一度は浸かりたい草津温泉。 練馬ICから30分、すでに、車は東松山辺りに。 聞きしに勝る一面の深い霧。 乳白色に、薄灰色を滲ませたような、濃く厚い霧に視界が閉ざされる。 フロントガラスには、雨粒がピチピチと飛び散る。 しかし、どの車もひるまず、一本道をひた走る。
埼玉県・花園インターを過ぎ群馬県へ。 遠くには、群馬県から長野県を跨ぐ山々が、見渡せる筈なのだが。 今日のこの天気、山も川も田園風景も、なにもかも、薄もやの中。 晴れていれば、きっと、もくもくと噴煙を噴き上げる、浅間山の雄姿も遠望できるのだろう。 すでに、1時間30分は経過しただろうか。 渋川・伊香保IC。 関越道を降りると、なんと国道17号、つまり、中仙道に出た。 ここから、中仙道をさらに60キロほど進む。 伊香保は2、年前、秩父の親戚達と一緒に、旅した楽しい思い出の地。 水沢観音で水沢うどんを食べたり、高崎観音に、この時、初めて登った。 今回はさらに、ここから、1時間30分奥へ。
そして145号へ入ると、道は狭くだんだんと険しくなる。 雨に煙る里山の景色、田園風景には情趣溢れる。 日本の景色は、日本人の心にずしりと、優しくしみいる。 雨に濡れ、霧交じりの山道。 左側深く、水嵩の増えた清流・四万川が流れる。 そして、川にへばり付くように、吾妻線が走る。 里山の初夏の若緑は雨にぬれ、街道の木々の息吹きが伝わるようだ。 山間、家々も時たま点在する鄙びた風景。
さらに進むと川原湯が出現。 すでに、群馬県の温泉郷に足を踏み入れたのだ。 六合村あたりから、292号に入れば、目的地・草津温泉はすぐそこ。 雨はだいぶ静まり、霧雨模様。 初夏の緑深い山間の登り道。 やがて、むき出した岩肌、灰色に染まり、垢寂びた岩肌が出現。 火山特有の、強い、鼻を刺す硫黄の臭いが、深い山の空気全体を包んでいる。 かれこれ、東京を出てから、4時間近く経っていた。 古い歴史のある温泉地・草津にようやく到着。 狭い道に、へばり付くように建つ旅館やホテル。 入り組んだ草津の狭い道を、行き来しながら、やっとの事で旅館へ。 部屋で一休みして、早速、草津の温泉郷の散策に出かける。 温泉街の狭い下り坂を下ると、程なく中心地の湯畑。 旅館やホテルに囲まれた湯畑は、白煙をもくもくと吹き上げ、強い硫黄の臭気が鼻をつく。 源泉は池になって、真っ白な湯の花が咲く。 薄黄色の湯、エメラルドに色づいた石。 湯の花が、マシュマロのようにふわふわと浮んでいる。 湯畑の周りを廻ると、足湯があり、観光客の老若男女が、寄り添うように足を湯へ。 すこし、なだらかな下り道。 そこには、湯畑から熱いお湯が、滝のように、白煙を吹き上げながら、流れ落ちる。 大勢の人たちが、それぞれ、記念写真をパチリ、パチリ。 昔ながらの温泉街を、ただただ、あてもなく散策するのも楽しい。 温泉宿に囲まれた狭い街筋、共同浴場・大滝の湯。 ガラガラと木戸を開け覗いてみた。 丁度男の人が上がって来たところ。 話し掛けたら、気楽に応えてくれた。 ざっと、草津の共同浴場の事を教えてくれた。 どうやら、草津の人は、観光客には優しいみたいだ。 たまたま出合った人が親切な人だと、皆、その土地の人が優しく感じられるから不思議だ。 やはり、他人には親切にしないといけない。 湯畑からかなり歩いた。 降りてきた道と違う路地、軽い登り坂をあるく。 浴衣にドテラ、タオル片手、下駄履き姿の温泉客。 きっと、草津の町の、湯めぐりをしているのだろう。 日本の温泉は、やはり、古来からの文化。 古より伝わる、そこはかとない、癒しと触れ合いの大切な文化だ。
夕暮れには遠く、まだまだ、時間はある。 我々は、古色を帯びて、格調高い木造旅館が建つ、狭く入り組んだ路地を抜けて、西の河原へ。 狭い道沿いには、土産物の店が建ち並ぶ。 雨模様の日曜、すでに4時過ぎ、店じまいの土産物屋もぼちぼち。 狭い登り道を抜けると、前には新緑に囲まれた、異様な景色が展開した。 強い硫黄の臭気。 河原には、草木も育つ筈もない、賽の河原ような異形の大地。 上流から、湯煙を上げながら、お湯が流れる。 手をつければ、かなりの高音。 河原の砂利や石を伝いながら歩くと、湯をたたえる池がある。 エメラルド色、灰白色、薄緑と様々。
何故か、お金がたくさん投げ入れてある。 よく見れば、お金の真ん中が抜けて、リングになっている。 5円玉ををそっと入れてみる。 みるみるうちに光りだすではないか。 10円玉を入れれば、ピカピカに光る。 手を入れれば、火傷するほど熱い。 さすが、鬼の釜。 お金は御守りにして、財布の中へ、御生大事にしまう。 途中、草津穴守稲荷があった。 朱色の鳥居を潜り、急勾配の階段を登る。 そこには、小さな、木造のお堂があった。 賽銭を投げ入れ、手を合わせる。 お稲荷様由来の加護の白砂を頂く。 この砂を持ち帰り、玄関などに撒くと、 「人の心を和め、祓いと導きのある徳、即ち神福が授かり、商売、心願、家運が隆昌する」 とお砂の由来が書かれていた。
温泉の硫黄の臭い、雨にそぼ濡れた木々新鮮ない息吹きが気持ちよい。 自然の生命が、都会の喧騒の毒気を洗い流してくれている。 さらに進むと、大きな露天風呂があった。 入湯料、大人600円と書いてあった。 なかなか、風情のある湯どころ、時間が許せば、ぜひとも、入りたいのだが。
更に進むと、つつじの公園があるようだ。 でも、かなり、道のりは長そうなので引き返すことに。 時間も、はや、6時を回っている。 辺りは薄もやが漂い始めた。 旅館の食事は7時。 これから帰り、一風呂浴びて食事にしよう。 旅館の風呂を一浴びして、ビールを飲みながら、食事をとる。 まだまだ時間がある。 一休みのあと、湯畑の前にある、公衆浴場「白旗の湯」へ。 浴衣にドテラ姿、タオルにバスタオルを肩にかけ、坂を下る。 ガラガラと木戸を開け中へ。 湯船は二つある。 身体に湯をかける。 飛び上がるほど熱い。 思い切って、湯船の中へ。 身体が痛くなるほどの熱さ。 聞きしに勝る草津の湯は手ごわい。
方言ほどではないが、アクセントや抑揚に地方色あり、聞いてほのぼのする。 地元の人でさえ、草津の湯は熱いようだ。 みな、我慢比べのようで、顔を真赤にしながら、談笑している。 ザブリッと上がる背中に、それぞれ赤いみみず腫れが走る。 きっと、あの赤い処に、何か障害や故障があるのだろう。 私の我慢も限界。 湯船を出て、板の間に寄りかかりながらの休息。 天井は吹き抜けのように高く、柱や梁は黒光りして、歴史の深さを感じさせる。 坐った隣の湯船は、先ほどより、更に熱いようだ。 あまり、入る人がいない。 思い切り、勇気を出して浸かる。 確かに、熱い事この上なし。 身体の芯に、ジンジン射し込む。 負けるものか、こちとらは江戸っ子だい! でも、不思議、だんだんと、痛いほどの熱さにも慣れてくる。 人間の適応力も馬鹿に出来ない。 そこへ、地元のお爺ちゃんがするりと入って来た。 風呂の入り方も手慣れたもの。 身体に充分湯をかけ、身体を慣らしてから入る様は、成る程と感心。 あの技、今度は盗んで入浴してみよう。
毎日、夕食のあと、この湯に浸かるそうだ。 先日、手を切ったそうだが、医者にも行かないで、4日通ったら、すっかり治ったと、自慢げに語る。 やせ我慢しながら浸かる湯は、やはり熱く、身体に湯が食い込むようだ。 湯船の下から、身体が持ち上げられ、浮遊するような、湯質の濃さは身体に効くはず。 湯船を出て、身体を拭き外へ。 湯畑の硫黄の臭いが強烈に鼻を突くが、慣れると、不思議と心地よく感じられるから不思議だ。 湯畑の周りを、ぶらぶらと散策して宿へ。 さてさて、温泉に浸かり、ゆったり、くったりの癒しの時は楽しかった。 今夜は、美味い地酒でも飲んで、ぐっすり眠る事にしよう。
食事前に、ひと風呂浴び、髭を剃り、そして、公衆浴場に出かける。 今日はどうやら、雨だけは避けられそうな曇天。 まだ、初夏とはいえ、草津の朝はヒンヤリとしている。 ガラガラと木戸を開け、中へ。 湯煙のなか、多くの人たちがいたのは驚き。 身体を洗い、中へ。 やはり、大変な熱さだ。 身体の芯の滓が、熱湯で焼ききられるようだが、慣れると、 その熱さから、生命力を注入されているようで、ありがたい気持になる。
やはり、旅は、地元の人と触れ合わなくては、楽しさは半減する。 大自然、木々の緑、清冽な流れ、心を洗う新鮮な空気と水、空と星と太陽。 そして、その土地で生きる人たちとの交流は、なにものにもかえがたい。 夜に朝に浸かった草津の温泉。 また、機会をつくって、ぜひ再訪したいものだ。 これから、食事をし、9時にはチェックアウトして、白根山に向かおう。 昨日、地酒を飲みながら見つけたルートを辿るのはきっと楽しいだろ。
292号に出て、高原の道を一路進む。 白根山は何年ぶりだろうか。 大学時代、クラブの合宿で、湯田中温泉に宿泊。 そして、みんなで、白根山までバスで出かけた記憶がある。 すでに、時は、39年も経過している。 人は老い、やがて、土に返る。 しかし、自然は、永遠の時を刻む。 その自然に、人間が、愚かしい愚行を加える事により、破壊される事もある。 一度破壊されたものは、二度と元に戻ることはない。 20分も進むと、かなりの急峻な坂。 道の下を、人気のないケーブルが、スルスルと通り抜けてゆく。 山々の岩肌こはゴツゴツと大きな岩石が転がり、火山性硫黄の臭いが鼻に纏い付く。 峠の道の左は大きな赤茶けた岩が切り裂かれ、右側は絶壁。 曇天の空、火山性の霧と混じる幽玄峡。 カーブをしながらの険しい登り道。 霧を突き抜けながら進むと、どうやら、峠の頂上に辿り付いたようだ。 前には、観光バスが二台。 追い越す事も出来ず後に付いて進む。
なだらかな坂道を進む。 街道の道々に黄色い可憐なタンポポが咲いている。 だんだんと、硫黄の臭いが強くなる。 山々には残雪が凍りついている。 初夏だと言うのに、山肌には沢山の残雪が銀白色に輝いている。 残雪の残る山々を切り抜ける道を進むと、そこには、広い駐車場があった。 幸いにも、天気は回復し、肌が痛いほどの強い日差しの快晴になっていた。 月曜だと言うのに、観光バスが沢山止まっていた。
山頂へはかなりの道のり。 ぞろぞろ歩く観光客と共に山頂へ。 山肌には木々はなく、火山性硫黄の臭気が漂う。 あちらこちらに非難小屋が建つ。 ここは、まさに、いまだ、活火山なのだろう。 強い陽光を浴び、初夏の風は爽やか。
さすがに、高齢者にはこたえるのだろう。 岩に腰をかけて、一休みの人たちもちらほら。 最近、あちらこちら旅するようになり、ママも足腰がだいぶ強くなったようだ。 あまり、苦しそうな素振りもなく、息も上がっていないようだ。 少ししんどいが、一気に山頂まで登りきろう。 やっと辿り付いた山頂。 標高1800メートル弱。 たくさんの老若男女の観光客。 でも、圧倒的に、我々団塊の世代前後の人が多く、やはり、元気なのは女性だ。
灰白色のガレキの岩肌に囲まれて、カルデラ湖は静謐な佇まい。 昔見た、湖の輝きは同じだった。 空には大きな白雲が流れ、初夏の陽光は中天に輝く。 すでに、時間は11時。 観光客の足は途絶える事なく続く。 のんびりと頂上で一息入れて、下りの別ルートで下山する。 道脇にはタンポポが、黄色い花を開き、陽光を浴びながら喜んでいるようだ。 長いながい閉ざされた凍てつく季節から解放され、今訪れた賛歌の季節。 パッ咲いて、生命を謳歌しているのだろ。 辛く苦しい季節を耐え忍んだからこそ、花開く瞬間は感動的でもある。 左手には、樹高の低い疎林が広がる。 火山灰まみれの痩せた大地。 強い火山性硫黄の臭気。 吹き抜ける高地の激しい風。 それでも、植物や生物は生きる。 たとえ、成長不足で歪であっても、生あるものは生き抜く生命力を、神から与えられているのだ。 登りの観光客とすれ違いながら下り、観光センターへ。 土産物でも見てみるが、買いたいものも見つからない。 場所は違えど、どこも観光地は似たり寄ったり。 太陽はキラキラと輝き、硫黄臭に包まれた、渡る風も涼しい。
暫らくは登り道。 白根火山から遠ざかる程に、樹叢は深くなり、木々の緑は濃く、葉裏も太陽に照らされ輝く。 やがて、小諸方面と軽井沢への分岐点。 勿論、左に折れ、軽井沢へ向かう。 道は緩やかに九十九な下り坂。 左手には、長野の山々が、色とりどりの緑をたたえて、膨らんでいる。
万座温泉郷にさしかかったのだ。 何もない殺風景な土地に、大きなホテルがそちこちに建っている。 冬のスキーシーズンは、さぞかし、大勢のスキー客で賑わっているのだろう。 今は、すべてが閑散として、まるで、時間が止まってるようで、寂しさを感じるほどだ。 さらに、進むと有料道路・万座ハイウェー。 なだらかなカーブ、緩い傾斜の下り道。 彼方には、嬬恋村の集落が、好天の靄に霞む。 開け放たれた車窓から、大自然の精気に満ち溢れた風が気持ちよい。 昨日の雨が嘘のように、今日は快晴。 やがて、鬼押し出し公園に辿り付いた。
折角だから、車を駐車場へ。 私は名前を聞いただけだが、ママは40数年前、中学の修学旅行で来たことがあるらしい。 入園チケットを買って中へ。 なだらかね傾斜の散策道。 遠くには、噴火で吐き出された大きな、赤茶けた奇岩がゴツゴツと転がる。 その、遙かなたには、この奇岩を吹き上げた、いまだ、活火山の浅間山の雄姿が見えるはずなのだが。 山容は靄に隠れ、なだらかな裾野が見えるだけ。
遠くには、奇岩に取り巻かれたように建つ、鈍い朱色の浅間神社。 緩い傾斜の山道ながら、以外に、歩き出がある。 はるか遠く、長野の山々に抱かれるように、薄もやに霞みながら、集落の姿。 あれは、嬬恋村なのだろうか。 かつて、三好十郎の戯曲の舞台になってたような、のんびりした山間の風情。 観光客に混じりながら、浅間神社の境内に辿り着く。
ゴワワ〜ン、ゴワワ〜ンと鐘の低い重層音が、奇岩の海に響き渡る。 そして、私の心にも、安らぎの音のようにしみいる。 やはり、鐘の音は、日本人の心の響きなのであろう。 巨大な奇岩の海に屹立する朱色の神社、浅間神社に参拝。 神社の展望台から見渡す奇岩の海。 江戸時代、浅間山が大噴火。 掃きだされた火山岩のおびただしい数々。 自然のすさまじい力、自然の神々しいほどの威力、自然のすさまじさに圧倒される。 爽やかな初夏の渡る風は清々しい。 遠くに、幾重にも、霞みながら、山々の稜線が連なる。 明るく輝く空には、大きな雲海が白くたなびく。 古来より、変わらずにおとづれる夏。 今年も、すでに、半年を過ぎた。 こうして、二人で、小さな旅を楽しませてもらう事は、なんて幸せな事だろうか。 もっともっと、大きな大きな旅は幾らでもある。 でも、自分たちの計画した旅を、心おきなく、満足し、充足できることも幸せな事であろう。
暫らくして、ハイウェーを出る。 旧軽井沢の懐かしい高原風景。 深い木々の陰影。 木漏れ日が道路にこぼれ、大きな格調のある家々。 なだらかなカーブの下り道、白糸の滝の表示があった。 まったく知らない滝の名前。 別に、これから、あてがある旅でもなし。 軽井沢で、遅い昼食をとって、東京へ帰るだけ。
車を停めて、案内板に従い、川沿いの砂利道を進む。 昨日の雨が残り、道は濡れ、木々からは、ミントのように、爽やかな香が漂う。 道沿いの清流は、心地よいリズムのせせらぎ。 なだらかな、登り勾配。 200メートルほど進むと、正面に、深く静謐な森の中、白糸の滝があった。 それ程高くはない垂直な岩肌を、糸のように細い滝が、無数に流れ落ちる。 戦に破れ、国を負われ、落ち延びた一族の悲しみ、細く長く、幾筋もながれる涙のようで物悲しい。 湖面の水は、氷のように冷たかった。
軽井沢で遅い昼食をとり、国道18号から、横川ICで上信越道に乗り、関越へ入り、一路東京へ向かう。 |