小さな旅&日記

テアトル・エコー「大都映画撮影所物語
」11/29<水>

11月26日<日>、テアトル・エコー「大都映画撮影所物語」を観に、恵比寿のエコー劇場へ。
上演は2時。
正午に家を出る。
最近は、余裕をもって出かけられろようになって、少し、成長したか。
目的地には、早く着いたのだが、駐車場が無く、うろうろと時間が経過。
やっと探して、劇場に到着すれば、すでに、開演10分前。
警察が路上駐車の取締りするのは勝手だが、駐車場のことを、まずは、考えろと苦言も呈したくなる。
政府にしたって、官公庁の駐車場を解放するなり、
自動車製造メーカーに、駐車場建築整備費を拠出させるなりして、
駐車環境の整備をしろよなんて、柄にも無く、悲憤慷慨。
都心に車で出かけると、本当に、一苦労な昨今。
劇場は殆ど満席。
老若男女で一杯だ。
やがて、幕が上がり、芝居が始まる。
舞台正面前のスクリーンに、大都映画製作の、ざらざらと掠れた、白黒の映像が流れる。
そして、スクリーンが上がり、芝居が始まった。
日本の戦時体制はますます強くなり、世の中、全てが、体制翼賛になる時代。
日本の大衆娯楽のため、時間をかけず、大都映画は、安く映画を製作。
なんと、東京の巣鴨の撮影所で、年間100本以上製作したという、昭和10年代の話。
そして、低料金で映画を提供する事に、生きがいを感じる、大都映画撮影所の人間模様。
軍国主義に急傾斜する、国家権力に対し、すり抜けるように、抵抗する大都映画の映画人たち。
やがて、戦時体制一色の日本に蹂躙され、そして、トーキーの時代も幕開け、
活弁映画は、新しい時代の潮流にも飲み込まれ、やがて、消滅する。
そんな日本の不幸な時代、大都映画の面々の悲喜劇が始まった。
しかし、舞台で展開する話は、辻褄合わせの、どたばた喜劇。
登場人物の性格の彫は薄く、ステレオタイプのカリカチュア的な人物描写。
観客の笑いにおもねりながら、約2時間の時間は、あっという間に、テンポよく進んだ。
あれやこれやの、面白芝居のごった煮。
だが、作家は何をメッセージしようとしたのか、意図が伝わらない。
劇作はドラマツルギーであり思想である。
笑の中に、ペイソスがあり、人間の悲喜劇がある。
そして、その向こうに、作者の伝えたい、大きなメッセージが存在するはず。
観客の笑は、社会に対し投げかけられ、そして、その笑は、自分にも照射されるものとなる。
だからこそ、素晴らしい喜劇には、本物の人間が描かれねばならない。
なによりの収穫は、熊倉一雄、沢りつお、沖洵一郎さんたちが、
元気で、しっかりと、ドラマを支えていてくれた事だ。
そして、友達の、山下啓介さんが、飄々とした持ち味で好演していたことに尽きる。
Yちゃん、頑張ってね11/19<日>
一昨日、Yちゃんがやって来た。
沖縄から大山に引っ越してきて、最初に入ったバーが、ピーポッポだった。
それ以来、仕事帰りに、ちょこちょこ、来店してくれた。
8月になって、大山を離れ、横浜に引っ越した。
でも、1ヶ月に一回は、最低でも、来店してくれる。
沖縄にいた頃は、暴走族の頭などしてして、だいぶ、親泣かせをしたみたいだ。
だが心気一転、気持を新たに、バーテンダーを目指して上京。
今は、内幸町で、バーテンダー修行の毎日。
Yちゃんは、何故か、私をしたってくれる。
初夏の頃の話だ
「マスターがもし、指を詰めるようなことがあったら、俺、マスターの替わりに、指出しますよ」
さすが、もと、ばりばりのヤンキーだけあって、分りやすい性格。
でも、じーんと、胸にきた。
私は、何故か、そんな若者に好かれるところがあるみたいだ。
15年くらいたつだろうか。
私のことを慕ってくれてたTくんがいた。
複雑な家庭の事情もあるのだが、中学・高校時代、かなりヤンチャをしていた。
ひょんなことから、私の店に来るようになった。
そして、私の影響で、彼はバーテンダーをめざし、バーテンダー・スクールに入学。
その後、バーテンダーになって、毎日、一生懸命に働いていた。
ある時、こんな嬉しいことを言ってくれた。
「マスターのおかげで、本当に、毎日が楽しくてしょうがないです」
お酒のことで、分らない事があれば、自分で勉強し、それでも、分らない事は、私に聞きに来た。
そんな前向きに生きる21歳の青年、将来を、私は楽しみにしていた。
そしてやがては、私の店の後継者に育てようかと思っていた。
でも、或る日のこと、夜中の12時頃、私の店に電話が入った。
仕事仲間の女性から、涙声の電話だ、。
瞬時に不吉な予感。
交通事故で、先ほど、N病院で死亡との連絡。
報せを聞いて、店の仲間達全員、思い沈黙。
そして、誰ともなしに、すすり泣きが聞こえた。
あの時から、すでに、15年くらいは経っている。
そんな話を、かつて、Yちゃんに話したことがある。
Yちゃん「マスター、Tさんの替わり、俺できますかね?」
「勿論、できるよ。早く、一人前のバーテンダーになってくれよ」
昨日、ひょんなことから、Tくんの話になった。
Tくんの命日は11月25日。
「マスター、僕が沖縄から、東京へ出てきた日が、11月25日です」
驚いた偶然、きっと、何かの因縁なのだろう。
「マスター、Tさん、何時も何を飲んでいたのですか?」
「彼は何時も、テキーラ・クエルボ1800だったな」
「僕にも下さい。飲んでみたいです」
Yちゃんに酒を出し、そして、しまっておいたT君の写真を取り出し、2人でクエルボ1800を飲んだ。
T君のバーテンダー姿の、凛々しい写真も、やっと、普通に見れるようになった。
少し前までは、まだまだ、私にとって、なまなましすぎて、悲しすぎて見れなかった。
歳月と言うものは、人の悲しさも、洗い流して、美しい記憶だけを残してくれるのだろう。
何時か、近い日に、Yちゃんも一緒に、T君のお墓参りをすることにした。

筑波山へ11/19<日>
つつじヶ丘駅前駐車場のガマ
女体山の山頂・標高877m
土曜の仕事を終え、茨城県・筑波山へ出かける。
出発は朝の5時。
首都高から常磐道を一気に北上。
途中、PAで食事を取り休息。
一休みの後、出発。
適当に休息をとりながら、筑波山に着いたのは、午前8時頃。
駐車場は,、さすがに、この時間、まだ、がらがらだ。
土産物屋も開店の準備を始めてる。
曇り空から、ぽつぽつと雨が降り始めた。

筑波男ノ神(いざなぎ)、筑波女ノ神(いざなみ)を祭神とする、筑波山神社本殿
仕方なく、傘をさし、ロープウェイへ。
リュックを担ぎ、ハイカーのいでたちの人たちが、山道を元気よく登って行く。
我々は、往復1070円を払い、ロープウェイで行く。
1時間に3本位の運行。
以外に、人の列が出来てきた。
ロープウェイ-に乗り込むと、すぐに出発した。
山には深い霧と靄で、視界は零。
前も後ろも、四方八方、霧の中。

晴れていれば、素晴らしい紅葉の木々
5分位で山頂駅に到着。
さすがに、氷雨降る山頂、風も冷たい。
革の上着を着て来て正解。
緩やかに傾斜した道を進む。
さらに、急な勾配の階段を上ると、そこが、筑波山・女体山の山頂。
山一つない、広い、関東平野の彼方、
晴れていれば、富士山は勿論、東京タワー、伊豆半島まで見渡せる。
お天道様の気紛れはどうにもならない。
ただただ、灰白色の厚い霧が流れ、冷たい風が吹き、しとしとと、悲しげな涙雨。
山頂の神社に参拝。
神社の禰宜さんが、譜面を見ながら、横笛の練習をしている。
横笛の妙なる調べが、深い霧の中へ流れて行く。

展望がきかなければ、ただの山頂の岩場。
たとえ、日本百名山の一つと言えども、深く重く垂れ込めた霧の中、なにも、することはなし。
雨に濡れた木々の紅葉の道を下る。
そして、もと来た急な階段を下り、展望台のレストランで休憩。
すでに、時間は11時、軽い食事をとる。
ママはけんちんうどん。
私はおでん。
身体もだいぶ温まってきた。
展望台から微かに見える木々は紅葉している。
可愛らしい小鳥が、霧雨の中、木々で囀っている。

筑波山の中腹にある、筑波山神社の山門と日本武尊の像
筑波山を下り、20分程で、筑波山神社に到着。
有料駐車場に入れ、神社へ。
相変わらずの雨。
小雨になったとはいえ、傘をさしながら境内へ向かう。
この天気でも、観光客もそこそこに散見。
参拝客は、圧倒的な高年齢。
私達も、そんな世代に、そろそろ、参入しかけているのだ。
雨に濡れた参道の階段を登ると、重層で歴史の重みを感じさせる山門が待ち構えていた。

筑波山神社の山門と拝殿へ続く階段
山門を潜り、広い境内に出た。
手水を打ち、社殿で参拝。
社殿には、大きな注連縄が飾られ、そして、大きな鈴が吊るされていた。
ぶらり、ぶらりと境内を散策。
境内の奥に、広い階段があり、人々が階段を登って行く。
私達も、興味津々、好奇心から、階段を上る。
緑深い木々の中、茶店があり、年配の客が、おでんなどつまみに、一杯やっていた。

筑波山神社の拝殿と大きな鈴
さらに、階段をあがると、筑波山・男体山山頂への、ケーブルカーの駅があった。
朝、ロープウェイ乗り場では、この天候、ケーブルカーの運行は中止の可能性ありで、
ケーブルカーの切符を発券してくれなかった。
どうやら、ケーブルカーは、運行しているようだ。
さらに、階段を登ると、そこは行き止まりであった。
階段横の筑波山からの下りの山道、深い林のなか、ハイカーが降りてきた。
まだ止まぬ時雨。
来た道を戻り、境内へ出た。

筑波山神社の奥、男体山・標高871m行きの、ケーブルカーの駅近く
すると、境内の社殿奥に、お稲荷さんがあるようだ。
狭い、急な勾配の古い石組みの階段を上がると、そこに、昔ながらの、鄙びた稲荷神社。
どうやら、このお稲荷さんは、出世稲荷。
還暦間際の我ら、今更ながら出世もないが、柏手を打って、神妙に手を合わせる。
何事にも、欲張らず、無心で祈ることが大切だ。
神様は、邪心と狭隘な心を嫌うはず。
階段を下り降り、境内に出た。
さて、ぶらりと、土産物屋で買い物でもと歩いていると、厳島神社の標識。

素朴な稲荷神社
折角のこと、細い道を行くと、すぐ正面に、厳島神社があった。
お賽銭を投げ入れ、拍手。
今日は、一体全体、何回、お賽銭をあげて、手を合わせたのだろうか。
でも、神様が喜んでくれるのなら、何回手を合わせても悪い筈もない。
こんなにいい加減で、罪のない神への対し方が、一番平和で罪のないことかもしれない。
建物はこじんまりしているが、歴史的建造物のようだ。
欄干には、来年の干支の猪の像が、左右一対で彫り込まれている。
裏手に回ると、樹齢何百年の、檜の古木が苔むしていた。
今日の予定は、これで全て完了。
時間はまだまだ充分にある。
晴れているなら、ぶらぶらドライブも楽しいものだが、この雨では如何ともし難し。
東京へ帰り、何処かで、ゆっくりと、食事でもしよう。

厳島神社の裏の古木と欄干の猪の彫刻

Kさん、鍼灸院開院
11/16<木>

Kさんが久しぶりにやって来た。
今日はマスター昨日、Kさんがやって来た。
kさんとは、かれこれ、10年以上の付き合いかな。
学部は違うが、kさんは私の大学の後輩だ。
大学時代から、インドやチベットが好きで、1人で旅行をしていた。
私の店に来た頃は、すでに、建築会社のやり手営業マン。
営業成績も抜群の有能社員だった。
ところが、或る日、キッパリ会社を退社し、インドからトルコ経由でポルトガルに出かけた。
退職金の全てを持って。
結局は、インドの魅力にとりつかれ、さらに、チベットに一ヶ月位逗留して帰国した。
そして、私のもとに、チベットのお香を届けてくれた。
それから、彼は鍼灸師になるといって、鍼灸学校に入り無事卒業。
学校に行っている間、都内の某有名なホテルで、マッサージのアルバイトで、生計をたてていた。
マッサージの腕はかなりのものらしい。
そして、彼は、2週間前に、鍼灸院を、学芸大前のビルの2階に開院した。
それも、自分の得意な、マッサージをしないで、鍼灸一本で行くらしい。
「マスター、マッサージを否定する訳ではないけど、鍼灸でしか出来ない事が、
たくさんあるんですよ。だから、それを、僕が実践したいんです」
彼は実直で、生一本の情熱家。
「マスター、22年間、店を永く続けられた秘訣を教えてください」
「そうだね。自分がやりたい事に忠実になることかな。
自分の仕事に妥協をしないで、前向きに努力する。
すると、ますます、自分の仕事が好きになるし、自分の仕事の質も必然的に、より高くなる。
やがて、そのことを喜んでくれる人が、たくさん現れる。
だから、もっともっと、良いものを作ろうと努力しようと思う。
そんなことの繰り返しで、振り返ってみれば、
自分でも思ってみないほどの素敵なものが出来上がっているっている。
私も、今になって、やっと、そのことが分ったのだけど。
だから、これからも、もっともっと、良いものを作りたいと思っているのね」
「マスター、今日、報告に来て良かったです。頑張ります」
きっと、kさんは、日本一の鍼灸院を作ってくれるだろう。
「あと、大切なことは、感謝の気持。そして、親切、優しさ、人のために奉仕の心。
若い頃、私に欠けていたものなんだけどね」

昇仙峡から、河口湖へ、紅葉狩り
11/12<日>ー13<月>

土曜日は意外に早く店しまい。
3時半に終わり、かたし物をしたら4時。
さて、これから、昇仙峡へ徹夜で出かける。
首都高から、中央高速へ出て、一路、目的地へ。
私は、ビ-ルを軽く飲みながら、暢気に、ママのドライブを楽しむ。
さすがにこの時間、車は殆どいない。
何とか、予想に反して、天気は回復模様。
星も月も出ていないが、空の雲は切れそうな気配。
快調に、車は進む。
何といったって、渋滞がないのは気持が良い。

1時間あまりで、相模湖に着く。
空の雲は薄れ、灰色の空に微かな光が、弱々しく差し始める。
さらに、1時間も進むと、境川パーキングエリア。
甲府南のインターもあと僅か。
我々は小休止することに。
ママはPAでサンドウッチと、おにぎりにトン汁セット。
私はコーヒーを飲む。
さすが、この時間、PAも空いている。
狭い車から解放され、ゆったり一息ついて外へ。

まだ、8時半、人気のない昇仙峡
すでに、空は明るく、日が昇り始めている。
朝の冷気をたっぷり含んだ、清々しい空気を胸いっぱいに吸い込む。
身体の中の、都会の汚れた空気が、新鮮な美味しい空気に入れ替わる。
都会の汚濁した空気を吸っているからこそ、自然一杯の空気を美味いと感じる皮肉。
どうやら、今日は快晴のようだ。
これから、一気に、高速を飛ばし、昇仙峡へ向かう。
出発して程なく、甲府南インターに着く。
高速を降り、国道358号へ。

昇仙峡の仙ヶ滝と昇仙橋
ただひたすら、北上すると、はや、甲府駅。
駅前の武田信玄の銅像とは、1年半ぶりの対面だ。
ここから、さらに、北上して、30分位。
昇仙峡に到着した。
朝の8時。
すでに、デイバックを背負った、初老のハイカー達が、そぞろに歩いている。
駐車場が、散策道の入り口にあった。
ここに、停車しようと思ったが、先へ進む車が何台もいる。
私たちも、不安ながら、さらに、清流沿いの狭い道を進む。
渓谷には、奇岩の数々。
昨日の雨のせいか、清流の流れは速く、飛沫で奇岩が濡れている。
渓谷沿いの狭い道、散策を楽しむハイカーを縫うように進む。

ロープウェイで展望台へ
まだまだ、朝のこの時間。
昼日中だったら、きっと、観光客で溢れ、立ち往生は間違いなしだ。
渓流沿いの木々の紅葉は、まだまだ期待はずれ。
やっとのことで、渓谷を抜けた。
だが、前の車はさらに進む。
右にカーブして、昇り勾配の坂道ゆっくりと進む。
一体全体、どこまで、進む事やら。
やがて、昇り道の前方に、広い公営無料駐車場が出現した。
どうやら、ここから先に、私達が求めた昇仙峡があるようだ。
たぶん、今までは、昇仙峡の序曲。

展望台から見た山々
すでに、この時間だというのに、駐車場は満杯。
諦めて、他に、駐車場を探す。
昇仙峡への入り口に、食堂があった。
看板に無料と書いてある。
店のスタンバイを始めている小父さんに訊いてみた。
「あとで、食事しますけど、駐車していいですか?」
OKのようだ。
小父さんは駐車券をくれた。
車を置いて、いよいよ、昇仙峡へ向かう。

展望台から、さらに、奥の林へ
昨日の雨に打たれた落ち葉から、微かにたちのぼる香気。
精妙で典雅な匂いに包まれながら、渓谷沿いの、なだらかな昇り勾配の遊歩道を歩く。
雨に濡れた道は、足裏に、心地よい土の味を教えてくれる。
まだまだ、紅葉狩りの人は少ない。
渓谷はかなり広く、大きな岩がゴロゴロと転がる。
川沿いの木々は、60パーセントの紅葉の色ずき。
高く聳え立つ巨岩壁に、這い蹲るような木々。
清流には、山女、岩魚、鱒などがいるようだが、魚影は見えない。

雲にまかれた富士山
前日の雨に濡れた道を進むと、大きな岩で出来た石門が迎えてくれた。
張り出した岩を刳りぬいたような感じだが、手を加えたものではないようだ。
石門を潜りぬけ、昇仙橋を渡ると、右手に大きな仙ヶ滝。
色ずき始めた木々の向こうに、切り裂かれた岩場から、滝が激しく滝壷へ落ちる。
急傾斜な階段を上り暫らく歩くと、舗装された道に出た。
土産屋さんが開店の用意をしている。
広いホテル駐車場には、観光バスが並んでいる。
どうやら、この先に、ロープウェイがあるようだ。

展望台の、秋の日差しと風は素敵だ
暫らく歩くと、展望台行きの乗り場があった。
往復¥1000を払って、展望台へ向かう。
紅葉し始めた山々を見ながら5分、展望台に到着した。
太陽は真上に上がり、空は高く澄み切っている。
青く、澄み切った空の彼方、雪を頂いて、銀色に耀く、日本アルプスの山々。
そして、雪に耀く、富士山が光り耀く。
展望台辺りをぶらぶらと散策。
陽光は強く、吹き渡る風は、さすがに秋風、心持寒い。
はるか彼方から渡り来る風は、香るようで爽やか。

雲間より、富士山が顔を出す
夫婦木姫の宮で参拝をして、茶店で一休み。
私は甘酒。
ママはキノコ汁を飲む。
このキノコ汁が、思いがけなくも美味。
思いに反して、出合った美味、小さな感動は嬉しい。
すでに、時間は1時を回った。
これから、先ほどの駐車場の食堂で、食事をしなければならない。
他にも、美味しそうな、手打ち蕎麦の店もあったが、やはり、一宿一飯の恩義。
展望台は、ますます、老若男女の観光客で溢れ始めた。

ロープウェイを降りての戻り道、人で溢れていた
ロープウェイで下りると、さらに、人で溢れていた。
今日は、私達が殆ど一番乗り。
こんな体験は殆ど味わった事がない。
何時も、出かける時間が遅いせいで、目的地に着いた時は、すでに、人気はなく、閑散としている。
日はすでに落ち、山々に残光が光り、海はどんよりと暗く、波音だけが、遠く、静かに響くありさま。
駐車場には、観光バスが続々と到着している。
土産物屋も人だかりで賑やか。
紅葉の昇仙峡は、観光地らしくなってきた。

仙ヶ滝の虹
仙ヶ滝へ続く階段は、昇る人たちで列をなす。
来た時とは、驚くほど様変わりの変貌。
滝の前で、記念撮影の人々。
紅葉越しに見える滝は、陽光に光り、飛沫の霧が虹色に耀く。
昇仙橋から、川面を見れば、陽光に誘われるように、たくさんの魚が泳いでいる。
木々は、風に吹かれ、さわさわ。
山肌の木々の紅葉が眩しい。
遊歩道の木々の回廊は、陽光に照り返され、秋色の万華鏡。
太陽が織り成す、秋色のドラマ。
このところ、雨に祟られることの多い旅、晴れてくれてよかった。

行きとはうって変わって、強い陽光
たくさんの人たちとすれ違いながら、来た道の下り勾配の遊歩道を歩く。
駐車場の食堂はお客様で一杯だった。
私は、昇仙峡名物のざる蕎麦。
ママは、山女の甘露煮付き山菜の釜飯。
蕎麦はなかなかの味ながら、ゆであげ時間の微妙な加減。
コシが幾分緩いのが残念。
昼食を済ませて、渓谷沿いの遊歩道を、先ほどの道の逆方向へ向かう。

奇岩壁と石門
木々に囲まれた広い遊歩道を暫らく行くと、羅漢寺橋があり、さらに行くと、有明橋。
橋から下を見れば、やはり、魚が涼しげに、楽しげに泳いでいる。
橋を渡りきったところは行き止まり。
しかし、奥へ続く細い山道がある。
きっと、この道を登って行けば、先ほどの羅漢寺に行き着くのでは。
深く生い茂った林の急勾配の道を進む。
道はますます狭く、さらに急勾配になる。
右手は、ちょっとした断崖絶壁、まるで、修験道のようだ。

陽光に照らされた木々は、王朝の雅
少し、不安になる。
こんな所で遭難なんて、笑い話にもならない。
でも、ここまで来たのだから、勇気を持って、もう少し進んでみる。
すると、予想した羅漢寺が出現した。
やはり、物事、途中で諦めてはいけないのかなと述懐。
古寺名刹と思いきや、寺はコンクリートの近代建築。
なかには、古い一木造の夥しい羅漢が、鎮座していた。
お賽銭をあげて手を合わせる。
境内の紅葉が陽光に照らされ、風に揺られ、煌びやかで雅な舞。

羅漢寺へ向かう、長閑な風景
橋を渡る途中、川もはきらきら光りの漣。
魚達が軽やかに舞い踊る。
橋を渡り、来た道を戻る。
ぱかぱかと観光馬車が通り過ぎる長閑な風景。
昇仙峡の紅葉狩り、充分に堪能した。
駐車場に辿り付いた時は2時半。
今日の予定は余裕を持って達成した。
あとは、武田信玄の秘湯・旅館坐忘庵へ。

羅漢寺あたりの景色
甲府まで20分の道のり。
そして、武田神社沿いの道を進む。
どこか、秩父を思わせる鄙びた街道を10分程。
やがて、案内板に従い、細く寂しげな上り勾配の道を進むと、そこに、宿があった。
たった1軒の山間の温泉旅館。
来た道を見渡せば、せめぎあう山と山の間に、甲府の町が広がる。
チェックインしたのは3時半。
案内された部屋は一階。
掘りごたつには掘られた部屋の向こうには、ベッドが二つ並んでいた。

羅漢寺の前の吊りはしと、光る清流
こんな明るい内に、チェックインしたのは初めてだ。
何時もならば、チェックインの時間は6時頃。
慌しく、風呂に入って、そして夕食のパターン。
今日は、まだまだ時間はたっぷり。
着換えて、露天風呂に浸かる。
竹林に囲まれた温泉、少しぬるめだが、柔らかで優しい。
思い切り足を伸ばし大きく深呼吸。
風呂の中に落ちた赤銅食の枯葉も、何処か趣がある。
ゆったり、ゆっくりしたあと、着換えて、少し離れた大浴場へ。

昇仙峡から甲府に向かう道、素晴らしいポイントがあった
まだ、時間が早いせいか、人がいない。
何時もなら、遅すぎて、人がいないのだから、たいへんな様変わり。
身体を洗い、髭を剃って、今日一日の旅は終った。
浴衣を着直して、少し離れた大浴場へ。
大きなガラス窓の彼方には、甲府の町が見える。
日は大きく傾き、彼方の山々は秋の夕日に照らされ、日没の美しいシルエットを映し出す。
夕食は6時。
風呂を出て、大相撲を見終わった頃、ちょうど食事時になった。

旅館から見た夕映え。朝焼け。そして、旅館の玄関前で
食堂へ出かける。
床暖房の入った駒座敷。
用意された席に坐る。
松花堂に盛られた前菜を摘まみながら、生ビールで、お疲れさまの乾杯。
カニとモズクの酢の物。
お刺身の盛り合わせ。
豆乳のはられた鍋に火が入る。
長ネギ、水菜、大根、そして、特産の桜豚のスライスを入れ煮込む。
あっさり味の豆乳鍋をポン酢で頂く。
秋の訪れの土瓶むし。
すだちををぎゅっと搾って、松茸の香を楽しむ。
秋の旬菜の釜飯にも火が入る。
焼物は鰆のほう葉焼き。
炊き合わせは百合根で、とろり、つるり、ほっくリ。
かすかに、漂う、高貴な甘味。
黒塗りの漆盆の八寸。
水菓子は葡萄と柿。
どれも美味しく、長く楽しい一日が終る。
部屋に帰り、買い求めた大冠の原酒を飲んで、今日の一日を締めくくろう。

武田神社
翌日、6時に起床。
まずは、露天風呂へ。
朝の冷気は冷たく、竹林はさわさわ揺れ、香る秋風がやさしく、頬を撫で渡る。
風呂は私の個人風呂のように貸切状態。
かけ流しの源泉の近くに坐る。
さすがに、流れ落ちる湯は、心地よく熱い。
頭から、ざぶりざぶりと浴びる。
身体の芯まで温まるようで、心もしゃきりと伸びる。

一年ぶりの精進湖
ここは、湯に浸るだけの風呂。
身体を洗うには大浴場に行かなければならない。
着換えをして、大浴場へ。
やはり、私以外には誰もいなかった。
身体を洗い、髭を剃って湯船へ。
広々とした湯船に、思いきっり足を伸ばす。
彼方に見える甲府の町が黎明を迎える。
町を包み込むような山々が、朝日に照らされて耀きを増してきた。
今日も晴天のようだ。
2日続けての晴天は、本当に久しぶりのこと。
すでに、7時45分。
朝食は8時からだ。

部屋に戻り、予定の時間に食事の間へ。
朝食は健康食尽くし膳。
小鉢は温泉玉子の蕎麦の実のあんかけ。
大根の風呂吹き、貝割れ大根添え。
台物は湯豆腐、ポン酢。
焼物はむっちりした、鰯の丸干し。
小皿に、しめじ、蒲鉾の小板、山葵漬け
黒米と寒しじみ。
香の物。
口直しに黒酢ぜりー。

見事な富士山と精進湖
ふだん、まだまだ、熟睡の時間。
でも、しっかりと、美味しく、朝食をとれたのは嬉しい。
美味しく食べるには、深酒せず、夜更かしさえしなければよいのだ。
でも、分っていても、なかなか出来ない我の愚かしさ。
部屋に戻り、さらに、露天風呂に入り、10時にチェックアウトしよう。
支払いを済ませて外に出る。
彼方の甲府の市街が、陽光に照らされ、きらきらと蜃気楼のように光る。
これから、武田神社まで10分あまり。
月曜日とはいえ、観光客もそれなりにいる。

本栖湖へ向かう途中で
お堀脇の、無料の駐車場に車を置く。
お堀にかかる太鼓橋から堀を見れば、たくさんの、色とりどりの鯉が、盛り上がる程に泳いでいる。
1年半ぶりの武田神社。
手水を打って、社殿で手を合わせる。
社殿横では、七五三の記念写真を撮っている。
だんだんと参拝客も増えて来た。
さて、これから、富士五湖の本栖湖に向かう。
武田通りから、国道358へ抜け、中央高速を越え、中道へ。
緩やかなカーブの登り道。
山間の里山を軽快に車は進む。

初めての本栖湖
窓を開けると、朝の冷気も残る風が、秋色をのせて爽やか。
里山の木々は色づき、秋色に染まる。
精進ブルーラインの山々は、満艦飾に盛り上がる。
澄み切って、どこまでも青い空。
そして、耀ける銀塊の雲。
降り注ぐ陽光を浴びて、秋色の山々が笑っているようだ。
そして、長い、真っ直ぐなトンネルを抜けると、上九一色村に出た。

本栖湖あたりの秋景色
一年くらい前に宿泊した、精進湖レークホテルの前を通り精進湖へ。
道路から湖岸へ下る。
真正面に、雪を頂いた、絵のように雄大で美しい富士山が、どっかりと見える。
青い空、銀色の雲海。
ギリシャ彫刻のように、彫の深い富士山が聳え、真っ青で静謐な湖が広がる。
これほどに、美しい富士山。
富士へ向かう修験者たちが、ここで沐浴をして、そして、富士山に向かったのも頷ける。
美味しい空気を胸いっぱい吸って、本栖湖へ。

本栖湖の反対側に、富士山が見える
国道358をさらに、30分程進むと、そこは本栖湖。
駐車場に車を停めて、湖岸へ。
観光客ほ、ちらほらの散見。
湖岸では、何やら、大勢の人が、がやがやと、工事をしていた。
湖岸とは反対側の林の彼方に、富士山が顔を出していた。
これで、私達は、この2年余りで、富士五湖全てに行ったことになる。
これから、精進湖へ戻り、そして、西湖を経由して、河口湖へ向かう。

西湖へ向かう道の紅葉。そして、西湖。微かに、逆さ富士が、湖面に映る
精進湖から、国道139へ。
青木が原を抜け、野鳥の森公園を通り、西湖へ。
懐かしの西湖。
湖岸へ降りれば、やはり、富士山の雄姿。
見るからに、私と同じ世代の、初老の夫婦が、それぞれの俄かカメラマン。
あちらこちらで、写真撮影に忙しい。
私達の世代、高度成長をささえになった団塊の世代が、近々、大量にリタイヤする。
国のため、会社のため、家族のために働きつくしたのも事実。
残された日々、暫らくは、のんびりと旅をしたり、趣味の世界へ浸るのも良いだろう。
でも、これからの、日本をになう若者達のために、何か、
自分達が培った大切で尊いものを、伝える必要があるのではないだろうか。

西湖あたりの景色
アメリカの占領政策のもとに作られた、戦後民主主義下、戦後教育の落とし子が団塊の世代。
学園紛争も、バブルも経験した世代。
しかし、次の日本を担う子供達の教育には、失敗したのではないだろうか。
その、子供達が団塊2世となり、子供達の親となり始めている。
日本の古き良き伝統、作法、文化が崩壊し始めている。
我々の世代の有形無形の財産を、今こそ、若者のために使うべき時ではないだろうか。

懐かしい、河口湖の紅葉は、何時見ても感動的
すでに、太陽も中天に耀く。
これから、河口湖へ出て、昼食をとることにしよう。
西湖から、河口湖まではすぐだ。
河口湖の河畔の道をカーブしながら進むと、紅葉越しに、富士山美しい容姿を映すポイントがある。
月曜だというのに、さすが、ここだけは人気がある。
私達も車を降り、河口湖を抱き込むように聳える、秀麗な富士山を、紅葉越しに眺める。
一眼レフを構える人たち。
携帯電話で撮影する人たち。
日本には、なんと、写真愛好家が増えたのであろうか。
そんな私も、デジカメでパチパチなのだから、偉そうなことは言えないのだが。
これから、紅葉街道を通り、河口湖畔の遊覧船の乗り場のある、公園辺りで食事をし、そして、東京へ帰ろう。

このポイントの富士山は、絵葉書のように美しい


新座市野火止の平林寺へ
2006/11/5<日>
 
茅葺の山門

平林寺
臨済宗妙心寺派の別格本山。
永和元年(1375)、現在の岩槻市に建造。
寛文3年(1663)、川越藩主松平信綱の遺言により、野火止に移築。
総門、山門、仏殿、中門は、本堂まで一直線に配置されている。


2時半頃、家をでる。
秋の日は短い。
たとえ、新座といえ、油断は出来ない。
何年か前に出かけた時は、すっかり、日が落ち、閉園まぎわだった。
さくっと、境内を回っただけで終って残念な思いをした。
今回は、3時に到着。
日はまだ高く、空は澄み切って青く、銀嶺の雲。
総門横の狭い入り口から、拝観料の300円を払い中へ。
綺麗に清められた、真っ白な、石道を進む。
正面に唐破風の山門が、右左に仁王像を従え、どっしりと構える。
沈み始めた太陽の日が、山門越しに見える景色と、強い陰影のコントラスト。
  
山門を潜り、真っ直ぐの、石の道の正面に仏堂がある。
仏堂に手を合わせる。
合掌するだけで、何故か、心が静まり、気持が引き締まる。
仏堂の脇から散策の順路が始まる。
武蔵野の面影を強く残す木々の間を、土の味を足裏で、確かめるように歩く。
一昔前、東京のいたるところに土が顔を出していた。
今では、滅多に、土に触れることが出来なくなった東京。
土の感触は人の温もり。
  
金色に神々しく耀く、秋の木漏れ日
朽ちた枯葉ごと、ぎゅっぎゅっと踏みしめると、枯葉と土のない混ぜの懐かしい匂い。
遠い、幼い頃の過去の記憶が蘇る。
庭園の木々の紅葉はまだ先のようだ。
ナラ、クヌギ、マツ、カエデ、ケヤキ、たくさんの木々の林を進む。
手入れをされた美しい林。
もともと、林や森は多種多様の木々で溢れる。
広葉樹、針葉樹が自由気ままに育ち、森を支える。
人間が経済性と効率のもと、不自然に手を加えることにより、様々な問題が派生する。
  
苔むした雑木林、そして、大きなキノコ
日はだいぶ傾き始め、影は長く、木々からの木漏れ日が、枯葉散る台地を黄金色に染める。。
林の塒に帰ってきた、たくさんのカラスの声の合唱が喧しいほどだ。
境内林は43万平方メートルの広さ。
散策道は、一周約2.5キロの道のり。
林の道はだんだんと薄暗くなり始めた。
狭い下り勾配の道、そこには、平林寺歴代の住職の墓がある。
なだらかな傾斜の石段を登ると、たくさんのお墓が横一列に並んでいた。
全てが、同じ大きさ、同じ形の簡素なお墓である。
さすが、臨済宗の墓。
飾りなく、清楚。
お墓の後ろに回って、刻まれている没年を見る。
松平家代々の墓 住職の墓に続く石段 竹林の前で
風化して読みきれないが、室町・江戸の時代のものだ。
土がふかふかして、靴がずぼっずぼっと沈み込む。
木々の落葉が腐葉土になっているのだ。
大地の誕生と死の永劫のリズム。
土から生まれたものは、何時の日か、また土に返る。
そして、その土から、新しい生命が誕生する。
来た道を引き返し、順路を進む。
だいぶ、辺りは薄暗くなり、少し、冷え冷えして来た。
  
やがて、境内の裏手に出た。
そして、平林寺の宿坊と、手入れの行き届いた内庭を、垣根越しに見る。
禅宗の基本は掃除。
綺麗に、掃き清められ、整理された庭は、清楚にして凛としている。
竹林を左手に見ながら、土の道を進むと、最初の総門の前に辿り付いた。
すでに、日は大きく傾き、人の気配も少なくなり、境内は森閑としていた。
  
駐車場に戻り、帰路に着く。
すこし、小腹が空いたので、帰り道、平林寺脇の、手延べうどん「たけ山」に寄る。
駐車場完備は嬉しい。
店内は、どっしりと、風格のある日本風。
サービス係の人も、きびきびと、過不足ないサービスで気持ちよい。
私は、かけうどん¥550を注文。
黒塗りの木製の漆盆に、どっかりと、大振りの丼。
つるつる、しこしたうどんに、千六本に切られた、大根と人参の紅白。
彩りと香のあしらいに、軸三つ葉。
出汁も、かつを節と昆布の上品な醤油味だ。
ママはざるうどん¥550を注文。
  
境内横の疎林にて
少し、食べさせてもらう。
うどんつゆに、細い糸のような小口きりの葱と、生のすりおろし山葵をいれる。
ずるりとうどんをつけて、ずるるるとすする。
群馬県水沢うどんの流れをくむ手延べうどんは、長くてコシがある。
だが、水沢うどん程太くなく、思ったほどに、水沢うどんほどにコシはなく、食べやすい。
食べ終わった頃、お茶を注ぎいれてくれた。
美味しい緑茶は、食後の安らぎ。
淡い薄緑の緑茶をいただき、まったりと平林寺の一日は終った。
真っ直ぐな、山門への道 総門の扁額 総門の前

マスターの平和な一日

昨日はといようか、今日の朝と言った方いいのかよく分らないのだが。
      店を閉めて、3時半頃出る。
      11月ともなると、この時間、肌寒い。
      新聞配達があちこちに出没する。
      私たちはこれから帰宅なのだが、世の中、これからが始まり。
      22年間、朝昼が逆転の人生。
      でも、看護師さんよりは、まだましだ。
      看護師さんのシフトの組み方は、かなり、殺人的。
      日勤、準夜、夜勤が、パズルのように、シフトされてる。
      その点、私たちは、逆転の固定した毎日だから、まだまだ救われる。
      家に着いたのは4時。
      夜が長い季節は嬉しい。
      夏であったら、すでに、日が昇り始める。
      朝日とともに、一杯飲んで、就寝とは、どこか切ない。
      家に着き、着換えをして、テレビを見ながら、日本酒を冷で飲む。
      目白の「田中屋」さんで買ってきた、「三千盛・小仕込・純米大吟醸」
      精米歩合:40パーセントに磨き上げた、日本酒度:+13の至上の辛口。
使用米は全量、山田錦。
酸度:1.6
アルコール分:15度以上、16度未満。
      すっきりと、上品、柔らかく香る。
      さすがに、酒質は綺麗で端正、見事な切れ味。
      典雅で端麗でありすぎるのが、少し、物足りないくらいだ。
      なぞなぞ、訳知り顔で、ただただ漫然と、テレビを見ながらの至福の時。
      外はうっすらと夜が明けはじめ、すでに、5時をまわっている。
      さしもの私たち、これ以上は、今日一日に支障をきたす。
      布団に入り、ぐっすりと寝込む。
      11時頃、目を醒ます。
      朝刊を取ってきて、布団の中でじっくりと読む。
      昔は、猛スピードで読んだものだが、最近は、新聞といえども、じっくりと読む。
      活字を大切に、味わいながら読む習慣がついたのだろうか。
      朝刊のあとには、昨日の夕刊を読む。
      夕刊の文化欄は、何時読んでも楽しい。
      特に、酒や絵画、演劇や映画などの特集はわくわくする。
      読み終わる頃はすでに昼時。
冷蔵庫の中の余り物を探す。
      グリーン野菜、黄色と赤のパプリカ、茹玉子のサラダがあった。
      そして、昨日の残り物、若布の味噌汁をあっためる。
      デザートに、ストロベリーのヨーグルトと、瓶詰のフルーツ。
      エビアンの水をごくごく飲んで、昼食は終わり。
      またまた、布団に戻り、池袋のジュンク堂で購入した、馬場啓一の文庫本「大人の男の作法」を読む。
      耳元では、FEN放送を流す。
      人間、不思議と、テンポ・リズムの良い音楽を聴いていると、身体に力が漲ってくる。
      風呂の用意が出来た。
時間はすでに3時。
      起きて、布団をたたみ、歯を磨き、風呂に浸かる。
      頭を洗い、身体もゴシゴシ。
      石鹸で泡だらけのタオルで、背中をゴシゴシ。
      特に、肝臓や膵臓の辺りを、丹念にこすると気持が良い。
      飲みすぎて、肝臓さん、膵臓さん、何時も御免御免。
      なるべく、飲みすぎませんからと、心の中で呪文を唱える。
      何時も何時もありがとうと、心の中で感謝の言葉。
      呪文のせいか、内臓がピチピチ動き始める気がするから摩訶不思議。
身体を流して、ざぶんーっと湯船に浸かる。
湯船の淵に足を投げ出し、湯ラックス。
しばし、放心したように瞑想!
人間の生理に、あきらかに反した毎日の生活。
風呂は、無理をさせてる身体への癒し。
湯船に、足腰、肩まで、ずぼりと浸かる。
湯船に吊るされた網の中、ビー球だいの真っ黒なゲルマニウムの石たち。
ゲルマニウムの磁力、身体の中へ、じーんと沁み込んで来るようで、気持ちが良い。
毎日の飲みすぎ、悲鳴をあげてる内臓、回復して喜んでいるようだ。
大きく、深呼吸。
脊髄や横隔膜がほぐれ、にこにこ、笑いはじめる。
足や手のツボを揉みほぐす。
ゆったり、まったりの優雅なくつろぎの時間。
風呂を出た時、すでに、4時近く。
エビアンをごくりと飲み、部屋に大の字に寝ころむ。
灯りのついてない、少し、薄くらい部屋で、手足を伸ばして、大きく腹式呼吸。
20歳の頃、野口三千三塾で、直接指導していただいた、野口体操を始める。
毎日の野口体操、肩こり、腰痛など、全て吹き飛ばしてくれる。
そして、腹筋を30回の3セット。
起き上がり、床に、手と膝をついて、ヨガの猫のポーズと、脱力しての首回し。
片手片足の腕立て伏せを、左右10回ずつ。
親指と人差し指の2本指の腕立てを10回。
そして、相撲の四股踏みを、左右10回。
仕上げに、左右の足を開いての屈伸運動。
すでに、時間は5時近く。
車に送られて駅へ。
途中、買い物をしながら、外食をして、仕事場へ直行。
そして、夕方、6時から、私の仕事が始まる。