小さな旅&日記
秩父「太陽寺」&芝桜を訪ねて
4/29<日>-30<月>


早朝、車内でビール
29日、仕事を済ませ、帰宅。
時間はすでに5時。
すぐに、秩父へ向かう。
娘2人と私達2人。
次女の車で出発。
運転は長女。
私達は最後尾の席へ。
真ん中の席は、途中で乗せる姪っ子のために用意。
すでに、外は明るい。
昨日の酒が残り、いまだほろ酔い気分。
さらに、家から持ってきた日本酒を飲みながらの、我一人、上機嫌
ママも念願の、車の中での缶ビール。

鱒や岩魚の釣り場
中仙道を一路高崎方面へ。
運転から解放されたママは、ゆったりと寛ぐ。
1時間足らずで上尾に到着。
姪っ子を乗せ、目的地・秩父へ。
途中、コンビに寄り、ビールを調達。
朝の陽光を拝みながら飲むビールは、さすがに美味い。
私一人、ほろ酔いの旅。
運転が出来ないというのは、かように楽しいことか。
知らず知らず、うとうとと熟睡。
気がついた時は、秩父のママの実家に到着していた。

時間は8時頃。
曇りない快晴。
実家の人たちはすでに起き、私達を歓待してくれた。
仏さまにお線香をあげ、ひと時の団欒。
今日の予定のドライブには、まだ時間がある。
私は奥の部屋に布団を敷いてもらい一眠り。
起きてみたら、すでに10時ころ。
これから、車2台でドライブへ。
兄嫁夫婦とその娘・久美ちゃん、そして、その1歳の子供・泰杜くんの乗る車が先導。
我々5人、相変わらず、娘が楽しそうに運転している。

釣り場と渓谷
ママと娘2人、姪っ子の女性4人に囲まれてのドライブ。
ママは、今回はまったく、運転から開放されている。
車は柴原鉱泉郷を抜け、初夏の木漏れ日が差す山道を、快適に進む。
三峰神社に向かう国道を、渋滞もない。
夏日が銀鱗のように輝く、渓流沿いの街道を進む。
懐かしい大滝の渓流と里山。
山々は陽光を浴び、新緑が鮮やかに映える。
かなりの上り道。
やがて鱒や岩魚の釣り場へ到着。

太陽寺(たいようでらと読むが、太ではなく、大陽寺と書く)
駐車場に車を停める。
兄さん夫妻は入漁券を買い、釣りを楽しむ。
ゴールデン・ウィーク、大勢の釣り人たちが糸を垂れる。
私達は、清流の川沿いをぷらぷら散歩する。
渓流の川面は、陽光に煌めき、岸辺の岩棚も何処か穏やかな風情。
2時間弱の釣り場の散策。
夏日を思わす陽光は強く、木々の彼方から吹く風は匂う。
釣果もそこそこに、釣り場をあとに。

太陽寺に咲く、初夏の花々
今日のドライブ計画は、すべて、秩父の兄さんの計画。
まだまだ、開通ほやほや、ナビゲーターにも載っていない整備された道を走る。
緩く曲がりくねった道は、ますます、高度を上げる。
遠くの山々の頂きも、我われの水平な視線の彼方。
幾重にも重なる山並、遠く近く霞む山々が、陽光に輝く。
空は一面の青。
そして、白い雲がゆったりと漂う。
我々一行、 ぐんぐんと快調に飛ばす。
はるか彼方、谷は深く、山並は幾重にもおりなす。
やがて、太陽寺に到着した。

太陽寺の奥の院へ続く階段
車を駐車し、境内を散策。
太陽寺は、鎌倉時代末期、南北朝時代へ向かう動乱の時代に創建された古刹。
かつては、袋養寺とも書かれ、身ごもった女性たちの駆け込み寺でもあった。
別名石楠花寺とも言われ、秩父十三仏霊場のひとつでもあり、本尊は釈迦如来、。
当山開山仏国国師は、後嵯峨天皇の第三皇子として京に誕生。
朝廷を巻き込んだ混迷の時代、国師は16歳にして得度、仏門に入り、鎌倉の建長寺にて修行。
そして、さらなる理想の修行と悟りの地を、奥秩父、山深く峻厳な大滝にみいだす。
東国の女人高野山とも言われ、江戸時代、、女性の参拝を認めた。
山岳信仰の寺社として、女人禁制が当たり前の時代。
女性参拝者で、おおいに賑わったといわれる。

太陽寺のお地蔵さん
さすがに、幾星霜、歴史の重さを感じさせる、山間の鄙びた寺。
境内から、奥の院へ続く、険しい石段を登る。
初夏の日に誘われたように咲く花々。
山里の初夏は、ほのぼのとして美しい。
奥の院の隣には、僧坊があった。
遠くには、秩父の山並が、眩いほどに美しく光る。
はるか彼方より、花々の香を乗せて、風は吹き渡る。
太陽寺の本堂では、観光客だろうか、4人が箱膳で精進料理を食べていた。


太陽寺の坊舎と山門
太陽寺をあとにして、我々はさらに、三峰神社に向かった。
街道沿いの木陰、ログハウス風の休憩所がところどころにある。
我々も、車を止め、休憩所で昼食をとる。
姉さん夫妻の手作りの料理やおにぎりが、テーブルに広げられる。
新緑に囲まれ、清涼な空気に包まれ、食べる食事は楽しい。
お腹も満たした我々一向、初夏のドライブを再開。

杉林の中、みんなで昼食
途中に、素晴らしい景観が出現した。
車を停めて外へ。
山脈の向こうには、日本アルプスの山々が、銀嶺に輝き神々しい。
すでに、ここも標高1,500メートル位はあるのだろうか。
眼下には、秩父連山を見渡すことが出来る。
三橋家の初孫、泰杜君は、元気よくおおはしゃぎで走り回る。
何時も、笑顔いっぱい、滅多に泣くことのない人気者。

休憩所辺りの風景
暫らく休憩のあと、目的地、三峰神社に向かった。
何時も私達が行くコースとはまったく違う。
初夏の三峰神社へのドライブは快適だ。
薄緑、黄緑、深緑の織りなす山々の初夏。
開け放った窓からは、なま暖かい薫風が吹き込む。
峰沿いの真新しい舗装の道を、快調に飛ばすと三峰神社に到着。
微かに傾き始めた陽光を浴びながら、三峰神社を散策する。
今年の正月に参拝した、真冬の神社は森厳とし、神秘的でさえあった。
初夏の三峰神社、八重桜や九輪草など、初夏の花々が満開で華やぐ。

遠くには、雪をいただいた日本アルプスが美しく輝く
何時きても、檜の大木に囲まれた参道は、神聖・幽玄なな趣き。
参道を進むほどに、心の滓や垢が洗い流されるようだ。
気持も凛と澄み切り、拝殿に着くころ、心も厳粛になる。
手水舎で手を清め、お賽銭をあげ、手を合わせる。
深い木立に囲まれ、神社の境内は霊妙。
境内をぷらりぷらり散策。
気がついてみれば、何故か、私は一人、はぐれてしまった。
すでに、神社を下って、駐車場に向かっているのだと、勝手な思い込み。
辺りの茶店を覗き込みながら駐車場へ。
でも、一行は何処にもいなかった。

人気者、元気な泰杜くん
のんびりと、駐車場脇の柵に腰をおろす。
まだまだ強い初夏の陽光。
木漏れ日は深く、木々の陰影は濃く。
遠くでは、鳥の鳴き声が谷間に響く。
生暖かい風は、咲く花々の香をのせて、鼻先を優しく撫で渡る。
やがて、一行が到着した。
私がトイレに行ってる間に、境内の喫茶店に入っていたのだった。
三峰神社の眷属さま、ちょっとした悪戯なのだろう。

三峰神社の九輪草&八重桜
今日のドライブの予定は全て終った。
時間はすでに4時頃。
まだまだ、初夏の日差しは強い。
何時もの通いなれた、渓流沿いの国道を下り、一路小鹿野の三橋家へ
そして、釣った鱒の塩焼きやら空揚げなどを肴に、仕上げの宴は始まる。
何時も何時も、我儘勝手なお客で、三橋家の皆様、申し訳ありません。

日曜に続き、月曜も快晴。
お昼を食べ、2階のベランダで日光浴。
青く高い空、白雲もたなびく。
気温は27度位か。
裸になり、仰向けに横たわる。
肌を刺すほどに、日差しは強い。
土の香、新碌の芳しい匂いをのせて、
肌を撫でるように吹き渡る、風の温もり。
河べりの笹薮のそよぎ、さわさわと心地よい。
遠くで鶯の鳴き声が、こだまする。
啄木鳥の声か、夏色の空気を切り裂くような、金属質の響き。
うとうとしながら、1時間は経過した。
食後の日光浴は、この上なく気持が良かった。
そして、芝桜見物へ。

羊山公園の八重桜は満開
小鹿野町の、のんびりとした里山の景色。
長閑な初夏は新緑に光り、風もあたたかく薫る。
去年の芝桜見物は、雨に祟られ、肌寒く、寂しかった。
芝桜も盛りを過ぎ、何処悲しげな風情。
今年は快晴。
そして、芝桜は満開だろう。

芝桜
西武秩父駅辺りは、やはり、見物客でごったがえしていた。
親戚が用意してくれた、駐車場に車を停める。
そして、西武秩父駅へ。
今日は東京へ帰り、店を開けなくてはならない。
私だけは電車で帰ることにして、切符を買いに行く。
すでに、特急のレッドアローは完全に売れ切れ。
帰りの急行は、たぶん、立ち席になるだろう。

初夏の陽光が眩しい街道から、羊山公園に向かう裏道を行く。
大勢の人の流れに沿って歩く。
去年とはまったく違う道のり。
公園に続く、狭く急峻な階段を登る。
秩父へ旅した若山牧水の碑が建っていた。
そして、彼方には、秩父市街が光っている。
さらに進むと、広い舗装道に出る。
木々の回廊、西武鉄道沿いの上り道を進むと、
羊山公園入り口に到着した。

芝桜に続く道、薄い桃色の八重桜が満開の並木道。
陽光に照らされ、重たくさわさわと風に揺れる。
風にまかれた花々の妖艶な匂い。
しばらく行くと、芝桜公園の入り口。
阿佐美さんに、いただいた入場券で中へ。
秩父の山々を背景に、色とりどりの芝桜の絨毯が広がる。
芝桜、ことのほか見事に満開。
たくさんの老若男女が見物している。

秩父の象徴・武甲山を背景に
やはり、お花見は快晴に限る。
花見日和には華やぎがあり、典雅な趣き。
遠く近く、芝桜の妖麗な香りに誘われながらの散策。
ベンチに座り、ゆったりと芝桜に浸る初老の夫婦。
お弁当を広げて寛ぐ家族連れ。
仲よく坐り、肩を寄せ合う恋人達。
燦々とふりそそぐ陽光、芝桜は華やぎをます。
花々を背景に写真を撮る人たち。
花の香に酔いしれる人。
たくさんの人たちが、それぞれの芝桜を楽しむ。

ゆったりのんびりの1時間半余り。
芝桜園を一周。
今年も、お祭り広場に出た。
私は生ビールを購入。
広場のベンチに腰をかけ、ぐびぐびとビールを飲む。
遠くに秩父の山々。
木々の緑は萌え、そして、陽光に輝いている。
吹き渡る風も香り、そして、柔らかい。

芝桜見物の帰り道
やがて、親戚のみんなとも合流。
それぞれに、ソフトクリームを食べたり、たこ焼きや空揚げを齧ったり。
広場のテーブルを囲み、微かに芝桜の匂う空気を吸いながらのひと時。
若いお爺ちゃんに抱っこされた、元気者の泰杜くん。
動きつかれたのか、すっかり寝入っていた。
今年の秩父の初夏、芝桜見物は最高の一日。
ことしも、秩父の親戚には、何時もながら、感謝感謝。

昼下がりぶらりぶらりの、ドライブ
4/22<日>

昨日は選挙。
昼過ぎに起きて、選挙へ。
暖かな陽気で、吹く風も爽やか。
街路樹のハナミズキも満開。
ひらひら蝶のように舞い、陽光に照らされ、きらきらと輝く。
車で、近くの小学校へ。
小学校の校庭の八重桜が満開。
桃色を溶かしたような、鮮やかな紅色。
重そうに、ふっくらと、もり上がるように咲き誇る。

何故か、選挙権の葉書を紛失してしまった。
免許証を提出して、本人確認ののち、投票用紙を貰う。
午後3時、無事、投票も終わる。
これから、何処というあてもないが、陽気に誘われてドライブ。
川越街道を下り、しばらくして、国道463号線に出て、所沢方面へ。
車の窓を開けると、爽やかな風。
新緑の緑、公園の木々は緑深く、昼下がりの陽光で、陰影を増す。
所沢辺り、まだまだ、畑も多く、関東ロームの赤土が見える。
吹き渡る風に乗って、草と土の懐かしい匂い。
やがて、入間に入る。

入間の駅に向かう途中、道路規制。
愛宕神社の祭礼で、参道に続く道路が閉鎖されていた。
祭りと聞いては、行くっきゃない。
ところが、近場に駐車場が見当たらず、あえなく通過。
とろとろと進むと、入間川に出た。
川向こうには、懐かしい秩父連峰が、
うららかな陽光を浴びながら、朧に霞む。
川沿いを進むと、智光山公園の表示。
左手に折れ、川を渡り、秩父連峰を正面に、真っ直ぐと進み2.5キロ。
智光山公園に到着した。

無料の駐車場に車を停める。
すでに、午後5時丁度。
武蔵野の面影を残す雑木林を進む。
すると、雑木林の中、子供達のオアシスのように、小さな遊び場。
子供達が遊戯機械で遊び、親たちがベンチに寛いでいた。
さらに進むと、雑木林の中に、林探検の色々なコースがあった。
私達、コースを辿るほどの時間もない。
迂回路を通り、雑木林の中を進むと、菖蒲田があった。
青々した菖蒲。
まだ、田には水が引かれていない。

菖蒲田沿いの散策路のベンチに腰を降ろす。
すでに、日はだいぶ傾き、吹く風も、心なし冷たい。
深い林の中、鳥の声が、物悲しく響き渡る。
林、風、陽光、土、空気。
自然に包まれて一息は、心が和む。
土の階段を登ると、市民会館とテニス場があった。
たくさんのコートには、ひと気なくまばら。
残った人たちも、三々五々の帰り支度。
テニスコートを仕切る真ん中の道を進み、駐車場へ。
途中、道の脇の生垣のつつじ、赤紫の花を咲かせていた。
いよいよゴールデンウィーク。
百花繚乱の楽しい季節が近づいて来た。




テアトル・エコー「エリック&ノーマン」を観劇
4/15<日>


うららかな陽気、隣の公園では、大勢の子供達が遊んでいる。
街路樹のハナミズキ、紅白の可憐な花が、ひりひらと風に揺れている。
今日は、山下啓介さん出演の芝居を観に、恵比寿「エコー劇場」まで出かける。
中山道から明治通りに抜け、ひたすら進む。
時間をたっぷりとってきたので、気分はゆったりの道行き。
道路は、思いの他空いていた。
池袋、新宿、渋谷、そして、目的地の恵比寿に到着。
近くの、超狭い、一台だけの有料駐車場に停める。

少し、時間があるので、恵比寿駅近くのドトールで休憩。
開演10分前、エコー劇場へ。
玄関前には、すでに、大勢のお客様が押し寄せていた。
螺旋階段を上り、劇場の中に。
すでに、劇場の中は、ぎっしりと観客で埋まっている。
そして、特設の補助椅子も塞がっていた。
舞台には、イギリス風の広い部屋。
奥の中央、左には、玄関のドア。
下手奥一面には、カーテンの飾られた、大きな窓。
正面に、ソファー。
上手奥に、2階に続く階段。
手前に、ドア。
下手奥に、居間のドア。
手前に、台所へ続くドア。
どうやら、このたくさんのドアが、今回の芝居の鍵を握っているようだ。

舞台は、ロンドン東部・チルトン・ロード344番地のエリック家で展開する。
エリック・スワンと妻リンダ、出勤前の朝の抱擁。
エリック夫妻は、結婚生活10年のオシドリ夫婦。
今日も、仲よく出勤予定。
しかし、エリックのもとに電話が。
リンダは先に出勤する。
そこへ、2階の住人ノーマン・バセットが登場。
そして、次から次に事件が起こる。

エリックは、2年前に電力会社を解雇。
今でも、妻リンダ<南風佳子さん>にはひた隠し。
エリックは、現在も、勤めているかのように装っている。
そこへ、社会保障省の調査員ジェンキンズ<瀬下和久さん>が登場。
ノーマン<落合弘治さん>は、2階に間借りさせている住人たちを悪用。
不正に社会保障費を騙し取り、それを、自分の給料として利用ていた。

それが、今、社会保障省の調査員により、白日のもとに晒されよいとしている。
そこで、エリックは、様々な出たとこ勝負、嘘の迷案・陳案の連発。
2階の住民ノーマン<溝口敦さん>も、エリックの策略に巻き込まれ、どたばた喜劇が展開する。
シェークスピアの間違い喜劇の伝統を受け継ぐ、ウェルメイドなイギリス・現代喜劇。
たくさんのドア-を、バタン、ドタン、間一髪の擦れ違いの連続。
あれやこれや、人物の交錯、行き違い、思い違い。
スピーディーに、ダイナミックに、ドラマは展開する。

エリックの女房のカウンセラー、ドクター・チャップマン役で登場の熊倉一雄さん。
ヒチコック監督の風の出で立ちで登場しただけで、舞台がほのぼのと華やぐ。
山下啓介さん扮するエリックの叔父さんジョージ。
社会保障省からいただいた、数々の品物の横流し役。
エリクの不正の片棒担ぎだ。
長靴を履いて、病院の作業員姿で登場。
すでに、どたばた喜劇は白熱。
事件に巻き込まれ、パンツとシャツ、靴下姿のあられもない姿。

事件も佳境、どたばたの炸裂!
台所扉の度々のパンチ。
頭を打ちつけ、顔からは鼻血。
ドタンバタンの末、あえなく、ソファーでダウン。
横たわったシャツは捲れ、白い柔らかそうな腹が、可笑しさをさそう。
さらには、ラッサ熱で死亡の、苦し紛れのエリックの嘘。
担架に乗せられ、解剖に回されそうになるやらのどたばた。
担架に括られたまま、舞台狭しと、逃げ回る山下さんの軽妙な動き。
さすが、もとクラッシク・ダンサー、動きは軽快、ユーモアがある。

やがて、社会保障省の部長ミズ・クーパー<安達忍さん>が登場。
エリックとノーマンの事態はのっぴきならない苦境に陥る。
もうこれまでと覚悟したエリックは、すべてを白状。
すると、事態は思はぬ展開に。
妻は、エリックを許し、妻は宣言した。
どんなことがあっても、二人の愛は永遠に変わらないと。
そして、思いも寄らぬ結末。
社会保障省のミズ・クーパーは、エリックを告発するどころか、社会保障省の調査員に採用した。
そして、舞台はハッピーエンドで終る。

エリック役の落合弘治さんの、シャープで切れ味ある演技を中心に、若者達の躍動的な表現。
そして、熊倉さん、山下さん、瀬下さんたち練達した演技人が、しっかりと舞台を支えていた。
親切と真心の押し売りヴォランティア・サリー・チェシントン
<渡辺真砂子さん>の愛くるしい演技は好感がもてる。
約2時間、次から次に、速射砲のように繰り出される、笑の仕掛けに、抱腹絶倒。
笑いすぎて、楽しすぎて、目から涙。
エコーの皆様、ご苦労さまでした。
劇団テアトル・エコーhttp://www.t-echo.co.jp/



久遠寺&白糸の滝を訪ねて
4/1<日>-2<月>

朝靄深い、富士川添いの街道 久遠寺へ続く道、まだ、人影が無い
店を閉め、まだ夜があけきらぬうちに、東京を発つ。
首都高もすいすい、中央高速はびゅーっと一足飛び。
現代は距離ではない。
渋滞さえなければ、関東近県はあっという間で行ける。
途中、境川PAで休憩。
軽い食事を摂り、少し休む。
夜があけ始めた。
車の外に出る。
朝靄のかかった冷気が清々しい。
空は高く、漂う雲海も、微かに光り始めた。

どうやら、心配した天気も、杞憂に終りそうだ。
ますぐな、中央道の緩やかな上り道。
やがて、甲府南ICに到着。
国道140号線へ降り、やがて、52号線へ。
広くて大きな富士川添いを進む。
まだ、まだ、冬枯れのように、広漠とした河原は寂寞としている。
採石されたせいなのか、河原が剥き出しのようで、荒れ果てた光景。
富士川を渡ると、目的地の身延山・久遠寺の表示も登場。

日蓮上人の御廟所
道幅も狭くなる。
どうやら、久遠寺もすぐまで、近づいているようだ。
枝垂桜の観光シーズン、久遠寺までは、車で行けないと聞いていた。
表示に添って進むと、久遠寺に続く、
土産物屋、飲食店、旅館などが建ち並ぶ門前町に出た。
まだまだ、観光客も少なく、町は静かな佇まい。
狭い、なだらかな上り勾配の道路を進む。
すると、大きな総門が道に跨っている。
潜って、さらに進むと、左手に、久遠寺に向かう参道がある。
どうやら、車では入れないところまで、来てしまったようだ。

日蓮上人の御廟所、朝の日脚は長い
川沿いの道。
道の遊歩道に植えられた桜も枝垂桜。
櫻並木、薄紅色の花は満開である。
花々は朝日を浴びて輝いている。
駐車場に向かう車は、すでに、渋滞し始めていた。
なんとか、有料の駐車場に車を置く。
整理係の男の人に尋ねてみた。
「帰りは、今来た道を通れるのですか?」
「大丈夫です。来るのは規制されますが、帰るのは大丈夫です」
どうやら、車の規制は、幸いなことに、朝の9時からだった。
私達が駐車場に車を停めた時は、8時半頃。

御廟所からの下り道
何も知らずに進んで、正解であった。
駐車場から、来た道を下り、途中から細い道を入って、しばらく進む。
すると、日蓮上人の御廟所があった。
境内はまだ人気なく、朝日の長い日脚が美しい影を描く。
清潔に清められた石段を登ると、拝殿がある。
浄財をそっと投げ入れ、手を合せる。
拝殿の向こうに、手入れをされた庭園があり、人々が清掃をしていた。
階段を下り、右手に回ると、御草庵跡があった。
日蓮上人が9年間、弟子達と共に修行をし、教義を極めたところ。
庵に向かって、お経を唱えている集団がいた。
右手に上るとお堂がある。
老齢の女性が太鼓を叩きながら、真剣に、お題目をあげていた。

日蓮上人の御廟所へ続く参道
下に目をやれば、身延川の川面のせせらぎが、朝の陽光に煌めく。
だんだんと、境内にも人が増え始めた。
川沿いを歩きながらそぞろに歩くと、道に垂れ下がる見事な枝垂れ櫻。
三脚を立て、絶妙なタイミングを待ち構えるカメラマン達。
さらに進むと、日本三大三門の一つ、巨大な三門の威容。
三門前では、若い僧侶が、石川県能登半島地震、義援カンパの説法。
三門を潜ると、大きな丸石を敷き詰めた参道。
その先に、長くて急峻な石段、菩提へいたる階段・菩提梯。
高さ104m、全287段。
朝の霊気漂う、杉木立に囲まれた険しい階段を、一歩一歩登る。
まだまだ、早朝、登る人も僅かだ。
我々も、一段一段、足を踏みしめ、登りはじめる。

日蓮上人の御廟所から三門へ行く途中
途中に、7つの踊り場。
さすがに疲れて、休んでいる老若男女。
私も、昨日飲んだウイスキー、グレンリベット12年の匂いが、
胃から逆流してきた。
もう少し控えておけばの後悔も、後の祭り。
さすがの私、途中で休む。
ママは勿論、息が上ってせつなそうだ。
陽光はだんだんと強く、青空がいっぱいに広がる。
休憩のあと、さらに、階段を登る。
ママはかなりの難航苦行の険しい様子。
やっとのことで登りきる。
階段の下に目をやれば、目も眩むほどの急な勾配。
彼方の人々が小さく見える。

三門
階段脇の椅子に腰掛け、目をやれば、ゆったりと優雅に垂れる枝垂桜。
手水舎から柄杓で掬った水は、甘露な蜜の味。
境内を流れ渡る風は爽やか。
境内を進み本堂へ。
久遠寺は、明治8年(1875年)の大火により、
堂塔伽藍(がらん)がことごとく焼けおちたそうだ。
本堂は、昭和60年(1985年)に再建落慶、
そして今、きらびやかに、優雅に輝く。
靴を脱いで階段を上がり本道へ。
浄財をあげて手を合せる。
本堂の中はまだまだ人気なく、ひんやりと霊妙な空気が漂う。
天井には、私の好きな画家・加山又造画伯渾身の、巨大な墨龍が踊る。

菩提梯へ
手入れの行き届いた回廊を渡り、次々に、お堂廻り。
何処もかしこも、廊下は磨かれ、ぴかぴかに黒光りしている。
あちらこちら、ぷらりぷらり、自由気ままに回遊めぐり。
境内も、回廊もだんだんと人で溢れてきた。
回廊から見渡す境内。
たくさんの、参拝客やら観光客やらで、溢れかえってきた。
休み場には、無料のお茶やお水のサービス。
お茶を啜りながら、窓外に広がる枝垂桜。
眼前に大きく垂れ下がる枝垂桜は、まさに豪華絢爛。
樹齢400年を越す老樹は、典雅な古の美。

菩提梯
ぐるりと、お堂廻りをしながら、途中、廊下に座り、日溜りの休息。
小さな枯れ山水風の庭園の木々、微かに風に震え、
何処からともなく枝垂桜の匂いが漂う。
一休みのあと、来た回廊を戻り本堂へ。
すでに、本堂にはたくさんの人たちが押し寄せていた。
広い本堂では、天井画を見ながら、仰向けに寝ている、大勢の人たち。
私達も、横に寝そべり、天井の墨龍の下、しばしのまどろみ。
床の板がひんやりと冷たく、堂内の深玄霊妙な空気が、身体の芯に沁みこむ。
身体を伸ばし、大きく鼻で深呼吸。
身体の悪気が洗い流されたようで、気持が良い。

歩き疲れた疲労も回復。
お堂を出て、階段を下り、境内へ。
天気快晴、春うらら、汗ばむほどの好天気。
生暖かな薫風に吹かれながら、身延山山頂へ向かうロープウェイ乗り場・西谷へ。
森閑とした杉林の中、なだらかな坂道を登ると、ロープウェイ乗り場・久遠寺駅。
すでに、大勢の順番待ちの乗客達。
往復1250円の乗降切符を購入して、私達も列の最後尾に並ぶ。
7分おきに、臨時便が増発しているにもかかわらず、待ち時間は約1時間。
やっとのことで乗車する。
標高差763m、全長1665m、所要時間は7分。

菩提梯の最上階と枝垂桜
眼下には富士川が大きく蛇行。
その向こうには、集落が見える。
ロープウェイが上り始めて中間地点、富士山が山なみの上に、ぽっかりと顔を出す。
上るに従い、陽光を浴びて、雪化粧の富士山が燦然と輝く。
やがて、山頂の奥の院に到着。
ロープウェイを降り、参道を進むと山門がある。
左右の部屋には、朱色の漆も鮮やかな仁王様の彫像。
門を潜り進むと報恩閣があった。

報恩閣は、日蓮上人が、安房の両親を追慕し、無事を祈願したこの地に、
立教開宗750年を記念し、平成14年(2002年)に完成した。
私達は浄財を入れ、線香を焚き大きな香炉へ。
お線香の薫香が、風に揺れて、たゆたいながら私達を包む。
さらに進むと仏堂がある。
私達は、神妙に手を合せる。
報恩閣は思いのほか、質素な風情。
威容を誇るには程遠く、何処か親しみを感じる。

本堂
すでに12時は回っている。
太陽は中天に輝き、風も優しい春の好日。
報恩閣の裏手、杉林に囲まれた、狭い赤土の道を進むと、広い展望台があった。
展望台からはアルプスの山々、微かに靄っておぼろげに見える。
空は青く高く、そして、陽光は煌めく。
山頂のベンチでは、参拝客が、揃いのお弁当を広げて、美味しそうに昼食。
標高1153mの山頂で食べる昼食は格別だろう。
展望台から、杉木立の道をくだり、報恩閣から、奥の院駅へ。
駅の2階の食堂で昼食を摂る。
ママはうどん、私はビールを飲む。
窓外の彼方、富士川の雄姿、そして、山々に抱かれるような集落。

本堂から続く回廊
太陽は燦々と輝き、山々も輝いている。
下りのロープウェイは、思ったより空いていた。
しばしの待ち時間で、乗車できた。
眼前に広がる山々は、陽光を浴び、神々しく雄大。
あっという間に、久遠寺駅に到着。
乗車をの順番を待つ人々の列はまだ続く。
本堂に続く道を下り、そして、駐車場へ向かう。
本堂前の境内は、大勢の人々で大賑わい。
古木の枝垂桜前には、カメラマン達の真剣な眼差し。
脇の浅い池には、悠然と大きな真鯉達が、
悠久な時を、楽しむように泳いでいる。

菩提梯の前に来た。
枝垂桜が、風に揺れながら、優雅に踊る。
遙かなた、菩提梯を多くの老若男女が、頂上をめざし登っている。
私達も、迂回路の男坂を下らずに、階段を下る。
やはり、この階段、聞きしに勝る急峻。
修行の僧侶は、きっと、毎日、この階段を、いとも平然、上り下りの往復。
修行とは、日々の鍛錬・修行の連続。
極める道の重さを、少しながらの実感。

休憩所でお茶を飲みながら、窓外の老樹の枝垂桜
やっとの事で、菩提梯を降りきる。
そして、三門を潜り、門前町をぶらぶらの散策。
4時間前は、閑散としていて、物寂しいくらいの門前町。
いまは、大勢の人でごった返しの賑わい。
この道を抜けて、次の目的地・下部温泉まで行くのかと考えるとぞっとする。
お土産やら、今日飲む日本酒の地酒など買い、駐車場へ。
なだらかな下りの坂道のはずが、意外にこたえる。
先ほどの菩提梯が効いているのか。
日差しも強く、身体も汗ばんでくる。

駐車場には、私達の車以外に1台だけ。
さすがに、車の規制が効いているのだろう。
駐車場から車を出すと、前に大きな観光バス。
バスの後ろについて坂道を下り、門前町もすいすいと進む。
観光バスの後ろに隠れるように進むので、
観光客の冷たい視線を浴びることもない。
無事、メインストリートを通過すると、道は空いていた。
久遠寺に別れを告げ、国道52号を進み、やがて、国道300号へ。
街道沿いには、枝垂桜が、うららかな春日を浴び、薫風にそよぐ。

回廊から見た境内
山間の里山の春が微笑んでいる。
やがて、下部温泉の標識。
右へ折れて進み、身延線の踏み切りを越すと、下部温泉郷。
狭い、片側1車線の上り坂を進むと、さらに道は狭く、
街道を挟むように、旅館が建ち並ぶ。
半信半疑、確信もなく、私達が投宿する旅館へ向かい進む。
下部川に架かる橋を渡った正面に、木造3階建ての「大市旅館」があった。
明治・大正、古きよき時代の雰囲気を漂わせた、レトロな日本建築。
旅館の駐車場に駐車して、旅館の玄関を開けると、若い女性が待っていた。
靴を脱ぎチェックイン。
丁重な、旅館の説明を聞き、部屋に案内される。
広い玄関には行灯がともされ、奥に和室が2部屋。

回廊にて
窓からは、下部川の清流が眺められる。
時間は3時半。
一休みして、早速風呂へ。
信玄の隠し湯の源泉。
1階の奥の扉を開け中へ。
薄暗く、ひんやり、狭い石のトンネルを抜けると、岩風呂があった。
大きな岩を切り開いたような広い洞窟。
高い天井には、灯り窓が切られている。
木の長細い浴槽は32度の冷泉。
その向こうには、冷泉を加温した、ほどよい熱さの湯船。
まずは、こちらで身体を温める。
風呂場には、未だ人はいず、手足を大きく伸ばす。
灯り窓から、明るい日がほんのりと落ちる。
天井の岩壁から、源泉がぽたりぽたりと滴り落ちる。

境内の枝垂桜
身体も温まり、隣の冷泉へ。
さすがに、ひんやりと冷たい。
しかし、気をいれ、ずぼりと浸かり、
我慢していると、身体を柔らかく包み込む。
身体を、ひんやり冷たいマシュマロが、
柔らかく抱擁しているようで気持ちよい。
上杉謙信との壮絶な合戦、川中島。
傷ついた兵士達の傷を癒したという、伝説を持つ鉱泉。
一日の旅の疲れ、そして、都会の垢や滓も洗い流されるようだ。
身体が冷え切らないうちに、温かい湯へ浸かり、そして、また冷泉へ。
繰り返すうちに、だんだんと、身体の間接がほぐれ、内臓も元気に蠢く。
広い岩風呂には、まだ、独りも客はいない。
昔は、遅すぎて、入浴客がいなかったのに、
今は早すぎていないのだから、我ながら驚きあきれる。
報恩閣へ 杉の木の巨大な瘤
ゆったり、のんびり、湯船に浸かり、元気百倍、食欲も出てきた。
風呂から上がり、部屋に着き一休みすると、夕食の時間。
6時の夕食は、1階の純和風の食事処。
時間きっちりに出かけると、奥の座敷に私達の席が用意されていた。
陶器のグラスに注がれた、地ビールの生で乾杯。
なかなか、ビールのきめも柔らかく、コクがあって咽喉にしみわたる。
サービスの若い衆、お姉さん達も、親切で丁寧。
さり気ない笑顔で、和風創作料理でもてなしてくれる。

報恩閣
卯月の献立
食前酒・葡萄酒<とろリと甘口、みぞれ仕上げ>
先付け・蓬豆腐<菜花・のし梅・桜麩・山葵>
白身魚オレンジ風味<玉葱・レタス・茗荷・シブレット・オレンジドレッシング>
三品盛り
車海老山葵ネーズ<ジャガ芋・ブロッコリー>
湯葉酢味噌和へ<蛤・つぶ貝・北寄・分葱・椎茸>
蕨とろろ掛け<笹身・ぜんまい・独活・百合根・蕨>
焼物<鰆の蕗味噌ソース敷き>
小茶碗・山菜餡掛け<うるい・せり・菜花・山茶茸・人参・舞茸・しのび生姜・湯葉豆腐>
鉢盛り・炊き合わせ<筍・大根・南瓜・里芋・蕗>
食事・しらすご飯
止め椀・甲州味噌仕立て
香の物
水菓子・季節のフルーツ盛り合わせ

報恩閣&山頂の展望台
料理長の創意工夫の和風創作料理は、丁寧に作られ、もてなしの心が伝わる。
どの料理も、さり気ない味付けで美味しい。
きっと、若い料理長が創意工夫して頑張っているのだろう。
だが、料理の組み立てに、もう少し、テーマがあればさらに良いのでは。
何を主題に、どのように、表現するか?
それが明確になれば、献立に立体感と躍動感が生まれるはずだ。
きっと、これから、この旅館の料理は進化するだろう。
そのうち、また来て、ぜひ、もう一度味わってみたいものだ。

報恩閣の裏手の展望台からの帰路 賑わい始めた、本堂の境内
1時間くらいの、ゆったりの食事。
部屋に帰り、一休み。
そして、岩風呂に浸かり、そのあと、貸切露天風呂で、1人でゆったり。
夜空を見ながら、深い自然の玄妙な空気を大きく吸い込む。
月や星も見えない。
きっと、明日は天気が崩れるかもしれない。
部屋に帰って、のんびりと、下部温泉の旅情を楽しもう。
地酒・谷桜・純米吟醸も、久遠寺で買ってある。
菩提梯 ロープウェイの彼方、富士山が顔をだす
翌朝6時過ぎに目が醒める。
やはり、旨酒を飲み、深酒をせずに早く寝れば、早起きは必定。
歯を磨き、大浴場へ。
広い浴場に人はいず、今日も湯船は貸切。
頭からお湯をかぶり、大きく手足を伸ばす。
早起きは三文の得とはよく言ったもの。
早く起きただけで、こんなにのびのび、ゆったりできる。
身体を洗い、身体も温まったところで、湯船から出る。
身体を拭いて、服を着、同じ階の岩風呂へ移動する。
ひんやりと冷たい、岩風呂へのトンネルを抜ける。

混雑してきた門前町
岩風呂の冷泉には、すでに、先客がいた。
まずは、加温した風呂で温まる。
そして、冷泉へ。
やはり、最初はぴちっと冷たさが刺すが、すぐに慣れるから不思議だ。
冷たいのに、どこか生暖かいような優しさがある。
これが、掛け流しの鉱泉の効力なのだろう。
灯り窓はどんよりと明るい。
きっと、今日の天気はあまり期待は出来ないだろう。
雨さえ降らなければ上出来というところ。

田貫湖
先客は立ち去り、私一人になった。
冷たい風呂と温かい湯の出入り。
朝まだき、ぼんやりしていた身体に、生気が漲る。
太古から湧き続ける鉱泉の霊力。
掘り込まれた岩盤から、鉱泉が沁み出し、天井からも滴り落ちる。
この岩風呂の霊妙な空間自体が、人間のすべてを癒してくれるのだろう。
朝の食事は8時、良い時間になった。

風呂を出て食事処へ。
すでに、先客達がいる。
最近は、何処へ行っても、私達の世代や高齢者が多い。
そして、みな元気な二人連れ。
日本の高度成長を支えた企業戦士とその妻たち。
これから、定年退職後、豊かな旅を楽しむのであろう。
岩魚の干物、豆乳鍋をおかずに、精進粥をいただく。
鉱泉の効用か、食事が美味い。
粥をお替りする。
朝ごはんなど、旅行にでも行かなければ食べない日常。
お昼さえ食べないことも常習。
なんとも、我ながら、この食欲には感動する。

田貫湖の桜はまだ蕾み
チェックアウトは11時でゆっくり。
部屋に戻り、横になり一眠り。
その間に、ママは風呂に出かけたみたいだ。
10時頃布団を出る。
月曜日の朝、下部川の街道は静か。
10時半にチェックアウト。
外に出ると、外気はひんやりと冷たく、どんよりと、雲が重く垂れ込めていた。
駐車場から車を出し、峠の道を上り、田貫湖へ向かう。

細い峠の一本道をぐんぐんと上る。
すでに、旅館も民家もないかなり深い山間の峠道。
彼方には、九十九折の峠が、山肌に抱きついているように、幾重にも見える。
すると、突然、小さな集落が出現した。
人間とは、やはり逞しい。
どんな処にも、何事もなかったかのように、平然と生活をしている。
しかし、この地まで来て生活を強いられた先祖は、
きっと重い歴史を背負った人々なのだろう。
集落を後に、さらに、峠の急勾配の曲がりくねった、一本道を進む。
道々には落石。
かなり、峠を上り山頂も間近。
眼下には幾重にも折り重なる山々が見える。

白糸の滝
すると、通行止めの大きなバーが出現した。
この先、落石により危険。
旅館の人が言っていたとおり、この道は度々交通止めになるのだ。
仕方なく、もと来た道を戻る。
でも、時間を無駄にしたようだが、峠道の不思議なドライブも楽しい経験。
旅館の前に戻って来た時は、チェックアウト時間の11時。
要するに、ここから、振り出しと言う事なのだ。
下部温泉郷の旅館街を抜け、延線の踏切を越し、国道300号へ。
曇天の中、少し肌寒い天気。
車は一路、本栖湖方面へ。

やがて、去年来た本栖湖畔に到着。
湖畔を右手に見ながら、車は疾走する。
見る位置によって、これほど本栖湖の印象が違うのだろうか。
窓外いっぱいに、湖が広がる。
灰青色の重たい空、湖面は輝きもなく静寂をたたえる。
やがて、本栖湖を後にして、富士宮へ向かう、国道139号線へ。
真っ直ぐな道。
去年、本栖湖に来た時、間違えて、朝霧高原近くまで来てしまった。
その時、左手に、長い裾野を伸ばした、雄大な富士山が出現した時は感動した。
しかし、この天気、富士山の気配も見えない。

さらに、真っ直ぐな道を進むと朝霧高原。
左右には、長閑に牧場が広がる。
微かに霧がかかり、高原は寒々としていた。
やがて、田貫湖の表示。
右手に折れ、片側1車線の県道へ。
小さな集落をゆっくりち抜け、右へ折れ、道なりに進むと田貫湖があった。
広い駐車場には、ぽつんと車が停まっていた。
外へ出ると、外気は冷たく、林の奥に、青い水をたたえた静謐な湖があった。

私は下に下り湖へ。
ママは、昨日の菩提梯がこたえたのか、足を引きずっている。
湖へ下りるのもかなわず、広場の散策。
快晴なら、きっと、何処かに、雪を戴いた富士山が見えるはずなのだが。
残念なこと、影形も見えない。
晴れていれば、富士山の頂上から朝日が昇り、山頂にダイヤモンドの光芒が輝く。
一瞬、ダイヤモンド富士が顕われる、ここは最高のポイント。
その瞬間、カメラマンたちのシャッター音が、鳴り響くそうだ。

湖畔には人影もなく、釣り人が一人糸を垂れていた。
広場に戻り、湖畔のキャンプ場へ行ってみた。
そこには、ツアーの高齢の女性達が、みんなでお弁当を食べていた。
気がついてみれば、すでに、12時。
朝の食事をたっぷりと摂ったせいなのか、なぜか、私達はお腹が空いてない。
車に戻り、これから、白糸の滝に向かう。
最近の旅は、ほとんど、私はノータッチ。
すべて、旅館の予約から、旅のコースまで、ママが計画してくれるからありがたい。
私は、お金を払うこと、飲むこと、食べることだけを考えていれば良い。

田貫湖から、国道139号線を南下、20分程で、白糸の滝に到着。
広い駐車場に車を止め滝へ。
下へ続く階段。
彼方に白糸の滝が見える。
想像よりはるかに壮大な景色。
岸壁から、無数の滝が、白糸のように流れ落ちる。
木立に囲まれた、湿った階段を下りる。
ママは足が痛くて辛そうだ。
手で支えて、何とか階段を下りきる。
狭い通路を通り抜けると、眼前に、見事な景観が広がる。

音止<おとどめ>の滝
火山岩の切れ目、裂け目から、富士山の伏流水が溢れ、迸り出ている。
高さ約20m、幅約200m湾曲した、漆黒の岸壁を、細い白糸のような滝が流れ落ちる。
売店の前の展望台まで、滝の飛沫が飛び散り、霧雨のように冷たい。
晴れていれば、岸壁の上に、秀麗な雪を戴く富士山を眺められるのだが。
白糸の滝から流れ出る川沿いの道を進むと、上り階段。
ママは行く気がないので、私一人で上る。
今は春休み。
月曜日でも、家族連れが多い。

やっとのことで頂上へ辿り付く。
何軒もの土産物屋兼食堂があり、その向こうに、大きな滝が流れ落ちる。
白糸の滝が優美・華麗な滝とするならば、この音止の滝は、豪壮・豪奢。
落差25m、満々とたたえた水が、一気に瀑音をたてて落ちるさまは壮観。
蘇我兄弟が、仇敵・工藤祐経を討ち取るために、この滝近くの隠れ岩で密談。
しかし、鳴り響く、滝の轟音。
蘇我兄弟は、神に願った。
計画の相談の間だけ、瀑音が鳴り止むように。
すると、その瞬間、滝の轟音がぴたりと鳴り止んだという伝説がある。

富士スカイラインは、深い霧で視界は数メートル
時間はすでに2時。
もと来た階段を下る。
遠くに見渡す白糸の滝の景観は壮麗。
芝川から流れ落ちる大きな滝。
長く黒い岸壁から流れ落ちる、大小無数の美麗な白糸の滝の絵姿。
曇天の肌寒い一日、私達の旅もこれで終った。
これから、富士スカイラインを抜けて、御殿場から東名に入り、帰京しよう。