小さな旅&日記
柏崎と刈羽村の思い出
7/18<水>曇り


柏崎市と刈羽村に大地震が襲った。
刈羽村には、私の母親の実家がある。
お爺ちゃんと叔父さんと、代々、刈羽村の村長を務めていた。
子供の頃、夏休みになると、一ヶ月以上、刈羽村に遊びに行った。
行く時は真っ白なも都会のやしっ子が、帰ってくると、真っ黒、逞しく日焼けしていた。
現在の柏崎・刈羽原発の何分の一かは、実家の農場だった。
実家から、水田のあぜ道を歩き、砂山を越えて、1時間半くらいで農場に着いた。
農場の山には桃がたくさん実っていた。
畑にはメロンやスイカ。
作業場では、タバコの葉を乾燥していた。
水田には青々と稲が風に揺れている。
農場の家の前の池には、鯉が養殖されていた。
食べ残した、西瓜の皮を釣り針に付け、
池に投げ入れると、面白いように鯉が釣れた。
そして、釣りに飽きると、今度は池に入り、鯉の手づかみ。
大きい鯉、、子供にはかなり強烈な暴れよう。
池から上がり、昼食を摂ったあと、砂山の向こうの海へ。
晴れている時は、佐渡もおぼろげに見える。
砂浜は焼けるように熱く、砂山を駆け足で下る。
強い夏の陽光、日本海は群青色で穏やか。
青い空には大きな入道雲が、銀白色に耀いている。
浅瀬とはいえ、決して遠浅ではない海辺で遊ぶ。
そして、飽きると、リールでキス釣りを楽しむ。
従兄弟は沖に出て、素もぐりで蛤を捕ってきた。
夏の長い一日、あっという間に終った。
刈羽村の遊びが飽きると、今度は柏崎の親戚へ。
とても、上品で優しい、お袋の妹さんの家族がいた。
柏崎で一番の番神海水浴場のすぐ近く、親戚の大きな家があった。
海が大好き、素もぐり大好きの叔父さんが、我々とよく遊んでくれた。
従兄妹が3人、私の遊び仲間だった。
家で着換えをし、浜まで5分もしないで着いた。
海は遠浅、少し沖には飛び込み台もあった。
飛び込み、泳ぎ、浜で身体を焼く。
そして、岬旅館の下あたりの岩場で、磯遊びをした。
岩場にへばり付くように、雲丹の棘の殻が、黒紫に光っていた。
とにかく、柏崎と刈羽村は、私の子供時代の楽園だった。
その、私のかつての楽園を、非情にも、大地震が襲った。
幸い、私の親戚には、怪我人などの被災者は出ていないようだ。
しかし、その惨状は凄まじいもののようだ。
柏崎市、刈羽村の人たち、これからも、頑張ってください。

壮大な夢は未完に
7/7<土>曇り
夕食をしに、商店街を歩いていたら、中年の綺麗な女性と目があう。
さて、誰だっけなと、こちらも考えいたが、あちらも誰かなと怪訝な顔。
知り合いであることは間違いなしだ。
何となく挨拶を交わしながら、駅の方へ並んで歩く。
雑談をしながら歩いていると、「ファミリーマート、やめました」
その言葉で思い出した。
H氏の奥さんだ。
「今はどちらにお住まいなんですか?」
「練馬に引越しました」
「そうですか。練馬は何処です?」
「北町です」
「東武練馬ですね。私は徳丸です」
そして、私達は駅近くで別れた。
別れ際、「お店のほうに、また、伺わせていただきます」
Hさんの旦那H氏は、6年前に癌で亡くなった。
身長は184センチの屈強な身体、大学時代はラクビー選手だった。
卒業後、佐川急便で2年働き、事業資金を貯め、板橋区大山に、ファミリーマートを開店。
そして、1号店を成功させた。
新しい従業員が入ると、必ず、私の店に連れて来てお酒を飲ませた。
「マスター、新人、○○なの。色々なこと教えてやってください」
H氏は男気質の親分肌。
従業員を何人連れて来ても、美味しい酒をじゃんじゃん飲ませて、全部自分で払う。
だが、従業員教育には結構厳しかった。
しかし、彼の情愛の深さで、従業員の定着率はすこぶる良かった。
やがて、赤羽にファミリーマートの2号店を出店。
駅近くの恵まれた立地で、またもや成功を収める。
ある日のこと、私とも親しい従業員を連れて来店。
彼の思い出のカクテル「横浜」を飲みながら、私に熱く語った。
「マスター、僕の夢の一歩が始まりました。
渋谷の<東急109>の隣に、3号店を出店できることになりました」
「それは凄い!おめでとう!」
「現在、建設中のビルですが、本部から確定の報告がありました。
これで、私は事業家の夢の一歩が実現します」
その時の、H氏のきらきら耀く瞳と嬉しそうな笑顔が素敵だった。
ファミリーマート経営の先に、H氏は壮大な事業計画を持っていた。
しかし、そんなH氏に悲劇が襲った。
かつて、手術した癌が再発、そして入院。
その後、過酷な闘病生活の末、帰らぬ人となってしまった。
享年37歳。
これからの時代を担う有能な若者が、未完のまま、他界したのだ。
奥さんのHさんと、二人の娘さんを残して。
それから奥さんのHさんは、残されたファミリーマートを経営。
しかし、女手一つ、家庭と仕事の両立、気苦労も絶えず大変だったのだろう。
H氏の忘れ形見のファミリーマー、すっぱりと、手放すことに決めたのだろう。
愛妻家で家庭思いのH氏なら、きっと、理解してくれている。
そして、天国から、よくここまで、よく頑張ったと、喜んでいると思う。

映画「ふみ子の海」の試写会で東銀座へ
7/3<火>晴れ

東銀座・松竹本社での試写会に出かける。
昨日は朝までの営業。
起きるのはしんどいと思いきや、
意外にすっきりと起きれ、我ながら不思議。
やはり、腹筋の運動のアップが効いているのか。
地下鉄三田線の巣鴨で、山の手線に乗り換え、有楽町へ。
有楽町から、銀座3丁目あたりを歩くと、何故か懐かしくなる。
昔、銀座が輝いていた頃、
銀座の3丁目の店で、フレンチのサービスをしていたからだろうか。
和光、三越前、三原橋を渡り、歌舞伎座。
この裏の「天国」の天丼。
歌舞伎通の江戸っ子気質の先代の声も懐かしい。
そして、その先に松竹の本社。
時間があれば、国際部のUさんにも会いたいところだが、今日は無理。
会場は3階。
エレベーターで上ると、試写室があった。
玄関でノートに名前を記帳していたら、「やー、田村」と声がかかった。
正面に、高校の同級生、近藤監督が立っていた。
彼は高校生の時から、映画が大好き。
毎日のように、映画を観に行っていた。
大学に入り、増村保造監督のティームに参加。
卒業と同時に、大映に入社。
その後、大映が倒産し、フリーの助監督で活躍した。
そのころ、私は演劇活動。
そして、私は料理と酒の道へ進む。
すでに、時間は上映の10分前、15時20分。。
席につく。
小さい画面に近藤明夫監督作品「ふみ子の海」が上映される。
貧しさゆえに失明をしたふみ子が辿る苦難な道。
厳しいあんま修行の日々。
多くの人の愛に支えられながら、点字を学習。
おのれの天与の才能を、開花しながら成長する姿を描く。
視聴覚障害教育に生涯を捧げた、粟津キヨさんをモデルに、
市川信夫氏の小説「ふみ子の海」が誕生。
それを篠原高志氏が脚色し、シナリオにして映画化。
2005年8月にクランクインする。
そして、今年完成された。
全編オールロケ。
上越市、柏崎市、長岡市の古い町並み。
歴史的建造物の中での撮影の数々。
春夏秋冬の風景、雄大な自然が美しく描きこまれている。
新潟は私の両親の出身地。
登場人物の台詞の方言や訛りに、
かつて、子供の頃遊んだ新潟を思い出す。
新潟の美しい季節の移ろい。
実り豊かで豊饒な自然は、
一転して、厳しくも過酷な雪の季節を迎える。
全編に近藤監督の詩情が流れる。
それにしても、最近の子役は芝居が上手い。
しっかりと、役と向き合い、演技者としての存在感がある。
慈光和尚の高橋長英、平田満がなかなか良い。
あんまの師匠タカの高橋恵子、後半の抑えた演技に見るものがある。
自然に、触って、聞いて、嗅いで、そして、心の目で見る。
そして、点字の文字に触れて、現実の認識を深める感動。
どんな過酷な時も、希望を捨てず、
清い心を持った少女の成長の記録。
殺戮、暴力、セックスなどが氾濫する今日の映画。
美しい映画を観ると、心の滓が洗い流されるようでほっとする。
今秋、シネスイッチ銀座にて、ロードショーが決定しています。
ぜひ、観にいってください。

中田島砂丘&浜名湖
2007.07.1<日>-2<月>


日曜日の早朝、東京の板橋を立ち、一路静岡に向かう。
天気予報は曇りのようだが、時々雨も降りそうだ。
首都高も東名も閑散としている。
昼間だったら必ず渋滞の難所も、嘘のように流れるように進む。
やはり、これが本来の正しい高速の在り方だろう。
静岡県吉田インターで降り、最初の目的地、御前崎の灯台へ。
標識に従い、小高いヘ丘へ、緩いカーブを切りながら登る。
こじんまりした旅館街の先に灯台はあった。

御前崎灯台&展望台

土産物屋や食堂などはまだ閉まっている。
微かに霧雨、傘をさすほどでもない。
灯台の扉には鍵が閉まり、開門まではかなりの時間。
扉越しには、白亜の灯台が聳える。
灯台横の狭い道を進むと、小さな展望台があった。
展望台から、左手には、遙に広がる駿河湾。
そして、右手には遠州灘が広がる。
太平洋の波が柔らかくうねり、海の色は鈍いエメラルド色。
空はどんよりと垂れ込めた灰色の雲。
すでに、大勢のサーファー達が、波乗りをしていた。

中田島砂丘
御前崎灯台は明治3年<1874>に初点灯の歴史がある。
灯台の中に入り、
最上階まで行って、果てしなく広がる太平洋を眺めたいところだが。
残念ながら、時間が早すぎる。
昔だったら、何処へ行っても遅すぎて駄目だった。
今は早すぎてだから、隔世の感がある。
人間、変れば変るもの。
その重大要因として、
ママが店で酒を飲まなくなったことにも起因するだろう。
飲むのは、私だけで充分なんて、のたまわって良いものやら?
車に戻り、次の目的地へ。
ママに聞かなくては、次の目的地は、私にも分らない。
ママがすべて旅行を計画、旅館の予約もする。

中田島砂丘の浜
私は車に乗って、隣で酒を飲んだり、コーヒーを飲んでいればよい。
勿論、たまにはナビゲーターも務める。
御前崎灯台から、来た道を戻らず、鄙びた集落が続く道を進む。
途中で左折して行くと、先ほど走っていた国道150号に出た。
さっきまでの天気は嘘のように、太陽の日差しは強く、空の青が眩しく輝く。
やがて、国道1号へ出て、そのまま進むと大きな遠州大橋。
長野から流れ下る、渓谷と急流で名高い天竜川だ。
川幅はさすがに広く、ゆるやかにたゆたうように流れる。
そして、目的地の中田島砂丘に到着。

公園の広い駐車場に車を停める。
まだまだ、時間は11時。
駐車場は閑散としていた。
陽光はさらに強く、空には大きな入道雲さえ輝いている。
公園の正面階段を登ると、前方に大きな砂山。
その砂山の向こうには、大きな太平洋が広がっているのだろう。
広い砂漠を進む。
朝の雨のおかげで、砂が締まっていて歩き易い。
さらさらの状態ならば、
ずぶずぶ、ずるずる、歩きにくいことこの上ないだろう。
しばらく行くと、砂山がどっしりと、身構えている。
すでに、かなりの汗が噴出している。

砂山を一歩一歩進むと、頂上に到達。
遠州灘が洋々と広がる。
海は何処までもエメラルド色。
大きくうねる波に乗るサーファー達。
浜では、遠くにリールで、針を投げる釣り人たち。
浜辺では、砕ける波と戯れる家族。
語り合う恋人達。
私達も浜に出て広大な海を眺める。
海から吹き渡る風が気持ちよい。
ママが靴を脱いで波の中へ。
私も脱いで中へ。
初夏の遠州灘は温かい。
引く潮の流れは、茨城の大洗ほどではないが、かなり強い。

大草山ロープウェイにて
広がる海、青く澄んだ空、
渡る風に吹かれながら、浜辺でしばしの日光浴。
普段が夜の仕事、太陽は何時もいとおしい。
海の香りを乗せて匂う風は美味しい。
強い日差し、肌が少し赤らんででいる。
身体も程よく汗ばむ。
靴をはき直して、浜辺をあとにする。
砂浜で綺麗な石を探す。
私達は、旅をした記念に石を持ち帰る。
そして、私の店の玄関の前に、さり気なく置いてある。

大草山展望台
幾つかの石を持って砂山を登り、砂丘を歩く。
砂丘の入り口近く、屈強な若者達が、大凧を取り巻いている。
数メートルはあるだろうか、大きな凧を組み立てている。
テレビで見たことのある大凧。
凧糸と言うよりは、ロープと言った方が相応しい。
この風では、この大凧を揚げるには弱いのだろう。
駐車場に戻ると、がらがらに空いていた駐車場は、満車状態であった。

国道1号を一路浜松方面へ進む。
30分程で弁天島に到着。
20歳の頃、通っていた劇団の同僚の家があった。
仲間たちは夏休み、同僚の大きな家に泊まり、海水浴を楽しんだところだ。
生憎、私は出かけず、せっせとアルバイトに忙しかった。
弁天島と言うのだから、きっと弁天様でもあるのかと探してみた。
が存在はしなかった。
弁天様の由縁はあるのだろうが、今は名前だけのようだ。
町はお祭りで、大きな太鼓の引き回し。
どんどんどんと鈍く太鼓を打ち鳴らす音が響く。

大草山散策
弁天島を通過して舘山寺へ。
浜名湖が左手に広がり、陽光にきらきら魚鱗のように輝く。
遠浅の浜では、潮干狩りの家族ずれで賑わっていた。
そして、舘山寺温泉の標識。
舘山寺温泉街に到着した。
時間は13時。
我々は昼食にすることにした。
浜名湖といえばやはり鰻。
「松の家」と言う料理屋へ入る。
すでに1階は満席、2階に通された。

ホテルの部屋からの景色
先客の二人が一組。
私達は名物「鰻丼」を注文。
そして、私は生ビールを飲む。
やがて、お客さまが次々と上がり満席となった。
だが、どのお客様も食事だけ。
お酒を飲んでいるのは私だけだ。
やはり、飲酒運転の規制が浸透したのだろう。
運転手が飲まなければ、回りも飲むわけにはいかない。
その点、私は恵まれている。
自分だけが飲んでいるのかと思うと、さらにビールが美味い。
生ビールのお替りをする。
やがて、注文の鰻丼が運ばれて来た。

漆塗りの丼に、一匹の鰻の蒲焼が、でんと乗っている。
箸を入れれば、さくりと切れる。
口の中に入れると、ほっくリとして、噛むと鰻の程よい脂と旨味が充満する。
しかし、決してしつこくはなく、さらりとして上品な味わい。
ご飯の上の鰻の身を、箸で細かく切り、ご飯にまぶす。
鰻と鰻のタレと温かいご飯が混ざり合い、噛めば美味しいひつまぶし。
噛むほどに、三位一体、味わいは楽しい。
店を出て、遊園地パルパルの有料駐車場に車を入れる。
なんと、一日¥800とは意地悪。
時間貸しじゃないところがにくい。

大草山に登るロープウェイに乗る。
するするとゆっくり登る4分の遊覧。
海抜113メートルの大草山。
眼下には洋々と広がる太平洋。
そして、浜名湖がゆったりと広がっている。
山頂に到着。
展望台に登る。
ぐるり360度のパノラマ。
初夏の生暖かい薫風。
ぎらぎら輝く強い陽光。
若葉青葉の生い茂る木々。
空は一面の澄み切った青。
晴れてくれて、ほんとうに良かった。

ホテルの部屋から、夕暮れから夜の眺め
ロープウェイで下り駐車場へ。
酒屋へ立ち寄り、主人にお酒の相談。
ご主人推奨の酒「純米吟醸・出世城」を購入して、
本日の宿「舘山寺グランドホテル・さざなみ館」へ。
予定の時間より早く着いてしまった。
チェックインを済ませ6階の部屋へ。
部屋は広々として、正面には浜名湖。
そして、マリーナには、たくさんのヨットが繋留していた。

朝の景色
さっそく、浴衣に着換えて、3階にある風呂へ。
大きな風呂にはすでに先客が一人。
身体を洗い、髭を剃り、湯船に身体を沈める。
大きなガラス窓一面には、浜名湖が広がる。
まだまだ、陽光は強く光り輝く。
今日一日の旅は終った。
日が落ちはじめた頃、部屋に食事が運ばれて来た。
そして、お酒を飲みながら、楽しいささやかな宴が始まる。

愛宕神社&舘山寺
夕食のお品書き
○食前酒 メロンワイン
○前菜 蛸山葵・八幡巻き・車海老旨煮・里芋利休焼
○御造 季節のお刺身盛合 
鮪・烏賊・海人海老・帆立貝柱檸檬〆・妻物一式
○台物 浅蜊蒸焼き
○中皿 三ケ日竜神豚奉書焼
○焼物 銀鱈幽庵焼と鰻串焼盛
○蒸物 茶碗蒸
○酢物 寄青海苔柚子味噌掛
○香物 御漬物 2種盛り
○飯物 梅縮緬雑魚釜飯
○止椀 網茸汁合味噌仕立
○水菓子 季節の果物ぜりー寄せ
どの料理もすっきりして、上品な味わい。
部屋係のおねーさんのおもてなしと、優しげな笑顔が嬉しい。

舘山寺の聖観音&散策道
食事の後、温泉に入り、部屋に戻り、
風呂上りのビール、そして、美味しい地酒。
すでに、浜名湖はとっぷりと夕闇の中。
マリーナのネオン。
湖岸の家々の灯がともり旅情をふくらませる。
何時しか、眠りに誘われ、早々と10時頃には、ぐっすりと寝入る。
やはり、早く寝れば起きるが必定。
2時頃目が醒める。
余りの速さに驚く。
それからまた寝直すのだが、なかなか寝付かれない。
しかし、知らず知らずのうち寝入ったみたいだ。

穴大師&風光明媚な散策道
起きれば6時。
風呂に入りに行く。
大浴場には誰もいない。
ゆっくり、のびのび、手足を伸ばす。
どんよりした窓外の風景。
小雨混じりのようだ。
晴れてくれると良いのだがと、念じながら風呂に浸かる。
朝の風呂は気持が良い。
今日一日の活力を蘇らしてくれる。
風呂を出て、部屋に戻り、風呂上り、
早朝のビールの味は、何ものにも替え難い。
8時からは朝食。
1階のレストランで朝食をとる。
快適な朝、なんと、ご飯のお代わりをした。
健康な食欲に、自分でも驚く。
健康は楽しい。
何時までも、現役、何時までも健康でいたい。
最近、同世代の知り合いが、脳梗塞で倒れたりするので、
よりいっそう、その思いは強い。

朝食を済まして、布団の中で一休み。
9時半にチェックアウト。
部屋係のおねーさんが、バッグを車まで運んでくれた。
自分で持っていくからいいですよと言っても、良いですよと言って運んでくれた。
そして、何時までも、私達を見送ってくれた。
私達は舘山寺に向かった。
寺下の有料駐車場に車を止めて、境内に続く階段を登る。
登り切ると、正面に、幾星霜、歴史の重さを感じさせる愛宕神社があった。
手水舎で手を清め、お賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らし、手を合わせる。
そして、隣に、舘山寺があった。

散策路&道端の蟹
舘山寺は平安年間<810年>真言宗の寺として、弘法大師により開かれた。
だが、明治政府の廃仏毀釈の暴挙により、明治3年に、一度は閉ざされた。
しかし、明治に23年、曹洞宗の寺として再興された。
同じ境内に、神社とお寺が並び建つ。
昔ながらの、日本の土着的信仰の本来の姿だ。
鰐口をぼーんと叩き手を合わせる。
そして、家内安全の護摩木に名前を書き込む。
300円を納めると、いつか、護摩滝焚きしてくれる。
裏道を登ると、全長16メートル、大きな聖観世音様が姿を現す。
しっかりと、浜名湖を睥睨しながら、人々の安寧と息災を祈る高貴な面立ち。
別名、美人観音と言われることも頷ける。
森厳な木立の中、遊歩道を進むと、浜名湖が大きく広がる見事な眺望。
しかし、霧雨が微かに降りそぼる今は、薄い霧に包まれている。

竜ヶ岩洞の鍾乳洞
まだまだ、遊歩道は続くようだが、そこそこに切り上げる。
舘山寺前の急峻な階段を下りると、駐車場に出た。
車の中へ入ると、雨足が少し強くなる。
次の目的地、竜ヶ岩洞へ。
私達が宿泊したホテルの前を通り、一路国道320を進む。
浜名湖は広い。
かなり、奥へ進んでいるのだが、まだまだ浜名湖の湖岸だ。
このあたりは、すべての物に、浜名湖が恩恵を与えているのだ。

やっとのこと、浜名湖と別れを告げ、303号へ。
だいぶ、里山の風景も鄙びてきた。
舘山寺を出て30分、竜ヶ岩洞に到着した。
1983年10月に一般公開された、まだ新しい鍾乳洞だ。
車から降りると、またしても小雨。
急ぎ足で鍾乳洞のチケット売り場へ。
入場券650円を払い中へ。
狭いトンネルを進む。
ひんやりとした冷気が漂う。
天井や壁からは冷たい染み出た水で濡れている。

標高359メートルの竜ヶ岩の山麓。
2億5千年の地層、秩父古生層の石灰岩地帯。
洞内は年間は平均18度。
悠久の時のロマンが洞内に繰り広げられる。
低いトンネルの中、
気も遠くなるほどの、遥かな時が紡ぎ出した数々の鍾乳石。
さまざまなロマンティックな名前が付けられた鍾乳石の鈍い黄金色の耀き。
壁に流れ落ちるように連なる大小のつらら石。
照明に浮き出た鍾乳石に滴る水が、宝石のように輝く。

洞内の散策路脇を、ゆるやかに流れる清流に手を入れる。
ひんやりと冷たく、水の精に触れてるようで柔らか。
壁一面の鍾乳石。
天井に垂れ下がる鍾乳石が、我々に微笑んでいる。
鍾乳石に誘われる太古の神秘。
大地の精霊が踊っている。
湧き出る水はあくまでも透明で清澄な輝き。
「天恵の泉」から、溜まり落ちる水を口に含む。
ひんやりとして、口の中で柔らかくふくらむ。
噛むよう味わう水は、深遠で、水でありながら何処までも甘い。

不思議で、時にはひょうきん、そして、恐い相貌をおびた鍾乳石の乱舞。
洞内は余り見物客もいず深閑としている。
静謐、霊妙な冷気の中、さらに進むと、
豪壮な「黄金の滝」が、音をたてて流れ落ちる。
地底の中の大滝は洞内に響き渡るほどの轟音。
飛沫が四方に飛び散る。
照明に反射した飛沫は虹色の輝き。
2億5千万年の眠りから、目覚めた黄金の竜の雄たけびなのか。
滝を見回す階段の回廊を進むと、さらに鍾乳洞は続く。

さまざまなつらら石、床から伸びた石筍の協奏曲。
太古の神秘で幻想的な地底のドラマの終わり。
鍾乳洞の旅のエピローグ、竜ヶ岩洞の地底の旅は終った。
土産物売り場で買い物をして外に出た。
すでに雨はあがっていた。
これから、浜松インターから東名高速に乗り帰京する。
途中でビールを買い求め、私はまだまだ旅気分。
楽しい浜名湖の旅であった。