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柿田川湧水公園 |
携帯に連絡が入る。
秩父から到着まで、まだ時間があるようだ。
ママの計画した、「柿田川湧水公園」へ向かう。
沼津から10分程のところにある。
実際は、道に迷ったので、もう少し、時間オーバーなのだが。
公園は閑散としていた。
入口から公園の遊歩道へ。
傘をさしながら、森閑として肌寒い木々の冷気を浴びながら進む。
雨に木々が打たれ、森の木々の精霊の香気が充満している。
おぞましい人間の滓を、洗い流してくれるようで気持ちよい。
富士山から湧き出る清冽な水の中、育つ草花は生き生きとして美しい。
水辺に咲く黄色い菖蒲が、楚々として可憐。
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堂ヶ島の遊覧船 |
雨に濡れた遊歩道を行くと、広い川が流れ、晴れているなら、川面はきらきら輝いているのだろう。
その向こうには、きっと、秀麗な富士山が見える。
木々に囲まれた道を進むと、小さな湧水池があった。
水は綺麗に澄み、遠くで鳥の鳴き声。
新緑の芽吹き、雨に濡れて緑が冴える。
雨に煙る木々の香気に誘われながら、階段道を歩くのは楽しい。
小さな湧水公園を、ぷらぷらと一回りの散策。
そろそろ、沼津市場に集合の時間。
すでに、一時丁度のお昼時。
秩父と東京はうまく合流。
上尾ティームは少しの遅れで、私たちは先に食事。
この前来た時は「千本一」で、地魚の鮨定食を食べた。
今日は、漁師鮨のうたい文句「武田丸」
さすがに、昼時、混んでいた。
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遊覧船から見た島々 |
しばしの待機。
八人の席が空き、座敷へ。
刺身の豪華な定食。
マグロの丼セット。
それぞれが、好きな料理を注文。
出てきた料理は、どれも新鮮でうまそうだ。
でも、魚市場のすぐ隣だからと言って、けっして、値段が安いわけではない。
たしかに、ネタは良くて、新鮮。
このあたりの料理屋、漁師料理でネタが良いで、繁盛しているのだろう。
しかし、サービスは、けっして良いといえない、どこかぞんざいな感じ。
見たところ、ほとんどが県外。
やはり、観光地の強みなのか。
私は、静岡名物の生シラスに、生の桜海老、そして、大トロの握り。
生シラスたっぷりの軍艦巻き。
ぷりぷり、ぷちぷち、口にふくむとぷちょっと弾け、さすが新鮮。
酢飯の相性も抜群。
ほんのりと薄桃色の桜海老。
つるりとした感触。
ぷちっと口に含むと、甘い海老の旨味が口に広がる。
甘海老よりはあっさりしてるが、なかなか気品のある味わい。
長さ一センチ五ミリ位の海老なのだが、高雅で気品がある。
店の中の賑わいも、だいぶひけてきて、空席もちらほら。
上尾ティームも目出度く合流。
食事も済ませ、いよいよ、土肥のホテルへ向かう。
天気は回復する兆しもない。
せめて、本降りにならなければと妥協の心境。
ここから、堂ヶ島まで何処を見学する事もなく、三台の車は、一路西伊豆路を南下する。
初夏の136号線。
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ホテルから眺める、土肥港 |
雨に煙る色とりどりの木々の緑は、日一日、色彩も鮮やか。
この道を、去年から今年にかけて、何回通ったのだろう。
眼下に見渡す広大な駿河湾。
しかし、今日は、水平線も見えず、灰色の空、煙る霧、どんよりと群青色の海が広がるだけだ。
小高い伊豆の愛くるしい山々。
トンネルを越えるたびに、伊豆の里山は鄙びて、懐かしい日本の風景の趣きを増す。
雨で増水した、狩野川の清流。
彼方に煙る伊豆の山々。
山間の道を登りつめると、霧に煙る駿河湾が大きく広がる。
快晴ならば、まさに、風光明媚な絶景なのだが。
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豪華な料理 |
どでかいアワビ |
戸田を過ぎ、恋人岬を過ぎると、やがて、懐かしい堂ヶ島に到着。
加山雄三ミュージアムに駐車。
さすがに雨、閑散としている。
でも、交通整理の叔父さん曰く、少し前までは、人でごったがえしていたとのこと。
加山雄三のサイン会があって、ファンが大勢詰め掛けていたそうだ。
私たちは地下道を抜け、チケットを買い桟橋へ。
相変わらずの小糠雨、五月雨、菜種梅雨か。
快晴なら、デッキでの眺望を楽しみたいところだが、今日は無理。
やがて、観光船はゆっくりと向きを変え動き始めた。
船内に流れる説明を聞きながら、船は海に浮ぶ奇岩や岩礁の間を滑りぬけてゆく。
船の窓越しに見る景色、いがいに美しい。
波の飛沫を窓辺に受けながら、遠くに奇岩の数々。
やがて、天窓洞へ。
エンジン音は洞窟の中で、不吉な響きを奏でる。
やがて、光がぱっと燐光のように煌めき、海水はエメラルドグリーンに輝く。
閉ざされた洞窟に、一閃の光り。
海に映し出される光の静寂は幻想的。
やがて、船は岩窟を抜け海上にでる。
狭い岩穴から抜け出したせいか、駿河湾の広さ青さが目に焼きつく。
雨はいぜんと降り続ける。
海上に屹立する奇岩の数々は遠ざかり、堂ヶ島の桟橋がだんだんと近づいてくる。
20分の遊覧は終った。
でも、時間以上に、充分に、奇岩めぐりは堪能できる。
すでに、時間は5時を回っている。
途中、ガラスのミュージアムへ立ち寄り、目的地桂川シーサイドホテルへ。
ホテルの全室から、土肥の港を一望に出来る絶好な立地。
部屋に入り、一休みして、夕飯まで、温泉にのびのび浸かる。
大浴場はとにかく広く、ゆったりとしている。
他に客も殆どおらず、手足を大きく伸ばし、彼方、土肥の港を見渡す。
隣には露天風呂。
木々に囲まれ、雨に濡れた木々からは、精妙な香気が流れる。
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息もぴったり、三橋さんのデュエット |
私も、久々のカラオケ |
そして、七時。
我らの夕食の宴が始まった。
席毎に刺身は豪華船盛り。
有頭海老の刺身。
天麩羅。
酢の物。
和え物。
塩辛。
名物のトコロテン。
茶碗蒸。
茶蕎麦。
etc
圧巻は、アワビの地獄焼き。
大きな丸のアワビが鍋に。
蓋を開けてみると、生アワビが蓋にくっつき、もぐもぐ動いている。
中には、サイコロほどのバターが。
火がつけられ、やがて、鍋が蒸気で充満。
蓋を開けると、フワーっと蒸気が立ち上り、バターの香が広がる。
ナイフいれると、すーっと身が切れる。
口に入れると、磯の香とバターの芳香が交じり合う。
噛めば、身は程よく柔らかく、アワビの甘さと磯の香が、口の中にじゅわーっと広がる。
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祭り男、昌士さんの秩父音頭 |
音頭につられ、踊り始めた、福島夫妻 |
美味しい料理に、旨き酒。
そして、楽しい親戚との語らい。
やはり、多くの心を許せる友と過す宴は楽しい。
酒も入り、宴も佳境に。
次々と、壇上では、カラオケで熱唱の数々。
私も、久しぶりのカラオケ。
たまに歌うせいか、なぜかいまいち声の伸びが悪い。
でも、気兼ねなく、心許せる友と、思い切り、声を出すのは楽しい。
若者達の歌は、私の知らない歌が殆ど。
私ももそこそこ、世間知らずの浮世離れか、浦島太郎。
秩父夜祭・本町連の昌士さんが皆野音頭を歌えば、福島夫妻が踊り始めた。
まだまだ一歳にも満たない赤ん坊の泰杜君、泣かずぐずらずとても元気だ。
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新潟の佐渡ヶ島から駆けつけた、朝日診療所の堀院長の、みごとな美声が響く |
にこにこの笑顔可愛く、今日はみんなのアイドル。
宴会も二時間経過した頃、秩父夜祭でお世話になる、朝日診療所の堀さんが登場。
昼の三時まで、新潟県の佐渡ヶ島で診療。
そして、水中翼船で新潟へ。
上越新幹線で東京。
そして、伊豆急で修善寺へ。
そこから、タクシーを飛ばして三十分。
やっとのことで、この時間に辿り付いた。
なんとも忙しい一日。
駆けつけ三杯。
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ホテルからの、朝の眺め |
料理をつまんで、早速カラオケ。
旅の疲れも吹き飛ばす、見事天晴れな歌いっぷリ。
伸びのある高音。
豊かな声量。
堀さんをまじえ、カラオケ大会はいよいよヒートアップ。
貸切の宴会場、土肥の夜はとっぷりと暮れた。
気がついてみれば、なんと11時。
そろそろの終宴にしなければ、明日が大変。
部屋に帰り、再度の賑やかな飲み直しで長い一日は終った。
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ホテルの玄関、全員集合 |
翌日、朝風呂を浴びながら見る土肥の港は、かすかに霞んで見える。
快晴とはいかないが、何とか最悪の雨は避けられそうな空模様。
広い大浴場には人もいず、温泉にゆったり浸かり、足を伸ばして、大きく深呼吸。
ざぶーっと頭からお湯を浴びると、体中にエネルギーが呼び覚まされるようだ。
風呂上り、大広間で、朝食はバイキング。
私たちが食堂についた頃、すでに仲間たちは食事を済ませていた。
昨日、飲みすぎたわりに、食欲があるのは嬉しい。
私は、野菜やフルーツ類をたっぷり取り、まずはエネルギーの補充を充分に。
部屋に戻り、一休みして、10時前にはチェックアウト。
ロビーで、船の時間潰しをして、土肥港のフェリー桟橋へ。
すでに、桟橋では、フェリーに乗り込む車の長い列が出来ていた。
出航は10時50分。
暫らくすると、乗船時間がやってきた。
車は次々と船の中に吸い込まれてゆく。
これから、清水港まで、65分の船旅が始まる。
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いよいよ、フェリーへ |
フェリーから見た、ホテルの全景 |
遠ざかる、土肥港 |
ボーっと汽笛が咽び、ドンドンドンとエンジンの音が重低音で響く。
桟橋を船は離れる。
一夜過した土肥のホテルの遠景。
土肥の港から、船は群青の海に、白い一筋の航跡を残しながら進む。
空は曇り、霧に霞むように、巨大な雲が流れる。
すでに、土肥の港は遠く、伊豆の小高い山が眺められるだけだ。
広い船室から、デッキへ。
階段を登り最上階へ。
風は冷たく強い。
船は、ゆったりと、右に左に微かに揺れる。
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駿河湾に浮ぶ富士山<画像をクリック>⇒拡大 |
フェリーのデッキ |
船は一路、大きく海を切り裂くように清水港へ。
すでに、航海の半分は通過したのだろうか。
進行方向右手に、巨大な雲海の彼方、大きな雪をいただいた富士山が見える。
富士山の長くなだらかな裾野は、雲と霧に隠れ、3合目辺りから上の部分が顔を出している。
どんよりと、弱い陽光に照らされた雲海の微かな輝きに、巻かれるように、富士山の山容。
晴れているならばと、ついついないものねだりも仕方がないほどの絶景。
陽光に輝く富士山が、煌めくエメラルド色に輝く駿河湾を抱くように、どっかと佇む姿は、蜃気楼のように美しいのだろう。
生憎の曇天、雨でないだけまだましと、仕方なく、寂しくも納得。
でも、自然というものは、どんな状態でも、そこには、厳然とした美が存在する。
味わう側、観賞する側の心により、今ある姿と向き合えば、
そこには、そのときしか味わう事の出来ない、一期一会の美を楽しむ事が出来る。
大きな雲海はますます大きく流れる。
富士山は雲に巻かれ、消え入りそうになるが、さすが霊峰、荘厳なまでに輝く。
昔は田子への航路があって、富士山を正面に、富士山に向かって進むさまは、原語に尽くせぬ素晴らしさだったらしい。
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微かに見える、富士山を背景に |
しかし、利用客も少なく、残ったのは、清水港一本の航路。
富士山と並走していた船は、いよいよ、清水港に近づいて来た。
遠くには港の港湾施設が建ち並ぶ。
左手には、三保の松原が細長く広がる。
港に近づくにつれ、海の色はだんだんと暗く、群青色に黒色が増す。
海がだんだんと汚れていくのがよく分る。
自然は破壊されてからでは間に合わない。
自然に対しては、何時も尊崇と畏敬の念をもっていないと、何時か必ず逆襲される。
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フェリーの船内 |
フェリーから眺める、三保の松原 |
清水港 |
時間通り、65分の船旅はあっという間に過ぎた。
フェリーは港に入り、私たちは清水に上陸した。
これから、三保の松原を通過して、徳川家康の菩提寺・久能山に向かう。
天候はだいぶ回復して来たが、まだまだいまいちの空模様。
ナビゲーション付の秩父の車が先導役。
清水港からは距離は10キロあまり。
時間にすれば30分ほどだ。
しかし、車のナビは意外にお馬鹿。
あれあれ、まあまあで静岡の駅近くまで来てしまった。
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ロープウェイ東照宮駅からの眺め |
東照宮の桜門と急峻な階段 |
途中で停車し、戦略の建て直し。
やっとの事で、日本平に到着。
大きな富士山が、薄もやの中、雲海に包まれるようにして、威容を誇っている。
ここから見る富士山は日本一の誉れが高い。
堂々として、優雅にして、優美。
威厳があり、神々しささえ漂う。
ここから、登りののなだらかアスファルトの道を進めば、
目的地の久能山・東照宮へ。
そして、ロープウェイ乗り場に到着する。
道の終点は広い駐車場。
そして、ロープウェイの乗車駅日本平。
我々は、往復1100円のチケットを買い乗り込む。
するすると、久能さ山に向けて5分の旅。
前方には、山の頂上辺りに寺の屋根。
その向こうには、駿河湾の紺碧の海。
そして、空は何処までも蒼く、空の雲海も輝く。
眼下には、深く切り立った谷。
新緑に光る深い木々の中、淡い紫色の藤花が、ひそやかに、そして、艶麗に咲いている。
ケーブルを降りて、東照宮へ。
楼門へ向かう道、入場料が350円とは驚き。
チケットを購入してなかへ。
急な階段を登ると、江戸時代に創建された由緒ある山門。
潜って、更に進むと金と朱に彩られた本殿がある。
社殿で観光客に説明する人、参拝する人。
さすが、徳川家康の菩提樹。
こんな天気でも、訪ねる観光客もそこそこにいるからさすが。
参拝をして、家康の墓所まで、工事中の特設の木の階段をのぼる。
木々は深く、森厳。
ひんやりととした杉の木立の中、墓所があった。
柵に囲まれた墓所は、威風堂々、そこに、家康が眠っている。
手水鉢の後ろには、大きな杉の木、「金のなる木」。
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家康公の霊廟 |
金のなる木と手水舎 |
三本の金のなる木 |
昔、家康が家臣達に語った。
自ら三本の木の絵を描き、「よろづ程のよ木」「こころざしふか木」「しょうじ木」と書き、
これを心掛ければ必ず富貴を得られると。
そして、三代将軍家光が植樹したのものが現在にいたる。
樹齢300年を越えるこの杉に、人々は幸運の願掛けをするようになる。
信仰心の薄い我々、金のなる木と聞いて、願掛けをしたのは勿論のこと。
朝のチェックアウトから、すでに、5時間は経過。
ロープウェイで下り、あとは、東名の道中。
途中、富士川のインターで、みんなで食事をして別れた。
天候には恵まれなかったが、それはそれで感動満載。
また、何時の日か、皆で愉快で気ままな旅をしたいもの。
子の権現へ
2006.5.8(月) |
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秩父のママの実家で一泊。
昨日とうって変わって、今日は晴れ。
芝桜でも見物したいところだが、許せる時間の余裕無し。
昼過ぎに実家をたち、芝桜に未練を持ちながらも帰路へ。
何時も気になる、吾野あたりの標識、子の権現。
今日は、思い切って出かけてみる事に。
子の権現、平安時代に創建された。
正式名は天龍寺だが、子の権現と呼ばれひたしまれている。
飯能の手前、吾野から右に折れ、なだらかに傾斜する、川沿いの山道を進む。
道はだんだんと細く、人里も離れ、傾斜も急になる。
森は森閑とし、木々の樹影も深く、木漏れ日が樹林の緑を際立たせる。
ますます細く、急峻な道を進むに従い、天候も少し危うく。
やがて、霧が深く垂れ込め、視界も頼りなくなる。
グイーン、グイーンとエンジン音を響かせながら、登る道はますます険しい。
すれ違う人もない、寂しい山道。
東京から、幾ばくもない距離。
信じられないような秘境のおももち。
道は一本道。
間違いなく、子の権現には到達するはずなのだが、やはり、一抹の不安がよぎる。
かなり、霧が深く、車のフロントガラスを、ワイパーで拭い去るほどに深い。
蛇行しながらの、かなりの急勾配の道を進みきったところに、子の権現の駐車場があった。
車を止め外へでる。
山頂の冷気が、肌を刺すほどに冷たい。
足元を灰白色の霧が、ゆっくりと、悠久の時を流れていく。
権現様の山門まで、登り道を歩く。
山の霊妙な香気が身体を包み、都会の垢を洗い流してくれるようで清爽。
茶店が二軒。
しかし、すでに、店じまいを始めている。
月曜日の三時すぎ、客などいるはずもない。
前方には大きな格式のある山門。
それを、まもる大きな仁王様がどっかりと二体。
山門を潜り中へ。
正面に、茅葺屋根の本坊。
左手の谷は深い奈落、厚く垂れ込めた霧の中、杉や竹や檜が幾層にも重なる。
深山幽谷、山水画の世界。
幻想的で幽玄。
思わずの感動。
寄り道した感慨も深い。
本坊の前の階段を上がると本殿があった。
朱色の建物はまだ新しく、深淵で幽玄な風情には、少し似つかわしくないおももち。
手水鉢で手を清め、本社に手を合わせる。
別に神仏を信じている訳でもないのだが、素直に祈れるから、日本人は不思議だ。
このいい加減さ、おおらかさがあったからこそ、西洋史における、凄惨な宗教戦争が起らなかったのだろう。
境内には、大きな大きな特大の金の草鞋。
その横には、やはり特大の夫婦下駄。
子の権現は足腰の神様。
この険しい山稜を上り下りすれば、黙っていても、足腰は強くなる。
霧はさらに深く、山々の暗色はつよく、霊妙な冷気は香る。
想像以上に幽玄な子の権現、何時の日か、ゆっくりと、自分の足で登ってみたいもの。
秩父の新名所・羊山公園に出かける。
生憎の雨模様。
秩父駅から、車で、10分ほどで公園に着く。
街道には、芝桜の立看板やら、案内の標識やらで賑やか。
標識に沿って進む。
整理券をもらって、特設駐車場に駐車。
傘をさしながら、公園に向かう一筋の、なだらかな登り勾配の道を進む。
そぼ降る霧雨に、新芽の緑も鮮やか。
道を登りきると、彼方一面に、色彩鮮やかにの芝桜。
雨にぬかるんだ赤土の道を、花の精華に誘われるように逍遥。
見事に咲きそろう芝桜の饗宴は、想像以上の美しさ。
雨交じりの肌寒い一日。
それでも、多くの見物客が訪れている。
花の盛りはすでに過ぎているようだが、名残の芝桜も見事。
6年くらい前、ある鉱泉旅館の主人のアイデアで始まった芝桜園。
今では、秩父の春の新名所。
多くのお客様を秩父へ誘う。
町おこし・村おこし、素晴らしい、魅力あるアイデアの威力はすさまじきかな。
広場の売店で、生ビールを飲む。
快晴ならば、燦々と照りつける太陽を浴びながら、飲むビールはさぞかし。
肌寒い雨交じりの秩父。
冷えたビールの今日の味、身体にしみる。
秩父名物の岩魚鮨を食べながら、クルミ豆腐をつまみ、何を見るとなくビールを飲む。
酒を飲めないママは山菜おにぎりと舞茸うどん。
肌寒い山間の一日、暖かいうどんは美味そうだ。
時計はすでに、3時過ぎ。
まだ時間に余裕がある。
芝桜に別れを告げ、私たちは「美の山公園」へ。
来た道を戻り、皆野方面へ。
黒谷の奥。
整備された道を登る。
雨に濡れた木々は、どこか寂しそうな佇まい。
道は急峻な登り勾配。
遙かなた、秩父の山稜。
山々に抱かれるように秩父の街が、霧に霞みながらも見える。
晴天ならば、格別な眺望。
雨降りで口惜しい限り。
この道を登りきったところが、きっと目的地なのだろう。
すれ違う車もなく、勿論、民家や旅館もあるはずもなく、少し不安がよぎる。
ただ、道なりに登れば着くはず。
切なく響くエンジン音。
「美の山公園」は山頂にあった。
車を停めて階段を登る。
雨足は急に激しく、傘に落ちる音は不規則なリズム。
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家の前の藤は満開 |
夕暮れ時の山々 |