小さな旅&日記

草津温泉から白根山へ
<6/12-13>

朝からの雨模様。
最近はどうも天気に恵まれない。
予定とおり、午後12時前、家をでる。
練馬インターチェンジから関越道へ。
一路、草津へ。
去年から今年にかけて、何故か伊豆の旅が多い。
伊豆は何時でも、のんびり、山紫水明、風光明媚。
さらに、海鮮料理が美味いときたら、これは誰しも誘惑に負ける。

 
湯畑
今回は、どっぷり、たっぷり、温泉三昧。
一度は浸かりたい草津温泉。
練馬ICから30分、すでに、車は東松山辺りに。
聞きしに勝る一面の深い霧。
乳白色に、薄灰色を滲ませたような、濃く厚い霧に視界が閉ざされる。
フロントガラスには、雨粒がピチピチと飛び散る。
しかし、どの車もひるまず、一本道をひた走る。
湯畑の足湯 湯畑のママ
やがて、霧は晴れるが、雨模様に変わりなし。
埼玉県・花園インターを過ぎ群馬県へ。
遠くには、群馬県から長野県を跨ぐ山々が、見渡せる筈なのだが。
今日のこの天気、山も川も田園風景も、なにもかも、薄もやの中。
晴れていれば、きっと、もくもくと噴煙を噴き上げる、浅間山の雄姿も遠望できるのだろう。
すでに、1時間30分は経過しただろうか。
渋川・伊香保IC。
関越道を降りると、なんと国道17号、つまり、中仙道に出た。
ここから、中仙道をさらに60キロほど進む。
伊香保は2、年前、秩父の親戚達と一緒に、旅した楽しい思い出の地。
水沢観音で水沢うどんを食べたり、高崎観音に、この時、初めて登った。
今回はさらに、ここから、1時間30分奥へ。
 
湯畑の前にて
やがて、353号から、小野上村へ。
そして145号へ入ると、道は狭くだんだんと険しくなる。
雨に煙る里山の景色、田園風景には情趣溢れる。
日本の景色は、日本人の心にずしりと、優しくしみいる。
雨に濡れ、霧交じりの山道。
左側深く、水嵩の増えた清流・四万川が流れる。
そして、川にへばり付くように、吾妻線が走る。
里山の初夏の若緑は雨にぬれ、街道の木々の息吹きが伝わるようだ。
山間、家々も時たま点在する鄙びた風景。
 
湯の花と滝のように落ちる源泉
吾妻渓谷の景観を左手に見ながら行くと、松の湯。
さらに進むと川原湯が出現。
すでに、群馬県の温泉郷に足を踏み入れたのだ。
六合村あたりから、292号に入れば、目的地・草津温泉はすぐそこ。
雨はだいぶ静まり、霧雨模様。
初夏の緑深い山間の登り道。
 
やがて、むき出した岩肌、灰色に染まり、垢寂びた岩肌が出現。
火山特有の、強い、鼻を刺す硫黄の臭いが、深い山の空気全体を包んでいる。
かれこれ、東京を出てから、4時間近く経っていた。
古い歴史のある温泉地・草津にようやく到着。
狭い道に、へばり付くように建つ旅館やホテル。
入り組んだ草津の狭い道を、行き来しながら、やっとの事で旅館へ。
部屋で一休みして、早速、草津の温泉郷の散策に出かける。
 
温泉街の狭い下り坂を下ると、程なく中心地の湯畑。
旅館やホテルに囲まれた湯畑は、白煙をもくもくと吹き上げ、強い硫黄の臭気が鼻をつく。
源泉は池になって、真っ白な湯の花が咲く。
薄黄色の湯、エメラルドに色づいた石。
湯の花が、マシュマロのようにふわふわと浮んでいる。
湯畑の周りを廻ると、足湯があり、観光客の老若男女が、寄り添うように足を湯へ。
すこし、なだらかな下り道。
そこには、湯畑から熱いお湯が、滝のように、白煙を吹き上げながら、流れ落ちる。
大勢の人たちが、それぞれ、記念写真をパチリ、パチリ。
昔ながらの温泉街を、ただただ、あてもなく散策するのも楽しい。
 
温泉宿に囲まれた狭い街筋、共同浴場・大滝の湯。
ガラガラと木戸を開け覗いてみた。
丁度男の人が上がって来たところ。
話し掛けたら、気楽に応えてくれた。
ざっと、草津の共同浴場の事を教えてくれた。
どうやら、草津の人は、観光客には優しいみたいだ。
たまたま出合った人が親切な人だと、皆、その土地の人が優しく感じられるから不思議だ。
やはり、他人には親切にしないといけない。

湯畑からかなり歩いた。
降りてきた道と違う路地、軽い登り坂をあるく。
浴衣にドテラ、タオル片手、下駄履き姿の温泉客。
きっと、草津の町の、湯めぐりをしているのだろう。
日本の温泉は、やはり、古来からの文化。
古より伝わる、そこはかとない、癒しと触れ合いの大切な文化だ。
 
賽の河原のような異様な光景
草津の中心、湯畑に戻る。
夕暮れには遠く、まだまだ、時間はある。
我々は、古色を帯びて、格調高い木造旅館が建つ、狭く入り組んだ路地を抜けて、西の河原へ。
狭い道沿いには、土産物の店が建ち並ぶ。
雨模様の日曜、すでに4時過ぎ、店じまいの土産物屋もぼちぼち。
狭い登り道を抜けると、前には新緑に囲まれた、異様な景色が展開した。
強い硫黄の臭気。
河原には、草木も育つ筈もない、賽の河原ような異形の大地。
上流から、湯煙を上げながら、お湯が流れる。
手をつければ、かなりの高音。
河原の砂利や石を伝いながら歩くと、湯をたたえる池がある。
エメラルド色、灰白色、薄緑と様々。
 
河のように流れる熱い源泉
鬼の釜は湯が透き通っている。
何故か、お金がたくさん投げ入れてある。
よく見れば、お金の真ん中が抜けて、リングになっている。
5円玉ををそっと入れてみる。
みるみるうちに光りだすではないか。
10円玉を入れれば、ピカピカに光る。
手を入れれば、火傷するほど熱い。
さすが、鬼の釜。
お金は御守りにして、財布の中へ、御生大事にしまう。
途中、草津穴守稲荷があった。
朱色の鳥居を潜り、急勾配の階段を登る。
そこには、小さな、木造のお堂があった。
賽銭を投げ入れ、手を合わせる。
お稲荷様由来の加護の白砂を頂く。
この砂を持ち帰り、玄関などに撒くと、
「人の心を和め、祓いと導きのある徳、即ち神福が授かり、商売、心願、家運が隆昌する」
とお砂の由来が書かれていた。
 
源泉の湧き出る、様々な色の泉
梅雨時の夕暮れ、湯煙と霞む霧と木々の新緑が織り成すシンフォニー。
温泉の硫黄の臭い、雨にそぼ濡れた木々新鮮ない息吹きが気持ちよい。
自然の生命が、都会の喧騒の毒気を洗い流してくれている。
さらに進むと、大きな露天風呂があった。
入湯料、大人600円と書いてあった。
なかなか、風情のある湯どころ、時間が許せば、ぜひとも、入りたいのだが。
 
草津穴守稲荷
更に、先へ進むと、湯量豊富な川沿いの、木々に包まれた道。
更に進むと、つつじの公園があるようだ。
でも、かなり、道のりは長そうなので引き返すことに。
時間も、はや、6時を回っている。
辺りは薄もやが漂い始めた。
旅館の食事は7時。
これから帰り、一風呂浴びて食事にしよう。
 
旅館の風呂を一浴びして、ビールを飲みながら、食事をとる。
まだまだ時間がある。
一休みのあと、湯畑の前にある、公衆浴場「白旗の湯」へ。
浴衣にドテラ姿、タオルにバスタオルを肩にかけ、坂を下る。
ガラガラと木戸を開け中へ。
湯船は二つある。
身体に湯をかける。
飛び上がるほど熱い。
思い切って、湯船の中へ。
身体が痛くなるほどの熱さ。
聞きしに勝る草津の湯は手ごわい。
 
帰り道、雨も上がり、新緑も綺麗な西の河原
浴場には、地元の人が殆ど。
方言ほどではないが、アクセントや抑揚に地方色あり、聞いてほのぼのする。
地元の人でさえ、草津の湯は熱いようだ。
みな、我慢比べのようで、顔を真赤にしながら、談笑している。
ザブリッと上がる背中に、それぞれ赤いみみず腫れが走る。
きっと、あの赤い処に、何か障害や故障があるのだろう。
 
私の我慢も限界。
湯船を出て、板の間に寄りかかりながらの休息。
天井は吹き抜けのように高く、柱や梁は黒光りして、歴史の深さを感じさせる。
坐った隣の湯船は、先ほどより、更に熱いようだ。
あまり、入る人がいない。
思い切り、勇気を出して浸かる。
確かに、熱い事この上なし。
身体の芯に、ジンジン射し込む。
負けるものか、こちとらは江戸っ子だい!
でも、不思議、だんだんと、痛いほどの熱さにも慣れてくる。
人間の適応力も馬鹿に出来ない。
そこへ、地元のお爺ちゃんがするりと入って来た。
風呂の入り方も手慣れたもの。
身体に充分湯をかけ、身体を慣らしてから入る様は、成る程と感心。
あの技、今度は盗んで入浴してみよう。
 
湯畑を取り囲む、旅館やホテル
お爺ちゃん、下の部落からやってきた。
毎日、夕食のあと、この湯に浸かるそうだ。
先日、手を切ったそうだが、医者にも行かないで、4日通ったら、すっかり治ったと、自慢げに語る。
やせ我慢しながら浸かる湯は、やはり熱く、身体に湯が食い込むようだ。
湯船の下から、身体が持ち上げられ、浮遊するような、湯質の濃さは身体に効くはず。
湯船を出て、身体を拭き外へ。
湯畑の硫黄の臭いが強烈に鼻を突くが、慣れると、不思議と心地よく感じられるから不思議だ。
湯畑の周りを、ぶらぶらと散策して宿へ。
さてさて、温泉に浸かり、ゆったり、くったりの癒しの時は楽しかった。
今夜は、美味い地酒でも飲んで、ぐっすり眠る事にしよう。
  
白根火山へ向かう途中、天狗山から御成山を越える
翌日、6時頃目が覚める。
食事前に、ひと風呂浴び、髭を剃り、そして、公衆浴場に出かける。
今日はどうやら、雨だけは避けられそうな曇天。
まだ、初夏とはいえ、草津の朝はヒンヤリとしている。
ガラガラと木戸を開け、中へ。
湯煙のなか、多くの人たちがいたのは驚き。
身体を洗い、中へ。
やはり、大変な熱さだ。
身体の芯の滓が、熱湯で焼ききられるようだが、慣れると、
その熱さから、生命力を注入されているようで、ありがたい気持になる。
 
残雪の残る山々
地元の人たちの、屈託のない、四方山話やら世間話やら聞くのは楽しい。
やはり、旅は、地元の人と触れ合わなくては、楽しさは半減する。
大自然、木々の緑、清冽な流れ、心を洗う新鮮な空気と水、空と星と太陽。
そして、その土地で生きる人たちとの交流は、なにものにもかえがたい。
夜に朝に浸かった草津の温泉。
また、機会をつくって、ぜひ再訪したいものだ。
これから、食事をし、9時にはチェックアウトして、白根山に向かおう。
昨日、地酒を飲みながら見つけたルートを辿るのはきっと楽しいだろ。
  
エメラルドグリーンのカルデラ湖は、陽光に照らされ、静謐で美しい
予定通りに旅館をあとに、白根山へ。
292号に出て、高原の道を一路進む。
白根山は何年ぶりだろうか。
大学時代、クラブの合宿で、湯田中温泉に宿泊。
そして、みんなで、白根山までバスで出かけた記憶がある。
すでに、時は、39年も経過している。
人は老い、やがて、土に返る。
しかし、自然は、永遠の時を刻む。
その自然に、人間が、愚かしい愚行を加える事により、破壊される事もある。
一度破壊されたものは、二度と元に戻ることはない。
 
20分も進むと、かなりの急峻な坂。
道の下を、人気のないケーブルが、スルスルと通り抜けてゆく。
山々の岩肌こはゴツゴツと大きな岩石が転がり、火山性硫黄の臭いが鼻に纏い付く。
峠の道の左は大きな赤茶けた岩が切り裂かれ、右側は絶壁。
曇天の空、火山性の霧と混じる幽玄峡。
カーブをしながらの険しい登り道。
霧を突き抜けながら進むと、どうやら、峠の頂上に辿り付いたようだ。
前には、観光バスが二台。
追い越す事も出来ず後に付いて進む。
  
荒涼とした、白根山
重そうに、ゆっくりと、カーブを切りながら鈍重に進むバスには閉口だが、所詮仕方なし。
なだらかな坂道を進む。
街道の道々に黄色い可憐なタンポポが咲いている。
だんだんと、硫黄の臭いが強くなる。
山々には残雪が凍りついている。
初夏だと言うのに、山肌には沢山の残雪が銀白色に輝いている。
残雪の残る山々を切り抜ける道を進むと、そこには、広い駐車場があった。
幸いにも、天気は回復し、肌が痛いほどの強い日差しの快晴になっていた。
月曜だと言うのに、観光バスが沢山止まっていた。
 
白根山の植物
駐車場に車を止め、山頂への坂道を登る。
山頂へはかなりの道のり。
ぞろぞろ歩く観光客と共に山頂へ。
山肌には木々はなく、火山性硫黄の臭気が漂う。
あちらこちらに非難小屋が建つ。
ここは、まさに、いまだ、活火山なのだろう。
強い陽光を浴び、初夏の風は爽やか。
 
白根山から万座へ
山頂への道のり。
さすがに、高齢者にはこたえるのだろう。
岩に腰をかけて、一休みの人たちもちらほら。
最近、あちらこちら旅するようになり、ママも足腰がだいぶ強くなったようだ。
あまり、苦しそうな素振りもなく、息も上がっていないようだ。
少ししんどいが、一気に山頂まで登りきろう。
やっと辿り付いた山頂。
標高1800メートル弱。
たくさんの老若男女の観光客。
でも、圧倒的に、我々団塊の世代前後の人が多く、やはり、元気なのは女性だ。
 
天気は快晴、嬬恋高原辺り
山頂から見る釜の湯は、淡いエメラルドグリーン。
灰白色のガレキの岩肌に囲まれて、カルデラ湖は静謐な佇まい。
昔見た、湖の輝きは同じだった。
空には大きな白雲が流れ、初夏の陽光は中天に輝く。
すでに、時間は11時。
観光客の足は途絶える事なく続く。
のんびりと頂上で一息入れて、下りの別ルートで下山する。
道脇にはタンポポが、黄色い花を開き、陽光を浴びながら喜んでいるようだ。
長いながい閉ざされた凍てつく季節から解放され、今訪れた賛歌の季節。
パッ咲いて、生命を謳歌しているのだろ。
辛く苦しい季節を耐え忍んだからこそ、花開く瞬間は感動的でもある。

左手には、樹高の低い疎林が広がる。
火山灰まみれの痩せた大地。
強い火山性硫黄の臭気。
吹き抜ける高地の激しい風。
それでも、植物や生物は生きる。
たとえ、成長不足で歪であっても、生あるものは生き抜く生命力を、神から与えられているのだ。
登りの観光客とすれ違いながら下り、観光センターへ。
土産物でも見てみるが、買いたいものも見つからない。
場所は違えど、どこも観光地は似たり寄ったり。
太陽はキラキラと輝き、硫黄臭に包まれた、渡る風も涼しい。
  
鬼押し出し公園の奇岩群
これから、白根火山ルートを抜けて軽井沢へ。
暫らくは登り道。
白根火山から遠ざかる程に、樹叢は深くなり、木々の緑は濃く、葉裏も太陽に照らされ輝く。
やがて、小諸方面と軽井沢への分岐点。
勿論、左に折れ、軽井沢へ向かう。
道は緩やかに九十九な下り坂。
左手には、長野の山々が、色とりどりの緑をたたえて、膨らんでいる。
 
浅間神社
やがて、火山性の硫黄の臭いが立ち込めてきた。
万座温泉郷にさしかかったのだ。
何もない殺風景な土地に、大きなホテルがそちこちに建っている。
冬のスキーシーズンは、さぞかし、大勢のスキー客で賑わっているのだろう。
今は、すべてが閑散として、まるで、時間が止まってるようで、寂しさを感じるほどだ。
さらに、進むと有料道路・万座ハイウェー。
なだらかなカーブ、緩い傾斜の下り道。
彼方には、嬬恋村の集落が、好天の靄に霞む。
開け放たれた車窓から、大自然の精気に満ち溢れた風が気持ちよい。
昨日の雨が嘘のように、今日は快晴。
やがて、鬼押し出し公園に辿り付いた。
  
境内にて 神社裏の展望台より
ここは、まったくの予定外。
折角だから、車を駐車場へ。
私は名前を聞いただけだが、ママは40数年前、中学の修学旅行で来たことがあるらしい。
入園チケットを買って中へ。
なだらかね傾斜の散策道。
遠くには、噴火で吐き出された大きな、赤茶けた奇岩がゴツゴツと転がる。
その、遙かなたには、この奇岩を吹き上げた、いまだ、活火山の浅間山の雄姿が見えるはずなのだが。
山容は靄に隠れ、なだらかな裾野が見えるだけ。
  
一路、軽井沢へ
太陽は強い初夏の光線を放ち、山道に建つ大きな石灯籠の影は濃く、どっしりとした趣。
遠くには、奇岩に取り巻かれたように建つ、鈍い朱色の浅間神社。
緩い傾斜の山道ながら、以外に、歩き出がある。
はるか遠く、長野の山々に抱かれるように、薄もやに霞みながら、集落の姿。
あれは、嬬恋村なのだろうか。
かつて、三好十郎の戯曲の舞台になってたような、のんびりした山間の風情。
観光客に混じりながら、浅間神社の境内に辿り着く。
 
白糸の滝から流れる清流
賽銭を入れ、鐘楼の大きな鐘を、思い切り撞く。
ゴワワ〜ン、ゴワワ〜ンと鐘の低い重層音が、奇岩の海に響き渡る。
そして、私の心にも、安らぎの音のようにしみいる。
やはり、鐘の音は、日本人の心の響きなのであろう。
巨大な奇岩の海に屹立する朱色の神社、浅間神社に参拝。
神社の展望台から見渡す奇岩の海。
江戸時代、浅間山が大噴火。
掃きだされた火山岩のおびただしい数々。
自然のすさまじい力、自然の神々しいほどの威力、自然のすさまじさに圧倒される。
 
爽やかな初夏の渡る風は清々しい。
遠くに、幾重にも、霞みながら、山々の稜線が連なる。
明るく輝く空には、大きな雲海が白くたなびく。
古来より、変わらずにおとづれる夏。
今年も、すでに、半年を過ぎた。
こうして、二人で、小さな旅を楽しませてもらう事は、なんて幸せな事だろうか。
もっともっと、大きな大きな旅は幾らでもある。
でも、自分たちの計画した旅を、心おきなく、満足し、充足できることも幸せな事であろう。
  
幾筋にも、流れ落ちる、白糸の滝
鬼押し出し公園を出て、鬼押しハイウェエーを下り、軽井沢へ。
暫らくして、ハイウェーを出る。
旧軽井沢の懐かしい高原風景。
深い木々の陰影。
木漏れ日が道路にこぼれ、大きな格調のある家々。
なだらかなカーブの下り道、白糸の滝の表示があった。
まったく知らない滝の名前。
別に、これから、あてがある旅でもなし。
軽井沢で、遅い昼食をとって、東京へ帰るだけ。
新緑も美しい、軽井沢の木々
駐車場は無料とはありがたい。
車を停めて、案内板に従い、川沿いの砂利道を進む。
昨日の雨が残り、道は濡れ、木々からは、ミントのように、爽やかな香が漂う。
道沿いの清流は、心地よいリズムのせせらぎ。
なだらかな、登り勾配。
200メートルほど進むと、正面に、深く静謐な森の中、白糸の滝があった。
それ程高くはない垂直な岩肌を、糸のように細い滝が、無数に流れ落ちる。
戦に破れ、国を負われ、落ち延びた一族の悲しみ、細く長く、幾筋もながれる涙のようで物悲しい。
湖面の水は、氷のように冷たかった。
  
横川へ 飛ぶように売れてた釜飯・横川PC
草津から白根のたびも、この白糸の滝で終る。
軽井沢で遅い昼食をとり、国道18号から、横川ICで上信越道に乗り、関越へ入り、一路東京へ向かう。