小さな旅&日記


伊豆の大瀬崎&堂ヶ島
2006.3.26(日)ー27(月)

沼津市場 土産物屋 食堂市場
東京を正午頃出発。
東名の沼津インターをおり、沼津で昼食。
すでに、3時を回っている。
まずは、沼津漁港の魚市場場外で食事。
学校も春休み。
家族連れやら、観光客やらで何処の店もごった返しだ。
少し待って、「魚河岸・かもめ丸」へ。
店は完全に満席状態。
店のお運びのおばちゃん達は大忙し。
この時間、食べ過ぎても、旅館での食事が食べられなくなる。
丁度手頃な鮨がメニューに。
地魚11貫盛りで¥1600。
量も値段も手頃。
強い浜風は寒い。千本浜のママ
小ぶりの酢飯に、新鮮な地魚が、たっぷりっとのっている。
どの鮨も、口に入れると、しっとりとしていながら、噛むとぷりっとしている。
透き通ったイカは、ねっとりと、口の中で絡みつくようだ。
沼津名物の生シラスの鮨は絶品。
抜けるような銀色。
口にふくむと、つるり。
噛むと、音がするようにぷち!
淡白な味の中、ほんのりと磯の香、甘味がたゆたうようだ。
味噌汁も、具はアサリで、出汁もきいてて美味しい。
さて、遅い昼の腹ごしらえもすました。
これから、近くの千本浜公園へ。
距離的にはすぐ近くの筈なのだが、少し道に迷う。
来た道を引き返し、山勘で進む。
最近は旅なれたせいか、何となく、方向感覚が先鋭になってきたみたいだ。
松の生い茂る道に出る。
千本松原にて
さらに進み、右に折れると、そこに浜があった。
浜沿いに、広い松林が続く。
車を止め外へ。
浜の堤防に上がる。
駿河湾からは、強い風が吹き付けている。
犬を連れて散歩する人。
浜辺をウォーキングする人。
のんびりとした海辺の光景。
春の靄が掛かり、遠くには半島が彼方に連なる。
快晴なら、この海の何処かに、大きな富士山が見えるのだろう。
浜から離れ、松の林へ。
強い海風に吹かれる松は、しなやかに樹体をくねらせ、不思議な色気さえ感じる。
木々の木霊や、風にそよぎ囁く森の声を、体いっぱい浴びるだけで、心身がリフレッシュする。
森閑とした樹林を進むと、偶然にも、若山牧水の碑に遭遇。
旅と酒を愛した歌人牧水は、この地に出会い、沼津を愛し、ここで生涯を閉じた。
ぷらりぷらりの松原の散歩。
駐車場に戻れば、すでに、駿河湾の海は輝きを失いかけていた。
これからさらに、県道17号線を南下しなくてはいけない。
目的地は淡島シーパラダイスの予定だったが、時間的に今日はパス。
今日、泊まる予定の大瀬崎へ向かう。
駿河湾の海岸線は美しい。
向かうは大瀬崎。
県道17号線は片側1車線。
行き交う車もそこそこ。
行楽シーズンの到来なのだろう。
海沿いの道を進むと漁師町が所々出没。
さらに進めば、道はだいぶのくねくね折れ曲がる峠道。
咲き始めた、いろとりどりの山桜越しには、駿河湾が見え隠れする。
日は大きく傾き、広がる海はどんよりとした群青に変り始めた。
車線は1車線の九十九道。
対向車が来たら、どちらかがよける細い道。
秩父育ちのママ、畏れも知らずすいすいと、車をとばす。
慣れというものは、事ほどさように強いきの。
大瀬崎の海岸 夕暮れ時、大瀬崎の神社の裏海岸にて
やがて、大瀬崎の標識が出現。
右にハンドルを切り、暫らく進むと、大瀬崎の海岸に出た。
そこに旅館もあった。
夕飯まで、まだ時間がある。
荷物を置いて、浜へ出る。
浜から岬に向けての一本の遊歩道。
海から上がってきたダイバー達とすれ違う。
大瀬崎はスキューバダイビングのメッカらしい。
この先に、神池があるとママが教えてくれた。
鬱蒼とした、海岸にへばりつくような森を進むと池が。
海から50メートルしか離れていないのに、完全な淡水の池。
伊豆の七不思議の一つのようだ。
境内の樹林 大瀬崎神社 たて看板
餌をあげると、大きな鯉がうようよ。
鯰や鮒もたくさん生息してるみたいだ。
神池の魚を捕ったものには、祟りがおこると、立て看板に書いてある。
この地特有のビャクシンの樹林を進むと、大瀬神社への階段。
急な勾配の階段を上ると、そこにはこじんまりとした社があった。
お賽銭を投げ入れ参拝。
すでに、日はとっぷりと暮れ、樹林の彼方の海の色は、黒色を帯びている。
海岸沿いの遊歩道を戻る頃、人影のない海岸端のレストランバーには、寂しげに明かりが灯っていた。
これから、一杯やりながら食事をとり、風呂に浸かって、明朝、堂ヶ島に向かおう。
朝の大瀬崎海岸。遠くに、うっすらと、富士山が見える
翌朝6時に起床。
まずは一風呂浴びる。
8時に朝食をとり、9時前には宿を発つ。
宿の女将さんが、土産にミカンをどっさりくれた。
さり気ない優しい気持、とても伝わる。
桜の花はかなり咲き誇る。
桟橋から浜に出る。
春うらら、春かすみだが、風は柔らかくそよぐ。
大瀬崎の浜、そして、遊歩道のかなたに細長く続く岬。
その上に、雪を頂いた大きな富士山がほの見える。
霞みさえなければ、素晴らしい富士山の姿を拝めた筈なのだが。
大瀬崎をあとに、我々は堂ヶ島へ向かう。
戸田に行く途中の展望台
海岸沿いの起伏の大きい峠道。
右手には、何処までも駿河湾が広がる。
片側一車線の狭い街道沿いの桜は、色とりどりに咲いている。
東京にいれば、桜といえば染井吉野の絢爛とした桜模様。
楚々として、控えめな、山桜の色合いは新鮮だ。
太陽が中天に上る頃、日差しはますます強く、上着は要らないほどに暖か。
西伊豆は、南に進むほどに、何処もが景勝地。
小高い山容、眼下に見渡す紺碧の海。
はるか彼方にには、湾曲する駿河湾が煌めく。
桜、椿、菜の花、パンジー、花々は百花繚乱のシンフォニー。
何処もかしこも、印象派の絵のように、光と影のシルエットは美しい。
出逢い岬から見た土肥の港 出逢い岬にて 出逢い岬からの遠望
きらきら陽光に輝く海を見ながら、かなり道を登りつめたところに、展望台があった。
カメラを三脚にセットして、写真を撮っている人もいる。
外に出てみると、日はさらに暖かく、風は肌を優しく包み込むように優しい。
遠くの海は、波もなく穏やか。
トンビが風に吹かれながら、くるーりくるーりと、気持よさそうに旋回している。
すでに、早やいもので11時。
西伊豆の光と風に誘われながらの旅は楽しい。
さらに南下して、戸田に向かう。
西伊豆の地名の読み方は面白い。
三津浜はミトハマ、戸田はヘタ、土肥はトイ。
こんな読み方が随所にある。
出逢い岬の像にて 桂川シーサイドホテルのロビーにて 記念の標識
さらに車は、春風に誘われながら、上りの峠道を進と、出逢い岬の展望台へ着いた。
整備された駐車場に車を止め外へ。
柔らかい風が彼方より吹いてくる。
風さえも春の陽光にひかり、楽しくさえずり、伊豆の小高い山々は笑っているようだ。
彼方、眼下には、土肥の岬や海岸が青々ときらめく。
昨日の天気が嘘のように、今日は快晴。
すでに、国道136号を28キロあまりも南下している。
これからさらに、土肥を抜けて進む。
さすがに、土肥は温泉地。
なかなかの賑わい。
日が落ち、暗くなれば、温泉街特有の雰囲気が醸し出されるのだろう。
レストランで、山葵ソフトを 山桜が満開 恋人岬への道
土肥の町を抜け、なだらかな勾配をカーブしながら進むと、桂川シーサイドホテルがあった。
5月の連休あとに、秩父の親戚の人たちと、総勢15人くらいで泊まる予定のホテル。
下見がてら、休憩もかねて立ち寄る。
フロントでパンフレットやら案内を聞く。
ソファーに腰を降ろし飲むコーヒーは美味しい。
最近は、何処で飲むコーヒーの味も、格別に良くなっている。
私たちが、嘗て飲んでいた、通気取りのコーヒーは、一体全体何だったのだろうか。
恋人岬の愛の鐘 パンジーも咲いていた 慎ましく咲く椿
一息ついて、次は、恋人岬。
伊豆の海はさらにきらきら耀きを増している。
道路わきの木々は薄緑にそよぎ、花々は賑やかに咲きそろう。
程なくして、恋人岬に到着。
さすがに、若いカップルが大勢。
展望台から見渡す伊豆の小高い山々、果てしなく広がる駿河湾は紺碧の輝き。
風は太陽に暖められ、爽やかにして穏やか。
近くのレストランに入り、かなたの景観を眺めながら、噂の「わさびソフトクリーム」を食べる。
ソフトクリ-むの滑らかな舌触りと甘さ。
すると、ぴりっと山葵の香がつんと鼻を心地よくつく。
いっけんミスマッチのようだが、以外にいけるから不思議だ。
楚々として咲く水仙 伊豆の山桜は爛漫
私はさらに岬の先へ。
ママはここでの日光浴。
細い上り道を進む。
岬に繁茂する木々から、森閑として冷ややかな木霊が、囁くようで気持が良い。
春の日、木々の木漏れ日がさし、森の陰影は濃く美しい。
穏やかな春日に照らされ、山桜花が青空一面に咲き零れている。
そして、咲惜しむカのように、季節遅れの椿が、深緑の葉の衣をまとい、鮮紅色に咲く。
道端には、黄色く楚々として、可憐に水仙が咲いている。
やはり、伊豆は花の山、花の峠、花の里なのだろう。
やっとのことで、鐘のなる展望台へ。
だいぶ登ってきたようだ。
山々や海がかなり遠くに輝く。
堂ヶ島の遊覧船 遊覧船にて 内浦に浮ぶ小島
さらに先には、展望台が見える。
恋人の名前を呼びながら、愛の鐘を3回鳴らすと、永遠の愛がかなうという鐘がある。
でも、ここからはるか先に見える。
私は来た道を、渡る薫風に吹かれながら、咲き誇る花々の道を下る。
さて、これから、最終の目的地、堂ヶ島に向かう。
ここからは、僅かの距離。
日は高く風は穏やか。
軽快に海岸線を飛ばす車は滑るように進む。
程なくして、堂ヶ島に。
道路わきの駐車場は一杯。
加山雄三ミュージアムに駐車場があった。
堂ヶ島の奇岩と洞窟
車を止め、ミュージアムの土産物売り場を見物しながら、遊覧船の船着場へ。
すでに観光客は乗船している。
私たちも舳先から乗り込む。
海の水は透き通り、よく見れば、たくさんの魚が泳いでいる。
船のエンジン音が大きくなり、岸を離れ入り江から駿河湾へ向かう。
海は穏やかで、何処までも青く、風は香るように吹き渡る。
内浦に浮ぶ大小の小島を抜けると、大きな広い駿河湾が輝く。
春霞み、どこかにも富士山の影は見えない。
しかし、湾に浮ぶ奇岩の数々。
船から眺める景観は素晴らしい。
波はなくても、さすがに、大海の小船、上下左右にに大きく揺れる。
船上にて 奇岩と小島
島々の名前、まつわる歴史などが船上に流れる。
やがて、遊覧船は洞窟に向かう。
悠久な気が遠くなるほどの時間、波により浸食され、削り取られた岩が洞窟となる。
垂れ込めた岩屋根、海水は暗く紺青に揺れる。
狭い海道を、揺られながら進むと、天上にぽっかりと大きな穴があき、ぱーっと光が射す。
上から多くの人が手を振っている。
ここが天窓洞。
そして、船は向きを変え、戻りの道へ。
暗く狭い洞窟の中、船の操縦は至難の業。
やはり、プロの熟練の技は、どの世界でも素晴らしい。
天窓洞の中で
奇岩から海に出た瞬間、海の輝き、空の光が眩い。
駿河湾の陽光に照らされる、大小様々な奇岩をあとに桟橋に到着。
所要時間20分の島巡りだが、想像以上、なかなかの感動もの。
桟橋へ到着。
船から見た奇岩にはたくさんの人たちが遠望出来た。
私たちも奇岩へ続く道の急勾配の道を登ることに。
かなりのきつい勾配。
でも、老若男女、すいすい登っていくから、みな元気。
左手は断崖絶壁。
彼方には、先ほど廻った島々も見える。
天窓洞を遊覧船で 上から見た、天窓洞 桟橋の近くで
やがて、下りの階段。
降りてゆくと、大きな岩窓。
船のエンジン音がする。
ここが先ほどの天窓洞。
船の人たちが手を振りながら通り過ぎる。
上から見ると、洞窟はかなり広く、船も充分に余裕がある。
やはり、人は見る位置、感じる場所で、まったく違う体験をする。
私たちはさらに下ると、もと来た建物の前に辿り付いた。
建物の中、少し見学したが、見るべきものもなく、閑散として殺風景。
奇岩散策は、想像以上、かなりの運動量だった。
天窓洞に行く途中の展望台にて
すでに2時、時間遅れの昼食を、加山雄三ミュージアムでとる。
ママは一日20食限定の堂ヶ島御膳。
私は生ビールを飲みながらどんぶり茶付け。
堂ヶ島御膳、なかなか品数も多い。
伊豆名物の金目鯛の煮付けもアッサリ味でいける。
地魚の天麩羅、小鉢、塩辛、茶碗蒸、などなど。
そして、アサリの白味噌仕立てにご飯。
私はかつおのたたきのどんぶり茶漬け。
固形燃料で暖められた、薄味のだし汁を、鰹のたたきのったご飯にかける。
レストランンは家族連れや団体客で大忙しの盛況。
サービスの方たちは年配の方々がおおく、さり気なく親切なもてなし。
展望台からの眺望 下り階段も急だ
二日間の西伊豆の旅も終わった。
これから北上して、三島から裾野に出る。
裾野は富士山の裾野。
日本一大きな富士山が見えるらしい。
今度の伊豆の旅はとても楽しく心地よく満喫できた。
伊豆は何処も穏やかで美しい。
そんな温暖で、風光明媚な土地に育っているせいか、土地人はみな親切で優しいような気がする。
そんな伊豆の人たちの心根の暖かさや温もりが、旅人への何よりの贈り物。
しかし、今回の旅で、唯一つ、残念なことは、駿河湾に輝く銀嶺の富士山を見れなかった事だ。
天窓洞の案内板の前にて 加山雄三ミュージアムの昼食

柳家獅堂真打昇進披露宴
2006.3.12(日)

鈴々舎馬風師匠と柳家獅堂さんのお迎え
昨昨日は帝国ホテル、今日は京王プラザ、忙しい日々。
京王プラザも懐かしい。
昔、京王プラザが誕生した頃、何回か、フレンチのサービスに来たことがある。
社員食堂が8階あたりにあり、遙かなたに富士山を見ながらの食事は、何所のシティーホテルより豪華だった。
今日は、柳家風太郎さん改め、柳家獅堂さんの真打昇進披露宴が12時に開宴。
どうも、12時という時間、我々夜型人間には、けっこう一大事。
それなりに、遅刻しないように、前日は緊張する。
なんとか、雨も降らずに、そこそこの好天気でなにより。
5階のエミネンスホールへ。
堂々と入場 鈴々舎馬風師匠の祝辞
そろそろ、招待客も集まり出している。
受付には、今日も鈴々舎風車さんがいた。
私を見て、ニコッとする笑顔が、若者らしくて好きだ。
昨日の会と今日で連日会う。
でも、昨日は手伝い。
今日は、兄弟子の昇進パーティー。
こまごまと、リスのごとく、フットワークが軽快。
「ガッポリ建設」のばか正さんもいた。
話しをするのも久しぶり。
相変わらず背が高い。
だんだんと、賑やかになってきた。
獅堂さんを囲んで、記念写真を撮っている人たち。
獅堂さんの気さくなところが良いところ。
名付け親の三語楼師匠
さて、いよいよ開宴。
師匠の鈴々舎馬風さんと獅堂さんが金屏風の前でお迎え。
お祝いの挨拶をして中へ。
中ほどの、円卓に座る。
今日も、区会議員の小野さんと同席。
どうやら、今日はビュッフェスタイル。
昔ながらの知り合いも、たくさん出席していて懐かしい。
10年ぶり位のの人もいる。
みんな、獅堂さんの昇進を祝って来てくれたのだ。
司会は大先輩の兄弟子、全亭武生さん。
看板と垂れ幕
津軽三味線の名手、太田黒元九郎さんの三味線の、激しくも晴れやかな三味線の音と共に開宴。
開宴の挨拶。
そして、師匠の鈴々舎馬風さんが挨拶。
いっぷう変った芸風の獅堂さんには、ほどほど手を焼いて、何度、破門しようかと思ったそうだ。
そこを、女将さんが、「あの子は、あれで、良いとこあるのよ」と、かばったおかげで今日があると、ユーモア混じりに語る。
そんな、風太郎時代を回顧しながら語る言葉に、獅堂さんへの、弟子への深い愛情が垣間見れる。
獅堂さんは、何時か、きっと、大輪の花を咲かせるだろうと、おおいに期待しているみたいだ。
やはり、手を焼く弟子には、より厚い思いがこもるのかもしれない。
ユーモア溢れる語り口調のなか、ひとり立ちする獅堂さんへの思いが溢れる。
鏡割り 会場風景
そして、壇上には、こも被りの日本酒が運ばれる。
関係者によって、木槌が打たれる。
目出度く鏡割り。
会場にも酒が運ばれる。
乾杯の音頭は、昔からの付き合いの藤原組長。
身体に似合わず、かなりのあがり性。
軽い乾杯の辞のあと、乾杯。
賑やかに開宴した。
昨日の襲名披露宴とは、招待客の顔ぶれといい、服装や雰囲気がまったく違うのも面白い。
一番右にピーポッポの文字 立派な垂れ幕
宴はだいぶ盛り上がってきた。
獅堂さんの名付け親、三語楼師匠が登壇。
獅堂になった経緯やらを、噺家らしく、軽妙洒脱な語り口調はさすが。
しかし、それ以上に、自分の宣伝をするところが心憎い。
三語楼師匠は、今年の九月に大名跡・六代目小さんを襲名するそうだ。
そして、襲名披露も、ここ京王プラザをの予定。
さすが、なんでもありが、獅堂さんのモットー。
次々に、余興が繰り出される。
歌舞伎町で相撲茶屋を経営する、元幕内・栃桜関による相撲甚句。
昨日は、元幕内・大志関による相撲甚句を聞いた。
相撲甚句を歌う、栃桜関 絶好調のきみ麿さん
元力士の立派な体躯から放たれる声は、伸びやかで華がある。
広い場内に、声は吸われることもなく、 鍛えられた肉体に、艶やかな声が共鳴しながら、朗々と響き渡る。
そして、当代きっての人気者、鈴々舎一門の、綾小路きみまろが登場。
鈴々舎一門に入った経緯やら、獅堂への、ちょっぴり山葵の利いた祝辞を。
そして、それからが彼の笑いの独壇場。
リズミカルで軽妙な語り。
軽やかな身のこなし。
さすがに、テンポ、リズム、身振り表現、どれをとっても切れがよく爽やか。
人情溢れる語り口はさすがの一言。
私も、バーテンダー、語り口調はおおいに参考になる。
やはり、人を惹きつける話術は、成る程、さもありなんと敬服のいたり。
かつて、一世を風靡した、内藤陳さんの挨拶とガンプレー
次には、昔懐かしい「トリオ・ザ・パンチ」の内藤陳さんが登場。
現在は、新宿ゴールデン街で「深夜+1」を経営。
とに角、凄い速読で有名。
冒険小説協会なるものの会長もしている。
ガンベルトを片手に、軽やかに、颯爽と舞台へ。
語り口調は昔のまま健在だ。
しゃくれ顎から繰り出す言葉は、長い芸能生活の深い滋味が溢れる。
そして、得意のガン裁き、見事!。
現在は、披露する事もない技なのだろうが、お茶の間の超人気者だった頃を彷彿とさせる。
ある極みまで辿り付いた技や技術、錆びつくこともなく、一生ものなのだろう。
いまだ現役、藤原組長 関節技は効いた
好きな料理を食べながら、美味しい酒を飲み、愉快な友と語る時ほど楽しい事はない。
様々な料理を堪能しながら飲む酒は格別。
すでに、宴も終章に近づいている。
藤原組長が壇上へ。
私の店の新年会で、ガチンコの竹原慎二さんや、組長に来てもらってからの再会になる。
すでに、8年くらい経っているだろうか。
ちっとも変わりなく元気いっぱいだ。
歳も私と同じくらいだったはず。
陶芸をやったり、絵を描いたりで、なかなかの才人。
奥さんは長身で金髪のドイツ人だった。
今日は余興で、プロレスの熱狂的ファンの獅堂さんへ、祝福の関節技をプレゼント。
獅堂さんは本気印の苦悶の表情。
勿論、手加減はしているはずだが、がっちり決まれば痛さは必定。
お女将さんの熱唱 鈴々舎一門勢揃い
そして、お世話になりっぱなしの、女将さんが舞台へ。
馬頭、風太郎時代、今では、泣き笑いの過去の経緯、しくじり、悪意のない嘘などの話しには、成る程と納得。
師匠と女将さん泣かせのしくじりの連続、さぞや、腹立ちも度々のことだったろうと推察。
しかし、今日、この日をもって、新しい船出をした。
そんな、柳家獅堂さんには、格別な思いがあるのだろう。
そして、女将さんが、歌を披露。
さすが、昔、女流講談師、歌手だけあってなかなか見事な歌いぶり。
そこへ、漫才師あした順子・ひろしの順子お姉さんが飛び入り。
即興で踊る姿は艶やかで、さすがどうにいってる。
昔かたぎの浅草芸人の真骨頂。
粋でいなせな踊りぶりは、芸の年輪を感じて味わい深い。
鈴々舎一門の挨拶 柳家獅堂さんの感謝の辞
やがて、閉宴の時が来た。
獅堂さんが神妙に感謝の辞を。
奔放磊落な獅堂さん、この時ばかりは少し緊張気味。
そして、今日は主役ながら、あちらこちらへの心配り。
さすがにタフな獅堂さんでも、だいぶ疲労の色は隠せない。
今日から、正真正銘の真打。
型破りの獅堂さん、獅堂さんならではの芸風を確立して、どでかい大輪を咲かせてください。

柳家甚語楼さんの真打昇進披露宴
2006.3.11(土)

土曜日は、柳家さん光るさん改め、柳家甚語楼さんの披露宴出席のため、帝国ホテルへ。
夜の5時半開演。
ゆっくりと余裕を持って出かける。
今日のように、いつも、ゆったりとした気持で、出かけたいものだ。
三田線の内幸町駅で下車。
まだ時間がある。
たまには、帝国ホテル前、日比谷公園でも散歩するか。
日は長くなったとはいえ、すでに日は落ち始めている。
暖かな一日ながら、日が翳れば、風も冷たく感じられる。
土曜の夕方、公園は人も疎らで、じつにのんびりと長閑。
さて、時間も5時を回った。
開宴の時間前には、充分の時間を持って行かなくては。
正面玄関から宴会場へ。
披露宴前の甚語楼さん 受付風景
受付前には、すでに、かなりの数の招待客。
私もさっそく記帳。
甚語楼さん、甚語楼の女将さん、そして、甚語楼の奥さん達が、お客様たちと談笑している。
待合はすでに大混雑。
やがて、開場。
長々と出来た、入場待ちの列に並ぶ。
入口の金屏風、権太楼師匠と甚語楼さんが、笑顔でお出迎え。
挨拶を交わしながら、中に入れば、大きな大宴会場。
私は席へ。
隣は、区会議員の小野さん。
長い付き合いだが、一緒の食事の席に着くのも久しい。
やがて、開宴。
権太楼師匠とお出迎え
司会は兄弟子の三太楼さん。
弟弟子の司会とあって、だいぶ気合が入っているみたいだ。
三太楼さんの名調子、師匠の権太楼さんと甚語楼さんが、堂々と入場。
大きな、祝福の万来の拍手が沸きあがる。
壇上に上がった師匠と弟子。
晴れがましい姿は見ていても晴れやか。
権太楼師匠の挨拶。
しん生師匠が愛した、甚語楼の大名跡、これからも精進努力んして、立派な噺家への抱負を祝辞に。
今日のこの日、弟子が真打に、晴れて昇進する事は、言下に言い表せない感慨があるのだろう。
時おり、胸に押し寄せる感激のせいか、言葉に深く詰まる事さえあった。
現代を代表する大御所も、やはり、弟子のひとり立ち、様々な思いが交錯するのであろう。
こんな現代の殺伐とした社会、師弟関係は人情が溢れて美くしい。
壇上には、落語協会副会長の鈴々舎馬風さんら、落語界重鎮の面々が挨拶。
そして、権太郎さん一門、法被姿よろしく、威勢よく壇上へ。
秋田県の銘酒「まんさくの花」で、景気よく鏡開き。
大きな看板 権太楼師匠の挨拶
日本酒の乾杯で宴会が始まった。
料理はフランス料理のコース。
真打披露宴は豪華に開始した。
食事が進むにつれ、さまざまな余興が繰り出される。
韓国の舞踏の名手が登場。
満面に笑みをたたえた美しい女性。
華やかな衣装に身を包み、抱えた大きな太鼓は、リズミカルなリズム。
風に漂うように、時には激しく、そして、しなやかに舞う。
流麗に踊るさまは天女のように美しい。
宴会は賑やかに楽しく、かつ厳かに進む。
次々に芸人達の隠し芸も登場。
宴は何時しか最高潮。
やはり、一芸を極めた人たちの芸。
隠し芸であっても、ある一線を凌駕しているのはさすが。
大きな垂れ幕 喬太郎さんの腹芸
やがて、柳家喬太郎さんが袴姿で登場。
当代、若手きっての人気者が、腹芸を披露するとは驚き。
上半身は裸になった。
色の白い、ムッチリした肉体があらわに。
会場はなにやら含み笑いの渦。
愛嬌のある語りとともに披露された。
右肩の瘤を、お腹に降ろし、左肩に移す芸のようだ。
たしかに、肩に瘤がある。
やがて、気合もろとも、瘤が動く。
お腹に落ち、ぐるぐる回り、見事!左肩へ。
思わず、拍手喝采。
そして、左肩から右へ。
さらに、大きな拍手が会場からおきる。
次なる技は地殻変動。
舞台上に4客の椅子が並べられ、喬太郎さんが横になる。
白い脂肪の乗った太目のお腹が、むくむくと動き始める。
さらに、大きく蠢き始め、大地を轟かせるせるほどの、大地殻変動が起こる。
そして、だんだんと静まり、もとの平穏で穏やかなお腹にもどった。
会場からは、さらに大きな拍手が鳴り響く。
現代の、若手噺家のホープ。
ひょうひょうとしていながらも、どこか色気のある、語りの名手が披露した腹芸。
なんともユーモアがあって楽しい。
意表をつくとは、まさにこのこと。
奥様と仲よく挨拶回り 会場風景
もう、すでに、2時間は経とうとしている。
楽しく過す時間は、何時ものことながら早い。
すでに、終宴の時が近づいている。
壇上には、甚語楼さんが登場。
出席した大勢の人たちへの挨拶。
感謝の気持で一杯なのだろう。
どこか、言葉に詰まっているようで、こちらにも、表現したい、喜びと感謝の気持が伝わる。
今日から、昇進正面の一人前。
真打披露宴は大勢の出席者の祝う心と、多くの関係者の努力によって、目出度く閉宴した。
甚語楼師匠、大きな大きな噺家さんに成長してください。

河津桜&伊豆の滝めぐり
2006.3.5(日)ー6(月)
東名高速の富士 三島大社の参道
日曜日は快晴。
桜の蕾みもほころぶだろう。
12時前に家を出る。
首都高から東名へ。
昨日付けたETCで、快調に料金所をすいすいと通過。
青空には、銀色の雲海もたなびく。
首都圏の高層ビルの谷間をすり抜けながら、東名に出る。
子供の頃泳いだ懐かしの多摩川を渡ると、一直線でスピードアップ。
御殿場に」近づくころ、遠くに富士が見え隠れ。
丹沢山系の山稜に、銀嶺の眩しいほどに、輝く富士山が顔を出す。
出たかと思うと、意地悪にも、また消えることの、行ったり来たりが可笑しい。
いつでも、富士山は気紛れ。
三島大社の神馬の前にて
御殿場のなだらかな上り道、幾つものトンネルを抜ける。
ぱーっと視界が開け、空の青さが眩いほど。
やがて、富士川を超えるあたり、右手に、煌めくように、雄大な富士山の堂々とした威容。
麓まで雪化粧の姿は、神々しくも艶やかで、そして、威風堂々の横綱姿。
もう、沼津インターはあと僅か。
製紙工場群の煙突からは、もくもくと煙がたなびく。
インターを降りて、まずは、第一の目的地、三島大社へ。
高速を降りて、20分ほどで、迷わず、すんなりと到着。
境内の池のほとりの駐車場に、車を止める。
時間は2時過ぎ。
山門を抜けると、正面に正殿。
右手には、舞殿。
正殿をバックに、結婚式の記念写真を撮っている人たち。
三島大社の舞殿にて 三島大社の拝殿
うららかな陽気。
境内には、袴姿の巫女さんや、禰宜さんたち、観光客の一団やらで華やいでいる。
階段を上り、拝殿で参拝。
帰り道、境内の外れに鹿園があった。
子供たちが、金網越しに餌をやる。
まんまるの澄んだつぶらな大きな瞳。
鹿たちは群れて、押し合いへしあい、餌の奪い合いも可愛い。
さて、これから、修善寺を抜け、河津へ。
国道を進む。
昼時もすこしオーバーしたが、どこかで昼食でもすることに。
いざ探すとなると、なかなか、思いどおりの店が見つからないのはいつもの事。
和食処・割烹「御殿川」とあった。
駐車場に停め中へ。
 
店内は和風の堂々とした落ち着いた雰囲気。
一杯やりながらといきたいところだが、まだまだ先は長い。
三島は鰻と桜海老が名物のようだ。
私はうな重。
ママはしらすと桜海老の石焼ご飯。
鰻は柔らかく、臭みもなくほっくりとしている。
箸でさくりと切って口の中へ。
ぴりっと効いた山椒の香に包まれた鰻。
ぷちっとした、程よい弾力の中、染み出る鰻の旨味がぷちゅっと広がる。
石焼鍋には、一面に、釜揚げのしらす、薄桃色の桜海老が敷き詰められている。
スプーンでさくりさくりと満遍なくかき混ぜる。
茶碗に盛る。
私も小皿にとる。
三島大社の鹿 浄連の滝への階段
石焼に炊かれたシラスと、桜海老の海の香が微かに漂う。
地場の料理はそれだけで、雅趣があり楽しい。
仕上げは、茶碗に盛ったご飯に、山葵を少々、そして、出汁を加えてのお茶漬け。
つーんと山葵が鼻をつき、焦げ味のご飯のお茶漬けも一興。
腹ごしらえも終わり、会計をして外へ。
先ほどまでの、車の渋滞も、幾分、緩和されていた。
これから、いよいよ、伊豆へ。
遠くには、伊豆の小高い、愛嬌のある山々が顔を出し始める。
有料道路のバイパスへ。
伊豆の山々と、短いトンネルを、幾つも抜けながら進む。
狩野川の清流を幾重にも越しながら進むうと、すでに、修善寺も通り越していた。
修善寺の、あの狭い温泉街を抜けるのは一苦労。
バイパスは、一足飛びなので、おおいに時間の短縮でありがたい。
浄連の滝
山間の道、すでに、長くなった日も傾き始めている。
たぶん、七滝見物は無理だろう。
計画は急遽変更。
浄蓮の滝へ。
駐車場はすでに閑散としている。
険しい階段を下りて滝へ。
右手、はるか下には、清流が流れている。
日が落ちて、杉木立のなか、まだ肌寒い。
急勾配の下り階段、降りきってみれば、そこには、水量豊かな浄蓮の滝。
この滝を見るのは、何回目だろうか。
最初に見たのは、たぶん、中学時代の林間学校。
何時見ても、気品があり、なかなか典雅。
滝壷もエメラルド色で深そうだ。
浄蓮の滝にて
もうすでに、人影もなくなった。
若い家族連れの人が、滝を背景に、私たち二人の写真を撮ってくれた。
私もお返しに、三人一緒に写真を撮ってあげた。
旅先での、さり気ない親切は嬉しい。
来た道、今度は、急峻な階段の上り勾配は結構きつい。
ママはかなり、しんどい様子だ。
やっと、上り詰めたころ、とっぷりと日も暮れていた。
トンネルを抜けると、美しい夕映え
さて、これから、河津の湯ヶ野で温泉に浸かり、旅の疲れを流そう。
河津の湯ヶ野は、川端康成「伊豆の踊り子」の舞台になったところだ。
昭和元年に書かれた小説では、旅の一座と天城隧道を抜ける印象的な場面のあと、湯ヶ野温泉に到る。
今日、投宿するのは、 明治時代創業、河べりの宿「湯本楼」、此処が湯ヶ野の湯元。
文人墨客も馴染みの日本旅館。
隣には、町営の銭湯があり、無料とは嬉しいかぎり。
湯本楼から見た景色
川沿いの部屋は、昔ながらの懐かしい造りで、精巧な職人技が随所に。
しかし、こんな素敵な和風の伝統的な旅館、評価されないのは悲しい。
私も、料理屋の支配人を、ながいいことしていたので良くわかる。
新年を迎える時は、襖、障子の張替え、畳の裏返し。
夏場の季節外れは、部屋の造作の木々の磨きやワックスかけ。
季節の折々に変える床の間の掛け軸や絵や置物。
とにかく、日本家屋の手入れには大変にお金がかかる。
七滝へのループ橋 七滝と清流
宿の女将さんも娘さんも、皆親切で優しい。
手造りの心のこもった料理は心に沁みる。
カサゴの空揚げは、もっちりとして、ふっくら、口にふくむと、じゅわりと磯の香が広がる。
少し桃色がかった白身は、噛めば、ぷちゅーっと香気が漂い、そこはかとない上品な甘味が漂う。
買い求めた静岡の地酒、若竹純米吟醸生原酒がドンピシャで美味い。
やはり、その土地の料理には、その土地の地酒。
自分たちの食べる料理に、地酒は合うように作られている。
これから、少し熱めの、新館の岩風呂に浸かり、明日の活力を養いながら、ぐっすりと寝る事にする。
初影の滝と「伊豆の踊り子」の銅像にて
翌朝、朝6時半に起き、さっそく、初めての体験、町営風呂へ。
町営の銭湯は誰もいない。
コンクリ造りの殺風景な湯船が二つ。
どちらも、ぬるめで同じ温度。
土地の人が浸かる共同浴場。
私も伊豆の土地人になったようで、ほのぼのとして、気持が安らぐ。
これから、食事をとって、9時頃には出かけよう。
外は小雨交じりの愚図ついた天気だ。

宿の精算を済まして外へ。
小糠雨が降り、少し肌寒い。
川の水量は増して、心なし流れも速いような気がする。
駐車場から車を出し、まずは、七滝へ。
此処からは、車で7分くらいだ。
ループ橋を越えての上り道、七滝の表示があった。
右に折れ、カーブ道の緩いのぼり道を進むと、入口があった。
きっと、もう少し先まで行けるだろうと、狭い一本道を進む。
そこは行き止まりの進入禁止。
お土産屋さん兼茶店があった。
親父さんが、無料の駐車場を案内してくれて、無事駐車。
外は小雨模様で、さらに肌寒い。
優美な蟹滝 蟹滝の吊り橋にて
狭い道を進むと、左側には清流が流れている。
川沿いには、廃墟になった民宿がうら寂しげに雨に打たれている。
清流のせせらぎを聞きながら、なだらかな道を進むと、前方に、大きな滝が出現。
大きさ、水量、姿も申し分ない見事さ。
滝口には、伊豆の踊り子の銅像も建っている。
中国人の観光客の一団が、賑やかに、記念写真を撮りあっている。
私もママの写真をパチリ!
すぐ傍ら、岩からしみ出た湧き水が流れ落ちていた。
柄杓に掬い飲む。
さほど冷たくはないのだが、ふくよかで、幾分、優しげに香る。
  
その裏手には、次の滝に連なる急峻な道が、遠くまで続いている。
此処で留まるべきか行くべきか、しばしの逡巡。
なにせ、普段あまり歩かないママがいるので、無理は出来ない。
でも、此処まで来たのだから、やはり、思い切って初志貫徹。
小雨が煙る細く急勾配の階段を上る。
さすがの私でも、なかなか骨の折れる道。
切り開かれた岩伝いの道、左手は崖、眼下には渓流が見渡せる。
やがて、蛇滝に出た。
雨で、水かさも増しているのだろうか、かなりの水量で、どどっと滝口へ流れ落ちる。
落下口の周りの岩は、蛇の鱗のような形と色。
雨に打たれて、鱗さながらに、青緑に輝いている。
さらに、さらに進むと吊り橋に出た。
釜滝の前にて
橋から見渡すと、そこに蟹滝があった。
蛇滝が豪壮な男滝と言うなら、蟹滝は優美な女滝
吊り橋を渡ってさらに奥へ。
此処からは、半端じゃない急傾斜。
そこそこ健脚な私でもかなりきつい。
後戻りは出来ない、とにかく、前進あるのみ。
やがて、頂上らしきところに出た。
釜滝の屹立する石柱群 釜滝近くの階段にて
前方には、岩を切り裂くように、勇壮でいながら優美な釜滝が出現した。
数十メートルの高さから、滝口へ一直線に流れ落ちる様は素晴らしい。
辺りを取り巻く崖は巨大な石柱の群れ。
釜滝も素晴らしいが、雨に濡れた巨大な石柱は圧倒的な迫力。
すこし、きつい思いをしたが、此処まで来た甲斐があった。
やはり、大きな感動は、人間の努力と忍耐の対価なのだろ。
釜滝からの帰り道
さて、これからは下り道。
とぼとぼ、森厳な道を、散歩気取りで下る事に。
雨は降ったり止んだりの愚図つき模様。
本降りにさえならなければ、今日は上々という事にしよう。
やがて、最初の急傾斜の下り階段、初影滝に出た。
記念写真を撮る観光客達を後に、駐車場のある土産物屋へ。
駐車場を借りたお礼のつもりで、土産物を買う。
さて、これからが、私たちの最大の目的、河津桜見物へ向かう。
満開の河津桜の回廊
下田街道414号から国道14号を南下。
30分ほど位で、桜満開の河べりに出た。
どうやら、対岸が河津桜の遊歩道なのだろう。
橋を渡って対岸に出る。
道なりに進むと、河からかなり外れ、少し不安な気持に。
でも、道は一本道、真っ直ぐ行くだけ。
間違えようもないはず。
やがて、河津桜祭りの幟旗が、風にはたはたとそよいでいた。
すでに、朝からの小雨は、嘘のように上がり、まさに桜見物日和。
河津川と桜
駐車場に車を停める。
月曜日だというのに、観光バスや自家用車で、駐車場は大盛況。
桜の香をのせて吹き渡る風に誘われながら、大勢の観光客に紛れて、河津桜見物へ。
道々には、土産物屋や屋台の数々。
川辺の桜の回廊は、私の想像をはるかに越えた見事さ。
そよそよはらはらの薄紅色の桜。
ぽってりと、色気ついた熟女のように、そして、枝いっぱいに咲き誇る艶やかな桃色。
まさに、ここ、河津だけは春いっぱい。
河津川の河原に下りてみる。
のんびりと、きらきら川面を照り返す陽光が眩しい。
さらさら流れる清流には、過ぎ行く季節を惜しむかのように、水鳥が二羽、泳いでいる。
  
川に沿って、遙向こうまで、桜の回廊が続く。
川辺で一休みして、また、桜見物へ。
人の流れは、いっこうに切れる事なく、賑わいは続く。
川辺から吹く風に、満開の桜がゆらゆらと揺れ騒ぐ。
桜の香が、回廊を包み込むように、艶やかに匂いたつ。
まだまだ、散る桜は少なく、雨風に打たれなければ、きっとあと数日は持つだろう。
桜は咲く時も一瞬なら、散る時も潔い。
そこに、日本人は、古来から、散りぎわの美を感じ取ったのであろう。
見事な桜 菜の花も満開
見物客たちは、さすがに平日、年配が多い。
女性軍団が非常に多いのには驚く。
4人、5人、6人連れの仲間で、とにかく元気。
男衆の集団は皆無に等しい。
男の場合、必ず、女性が同行。
やはり、現代は女性の時代なのだろう。
私たちの世代、2007年問題真っ盛り。
ここ2年、熟年離婚がめっきり減っている。
2年後を迎えて、待機しているとも言われている。
熟年離婚予備軍は、恐ろしい数にのぼろそうだ。
やはり、女性が強くなったのだろう。
家庭を顧みず、なりふり構わず、企業戦士となった団塊の世代の結末は、あまりにも悲しい。
幸い、私は自営業、定年も退職もない。
このまま、健康であれさえすれば、好きな仕事を、一生働き続けられる。
さすがに、どこの食堂もいっぱいだった。
やっと見つけた料理屋で。
伊豆の地魚をふんだんに盛り付けた、海鮮丼
川風に吹かれ、桜花の満開の下、春うらら、陽光は暖かく煌めく。
満開の桜花に誘われて、知らず知らず、どれ位歩いたのだろうか。
屋台の並ぶ広場で一休み。
空揚げやたこ焼きをつまみながら、飲む缶ビールが咽喉に沁みる。
味ではない、やはり、桜の香気に囲まれながら、つまみながらの一杯が美味いのだ。
さて、これから、東京への旅が始まる。
すでに、2時は回っている。
これから、遅まきながら昼食を摂って、河津にさよならをしよう。
伊東から熱海へ 帰り道、熱海後楽園ホテルで、しばし、休憩