よくでたね。マイッタナまったく。でも、これが、また違う」「いったい何処なのさ、マスターも人が悪いな」
「どうして、俺のとこ、こんなにマイナーナンナンナンジャージャー。だから、人に言いたくなくなるんギャー。情けねー、ほんとに」
嶋田さん、えらく悲しそう。            
「山本さん、まだまだ、県はあるんだからさ」突然、山本さん、大声で叫ぶ、
「ヤッタゼ、イタダキー!大分ジャー、参ったか、コノヤロー!」えらく、気合が入ったものだ。
「でも、これがまた、違うんだよね、嶋田さん」「マスター、もうこれ以上、絶対に無理。教えましょうよ」
「チョット待ってよ。ここまで来て、止められるかってんだよ。
こちとら、江戸っ子デー!」なにか山本さん、やばい雰囲気、
「じゃー、ヒントをだすから。江戸時代から、焼物で有名。聞けば、たぶん誰でも知ってると思うよ。
化け猫屋敷。葉隠れ。以上。これ以上言ったら、答えを言うようなものだからね」
「マスターも、ほんと言ってくれるね。余裕だね。しかし、かかしで、さてさてどこだ。化け猫、
葉隠れ、焼物・・・・・。オオオッとととの、鍋島、唐津、死ぬことは男子一生の仕事なり・・・・・
ヤッタゼ、マスター、嶋田さん。佐賀、佐賀、佐賀、佐賀だー、バッキャローてんだ!」
マスター、嶋田さん、山本さん、三人で手を握り合い、さかんに感動しあう。
ママは、マスターのとなりで、シラシラのシラ。
(なんて男の人は、つまらない事に感動するのですかね)なんて涼しい顔をして、おさけをスコスコ飲んでいる。
「山本さん、やっとでも、分かってくれて、ほんとに有難う。あるんです佐賀県は。目立たなく、そそっと居るんです」
本当にひどい話もあるものです。よりによって、滋賀県と佐賀県を間違える人もいるそうです。いくらなんでも、琵琶湖と有明海ですよ。
間違えるにも程がある。佐賀県の人、おおいに頑張れ!
佐賀県の生んだ有名人。村田 英雄。千綿 偉功(10年くらい前、ヤマハのポプコンで優勝し、CHASEとして華々しくデビュー。
私の誕生日日に、ハッピーバースデーをアカペラで歌ってくれた。
私もママも、泣き出しちゃいそうに感動した。また、顔を出してください)

2月12日(月)
曇り 風とても冷たい
色気をもったお年よりは、長生きをする。

「久しぶりですね、細田さん。本年もよろしくお願い致します」
「どううも去年の暮れ辺りから、風邪をひいて、体調を崩しちゃいました」
「人さまの身体をマッサージする人が、自分でダウンしちゃしょうがないな。鍼灸師の無養生」
「まったくもって、そのとうり。こちらこそ、誰かに揉んでもらいたくなりました。情けないですね」
「今年の景気はどう?うちはなんとなく、いい感じになりそう。去年が最悪でしたから」
「マスターと僕は、今年は大殺界ですよ。ジタバタせず、じっと我慢、我慢。
来年に向けて、充分に準備をすれば、来年は必ずいい年になるはずです。
去年、ある人に、いわれたんですけど。善くなってくれるといいな。信じるものは、救われたい」
「いいですね。うちは今、最悪です。お年寄りが多いですから。雪が降ったり、寒かったり、
風が強かったりすると、誰も来なくなっちゃう。極端に、自然現象に左右されますから」
「この前の、大雪の降った日はどうだったの。私でさえ、店閉めようかと思った位だもの」
「それがね、マスター、分からないものですね。あの大雪のなか、92歳のお爺ちゃんが来ましたよ、
ックリしました。前向きなんですね。こうゆう方だから、長生き出来るんじゃないでしょううか」
「それはすごいね。そんな雪の時でも出掛ける気持ちになれるなんて、凄いの一言」
「長生きする人には、なにか、共通するタイプがあるような気がします」
「例えば、どんなタイプか聞きたいね」
「まず、男でも女でも、いつも異性をいいいみで意識してる人。お婆ちゃんなのに、
なぜかフェロモンをプンプンと出している人、いるんですね、これが。
マッサージのとき、お尻触ったら、キャー!なんて言う人、こっちがてれちゃいますよ、ほんとうに」
「おいおい、いい歳して、止めて下さいだね」
「それと、外に対していつも興味を示している人。80歳、90歳になっても、君は今の森政権はどう思う?
今回の芥川賞は駄目だね。最近は質が低下してるよ、なんて言われても、こっちが困っちまいます」
に対して、いつもアンテナをはっているんだね。
私の知ってる人は、53歳位で、アルツハイマーだよ。
私が思うに、外部から逃れたいときは、全てのことを忘れたいと思うし、
おのれ自身へ逃避した方が楽だものね。人間、そんなに強くないから」
「マスター、お金に執着してる人も、長生き出来ると思う。大地主のおばーちゃんなんだけど、
いまだに、財産を全部一人で管理してるみたい。立派ですね、僕には出来ません」
28歳の鍼灸師、言いっぷりも年寄りくさく、さくさくと、私に語ってくれた。
なるほど、なるほど、なんと鋭い人間観察、敬服します。
もうすぐ、私には寂しいバレンタイン、来なくてもいいバレンタイン。
羨ましい限りですね。おばあちゃん達に貰うチョコレートで、テーブルの上は山のようになるそうだ。
「マスター、お返しが大変なんですよ。チョコレート代で、万のお金が消えちゃうのですから。バレンタインなんて、無くていいです」
貰いすぎても大変。貰わな過ぎても、寂しすぎる。世の中、きっと程ほどがよいのかも。

2月8日(木)
晴れのち曇り 風強く、冷たい
フィリピンの男は、前の浜で、一日三匹の魚を釣るのが仕事。

フィリピンの女性kちゃんちへ、マコトちゃんが遊びに行った。
セブ島から、さらに飛行機で一時間位かかる、それなりに大きな島だそうだ。
マコトちゃんを、kちゃんちの一族郎党すべてがおで向かえ。
あまり大勢なので、マコトちゃん、ビックリ。
kちゃんちの親戚達も、これまたビックリ。
こんなデカイ日本人見たことネー!「昔々、オラタチが見た日本人、みんなチビ。オラタチよりみんなチッチャカッタベ」
マコトちゃん確かにデカイ。
どこもカシコモでっかい。
身長は2メートル、マイナス14センチ。あとは、ヒ・ミ・ツ。
マスターは思う。
フィリピン人みんなオオキクナイ、「どちらかと言えば、チビだべさ。日本人ピグミーじゃ、ないっぺさ」
コラ、マスター、差別用語は駄目だべさ、まったく。
とにかく、フィリピンの人たち、大変に驚いたそうだ。
島はのどかで、人々は純朴、海は遠浅でかぎりなく、透明でブルー。
太陽は馬鹿でかく光輝き、月は今にも落ちてきそうに青紫色。あちら
こちらで、鳥が囀り、放し飼いの豚が我が物顔でブーブー。
(豚は大変な財産、馬鹿には出来ないそうだ。ブーブー豚に文句を垂れるのは、トンデモないことだそうだ)
毎日毎日、マコトちゃんは何もすることもなく、のんびりブラブラ、釣りをしたり泳いだり、
散歩したり、ただ朝からビールを飲んだりで、だらだらと一週間、何が遊びか分からないが、とにかく遊び暮らす。
しかし、驚いことに、島の男たちもほとんど、マコトちゃんと同じ生活スタイル。
kちゃんのお父さんは、朝遅く浜へ漁に出掛けたと思ったら、すぐに魚三匹だけ釣って、自慢そうに帰ってくる。
浜には魚はウジャウジャ溢れるほど泳いでいる。
何も難しい技術はいらない。
目を瞑って、網で掬ってもいくらでも採れる。
なるほど、すぐ帰って来るわけだ。
それでも、乱獲をしないのか、何故なのか、魚は三匹だけ。
今日のイ・チ・ニ・チの仕事は、ハイ、これまでよ、ですよ。いいですね。
そして、えんえんと、ビールを飲む。飲みつかれて、またまたビールを飲み、ただただビールを飲みつかれる。
kちゃん曰く、「ピリピンの男、ほんと働かネーダ、怠け者。ピリピンの男ダメアルヨ!」
あくせくあくせく、時間に追われての私たち日本人の生活、これでいいのですかね。
世界には、まだまだ、おとぎの国がたくさんアルペッ。
行ってみたいッス。

2月7日(水)
一日中霙交じりのあめ 寒さぶり返す
背がまた伸びた、三遊亭あし歌

「あし歌ちゃん、久しぶりだね。一年位経つんじゃない。円歌師匠の家出て、高円寺に引っ越してから、初めてじゃない」
「マスター、ママご無沙汰でした。今日来てみて、大山がこんなに近いとはビックリしました。またちょくちょく顔を出します」
「あし歌ちゃん、背が伸びたんじゃない。なんか大きくなってるみたい」
「そうなんです。まだ伸びてるんです、驚いちゃいますね。円歌師匠に弟子入りした時は、師匠より小さかったんですけどね。
俺より小さい奴が来やがったってんで、入門できたようなもんですから」
あし歌ちゃんが、柳家 風太郎さんに連れられて、最初に当店を訪れたときのこと。
私とママは、ハタッと迷いました。
よくよく見ないと女の子、よくよく見れば男の子なのかな。
まてよ、まてよ、やっぱし女、いや、男かなななな・・・。
声を聞けば分かる、はずが余計分からなくなる。
体つきを見れば、と思うがなおさら頭が大混乱、くららクララ、目まいがするは、吐き気がおそい、身体が痺れる。
風太郎さん曰く、「こら、子供!」確かに、小学生6年生にも、ムム、言われてみれば見えてしまうから不思議だ。
でも、本当はどちらなのかね。妖怪奇天烈、変幻自在鉤、一発ツモドラドラ、フリテンのパー、ありゃりゃのリャー!
そうだ、一緒に銭湯に連れて行こう、確かめてやろう。どうだ、参ったか、覚悟しろ、ニャロメー。
でも、本当に分からない不思議な人です。
オオバーに書かれてるみたいですけど、絶対にこれ本当。
少しも大げさに脚色してません。会えば分かる。
いずれ近いうち、テレビなどでお茶の間の人気者になりますから。
その時、私の言ってたことが実証されるはず。
「なるほど、確かに、マスターの言ってたとうり。こんな人も世の中にはいるものだ。世間は広い、ムム、侮ってはいけない」
それにしても、桂 六助さん大変ですね。早く新しい師匠が見つかるといいですね。
人生捨てたものでもでもありません。
苦しいときに学んだことは、何ものにも勝る財産です。
めげずに頑張ってください。

2月6日(火)晴れ 
とても暖か
慌てて書き、文脈乱れ大変に失礼しました。

劇団東京演劇アンサンブルは、ブレヒトの理念を肉体により具現化するために、
40年あまり、劇団とゆう運動体として演技システムと表現様式を追求し、より深化することに成功はしたと私は評価しております。
しかし、演劇とはもともと、娯楽的で大衆的でなおかつ祝祭的な側面を本質的に持つものである。
とくに、ブレヒトの成功作の多くも、ミュージカルのように楽しく、とても躍動間溢れる叙事詩的でダイナミックな芝居に描かれています。
けっして、理念的で哲学的で堅苦しい芝居ではありません。
たとえ、ブレヒトがいかに「異化効果」を声たかに主張しようと、彼の素晴らしい作品郡は、
私らの心を大きく揺さぶるとてつもなくダイナミックな芝居に描かれています。
彼自身の理論を作品が凌駕しているのです。
だからこそ、ブレヒトは天才なのであり、そこに天才の苦しみと悲劇があったのかもしれません。
土井さんが、アンサンブルの芝居に、躍動感や生命のリズムなどを感じ得なかったのは、
アンサンブルの「ブレヒトの世界」の演出方法に問題があるのかもしれません。
ブレヒトの世界の理念を追求し深化させることにより、静的で様式的になっていったのかもしれません。
しかし、なにはさておき、私たちの時代をいまだに感じさせる演劇空間って感動したでしょ。
また観にいってくださいね。よろしく。

三文オペラで有名なブレヒトを観た土井さんへ

西部新宿線の武蔵関まで、「コーカサスの白墨の輪」を観にいってくれた土井さんに、まずは感謝カンシャ。
久しぶりに「新劇」と言われた熱きものに触れて、それなりの感動はあったのですが、
何か今ひとつ伝わらなかったようで残念でしたね。
葉書の文面から察するところ、原因はダイナミックなテンポとリズムの欠如に在ったみたいですね。
アリストテレスの「詩学」以来、
西洋の演劇のドラマツルギーは、感情移入型のカタルシス(感情浄化作用)理論であった。
しかし、ブレヒトは演劇の教育的側面を重視する異化効果説を展開する。
つまり、舞台に展開するドラマに引き込まれ感動し涙することににより、
日常の憂さをはらし精神のバランスと健康を回復するするとする伝統的演劇に対峙する。
芝居の観客は、舞台で展開している事件の目撃者であり証人である。
観客は感動するどころか、理性を曇らせずしっかりと見据え、
なにが今起きていることを考えながら観なくてはならないと考えた。
彼は演劇における教育的側面とプロパガンダ的側面を強調し、演劇により世界を変革できると考えた。
しかし、英国の高名な評論家マーチン。・エスリン氏がいうように、彼の素晴らしい作品は、
彼の理性をもって舞台のドラマを観、決して感情で理性を曇らしてはならないと言いながらも、
じつは感動的場面では、彼の理論を覆し、観客は感動しなみだしてしまう。
まさに、ブレヒトはおのれ自身の理論を、素晴らしい作品に出来上がっているがゆえに、
自分の作品に反逆されてしまうのである。
まさに、エスリンがいみじくも定義した「背理的詩人」としてのブレヒトはここにある。

続きあります。

2月4日(日>
暖かい
こんどこそは、ポルトガルまで。

去年いっぱいで退社して、10年前に中途断念したポルトガル行きに再度挑戦。
(この就職難に、大手建築会社を辞めて、男のロマンをいつまでも追求する。
男っていいですねー。
しかし、当店のお客様は、この時期よく会社辞めますね。
偶然とはいえ、何なんでしょうね。ロマンチストが多いのかも、ウレシイネ)
前回は、大学卒業記念として、アルバイトをしたお金を全部もってでかけたが、
ギリシャあたりで資金がショートし最終目的地のポルトガルを涙なみだで断念する。
中国からネパール・インド・パキスタンを経由し、
イラン・トルコを通過してなんとかギリシャまで、4ヶ月かけて辿り着いたそうだ。
(やばいとこばかり、よくもまあ選ぶものですね。
気の小さい私には、クワバラ、クワバラ。人の好みはほんとに、分かりませんね)
今回は、退職金もふくめて一切合切かき集めて、約一年の予定で、昔辿った道を再度歩き、
夢に見たポルトガルへ到達の予定。出発は2月20日。
「木谷さん、お金、旅先でどうするの?持ち歩いてちゃヤバイでしょ」
「そうそう、どうしようかな。なんとかなるでしょ」「食べ物は大丈夫なの?」
「もともとろくな物食べてませんから。毎日、牛丼でも、僕はぜんぜんOKです」
さすがですね。
地球に危機が訪れても、生き残る人きっと木谷さんのような何でもOK型のタイプでしょう。
私みたいなタイプは一発でアウト、考えたくないね、いやですね。
木谷さん、無事にポルトガルに到達するといいですね。
人の思いが強ければ強いほど、理想は実現するもの。
一年後、再会できることを楽しみにしています。
保険を掛けたいのですけど、どうしたらいいですか、早急に連絡ください。

2月1日(木)雨のち曇り 相変わらず寒し
人のことより自分の事を、もっともっと考えろ。

1月28日(日)
僕らの野球部ーguns-の新年会があった。

場所は元ミドル級世界(竹原慎二のイタリアン・レストランーカンピオーネーでおこなわれた。
美味しい料理を食べながら、ワインと生ビールをガンガン飲みすぎたようで、おおいに体調を崩す。
それほど飲んだつもりはないのに、やはり歳ですかね。
(つぶやき日記を休載した言い逃れです、根性なしですから)
私たちのティームのメンバーである通称「竹ちゃん」の店は、ただいま今、大繁盛。
土日は予約をした方がよいそうです。
なんといっても、夢のまた夢、日本人初めてのミドル級の世界チャンピオンのお店ですから当たり前ですよね。
テレビの力はなんともすさまじいものです。
私の店に来ていたころは、世界タイトルの防衛に失敗して、まだ1年経つか経たないかとゆう時期でしたが、
まだまだ知名度は低く、彼のことをボクサーだといっても本気にしない人がいたくらいでした。
(ちなみに、その信用しない人も、
日本人のTOEIC990点ホルダーになり、その世界の第一人者になりました。
当時はただの酔っ払いでしたが、見えないところで努力してたのでしょうね。
私みたいな凡人には,まったく分かりません、どこにそんなすごい才能があるのか)
彼も開店当初は「池上線の池上駅ですから、なかなか来てくれないですよ」なんて、泣きが入っていましたから。
子供さんも、二人目が誕生し順風満帆、テレビでの活躍、そしてレストランの経営者として頑張ってください。
それよりも、おたくは自分の店の心配をしたほうがいいんじゃねーの、もっと気合を入れてヤレッツーノ。
ハイ、ごもっとも、頑張りまっす、ヨロシク。

1月27日(土)
一日中雪 かなりつもりそう
善意を信じれば救われる

大変な雪で、私の住んでいる板橋のはずれは、一面の銀世界。なかなかメルヘンチックで趣がある。
とても、東京とは思えず、どこか遠い異郷のようだ。
しかしすごい雪だ。何年ぶりだろうか。
去年の暮れ、お店の前のタバコやのおばあちゃんが、言っていたっけ。
「今年の夏は猛暑だったから、この冬はすごい雪がきっとが降るよ。
すごく夏が暑いと、その分ひどく冬が寒い」
なるほど,そのとうり、大当たりだ。年寄りの経験とはなんとも恐ろしいもの。
私たちはもっともっと、年配者の言葉に耳を傾けなければ。
そしたら、世の中はギクシャクせず、しなやかで住みやすくなるかも。
と、言う私も53になるのだが・・・・
こんなに深い雪では、たぶんお客さまは来ないだろう。
来てくれたら、これは、まったくもって感動ものだ。
この私でさえ、家を出るのを、情けないことに一瞬ためらったのだから。
誰か私に、この雪のなかピーポッポを訪れて、超ど級の感動を味あわせてください。
あまり、贅沢は言わないで、ほんのわずかな感動で結構です。
読んだ人は、きっと来てくれるかな。
私は、人の善意を信じるほうだから。

1月26日(金)
朝から雨、夜半に雪かも、とても寒し
山歩きの好きな男、上野さんが、樵(きこり)になる話。

「アレ、今日はカジュアルですね。ひょっとしたら、もう会社をやめたの?」
「ええ、この連中は僕の引継ぎで、今日は僕の送別会なんです」
「何時引っ越すの?」
「来週中には、大山を引き払おうと思っています。
短い間でしたけど、ピーポッポでとても楽しい経験をさせていただきました」
「いよいよ、岐阜県の樵ですね。荒れ果てた日本の山の手当てをしてあげてください。
土砂崩れや泥流が、頻繁に発生するのは、山々が荒れすぎてるからなんですから」
「マスター、正確に言うと、岐阜ではなくて愛知県なんです。長野県との県境あたりの山奥。
31にもなって、何をお前は考えているんだって、静岡の親父には勘当ものですよ。
えらい剣幕で怒られました。
樵にするために、大学を出したわけじゃないって。この不景気な時期に、
サラリーマンを止めちゃうのですから、気持ちは痛いほど分かります」
「上野さん、とてもいいですよ。
何時までも、純粋な男のロマンを持ち続けられるなんて、素敵なことじゃないですか。
そして、なおかつ日本の美しい自然を守る役にも立てる。ぜひ、頑張ってください」
「山の生活をして、2年になるか3ねんになるか、それとも、一生、山の生活を送るのか分かりませんが、
とにかく、新しい一歩を踏み出します」
「引っ越して落ち着きましたら、こちらにも連絡して下さい。年賀状でも送りますから」
「上京したおりには,また寄らしてもらいます。マスターのホームページもいつも楽しみにチェックします」
31歳にして、心機一転、新しい人生に船出する。山が好きだから、山を守ってあげたい。
山を汚しても、平気でポイステする連中に聞かしてあげたい話ですね。

1月25日(木)
雨 とても寒い 雪になるかも
男は、辛い過去を肥やしにする。女性は・・・・

独学で人形制作をはじめ、今では作成した人形ーガレキと言えば、分かる人にはすぐピンとくるそうですーが、
6万とか10万円で、サクッと売れちゃう人形作りの名人、橋本さんのお話。
「女の人は、男と別れると決断をくだすまで、他に男がいても、おくびにも、素振りを見せないよね。
或る日突然、あたしもう駄目、明日家出る、だもんね。
たまらないよ、男は。
僕流になずけると、女性の蟹歩き、平行移動型八艘跳び。
そして、男はウジウジと何時までも引きずるんだよね。
女性は、そのときから過去をすっかり忘れて、前にどんどん進んじゃう。結構見たな、そんなケース」
ガレキの名人、橋本さん
「マスター、男は過去の失敗から学び、つらい経験を肥やしにして今を掴みとる生き物ですよ。
だから、昔読んだ漫画や玩具なんかを、大の男が高いお金を出してまで買う。
女性は、自分自身で新しい生命を生み出すことができるので、
いつも未来に生きるのじゃないのでしょうか。
僕は今、古本屋の店長をしてますが、古いレディース・コミックなんか置いてありません。
女性が買うわけないですからね」
むむ、橋本さんなかなか鋭い。君も辛いことがきっとあったのだよね。
とても、言葉にリアリティーがあるもの。
もう、そんな思いはしたくないよね、お互いに。

1月24日(水)晴れ 暖かい
11月に2人は目出度くゴールイン。
12月11日の幸せな2人です。
何時までも、お幸せに。

遠距離恋愛には電話代が幾らかかるか?
彼女は東北に住む色白な美人、彼氏はいつもダンディーに決込む東京男。
8歳年上の彼女が上京したり、彼氏が東北へ出向いたりでとても大変そう。
会えない間は、電話で愛の交換。ちなみに、彼氏の1ヶ月の電話代は5万円位だそう。
彼氏曰く「僕が掛けるより、向こうから掛かってくる方が、ずっと多いですよ」
すると、彼女の電話代はいったい全体幾らに?十何万円?はたまたうん十万円になるかも。
「マスター、愛はお金に変えられませんよ。歳をとるってヤダナー!」
来年にめでたく結婚するそうです。とにもかくにも、おめでとう。何時までもお幸せに。
でも、一緒に生活するまでに、電話代だけでも幾ら?
あらあら、また余計なお世話を・・・・。
失礼致しやした。
2003年撮影 決まってるね。 2004年撮影 相変わらず仲がいいね