小さな旅&日記

駒込・大国神社へ
1/31<水>


今週の日曜、駒込駅近く、大国神社に出かける。
かみさん曰く、結婚の届けの順番が違うと、よくないそうだ。
結婚式の前に、先に、籍を入れては、いけないそうなのだ。
やはり、物事には、順番があるらしい。
まずは、結婚する事を、神様に報告。
次に、親戚、友人、知人を招いて、再度、報告し、みんなに祝ってもらう。
そして、目出度く、入籍と相成る次第。

どうして、そんなことを知っているのかと、訊ねてみた。
そしたら、テレビで、細木数子が言っていたとのこと。
さらに、順番が違った人は、素盞鳴尊 (スサノオノミコト) 、
大国主命(おおくにぬしのみこと)などを
まつっている神社に出かけ、順番違いを謝ればいいそうな。
そこで、いい歳をして、のこのこと、神社に出かけることに。
神社はすぐに見つかった。
駒込駅を見渡せる橋のたもと、ひっそり鎮座していた。

鳥居には、まだ、正月の名残。
通りぬけると、すぐそこに、こじんまりとした、大国神社があった。
東京の山の手にもかかわらず、何処か、遠い昔、村の鎮守様の面影が漂う。
手水場で、手を清め、口をすすぐ。
狭く短い参道を進み、お堂へ。
すでに、参拝客。
何か、いっしんに、願をかけているようだ。
帰りしな、軽く、笑顔で、互いに会釈は気持が良い。

私達も、お賽銭をあげ、手を合わせる。
まばらではあるが、切れることもなく、参拝の人がお堂へ。
風も穏やか。
空も高く、青く澄み渡っている。
私達の気持ちも、晴れやか、にこやか。
一月も終わり、もうすぐ立春、節分もやってくる。
今年は、きっと、良い年になるだろう。

支配人時代の思い出
@1/23<火>


一昨日の日曜、テレビで、彫刻家・平櫛田中の特集をしていた。
私の好きな木彫芸術家である。
そして台東区の名誉区民第二号でもあった。
ちなみに、初代は横山大観である。
私がショットバーを経営する前、私は29歳の時から9年間、
上野の料理屋で、支配人をしていた。

料理屋の主人は、なかなかの趣味人。
毎週、支店の5階の和室で、師匠を招いて長唄の稽古をする。
そんな主人は、日本画にも造詣が深かった。
会場芸術を唱えた、川端龍子の弟子、時田直善氏が主宰する、
東方美術協会の作品も、多数買い上げ、私的にも氏と懇意にしていた。
上野の美術館で、東方美術協会の個展のあとは、
90人ぐらいで来店し、大広間を表彰式に、使ってくれたことを思い出す。

そして私も日本画の勉強を、独学で始めた。
上野界隈は、日本画や洋画を、勉強するには便利なところ。
季節の折々、お店の床の間や、座敷の掛け軸、
額絵をかえるるのも、私の仕事であった。
やはり、芸術を愛するものには、同好の士が集まるもの。
お店の取引先の酒屋さんは、銀座にある伊東酒販だった。
お店に主人を訪ねて、伊東酒販の社長も、よくやって来た。

伊東氏は上諏訪の出身。
若き頃、東京の酒屋に奉公に出た。
そして、上野の寛永寺裏、桜木町にあった、
鏑木清方塾で修行する、若き伊東深水と出会う。
苗字も一緒な2人は意気投合、約束したそうだ。
「お互いに頑張ろう。そして、早く出世したものが、援助することにしよう!」
やがて伊東氏は、銀座で酒販店として成功する。

そして、約束通り、伊東酒販の社長は、
まだ世に出ぬ、伊東深水画伯の絵を買い求め、支え続けた。
また、同じように、当時、経済的に恵まれない、平櫛田中の作品も買い上げていた。
何時しか、様々な作家の作品が、伊藤酒販の倉庫に収蔵される。
そこで収蔵品を、自分の経営する、諏訪湖湖畔の伊東酒造の展示館で、公開するようになった。

社長亡き後、諏訪湖近くの富士見市に、<財>伊東近代美術館設立された。
伊東氏と仲のよい、私の主人の家にも、伊東深水画伯の絵や、
平櫛田中の作品が、収蔵されていたのを憶えている。
当時、私の主人は82歳位だった。
支配人になって3年目に、交通事故で入院する。。
その後、意識不明のまま、入院生活が長く続き、やがて他界した。

店を愛する主人のために、本店のすべての階を使って、葬式をだした。
上野浅草の老舗の旦那集が、告別式にやって来た。
それはそれは盛大で、支配人として、すべてを切り盛りしたことも、懐かしい。
まさに、江戸っ子気質の料理屋の主人で、生前はいろいろ勉強させてもらった。
でも、もっともっと、たくさんのことを、教えて貰いたかったのだが……。
それからは、女将さんとの二人三脚が始まった。
言葉に言い尽くせないほど、たくさんのことを経験し、
私の人生の財産になったのは間違いがない。

喜劇『ルームサービス』のリハーサルを観に
1/19<金>


2004年度・文化庁・第59回芸術祭賞
受賞作品・喜劇『ルームサービス』
作 ジョン・マレー アレン・ボレッツ
訳・演出 ・酒井洋子
<出演> 安原義人・永井寛孝・入江崇史・落合弘治
濱墅基彦・石津彩・きっかわ佳代・古屋道秋
瀬下和久・山下啓介・沢りつお・沖恂一郎
納谷悟朗・熊倉一雄


お店の古いお客様の山下さんが、
喜劇『ルームサービス』の舞台の通し稽古に招待してくれた。
エコーで上演される作品のうち、山下さんの出演する芝居で、東京公演はすべて見ている。
だが、何故か、この作品だけは見逃した。
それには、少々、つまらない理由があるのだが、それはここでは内証。
ある時、山下さんが、久し振りにやって来た。

何時もの、ブラディー・メアリーを飲みながら、私に教えてくれた。
エコーの『ルームサービス』が芸術祭賞を受賞したことを。
山下さんは、集金人の役どころ。
山下さんが登場するたびに、爆笑の渦がおこったそうだ。
なんと、スタンディング・オベーションが、観客席で始まったというから驚き。
日本の芝居、それも、今は風化した言い方だが、
新劇の系譜に属する劇団の公演では、空前絶後のこと。

そして、2007年の再演が決まり、1月15日に最終稽古。
翌日から、高知県をかわきりに、全国公演の旅に出る。
しばらくは、東京公演はない。
そこで、『ルームサービス』の最終稽古のゲネプロ(リハーサル)に招待してくれたのだ。
場所は、吉祥寺・前進座劇場。
古くからある、東京の劇場には、かなりかよったものだが、何故か、前進座劇場は初めて。
自宅から、ママの運転で45分ぐらいで到着。
開演時間は2時の予定。

15分前に入るとしても、まだ、少し、時間がある。
前進座劇場の地下の喫茶店で、私はコーヒー。
ママはランチセット。
牡蠣フライ、味噌汁、おでんの小鉢。
これが意外にしっかりしている。
値段は700円とはお値打ちだ。
一休みして、劇場へ。

ロビーには、想像した以上に、大勢の人たちがいた。
いよいよ、開演10分前、劇場の中へ。
真ん中には、演出家のテーブルがドーンと置かれ、
演出の酒井洋子さんが、台本を開いて坐っていた。
私達は、その二列後ろの席に坐る。
観客は、100人ほどはいるのだろうか。
劇団の人が、携帯は切るように、丁重なお願い。
そして、可笑しければ、遠慮せず、どんどん笑って下さいとのこと。

ルームサービスの英語のロゴが、天井から吊り下げられたスクリーンに映っている。
観客席の照明がすーっと落ち、スクリーンがするすると上がる。
舞台は都会のホテルの一室。
背景には、都会の夜を彩るネオンや看板。
芝居は始まった。
沖恂一郎さん演じる老ルームサービス係りと、
主役のプロデューサー・ゴードン・ミラー役の 安原義人さんで幕が開く。
演劇の大成功を夢み、一攫千金を狙う興行師ゴードン・ミラーは、毎日のホテル代にも困る。
金策も尽き、夜逃げの算段。

そんな時、一文無しの作家まで上京。
しかし、そんな危機的状況下、芝居に投資しようという、大財閥の代理人が登場。
夢にまで見た芝居の上演が、実現しそうなはこびに。
ところが、翌日、代理人との契約の調印当日、
沢りつおさん演じるホテル支配人が、運悪くも登場。
すったもんだの混迷状態、契約は調印され、
15000ドルの小切手を、ゴードン・ミラーは手に入れる。

15000ドルの小切手を見た支配人は豹変。
すべてに、積極的な協力姿勢で、事は大前進。
すぐさま、ホテルの劇場を改装し、上演に漕ぎつけた。
ところが、すったもんだのどたばた、不安を感じた代理人。
小切手の裏書無効の手続きをとった。
調印した筈の書類には、代理人のサインもなかった。
だが、芝居の幕は切って落とされる寸前。
何がなんでも、芝居を開演、成功させねばならない。

明日、一日。
ついに、支配人にも、ことの真相が露見。
警察に通告され、逮捕寸前の危機的状況。
すでに、芝居の幕は上がり、一幕が終わり、そして、2幕。
作家先生を病気にしたて、何がなんでも、芝居は続行させねばならない。
ところが、天の恵み、、どうやら、芝居は大成功の様子。
間一髪、芝居は、大成功、拍手喝采の渦だ。
ゴードン・ミラー一座は、起死回生、大成功を収めた。
これで、すべては解決する。

ホテル代も借金も、そして、一攫千金の夢さえ現実になった。
休憩15分も入れて、約2時間30分は一気に、飽きることなく終った。
観客達の笑いも本物、けっして、身内のお追従笑ではなく、観客の笑いに力があった。
テアトル・エコーの重鎮たちも元気に、軽快に演じていた。
飄々とした沖恂一郎さんは、独特の味をだして楽しませてくれる。

そして、山下啓介さんの集金人。
朴訥として、憎めない、従順な小市民の可笑しさが、十二分に溢れ出ていた。
きっと、本公演では、笑いが笑いを増幅。
再度、スタンディング・オベーション、抱腹絶倒、痛快爆笑、笑いの渦になるだろう。
本公演とは違い、舞台稽古の楽しさを、堪能させていただき、ありがとうございました。

佐野薬師へ厄落し
1/14<日>

無料の駐車場 天明橋から 遠くに、日本アルプス
今年還暦の我、厄とは知らなかった。
偶然にも、三峰神社の初詣で発見。
さっそく、厄落しに、何時も出かける、佐野薬師へ。
これで、佐野薬師へ出かけるのも、何回になることやら。
前回の時はビックリした。

参拝のあと、駐車場へ戻ったら、車が右へ、傾いているではないか。
タイヤのムシが腐って、空気が抜けていたのだ。
何とか、駐車場のお兄さんが修理を依頼。
車の整備工場へ行って、修理をした。
栃木の人間、みんな親切で、優しさが心にしみた。

参道から、山門へ
あれから、すでに、6年ぐらいは経っているのだろうか。
そして、今日、佐野へ、再度出かける。
時は、12時少し前。
天気は快晴。
陽射しは温かく、空は青く高く、澄み渡り、雲海が銀色に耀き眩しい。

外環から、高速の東北道へ乗り、一路、北上。
真っ直ぐに伸びる高速の彼方に、雪を頂いた山々。
やはり、暖冬なのだろうか、山肌は黒く露出。
切り立った山の上部分は白く、雪が陽光に光っている。
途中、蓮田インターで休憩。
高速に乗り約60分、佐野藤岡インターで降り、国道50号へ。

境内にて
とろとろと混んだ国道を進む。
佐野薬師へは、「ここから、2.5キロを右折」の看板が出現。
ところが、ついつい、うっかりの見落し。
足利市近くまで走ってしまった。
途中でUターン、取り敢えずは、戻り、佐野市街へ向かう。

市街から、佐野薬師は近いはずだ。
感は当たり、薬師様の標識が見える。
自信を持って進めば、佐野薬師の門前へ出た。
まだまだ、お参りの人で、ごった返していた。

このお堂で御神籤をひいたら、2人とも吉
小父さんやお兄さん、有料の駐車場の呼び込みで大忙しだ。
何時もは、有料に入れるのだが、何処か無料はないのかと探すと、看板があった。
180メートル先に、佐野薬師さまの無料パーキングと、書かれてあった。
どうせ、一杯だろうと半信半疑、出かけてみると、広いスペースの駐車場があった。
やはり、例え、600円の節約でも、無料は嬉しい。

何時もならば、有料でも、結構、苦労して探したもの。
車を降り、外へ出ると、やはり、栃木県の空っ風、肌をびしっと射し込む。
大勢の参拝の人達について歩く。
遠くには、黒い肌も見せてはいるが、やはり、銀嶺の日本アルプスの山々。
冬時の川は水量も少なく、川底も見える。
流れる川面は陽光に、きらきら反射している。

賑やかに並ぶ露店。
左右にびっしりと連なる露店に囲まれた、参道を進むと山門。
潜り抜け、境内に出る。
佐野薬師の本堂に向かって、厄落しの護摩焚きの札を貰う長い列。
私達は、今回、護摩焚きの法要はせず、参拝だけで済ます。
手を合わせたあと、隣で厄除けと方位よけの御守りを購入。
そして、線香の煙が一面に広がる、大きな炉で、腰や頭に、お線香の煙をかける。

その隣にはは、老若男女、竹ぼうきを手に持って、笑顔をうかべた、
可愛らしい子育地蔵尊(こそだてじぞうそん)」を、束子で洗っている。
親子で体をあらえば、じょうぶな子になり、働き者に育つという言い伝え。
私達も、束子でごしごしと洗う。
子供の替わりに、丈夫な大人で、何時までもいられますようにと願いを込めて。
お地蔵さんは寒そうだが、それでも、きっと、気持がよいのだろう。

帰り道、境内をぶらぶら
昼下がり、長い影を引いた陽射しに誘われるように、露店を見ながら、境内を散策。
境内から山門を出て外へ。
前には、佐野市物産センターがある。
何か土産物でもと思い中へ。
会館内はかなりの賑わい。

入ってすぐに、地元の酒・開華の販売店があった。
笑顔が可愛い、少し、栃木訛りのお姉さんが、試飲をさせてくれた。
大吟醸から、あらばしり、微発泡性のお酒まで、全部試飲させてくれた。
新酒の爽やかで、ぷつぷつ、弾けるような味わい。
大吟醸の磨きぬかれた、米の芯から醸された酒の豊饒な香。

少しづつと、小さなカップに注がれたお酒も、杯が進めばほろ酔い気分。
お姉さんのあどけない笑顔につられて、ついついの長居。
お気に入りの開華を一本買い入れ、館内をぷらぷら。
お土産に、名物・佐野ラーメン購入して外へ。
小腹も空いてきたので、ラーメンでも食べるか。

ところが、2時過ぎ。
何処の店も満員の盛況。
長い列のところさえある。
何処か、空いてるところはないかと探していたら、昔、偶然に見つけた、田丸屋さんの前に出た。
折角のこと、田丸屋さんの奥座敷で、昔ながらの、箱膳料理で一杯と洒落よう。

田丸屋さんにて
店の引き戸をがらがらと開け中へ。
江戸時代から続く漬け物屋さん。
店には、漬物や味噌が、昔ながらの様子で並べられている。
店の中、狭い通路を通って中へ。

下駄履きに靴を置き、奥座敷へ。
すでに、先客のカップルが一組。
田丸屋さんの奥座敷、とても、懐かしい。
昔来た時とまったく、佇まいも同じでほっと一息。

漬物づくしが、サービスとはありがたい
私は麦とろ定食¥1000とビール。
ママは田丸屋定食¥1500。
しばらくすると、漬物セットとビールが運ばれて来た。
さすがに、伝統ある漬け物屋さん。
漬物セットはサービスの盛りだくさん。

地元産の、たぶん、無添加の大きなラッキョウ。
牛蒡、胡瓜のつぼ漬け、大根の紫蘇漬け、生姜と大根の味噌漬け。
そして、自家製の塩辛は、柔らかくて、上品な味わい。
たっぷりと、大きなお盆に、盛り込まれているのだ。

やがて、箱膳にそれぞれの料理が運ばれる。
地元産の麦ご飯は、昔ながらの木のお櫃でふっくら。
自分でお櫃からしゃもじで、茶碗によそい、滑らかにすりおろした山芋をたっぷり掛ける。
まずは、どかっと、真四角に切られた木綿豆腐が入った味噌汁をのむ。
田舎味噌風な赤味噌仕立て。

底には、醗酵した大きな大豆の粒が沈む。
口に含むと、懐かしい、昔ながらの味噌味が、ふっくらと膨らむ。
麦とろをずるりと吸い込み、ご飯を噛むと、麦の平たくぷちりとした食感。
麦のさくりとした甘さと、ずるりとすべる、とろろの甘味とが共鳴する。

創業200年・田丸屋さんの店内風景
ママは田丸屋定食を、美味しそうに食べている。
麦とろに、田丸屋さん特性、豚ロースの味噌漬焼き。
つまませてもらえば、とっぷりと漬け込まれた味噌味。
強火で焼かれた焦げ味も、美味しく香り、豚肉の旨味と調和する。
ゆっくり、一休みしていると、4人の家族連れがやって来た。

ここで、漬物でもあてに、さらに、ぬる燗の酒でもと行きたいところだが、今日は我慢。
これから、東京へ帰らなければならない。
外に出ると、すでに、日は力なく、風は冷たくなっていた。
ラーメン屋さんも閑散として、勿論、並ぶ人など今はいない。
これから、足利へ出て、そして、東京へ帰ろう。
勿論、助手席で、先ほど購入した開華を、ちびりちびりと楽しみながら。

秩父・小鹿野町でお正月
1月1日<月>ー3<水>


例年通り、大晦日まで、店は営業。
翌日、3時頃、家を発ち、のんびりと秩父へ。
3時間くらいで、秩父・小鹿野町へ到着。
この一ヶ月あまりの間、秩父夜祭、法事、そして、正月と、三回目の秩父路。
すでに、小鹿野町に到着した時には、とっぷりと日が落ち、集落の家々に灯りがともっていた。

ママの実家に到着の時間は、6時を回っていた
さっそく、仏壇に線香をあげ、先祖様に手を合わせる。
私の実家の母が他界し、続いて、兄嫁も鬼籍に入ってからというもの、
お正月の御節やお雑煮は、毎年、秩父で頂く。
私の家で、正月を迎えたのは、ここ26年来、1回だけである。

三峰神社の大鳥居の前
何時も、親戚たよりで、いささか、都合のよろしい、我らのお正月。
飲んで、食べて、歌って、また飲んでの、いたってノー天気な私の正月。
食事を終え、夜も更けて来た頃、隣の部屋では、花札が始まった。
私達も子供の頃、僅かなお金を賭けながら、夜を徹して花札で遊んだ。
すこしばかりのお金だが、勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。
小さな博打の勝敗、どこか、今年の運勢、吉凶の占い。

遊びがこうじて、何時しか、子供ながら、勝敗への執念さえ漂う。
普段は、賭け事を極端に嫌う我が家でも、この日ばかりは無礼講。
隣の部屋では、わいわいがやがや、盛り上がっている。
大勢で、一緒にゲームが出来るようにと、秩父の姉さんの妙案!は素晴らしい。
一度に、花札のセットを二つにして、札数を増やす。
たしかに、これならば、札数も増え、めくり札も増え、ゲームは楽しくなるは必定。

私はテレビを見ながら、酒の肴を共に、ちびりちびり、独りお神酒を頂く。
程よい燗酒を盃にうけ、くびりくびり頂く味は甘露。
酒の燗をママに頼み、ひたすら、旨きかな、楽しきかなでの独り酒も楽しい。
夜も更け、花札遊びの楽しげな声を聞きながら、ほろ酔い機嫌もまたこれも乙なもの。
やがて、うつらうつら、程よい加減の酔い心地。

さてはさてはと、気持ちよく、布団に入る。
酒の量も程々に、ほろ酔い加減、気分よく、勝手気ままにご就寝。
以前のように、ぐだぐだ、とことこん、酒を飲み続けることは、何故か、少なくくなった。
しかし、また何時、リバウンドするやら自信はない。
深夜、2時頃、奥の部屋の布団で熟睡。

三峰神社
翌日の朝、目が覚める。
秩父の朝、やはり、暖冬とはいえ、凍るように寒い。
だが、朝といっても、すでに、微かにもれる陽は明るい。
すでに、11時の昼時間近。
家からもってきた、元旦の分厚い新聞の束を取り出し、すべて読みきったら12時。
そろそろ、昼時。

歯を磨き、髭をあたり、顔を洗い、みんなのいる居間へ。
テレビでは、恒例の箱根駅伝。
トップを順天堂が独奏している。
親戚の甥っ子が、元武南高校のサッカー部。
チャンネルを回して、母校の試合を食い入るように見ている。

一同が集まり、昼食。
御節料理を摘み、私は、お餅を三つ入ったお雑煮を平らげる。
嬉しいことに、この一年、とても食欲がある。
かつて、連日の飲みすぎがたたり、肝臓を壊した時、毎日の食事が苦痛だった。

ほとんど、晩御飯一食の生活。
食べなくては身体が持たない。
たった一食の食事とはいえ、食欲はなく、食事が拷問だった。
食欲があることは、それだけでありがたい。
食事が美味しいと感じられることは、健康である証拠だと確証している。

三峰神社
昼食が終わり、一段落しているところへ、秩父夜祭で何時もお世話になる、
阿佐美夫妻が、新年の挨拶にやって来た。
気さくで、屈託のないご主人を交えて、お酒の軽い宴。
夜祭での接待のお礼方々、正月の秩父のことを聞きつつ談笑。
私と同年輩のご主人は、焼酎を水割りにして、にこやかで、楽しそうである。

人の笑顔、それは、その人の天性の才能だろう。
やはり、正月は、何やこれやで、昼間から、堂々とお酒を飲めるのが嬉しい。
でも、よく考えれば、ここは女房の実家。
私の家でも実家でもないのだが。
やがて、阿佐美夫妻は、次の予定があり、そこそこで辞去。
すでに、時は3時。
私達は、三峰神社に初詣に出かけた。

昔からの、懐かしい旧道を通り、柴原鉱泉郷を抜け、国道140号へ。
白久から三峰口へ進む。
荒川の河原は、さすがに茫漠とした冬景色。
川向こうの里の集落も、何処かひっそりとした佇まいだ。
山間の里、秩父の日は早くも傾き始めている。

秩父鉄道・三峰口から、川筋沿いの急勾配の上り道を、さらに進む。
意外にも、この時間、上りの道を進む車がいるから驚き。
くねくねと曲がる国道を進むと、荒川の渓谷は深く切り立ち、はるか下に清流が流れる。
さすがに、水量は少なく、谷間に張り付いたような、大滝村も山襞に、深く抱かれている。
やがて、甲州へ抜ける道と、秩父湖から三峰へ抜ける丁字路に差し掛かる。

展望台&「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)
左に折れ、秩父湖・二瀬ダムへ。
ダムを渡る道は一方通行。
信号で青にならなければ進めない。
その間、ダムの向こうで、対向車は待機する。
トンネルの途中で、道は分岐。

右に折れれば、甲州へ抜け、途中に、江戸時代の栃本の関所跡。
その、さらに先に、ちょろちょろと流れる、秩父・荒川の源流がある。
勿論、我々の目指すは三峰神社。
二瀬ダムを渡る一本道。
ダムで堰きとめられた人造湖の水量は僅か。
湖底が顔を出しているところさえあった。

展望台より
さて、これからが、三峰神社へ向かうスカイライン。
晴れていれば、はるか彼方に、秩父連山を見渡せる絶景なのだが、
さすがに、すでに冬の日は落ち始めている。
標高1100メートル近くになり、冬木立は寒々としている。
やがて、広い駐車場に到着。

小鹿野町を発って、1時間あまり。
風もない穏やかな日なのだが、さすが、この時間。
外気は冷え冷え、肌を刺しぬくような寒さ。
駐車場から階段を上り、参道へ。
大鳥居を潜り、表参道の砂をぎしぎしと踏みしめて進む。

日本武尊の銅像
鬱蒼と茂る檜はさすがに手入れが行き届き、天を突き抜けるように聳える。
今までに、苗木を献木した講や寄進者の碑が建ち並ぶ。
森厳な道は、今は、初詣の人も少なく、森閑としている。
やがて、倭健の銅像が聳えたっていた。

さらに、しばらく進むと、そこは三峰神社。
これで、何回目だろうか。
6、7回は来ている。
初詣も3回目になるだろうか。
冬の三峰神社はさすがに寒く、晴れ着姿の女性はいない。
みな、それなりの重装備。

社殿で賽銭を上げ、拍手でがパチ-ンと鈍い響き。
両手を合わせ、新年の祈祷。
さらに、進むと、巫女さんが、籤をプレゼントしてくれた。
奥の社殿に進むと、くじ引きがあった。

昔ながらの、ガラガラポンだ。
一回ししたら、赤球がポトリと落ちた。
外れのようだが、三峰神社の銘が刻まれた祝い箸があたった。
ママも引いたが、やはり同じだった。
でも、神社からの贈り物、新年早々気分が良い。

社殿から下りの帰り道、日本武尊の銅像の前から、さらに下り、見晴らしの利く展望台へ。
深い谷あい、秩父の山々に抱きかかえられたように、集落が小さく遠望される。
すでに、日は落ち、霊妙でさすような冷たい風が吹き渡る。
山稜を包むように、力ない残光が空には耀いていた。

日は落ちたとはいえ、まだまだ、薄暮ほどでもなく、爽やかな気分だ。
下の茶屋で一休み。
軽く酒でも飲んで、のんびりと、小鹿野町へ戻ることにしよう。