小さな旅&日記
館山&養老渓谷
5/13<日>-14<月>


明けかた間近の東京湾アクアライン「海ほたる」
仕事がうまく切りあがり、3時半に店を閉め、一路、初夏の房総へ。
車のいない首都高は快適。
ビールを飲み終った頃、あっという間に、東京湾アクアラインに到着した。
さすがにこの時間、人気なく寂しく、駐車場は閑散としていた。
エレーベーターで階上へ。
昼間なら賑やか、人でごった返しのはずの店も、今は締まっている。
だが、一軒のレストランだけ、営業していた。

広い店内、一組のお客様が食事をしていただけ。
前回来たのは去年の夏頃か。
展望のきくテラスから、東京湾を眺める。
かなたに、東京の灯が煌々と輝き、夜の光りの蜃気楼のようだ。
遙か太平洋の彼方、月は輝き、
たなびく雲海が、微かに黄金色に光をおびる。
波は高く、堤防を襲い、散れじれに砕ける。

吹き渡る風も、この時間、さすがに寒い。
しばらくの休憩。
やがて、空は明るく、海の青色は濃く、駐車場も賑やかになり始める。
此処は、アクアラインの真ん中。
一気に木更津に渡り、そして、館山道を進む。
まずは第一の予定地、鋸山へ。
内房のこんもりとした、青葉若葉の美しい里山。
内房なぎさラインの海岸線、街道は緩くカーブする。
早朝の道には、ほとんど車はいない。
片側1車線の昔ながらの鄙びた旧道。

アクアラインに黎明が射しははじめた
幾つもの小さな漁港を抜ける。
やがて、鋸山を見渡す金谷港に到着。
沖のほうから、フェリーが入港してきた。
車を止め桟橋へ。
久里浜ー金谷を結ぶフェリーが接岸する。
かなりの数の乗客がいた。
桟橋には、小さな波が打ち寄せている。
海は青く広く、早朝の空に、太陽は強く輝き始めた。
桟橋を出て、鋸山のロープウェイ駅へ。
まだ、営業前だった。
発車は9時。
車のなかで、2時間余りの時間待ち。

久里浜港から、金谷港にフェリーが到着
目を醒ませば、すでに、9時半。
駐車場にも車が増え、観光客がたくさんいた。
ロープウェイ駅へ。
「強風のため本日は運休」のつれない札。
切符売り場は閉鎖されていた、。
駅員に聞いてみれば、開通の予定は未定とのこと。
売店でアイスクリームを買い、ベンチで一休みしながら考える。
そして、何気なく、売店のおばちゃんに聞いてみた。
「車では行けませんか?」
「行けますよ。駐車場から下りて、突き当たりの道を館山方向へ進み、
トンネルを潜り、一つ目を左にまがれば、有料道路に出ますから」

金谷港の堤防
なんと、おばちゃんの声は天使の響き、一件落着。
何処まで行けるものか、指示通りに出発した。
海岸線の道を進めば、一つ目のトンネル。
そして、すぐに、左へ折れると、有料道路があった。
900円の通行料を、愛想の無いおじちゃんに払う。
舗装された勾配のきつい坂道。
すらりと伸びた椰子の木や、蘇鉄の木々が、南国の風情を醸しだす。
右手の彼方、東京湾が霞みながら広がる。
やがて、頂上の駐車場に到着。

鋸山日本寺の入り口
見上げれば、山の頂上に、ケーブルカーの山頂駅が見える。
無料の駐車場に車を駐車。
拝観料600円を払い、鋸山日本寺を散策する。
日本寺は、正確には、乾坤山日本寺。
聖武天皇の詔勅、光明皇后のお言葉により、
日本の国号を冠することを許された。
神亀2年<725年>、高僧行基により開かれた関東最古の勅願所。
かつては、良弁僧正、慈覚大師、弘法大師も修行したと伝えられる。
本尊の薬師瑠璃光如来は、日本三大薬師として尊崇を集めている。

日本寺に続く急峻な階段
入るとすぐに、登り下りの階段がある。
取り敢えずは、日本寺へ向かう下りの階段を進む。
かなりの急勾配の狭い階段。
下る人、登る人で、意外に込んでいる。
深い森、木々の呼吸が伝わるほどに、精々しい。
昨日、雨でも降ったのだろうか、切り開かれた岩場が濡れている。

やがて、日本寺の広い境内に到着した。
正面奥、日本一大きな大仏が見える。
大きな岩盤を抉るように、掘り込まれた大仏さまの威容。
初夏の木々の若葉に囲まれ、堂々と端坐している。
仏さまの尊顔は高貴。
端正なお顔は、悟りに満ちた気品に溢れている。
総高31.05メートル。
御丈21.3メートル。

日本寺の薬師瑠璃光如来
原型は上総桜井の名工・大野甚五楼英令が、門弟27名と共に、
天明3年<1783>に、3年の歳月をかけ完成した。
だが、房総の半島の突端。
長い歳月の風雪は厳しく、酷く風食され崩壊。
昭和44年、4ヶ年の歳月をかけ復興されたのが、現在の大仏。
正確には、薬師瑠璃光如来という。
宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土。
世界平和のシンボルとして復元された。

羅漢さま
境内の休憩所に腰を降ろす。
彼方には房総の初夏の木々に彩られた山々。
そして、抱きかかえられるように海が見える。
早暁の陽光は何処へ。
今はどんよりとした曇り空に変っている。
吹き渡る風は心持冷たい。
しばしの休息。
そして、散策の開始。
境内のお願い地蔵尊にお参りをする。
さらに、上り下りの激しい階段を進むと、無数の岩場の祠や洞窟。
そこには、大野甚五楼英令と、その弟子達が掘り込んだ石仏羅漢群。
長い歳月、羅漢たちの彫像は、侵食され崩れ、無残な姿を晒す。

数々の天変地異。
手足が崩れ、顔の無いもの、継ぎ足したものなどの群れ。
でも、恐い表情の羅漢像、何処か懐かしさと愛おしさ、
さらに、ユーモアとあいらしさを感じるから不思議だ。
狭く、険しい羅漢道。
思いも寄らぬ厳しい散策道。
老若男女の擦れ違う人たち。
かなりの荒行苦行、みな必至の面持ち。
なんとかかんとか、羅漢道を完歩した。
世界有数の羅漢霊場、羅漢の数、1553体。

1500羅漢さまを繋ぐ羅漢道
そして、瑠璃光展望台へ。
さらにさらに、登りの険しい階段は続く。
行き交う人々もかなり疲労困憊。
ママはすでにギブアップ寸前。
私が後ろから押しながら、途中途中、休みながら、何とか進む。
これほどの過酷さは予想外だ。
曇り空、少し、肌寒いくらいの天気でよかった。
この季節、快晴だったら、汗だくだくのところだ。

やがて、切り立った岩場の展望台に到着した。
ごつごつした岩場を登る。
手すりも粗末で、寄りかかれば壊れそうで恐い。
彼方には、房総の山々の若葉の彩り。
恐る恐る手すりを持ち、下を覗く。
垂直に切り込まれた岸壁、目が眩みそうだ。
反対側の展望台へ。

瑠璃光展望台
傾斜の険しい岩山をよじ登り、そして、少し下がった先に展望台がある。
腹に力を入れて、空中に突き出た展望台「地獄のぞき」へ。
やっと、一人の狭い空間。
錆びて、腐れかけたかけたような手すりに、手を掛け、下を見る。
ぞくりと冷や汗が流れるほどのおぞましさ。
江戸時代の石切り場。
ざくりざくりと豪快に抉り取られた岩場が、垂直な岸壁となって数十メート。
高所恐怖症なら目が眩み、足元もおぼつかないほどの絶壁。
何時崩れても不思議ではない異様な形。
さすがに、ママは近づこうともしない。
そこそこに切り上げ、展望台を撤退する。

「地獄のぞき」
そして、下の見晴らし台で、ゆったり一休みする。
そして、岩場に挟まれたような狭い道を進むと、広場に出た。
正面には、大きな観音立像・百尺観音が、岩に掘り込まれていた。
昭和41年、6年の歳月をかけて完成。
世界戦争戦死病没殉難者供養の観音さま。
東京湾周辺の航海、航空、陸上交通犠牲者供養のために発願された。
そそり立つ垂直の岩に囲まれた広場は、静謐にして厳粛。
聖域に漂う冷涼な空気の中、
観音さまの前で、観光客が記念写真を撮っている。

瑠璃光展望台の「地獄のぞき」
さらに進み、急勾配の階段を登ると、山頂に十州一覧台があった。
安房、上総、下総、常陸、下野、上野、武蔵、相模、伊豆、駿河。
ここから、ぐるりと、関東を見渡せるはずだが、今日は生憎の曇り空。
彼方には、初夏の新緑の山々と、朧に青い海が見えるだけ。
どんよりした空を、トンビが風に煽られながら旋回している。
山頂には、救世主協会の記念碑が建っている。
5人の信徒だろうか、おもむろに、声を合わせて経文を唱えはじめた。
経文を唱える声を背後に聞きながら、山頂に吹き渡る風は香る。
思いのほか、強行軍だった、鋸山・日本寺の散策。
ここから、南下して館山へ向かう。

百尺観音への参道
保田の港を右手に見ながら、国道127号線を南下。
穏やかな内房の青い海を見渡しながら進む。
やはり、房総は南国。
どこか木々の色も柔らかな色彩。
富浦、那古、そして、午後3時30分頃、
風光明媚な鏡ヶ浦に面する、館山のホテルに到着した。
広い庭園、そして、はるか広がる海が、部屋の正面に展開する。
早速着換えて、ゆっくり風呂に浸かる。

百尺観音さま
風呂の更衣室に、湯上りの老人が一人いた。
広い浴室には誰もいず、温泉に、のびのびと手足を伸ばす。
一面のガラス窓の向こうには、どんよりとした厚い雲。
穏やかな青い海ははるかに広がっている。
風呂上りに冷たいビール。
そして、夕食には房総の海の幸の料理づくし。
伊勢海老の刺身を肴に、一杯が楽しみ。

ホテルの部屋からの景観

翌日、朝食前に風呂を浴び、8時に朝食。
開け放たれたテラスの前には、広い庭園。
手の行き届いた松林。
雀たちのさえずり声が清々しい。
庭園の向こうには、一面の東京湾。
彼方には、三浦半島。
そして、点在する島々。
小さな漁船が点々と浮ぶ。
朝の陽光の煌めきは無く、空はどんよりとして、空気も心持冷たい。

鏡ヶ浦の夕陽を眺めながらの夕食
10時半にチェックアウト。
国道127号を南下。
房総の最南端・白浜から国道410号、
外房に出ると、天気は回復してきた。
遠くには野島崎灯台。
こじんまりとして、瀟洒な白亜の灯台だ。
さらに、北上すると房総を代表する港町千倉。
太平洋の大きな波が、岩礁で砕け散り、波飛沫が陽光に反射して光る。
太平洋のパノラマは壮大に展開する。

25年位前、家族4人で館山に3泊したことがある。
せっかくの海水浴だったが、生憎の空模様、毎日が雨で肌寒かった。
帰り道、観光バスで、房総フラワーラインを北上した。
北上するにしたがい、天気は回復。
鴨川のシーワールドに着いた時は、まさに、肌が焼けるほどの夏日になっていた。
やはり、房総は、我々にとって、あまり、相性が良くないのか?
今日も北上するにつれ、太陽の日差しは強く、海の青さは深く濃くなる。
車の窓からは、磯の香りも強い海風が吹き込む。

朝食をとったテラスからの、朝の眺め
千倉町から鴨川市へ続くフラワーライン。
太平洋は洋々と雄大に広がる。
激しい波に洗われた岩礁には、奇岩の数々が勇壮に展開する。
街道沿いには、ひょろひょろとのっぽな椰子の木々。
緑濃い葉を大きく広げた蘇鉄、強い磯風にわさわさと揺れている。
街道沿いの花壇には、色とりどりのポピーが、愛くるしく華やぎを添える。
和田町を抜け、外房黒潮ラインを北上、鴨川へ到着した。
懐かしい鴨川シーワールドの前を通過。
さらに、フラワーラインを北上して、天津小湊。
日蓮上人を記念、健冶2年、創建の誕生寺がある。
史跡好きの私としては、寄りたいところ。
だが、今回は断念。
目的地の養老渓谷はまだ遠い。

鳩山荘「松庵」の玄関
天津小湊で左折し、太平洋とはさようならする。
いよいよ、山深い渓谷へ向かう。
なだらかな、房総の里山、初夏の日差しに萌えあがる。
くねりくねりの清澄養老ラインを進み、大多喜町に出る。
さすがに、81号線はかなりの登り道。
渓谷も深く、木々も鬱蒼としている。
厳しく険しい1車線。
昔ながらの往還を偲ばせる街道を進むと、広い道が出現。
そこは君津市。

房総らしいなだらかな道、燦々と降り注ぐ太陽。
車窓に吹き込む風も暖かく匂いたつ。
山間の鄙びた街道を進むと、やっと養老渓谷の表示が出現。
右に折れ、なだらかな勾配の道を進むと、やっとのことで到着した。
渓谷沿いの道を進むと、村営の粟又駐車場があった。
時間はすでに正午頃。
車の外へ出ると、柔らかな風が気持よい。
遠くでは鶯の声が響きわたる。
駐車場から、来た道を下り、粟又の滝へ。
ペンキ塗りの無国籍風の妖しげな木戸を潜ると狭い階段。
崖沿いの急峻な階段を下ると、吊り橋があった。
渡り切ると滝に続く階段があり、折りきると、粟又の滝があった。

粟又の滝へ
高度差はあまり無いが、横に広い。
滝壷は深くなく、流れ来る川は清流には程遠く、暗緑色に濁っている。
きっと、上流の旅館の雑排水などが、流れ込んでいるのだろう。
好天の月曜、何故か家族連れも多い。
初夏の緑の木々に包まれた、川沿いの遊歩道を進む。
切り込まれた崖には、鬱蒼と木々が茂り、深い樹叢。
彼方より鶯の鳴き声が響く。
雨でも降れば、急激に水嵩が増えるのか。
崖に切られた急峻な避難階段が幾つもある。

粟又の滝
進むに連れ、千代の滝、万代の滝など、小さな滝が川に注ぎ込む。
やがて、川も綺麗になり、清流の趣き。
小さな魚の影も映る。
川のせせらぎが陽光に照らされ、きらきらと魚鱗の輝き。
 山々には山つつじ、そして、薄紫の藤の花が垂れ落ちている。
遊歩道に1キロの標識。
こんなに歩く予定ではなかった。
きっと、もう少し行けば、川向こうへ渡れるはずだ。

しかし、行けども行けども、橋は見えず、少しばかり心細くなる。
きっと、もう少し行けば、橋はあるはずと、不安な気持で進む。
行き交う人もなく、さらに1キロ。
やっとのこと、橋がありほっとして渡る。
すると、またもや、大きな急な階段。
この上に、きっと、先ほど通った道路があるのだろう。
ママはかなり堪えている。
私が後ろを押しながら、何とか階段を上りきる。
そこには、まったく違う、田舎道があるだけだった。
勘に任せながら、鄙びた道を下る。

滝めぐり遊歩道と万代の滝
太陽は中天に輝き、里山の緑が美しい。
道沿いには山つつじが、健気な風情で咲いている。
歩くほどに汗ばみ、上着を脱ぎながらとぼとぼと歩く。
昔懐かしい、田舎の土や草の匂い。
遠くで、鶯が鳴く。
ホーホケキョ、ケキョケキョ、ケキョキョキョキョ、ケーキョ、ケキョオー。
なんとも、長くよく響く鶯の鳴き声。
きっと、鶯の師匠が何処かにいるのだろう。
どの鶯も鳴き方が美しい。
 江戸時代の旦那衆たちの道楽は鶯。
鳴き方の美しい鶯の価値は、計り知れなかったそうだ。
何故なら、鶯は、美しい鳴き方を真似する習性がある。
鳴き方の鶯の師匠は、大変な財産でもり、自慢のお宝でもあったのだ。

万代の滝と清流
やっとのことで、田舎の林道のような道が終わり、
向こうに村営の小沢又駐車場が見えた。
何処からか、匂い経つような華やかな香り。
民家の庭に植えられた芍薬が、大輪の花を咲かせていた。
風にふらりと揺れながら、辺りに妖艶な香りを放つ。
芍薬に顔を近づけ、高貴で艶麗な匂いを楽しむ。
初夏の里山には花々が満開。
自然とは、これほどまでに華やかで鮮やか。

芍薬の花
そして、私達が1時間ほど前に通った街道に出た。、
陽光にぎらぎら照り返すアスファルトの登り勾配の道を進む。
街道には、山つつじ、山吹など、さまざまな花が咲き、相変わらず、鶯が鳴く。
てくてく歩く田舎道。
単調で長いが、長閑で気持ちよい。
焦ってはいけない、急いでもいけない。
そのうちに、我われの車のある駐車場に辿り付くはず。
やがて、粟又の滝の奇妙なデザインの木戸に到着。
旅館の食堂で昼食でもと立ち寄るが、まったくの閑古鳥。
営業しているのか、していないのかも分らず諦める。

粟又の滝駐車場のトイレにツバメの巣
やっとのことで、粟又駐車場に到達。
まだまだ、初夏の陽光は燦々と輝く。
山々の木々は青葉、若葉、萌黄色のモザイク模様の彩り。
鶯があちらこちらで、我われの帰りを喜んでいるかのように、鳴き交わしている。
これから、市原を抜け、千葉から高速道路に乗り東京へ帰る。
房総の旅、よく歩く健康的な旅であった。