小さな旅&日記
九十九里・一松海岸
 8/27−28<日ー月>


午後12時ころ、家を出る。
首都高の湾岸線を下り、京葉道から東金へ。
そして、千葉東金有料道路に乗り、房総半島を縦断する。
天気予報は、曇りの肌寒い一日。
しかし、外房が近づくに従い、空は青く澄んで高くなる。
どうやら、予報に反して、天候は回復模様。
海岸近く特有の背丈の低い木々の緑がまばゆい。
一面の田んぼの緑の稲には、そろそろ、黄金色の稲穂の実り。
爽やかな風に吹かれ、さわさわと揺れている。
日はさらに高く、一面の空の水色、淡い漣のように流れる、雲海の輝き。

やがて、東金九十九里有料道路へ。
畑田を二つに裂くように、真っ直ぐ突き進む道。
きっと、この先に、広い広い、太平洋が広がるはずだ。
道路は緩やかな登り。
上りきった先、彼方には、予想通り、九十九里の海が広がる。
空は青く澄み、雲海はたなびき、太平洋は何処までも広がる。
右に折れ、九十九里道路を進む。
海岸線を左に見ながら、生暖かい海風に誘われながら、快適なドライブ。
すでに、東京をたって約2時間あまり。

シーズンを過ぎた海岸には、ちらほらと、海水浴客が、名残の夏を楽しんでいる。
やがて白子町に入る。
目的地の長生は目前。
有料道路を降りると、すでに、一松海岸の標識。
今日の宿泊予定地はすぐに見つかった。
しかし、チェックインにも時間があるし、夕飯にはまだ遠い。
とりあえずは、海の幸のたっぷりの食事でもと、店を探す。
車を飛ばしかなり進むが、何処にも見当たらないのは不思議。
来た道を引き返し、オーシャンスパー九十九里・太陽の里のレストランで食事をすることに。
まったくの無駄足とはこのことか。
ママは海の幸たっぷりの海鮮丼。
私は、個数限定という「いわし丼」
さすが、海が近いだけあって、鰯はピカリと輝き、身はピチッとしまり、
食べるとプツッと甘味がはじける。

腹ごしらえもしたし、予定のチェックインの時間。
ペンションへ。
こじんまりしたした、小奇麗な部屋に通された。
ベッドが二つ並べてあった。
やや、参ったな、私はヘルニアの持病もち。
どんなベッドに寝ても、翌日は、必ず腰が痛くなる。
私にとっての最良の寝床は、ペチャンコな煎餅布団。
他にも部屋はあるようだから、変えてもらっても良いのだが、根っからの小心者。
今日は、とにかく、何時もの様に、酒を飲んで寝ればよかろう。

荷物を部屋に置いて、早速、海へ。
歩いて3分ぐらいで着いた。
すでに、海の家は取り壊し始められている。
今日で、海の家も終わりのようだ。
浜には、ぱらぱらとパラソルも建っている。
若者達や子供たちが、楽しそうに、波と戯れている。
日差は強くはないが、身体を焼くには充分な強さ。
大きな波が幾重にもなって、浜に打ち寄せている。
波に向かい進む。
思ったよりも、海水は暖かだ。
さすが、外房は暖流、夏の黒潮。

大きな波が激しく身体を飲み込む。
ぐるりと、身体を巻き込んで、一回転しそうなほどだ。
さらに、波に向かって進む。
足が立たないほどで、波にゆらり、ざぶりと乗りながら、傾げ始めた陽光を浴びるのも気持がよい。
彼方には、太平洋が果てしなく広がり、時おり、千鳥が水面を、群れをなして飛び去る。
遠くでは、サーファーたちの、プカリプカリの波まち風景。
暫らくすると、こちらに若者が向かって来る。
手を振っている。
まさか、私ではないだろう。
ますます、近づいて来る。
「そこ、危ないですから、もっと岸の方でお願いします」
ライフセーバーの若者だった。
「すみません。沖に引く力、凄く、強いですね」
「そうなんです、気を付けないと、沖にもっていかれちゃいますから」
笑顔の可愛い若者だった。
きっと、ボランティアーで、ライフセーバーをやってくれてるのだろう。

大好きな海で、不幸な出来事が起きないように、身体をはって頑張ってくれているのだ。
こんなに純真な若者が、もっともっと増えてくれれば、日本の未来にも大きな希望が持てる。
波はさらに大きくなってきた。
砂浜に戻って、浜に寝そべって、まだ強い太陽で日焼けといこう。
繰り返す潮騒の音が眠りを誘う。
うとうとしながら、何を考えるでもなく、海風に吹かれながらののまどろみは気持が良い。
時計に目をやれば、すでに、5時回っていた。
ライフセーバーの人たちも退去し始めた。
空には、最後の見回りを無事終え、風に乗って大空を舞う、動力付きハンググライダ-。
食事の時間は6時半。
宿に戻って、ゆっくりと、風呂につかり、晩御飯にしよう。
そして、テレビでも見ながら、お酒でも飲み、ゆっくりと、九十九里の夜を楽しめれば最高。
窓を開ければ、鈴虫のコーラス。
遠くでは、食用蛙の、船の魯を漕ぐような低い重低音を聞きながら、九十九里の夜は更ける。

28<月>
気持ちよく、ほどほどに飲んだ酒の翌日は、何時にもまして、爽快な目覚め。
6時に目がさめる。
朝風呂に入り、軽く身体を洗い、髭を剃る。
7時半に朝食。
食堂には、予定の時間に出かける。
なんと、驚いたことに、我々が一番乗りではないか。
変れば変るもの。
何処に出かけても、何時も遅刻ばかりで、顰蹙をかうのがもっぱらの我が人生。
人に迷惑をかけない生きかたって、気持は晴れ晴れ、何か得をしたようで爽快。
食事を一番に済ませて、部屋で一休み。
9時にはチェックアウトして、一松海岸の浜で、今日も日光浴。
天気予報に反して、またもや、晴天は幸運なかぎり。
コンビニで、ビールを買い込み、車で海岸の駐車場へ。
ビニールシートと、車に詰め込んである椅子を持って浜へ。
波の彼方、外房の海風が浜を吹きぬける。
まだ、浜には人影は僅か。
職人さんが、海の家を取り壊している。
今年の夏も終ったのだろう。
海の家の梁や鉄骨が、無残にもさらされている。

浜には三々五々、家族ずれや、若者達が増え始めた。
と言っても、秋近い浜、ぱらぱらの人影。
相変わらず、外房の波は荒くれもの。
波打ち際で戯れるのが、精一杯の海遊びだ。
太陽はますます強く、中天に輝き始めた。
海の果て、遙か彼方に広がる青い空。
雲海は銀灰色の輝き。
寄せては帰す潮騒の永遠のリズム。
吹き寄せる海風は涼風。
グビリグビリと飲むビールは、音をたてるほどに、喉を潤してくれる。
大自然のなかで飲むビール、まさに、至福極楽の甘露。

ビールの心地よさに誘われて、何時しか、時を忘れてまどろむ。
潮騒に誘われ、太陽を浴びながら、うとうとと時は流れる。
気がついてみれば、すでに、午後の1時まじか。
これから、東京へ帰らなければならない。
京葉道までは、有料道路を使わず、九十九里や東金の旧道を訪ね、
のんびりと、車窓に吹き込む風を楽しみながら、ビールでも飲み、古き町並みを、満喫しながら帰ることにする。

秩父の夏<バーベキュー&花火、そしてカラオケ>
 8/13−15<日ー火>


8月13日<日>
今年も、お盆は、ママの実家、秩父の小鹿野町へ。
13日の2時頃、板橋の家をでる。
幸いの好天気。
このところ、愚図りだしてる天気模様。
川越街道をひたすら下る。
街道は思いのほか、順調に車が流れる。
焼け付くほどの日差しではないが、窓を開ければ、やはり、夏の熱風が吹き込む。

薬師堂の山門
下るに従い、街道には木々も多くなり、畑もちらほら顔を出す。
春先、芝桜見物に出かけて、まだ、数ヶ月なのに、新しい店がかしこにオープン。
原っぱだったところに、巨大な複合ショッピングセンターも出没している。
ほんの僅かな期間だというのに、街道沿いの景色が一変しているのには、目を瞠る。
すでに、1時間半は経過したであろうか。
川越市街に到着。

去年立ち寄った酒屋で、お土産の芋焼酎と、自分が飲む、今晩の吟醸酒を購入。
そして、この酒屋には、工場直送の生ビールの量り売り、瓶詰がある。
瓶代300円、ビールを800ccつめてもらい、〆て800円なり。
ビールはタンクから唯今直詰め。
瓶もヒヤヒヤで霧がかって冷たそうる。
車に戻り、出発進行。
運転できない我、何時もに脳天気な気ままな旅。
山門仁王様。目が金色で、ギョロリ
何時も用意してあるグラスに、瓶から、トクトクとくと注ぐ。
柔らかいビロードのような泡の口当たり。
ほのかに麦芽の香。
口に含むと、深いホップのほろ苦さ。
窓外の麦畑は、風に吹かれ、遠くには、秩父の山稜が輝く。
開け放たれた、窓から、夏の野の風が、心地よく吹き込む。
夏の日を浴びながら、 グビッと飲むビールは、最高の美酒。
回廊には、たくさんの千羽ず鶴
やがて、高麗川の巾着田にさしかかる。
川辺には、たくさんの、キャンプのテントが張られている。
秋になれば、一面の紅、マンジュシャゲの見事な花園。
二年前に出掛けた時は、その燃える紅の花々の見事さに、圧倒された。
いよいよ、これから日高へ。
なだらかな山間の登り勾配の傾斜道をすすむ。
駐車場の特設会場
木々の緑は深く、民家もポツリポツリと点在の長閑な景色。
折り重なるように、小高い山々。
街道に沿い流れる川は、さらさらと清冽な音を微かに響かせ、遠くでは、山鳥の声。
昔ながらの街道を、山里を縫うように、蛇行しながらすすむ。
対向の車線は、何故かかなりの渋滞。
人間、やはり、意地悪な動物。
他人の不幸や切なさに、何処か快感を覚える自分が悲しい。
すでに、東京へのUターンが、始まっているのだろうか。
私のビールも、すでに、底を尽きはじめた。
まだ、太陽は、山の上に輝く。
すでに、5時は過ぎている。
正丸峠の1.9キロあまりのトンネルを抜ける。
飯能市にさよならをし、秩父市に入る。
いっそう、緑は濃く、街道沿いの夏草は風に揺れる。
翳り始めた日差しの中、車は元気にエンジン音を響かせながら進む。
なだらかに登りの、緩い蛇行道を登りつめると、そこは横瀬。
今年の見た芝桜は、想像以上に美しかった。
帰りに寄った「美の山公園」
生憎の天気だったが、絶景のスポットだった。
快晴ならば、展望台から、関東の山々が、すべて、眺望できるはず。
阿佐美家の泰杜君、大きくなって、元気で可愛いな
すでに、彼方には、秩父市街が広がっている。
今年は、秩父神社の夏祭り「川瀬祭り」に出かける予定だったのだが。
冬の夜祭、夏は川瀬祭り。
川瀬祭りは、川に神輿が入る勇壮な祭りだ。
勿論、町には、屋台や山車も出る。
冬が大人のお祭りならば、夏は子供のための祭りだそうな。
秩父人の朴訥で、熱い子供への心が伝わる。
ママの実家、三橋家勇也さんと、お茶目なラブ
秩父市街に入ると、やはり、気温が何度か違うのだろう。
車窓から吹き込む風も、べたついて、むせ返るようだ。
すでに、夏の日も落ち、薄暮の中、勇壮な武甲山の威容。
何時見ても、何処か、我われの心を、和ましてくれる山だ。
落ちる日に、武甲の山容が光、夏の雲が残照に輝く。
武甲山を背中に、抉り取られたように、深く流れる荒川に掛かる鉄橋を渡ると、そこは小鹿野町。
荒川に沿いながら進み、右に折れると、森閑とした、昔ながらの峠道。
急傾斜の道を、登って、そして、下った先に、ママの故郷がある。
飲んで、食べて、夜も更けて来た
すでに、日は大きく傾き、山里の家々に、灯がともり始めている。
山々には影がさし、緑は深く濃く、薄暮の黄昏。
遠くで、微かに、ヒグラシの蝉の声が、悲しげに、消え入りそうに響く。
それにしても、ヒグラシの数の少ない事。
かつては、山の彼方から、煩いほどの、ヒグラシの声の大合唱だった。
やはり、自然界にも、ひしひしと、異変が起っているのだろか。
山と緑に抱かれた、ママの実家はすぐそこに。
今年こそは、あまり、飲みすぎず、程ほどに。
大人の綺麗な酒を楽しむ事にしよう。
花火のセット。堀院長と昌志さん
8月14日<月>
朝、8時過ぎに目がさめる。
酒さえ飲みすぎなければ、朝の目覚めは早い。
秩父の朝は爽やかで涼しい。
夜、、部屋の中、冷房など入れなくても、夏蒲団では寒いほど。
早速、歯を磨いて、髭を剃る。
昼夜の逆転した毎日を送る東京の生活。
早起きは、何か得をしたようで、善行をつんだような気になる。
居間に出かければ、すでに、朝食の用意。
熱闘甲子園でも観戦しながらの食事。
朝ごはん、ましてや、昼ご飯さえ食べない事も多い我、朝ごはんが美味い。
朝の味噌汁、漬物、サラダ、焼き魚。
外食ばかりで、滅多に食べる事のない家庭料理には、心の温もりがあるからから嬉しい。
堀さん、童心に返って、花火の打ち上げ
たっぷり、ゆったり、朝食をとったあと、ぶらりと、自転車で散歩。
近くの夕霧沢を渡ると、町村合併の前には、荒川村の標識があった。
今は秩父市に合併されている。
太陽の日差しは強く、山々を照らし始めた。
深い木々に包まれた道、ひんやりと冷たい朝の冷気が心地よい。
蝉の声も、ミーンミーンミーンと、遠くで鳴き響く。
街道沿いには、夏の草花が色とりどりの華やかさ。
小さな山里の集落。
そこは、昔からの鉱泉郷、柴原鉱泉がある。
花火大会、本格的に開始
何度か、ここの鉱泉宿には泊まったことがある。
「柳屋旅館」の昔からの、木造3階建ての建物には風情がある。
私が、最初に泊まったときから、20年以上は経過しているだろうか。
何十年の歳月に耐え、大切に、磨かれ、手入れをされていた建物には、風雪の重さ、歴史の深さを感じたもの。
でも、その辺りを最後に、「柳家旅館」の旧館は現役を退いたようだ。
外から見ても、今は、廃墟のようで寂しい佇まい。
日本建築の良さを理解し、そして、日本の文化を大切に感じる心が、薄れ始めているのだろう。
何時の日か、この建物の復活の日が来る事を、楽しみにしていよう。
日本全国、津々浦々、このような建物が、たくさん、存在するのであろう。
たしかに、古い日本建築旅館は、今の若者には、使い勝手が悪く、不便で、不気味な気配もあるかもしれない。
でも、近代建築による旅館やホテルにはない、木肌の温もりのある日本建築の心は、我々の遺伝子に組み込まれている。
そこに泊まれば、体の細胞が、芯から癒されるはずだ。

来た道をもどり、居間で一休みの後、お昼過ぎ、「薬師の湯」へ出かける。
小鹿野の市街地を抜け、両神村へ。
去年は、両神山荘まで出かけた。
山荘までの道々、あまりの山間の険しさと深さに深い驚き。
人間の生命力、生活力に感動さえ覚えた地。
その、入り口にある両神村の中心から、少し入ったところに、「両神温泉・薬師の湯」があった。
ゆっくり、温泉に浸りながら、この半年のリフレッシュをしよう。

600円の入湯料を払い中へ。
広い板敷きの廊下の先に温泉はあった。
早速身体を洗い、温泉へ。
湯は柔らかく、さらさら、つるりとして気持が良い。
頭から温泉をかぶる。
フッ素イオン、メタオウ酸の泉質。
何処か、柔らかいハーブの香。
たちのぼる湯には、深い森の苔の香、微かなミントのささやき。
足をゆったりと伸ばしながら、広い一面のガラス越しに、両神村の鄙びた山里の風景が広がる。
湯あたりしないほどに、休みながら、水を被りながらの温泉三昧。
日本の山里の景色は美しい。
ただ、ガラス越しに見えるのは、小高い、こんもりした、日本の何処にでもある風景。
何を考えるでもなく、ただ漫然と見る景色の内に、日本の里の情景の心がある。
今日は旧お盆。
さぞかし、温泉は混雑しているのだろうと覚悟してきたのだが。
意外にも、空いているので、ゆったり、のんびりの温泉浴を楽しむ。
メーンイベント、ナイアガラに、勇也さんが点火
すでに、3時間近く経ったであろうか。
窓外の両神のパノラマは、夏の強い日差しが、まだまだ輝いている。
空には、もくもくと大きな入道雲が銀灰色に輝き、抜けるように真っ青な空とのコントラスト。
山々は変化にとんだ緑の交響曲。
体に溜まった都会の半年の滓や毒素が、すべて洗い流されたようで気持が良い。
十二分に、薬師の湯は堪能した。
はてさて、待ち合わせの時間までは余裕がある。
大広間で、生ビールでも飲み、一休みしよう。
やがて、約束の時間。
玄関には、ママたちが迎えにきていた。
いまだ、快晴。
近くにある薬師堂に寄り道。
秩父13仏の一つらしい。
200メートル足らずで到着した。
飾り気のない、ほのぼのとした、古い歴史を感じさせる山門。
両脇には、木の格子越しに、金色に目をむいた、逞しい像がそれぞれ一体づつ。
この薬師様が、目に効く尾薬師様というのも頷ける。

山門を潜って中へ。
手水場で手を清め、お堂の階段を登る。
何百年の時の流れを感じさせる木造のお堂。
ガラーン、ガラーンと綱を引けば、静かな境内の静寂を破るように、低くこだまする。
お賽銭を投げ入れ、何を祈るでもなく、手をあわせる。
無心に手を合わせる。
都合のよい時、都合のよい場所で、都合のよい祈りごとをするのは、あまりにも勝手すぎる。
でも、それが許される、おおらかさを持っているところが、日本の神・仏様の素敵なところ。
お堂の、木の木目がくっきりと浮き出た回廊を一回り。
境内を渡る風が、堂宇を爽やかに通り抜ける。
風に乗って、里山の草木の香をのせて渡り来る風。
子供の頃、母親の実家、新潟で吸って嗅いだ、あの香を思い出す。
古き良き日本の里の匂い。
両神村の澄んだ空気は美味しい。
豪華に輝く、花火・ナイヤガラの滝の前のママ
鄙びた里の、素朴なお堂をあとに、来た道とは違うルートで、小鹿野町の長留へ向かう。
木々の緑は深く、道は蛇行しながら進む。
山の木々の深さのなか、蝉の声が近く遠くに響く。
道はくねくねと、秩父鉄道・三峰口方面へ進む。
小さなトンネルを抜けると、いよいよ、三峰口に近づく。
叢林の向こうに空が開く。
はるか彼方、眼下に、集落が見える。
三峰神社と秩父を結ぶ街道に出た。
荒川の深い渓流沿いの街道を進むと、柴原鉱泉に続く道の大きな鳥居に。
この赤鳥居を潜り、一車線の細い山道を登り、下るとそこは柴原鉱泉。
さらに、少し行くと、ママの実家、長留がある。
カラオケ大会で、まずは、堀さんから
さて、これからが、今日の一大イベント。
バーベキューと花火大会。
すでに、ガレージの車は退去。
実家のお兄さんが手作りの焼き台をセット。
シートには座布団とテーブル。
日も暮れて、外の熱気も冷め、だんだんと空気も落ち着いてきた。
バーベキュー台の炭も、真赤に焼け始めた。
秩父夜祭・本町「ぎり回し」役の昌志さんが、大量の酒と、貴重なホルモンを用意。
去年、夜祭で最高の観覧席を提供してくれた、「あさひ診療所」の院長・堀さんは大量の花火の持込。
昔からの付き合いの浅草橋で、ダンボール一杯買い込んできたみたいだ。
台所からは、次々と焼肉の材料。
焼き役は、お兄さんと息子の勇也さん。
私は、軽く、ゴミの処理や焼きあがった料理の手渡し。
勿論、食べて飲むのは、得意中の得意だ。
いつもお世話になる、三橋家の兄さんと勇也さん
次々と肉は焼かれる。
お兄さん手作りの特性のタレに、たっぷりと、肉を付けて、ハフハフしながら食べる焼肉は格別。
あたり一面、バーベキューの、甘ったるい煙が広がり、もうもうたる風情。
夜も更け、灯りをともす。
でも、不思議な事に、照らされた照明に、虫が集まってこないの如何した事か。
昔、バーベキューをしたと時、カブトムシや蝉、招かれざる蛾や、様々な虫たちの乱舞。
灯りに誘われて、ウジャウジャ飛び交ったもの。
やはり、奥秩父の山里にも、様々な、生態系の変化が起っているのだろうか。
田村家の面々
食べきれないほどの焼肉に料理、そして、たくさんの酒を飲むほどに、夜は深く、空には、煌々と大きな月。
数え切れない程の星々が青く輝く。
これからが、一大イベント、恒例の花火大会。
お祭り男の昌志さんと堀院長の真骨頂。
ダンボール一杯の花火に次々と点火。
バーン!バーン!バーン!と、夜空に、打ち上げ花火の極彩色の花が咲く。
夏の夜の宴の主役は、やはり、夜空に咲く大輪の花火。
月と星が煌めく、高い漆黒の夜空に打ちあがる、花火の饗宴は、行く夏への賛歌。
三橋家のお姉さんを囲んで
やがて、みんなで仕込んだ、究極のナイアガラ。
綱に張られた、数え切れない程の花火に、一気に、堀さんが手早く点火。
若いときから、ボランティア活動で鍛えただけの事はある。
手際は見事で無駄がない。
バチバチバチバチと点火された花火が、一斉に輝き、さながら、光の滝の協奏曲。
あたり一面に、煙を吐き出しながら、花火の花の鮮烈な輝き。
森閑とした空気を、一気に、幻想の世界に誘う。
幾つになっても、花火と戯れると、人は童心に帰る。
そんな魔力が花火にはきっとあるのだろう。
様々な花火を、それぞれ、思いのまま、手に取る。
そして、火を点け、瞬時に輝く光の世界に遊ぶのは、幾つになっても楽しいもの。
玄関前の花々
バーベキュー、お酒、花火。
さて、これからは、今宵の仕上げのカラオケ大会。
夕方から始めて、すでに、時間は11時を過ぎているのだろうか。
お兄さんの拘りのカラオケルーム。
大きな高性能のスピーカーにカラオケセット。
殆どの新曲も完備している。
さらに、バーコーナーもあるから嬉しい。
それぞれ、好きな酒を手に手に、カラオケ大会が始まる。
近くの民家の百日紅が満開

まずは、トップバッターは、ホスト役でお疲れの兄さんから。
本格派の演歌。
特に、五木ひろしの哀調は、何時聞いてもさすがの一言。
次々に、マイクが渡され、私も、ママのリクエストでアンルイスの曲など。
カラオケは、1年に一度か二度、あるかなきか。
それでも、点数が93点も出たのには吃驚!
きっと、機械が間違えたのだろう。
相変わらず、堀さんはレパートリーが広い。
私の知らない曲をたくさん歌っていた。
秋の便りか、コスモスも咲いていた
はりのある声、豊かで伸びやかな声量。
高音域の声の響きには、何時もながら感心。
きっと、医学部時代、そして、研修医、大学の勤務医時代、先輩に鍛えられたのだろう。
医者の世界の宴会、先輩後輩、年功序列で体育界的だ。
それに、きっと、賑やかで、楽しい、宴席やお祭りが、性格的に好きなのだろう。
ママと私のデュエット、秩父の兄さん夫妻のデュエットありで、カラオケ大会は大盛況。
何時もなら、最後の最後まで、尽きることなく飲み続けるところだが、今日はさくっと退去する。
昼間の温泉と、バーべキューとたくさんのお酒。
そして、秩父の美味しい空気と、あたたかい秩父の人情。
今日はぐっすりと眠れる事だろう。
明日は、秩父を離れて、東京へ。
リフレッシュした体と心。
後半戦、頑張って、実りある一年で締めくくろう。