3時間ほど寝て、8時頃起床。 ママは寝ないで、起きていたみたいだ。 今日は3日、秩父の夜祭。 今年も、親戚が最高の場所を確保してくれたみたいだ。 今年は、行かない予定だったのだが、みんなが集まるそうなので出かけることに。 早出をしないと、秩父への道、国道254は、多分、渋滞するだろう。 9時頃には、板橋の家を出る。 運転は一番下の娘がしてくれる。 運転は大変に丁寧で上手だ。 決して、ママが荒っぽいと言うのではないが。
思ったより、川越街道は渋滞もなくスムーズ。 キラキラ、朝の陽光が眩しいくらいだ。 平坦な街道を1時間も走ると、彼方にはなだらかな秩父連峰が見える。 入間川の初雁橋を渡る。 この橋から見る富士はなかなか見事で、秀麗だ。 今日は快晴、一点の曇りなし。 しかし、予想に反し、薄もやの霞みに隠れて、富士の姿は影形なし。 何時もながらのこと、富士は気紛れ。 10月は彼岸花で満開の高麗川を渡る。 秩父の山々が大きく見え隠れ。 ぐんぐんと山間の里を進む。
高麗川はだんたんと眼下に遠く、流れも細く速くなる。 山はますます深く、木々は名残の紅葉で綺麗だ。 遠くに見える小高い山々は、赤、黄、赤銅色、黄土色、緑が織り成すシンフォニー。 やがて、正丸峠に。 正丸トンネルを抜けると、もうそこは秩父。 紅葉から一転、針葉樹の緑が美しく、深閑とした森の空気が染み透る。 街道はなだらかな下り坂。 木漏れ日の射す、深く陰影の濃い森を抜けると、彼方にはすでに秩父の町々が見渡せる。 時間は11時前。 思いのほか、順調に辿り付いた。
これから、夜にかけてが本番。 秩父の市街地に到着。 まだ人は疎らだ。 私だけ、秩父神社の近くで降りる。 あちらこちらで、屋台や露天商がスタンバイをしている。 まだまだ、じつにのんびりした風景。 強面のお兄さんやおじちゃんもおばちゃんもお姉さん、和やかに談笑したり、冗談交じりで楽しげだ。 これからの販売戦争に備えて、食事をしているものも。 テキヤの仕切の親分らしき人が見回る。 親分さんに、露天商達が挨拶を交わす。 何所の世界も、親方や親分は貫禄が違う。 一目でそれと分るから不思議だ。 今日のクライマックス、団子坂はまだ何もなく、整然、閑散としている。 祭りの幟が、快晴の冬空にぱたぱたとはためいている。 観光客の一団が通り過ぎていく。 または、団子坂の前で皆で記念写真撮影のものも。
キラキラ輝く提灯の明かりの競演、ホーリャイ、ホリャイの声が寒風を突き刺す。 ドコドコドンドンドコドコドンドンの逞しい太鼓が秩父の山々に響き渡る。 星が一面に輝く高い冬の空、夜空を焦がすほどに、色とりどりの花火が打ちあがる。 露天商の掛け声もだんだんと大きく響き始めた。 親子ずれも多く、皆そぞろに歩く。 観光客も増えて来た。 見るからに、私たち団塊の世代の夫婦連れも多い。 何故か、こ洒落た野球帽を被り、背中にはリュックを背負い、奥さんは丸い帽子を目深に。 私たちの世代は個性を主張した筈なのに、何所かスタイルに画一性があるのは可笑しい。 西武秩父駅から、秩父神社に向かう昔ながらの細い通り。 昔からのお店が建ち並び、古道を行くようで、なかなかの趣。 懐古趣味に浸れてうれしい。 狭い道、行き交人も増え、祭りの前の喧騒と華やぎが垣間見れるようになる。 物売りの声も威勢がよく、やはり祭りは騒々しい方が似合う。 少しずつ、人々の景色にも、どこか昂揚感が。
境内はさすがに、大勢の見物客。 本町の屋台、中近の屋台が出番を待つように鎮座している。 舞殿では、仮面をつけた演者が舞い踊る。 カメラに収めたかったのだが、残念ながら電池切れで無念。 カメラ屋で充電しようかと思い入店。 しかし、そこでは充電できず、親切にもベスト電器を教えられる。 ベスト電器で事情を説明。 お兄さんがセットしてくれた。 「1時間したら来て下さい。充電できますから」 あちらこちら、秩父の市内を散策。 あっという間に1時間が経過。 担当の人はいなかったが、すぐに了解。 「おいくらでしょうか?」 「お金は頂きませんので」 確かに、お金の取りようもないのなのだが、どの人も嫌がらず、 親切に、笑顔で対応してくれるのが嬉しい。 秩父は昔から好きなのだが、秩父の人の人情味、さらに好きになった。
そろそろ、昼時も過ぎ、お腹も空いて来たのだが、昨日の酒がまだまだ未消化。 へたに食べたら下痢が怖い。 酒の加減を考えればよいものを、何時までたっても学習できない愚かさが、すこし悲しい。 すでに、二台の屋台が、夜を待ちきれないとばかり動き始める。 勇ましく響く太鼓。 肩肌脱ぎの襦袢の男衆、ホーリャイ、ホーリャイの呼び声。 法被姿に股引きの曳き手、ワッショーイ、ワッショイが響く。 山車は、ギシミシ、ギシミシとゆっくりと、肩を揺らすように動く姿は勇壮で豪華絢爛。 ますます、人出は多くなり、道が人で膨らんできた。 屋台の呼び声が響き、店には客がたむろし始める。 たこ焼き、焼きそば、チョコバナナ、空揚げ、げそ焼き、大阪焼き。 みな懐かしい夜店の定番。 けっして美味しいものではないが、祭りにはやはり欠かせない。 祭りには、どこか危険でいかがわしく猥雑、稚拙でたわいないところがないと面白くない。 でも、どうしたことか。 わた飴、金魚掬いがないのは少し寂しい。
数年前に出かけたことのある今宮神社へ。 メーンストリートの1本裏手にある。 表通りの喧騒が嘘のように静かだ。 此処が、秩父霊場の発祥の地らしい。 境内には、熟年の観光客が三々五々。 大きな銀杏がデーンと構えている様は絵になる。 こじんまりした本殿で、鈴を鳴らし手を合わせる。 暫し椅子に腰をかけ休憩。 境内の深閑とした冷気が美味しい。 階段を上り、裏道へ。 暫らく行くと、そこはすでに、八尾デパート。 エスカレーターで4階へ。 ここから見る秩父山系の山なみは美しい。 正面に、秩父の象徴、武甲山が、秩父の無事安寧を護っているようだ。 だいぶ、日が傾いてきている。 隣設する遊戯広場に出ると、さすがに、吹き付ける秩父の寒風は肌に突き刺す。 山脈に傾きかけた日が落ち、峰々を金色に照らし、雲海は燦然と光り輝く。
神社に向かう参道は、参拝客で数珠繋ぎ。 本町の屋台では歌舞伎が演じられている。 出し物は、「菅原伝授手習鑑・寺子屋之場」 秩父市内の男衆や子供たちによる歌舞伎だ。 江戸や京や浪速の歌舞伎には縁がない、遠くはなれた鄙の地、秩父。 本物の歌舞伎に触れ得ない遠隔の地でも、日本の芸能の楽しさを、土地の文化として、1年に1度の晴れ舞台。 芸事好きの人々が、楽しみながら、自分たちの文化として、育てながら伝承したのだろうか。 聞けば、江戸の昔、秩父の役者が江戸へ出て、坂東三津五郎にもとで修業。 その後、坂東彦五郎の名跡と喜熨斗(きのし)屋の屋号を許された。 そして、秩父に戻り、本格的に秩父歌舞伎として公演し始めた伝統を持つ。 その活動は、秩父の寺社への奉納だけでなく、大正時代には、各地で興行し、隆盛を極めたらしい。 現在は1947年に発足した「正和会」が、秩父歌舞伎を継承し、猪野直文さんが、2007年に12代目を世襲で襲名するという。 文化とは、与えられるものではなく、自分たちで育て、幾百年の時代へ継承されていくもの。 最近は、デジタル全盛、アナログ手作りの文化が、等閑にされるのは寂しい。 文化は利便性、効率性、即効性等とは対極にある。 とてつもなく時間がかかり、多くの無駄を必要とする。 その、いっけん、無駄と思えるところに、文化の本質が存在する。
待ち合わせ時間と場所を聞かなければいけない。 私は、どうも携帯電話は苦手。 公衆電話を探すが、これがなかなか見つからない。 今は携帯電話の時代、公衆電話は必要ないのだろうか。 日本という国は、物事が極端から極端に動くから怖い。 やっとのことで、公衆電話を発見。 電話をすると、すでに、近くに来ているようだ。 八尾デパートの前で合流。 すでに、日は大きく傾き、風はいよいよ冷たく吹き渡る。 メーンストリートは人で溢れ、屋台の呼び声も大きく威勢の良い響きに変る。 いよいよ、秩父夜祭は本番を迎える。 今年も、夜祭見物の場所の世話をしてくれる、阿佐美家に挨拶へ。 今年は、挨拶だけで済ますつもりが、去年と同様、豪華な接待に預かることに。 私の腹具合もだいぶ順調。 安心して食べられそうなのでありがたい。 鮨、寄せ鍋、炊き合わせ、大皿のオードブル盛り合わせ、香の物などなど。 まるで、お祭りと言うよりは、お正月の御節料理のようだ。 秩父夜祭の到来は、さぞかしや、大忙しの一週間だろう。 心尽くしのもてなしには、心からの感謝! 外はすでに暗くなり、遠くでは、花火の音がドーンドーンと聞こえる。 阿佐美家を辞して外へ。 門の前は、すでに、見物客でごった返し、門の扉を開けるのも、一苦労。 隣の酒屋で、ビール、日本酒をたっぷりと買い込む。 酒屋の中も、人でごったがえし、ちょっとした特設居酒屋状態。 店は、お婆ちゃんから、娘、息子で応対のおおわらわ。 ビニール袋を両手に抱えて目的地へ。 人ごみを掻き分けかき分けで、それはそれは結構たいへんだ。 やっと、辿り付いたところは、秩父神社とメーンストリートが交差する絶好のポジションにあった。 昔は、確か、おもちゃの「たからや」の場所。 今は、「あさひ診療所」 人込みの中、裏に廻る。 裏口へ行くと、阿佐美のママが、懐中電灯を照らしながら、迎えに来てくれた。 今日は診療所は閉院。 暗い階段を上り2階へ。 そこは、昼間のように、明かりが煌々と灯っていた。 すでに、私たちとは面識のない、他の見物人が数人、窓を開けて祭りの光景を眺めている。 私たちも軽く会釈して見物に加わる。 ビルの2階から外を眺めると、屋台や笠鉾の通る道路の両脇の歩道は、見物客で膨れ上がっている。 前の見物席も人で一杯だ。
暫らくすると、神主を先頭にした本祭りを仕切る御神幸行列。 供物を担ぐ烏帽子に白装束、高張り提灯を担ぐ半被姿の若集、神輿を担ぐ一団、飾り衣装の神馬が2頭登場。 さまざまな装束の集団が、荘厳で厳かな祭りの儀式を司りながら通過する。 それはそれは、たおやかで雅で優雅な絵巻。 観衆は、雅趣溢れる夜祭に触れ、歴史の深さに酔いしれているようだ。 秩父夜祭の幕開け。 極彩色に彩られ、無数の提灯に照らされた「動く陽名門」6台が、1.5キロ先のお旅所へ向かう。 1年に1度、秩父神社の女神・妙見様と武甲山の竜神が、亀の子石で逢瀬を重ねるところがお旅所。 壮大な秩父夜祭りを祝うかのように、夜空にはスターマインが轟き、夜空を色鮮やかに染め上げる。 そして、秩父神社から、次々と山車が繰り出される。 太鼓の軽快で勇壮な響き、ホーリャイ、ホーリャイの掛け声と屋台が次々とやって来る。 曳き手の、ワッショイ、ワッショイ、中近イチバーンの声が轟く。 ビルの3階ほどの高さには法被姿に、飾り鉢巻のいなせな男衆がどかっと、寒風を物ともせずに構える。 思わず、あちらこちらから、観客の喚声があがる。 やがて、屋台はゆっくりと、交差点を通過。 やがて、下郷の笠鉾がが秩父神社を出ると言うアナウンス。 私は、通路と玄関を通って、神社が見渡せる側の部屋へ。 秩父神社から、下郷の笠鉾が曳き回しの掛け声とともにやってくる。 秩父最大の山車は、3階に届くほどの高さ。 法被姿の若衆たちが、屋根の上でどっしりと構え、笠鉾の舵取りをしているようだ。 笠鉾を追うように、私も部屋を移動する。 そして宮地、上町の屋台も無事通過。 すでに、時間は9時。 秩父の夜空はスターマインの花火の閃光で極彩色。 いよいよ、最後の山車は、我らが真打、本町の屋台の登場だ。
秩父神社をゆったりと、数え切れない程の提灯を灯しながら、大勢の法被姿の若者達に曳かれながら、 重さ20トンの唐破風、巨大な屋台が近づいてくる。 囃子の太鼓は勇壮に、襦袢姿のホーリャイ、ホーリャイの掛け声は勇ましく、 曳き手のワッショワッショイイ、ホンマチイチバーンは高らかに轟く。 本町の曳き手たちは、道一杯に広がり、統率がとれ整然と進む。 私たちの前を通過し、交差点へ。 そして、ここで方向転換。 曳き手たちは暫しの休憩。 やがて、豪快な切り回しが始まる。 若衆が太くて長く硬そうな角材・ギリ棒を2本、舞台から降ろし、屋台の左右の溝へ差し込む。 そして、左右の角材に、大柄の若衆たちが、重石代わりに8人位が、合図と気合で飛び上がり、ぶら下がる。 その瞬間、20トン近い屋台が、ギシギシという悲鳴のような音と共に、ぐらぐらと大きく角材の方向へ傾く。 その瞬間、屋台の下にもぐり込んだ若者が、回転する木製の滑車のようなものを差し込む。 その舵を取るのは、多分、今年もマサシさんの役回り。 見ていても、なかなかスリルがあり、危険極まりない作業だ。
角材に飛び乗る瞬間、曳き手たちが屋台の綱を引き込む。 すると、またもや、ギシギシと張り裂けるような音、 数え切れない程の提灯が揺れながら、ゆらーっと屋台が向きを変える。 観客達は思わず、おおおー!っと驚きの声。 固唾をのむ大勢の見物達から、思わず、大きな喚声と拍手が沸きあがる。 漆と金箔に葺かれた漆黒の唐破風の屋根の若衆たち、瞬時の身じろぎもない所作は見事だ。 そして、ギシギシと屋台は進み、 ホーリャイ、ホーリャイの掛け声が寒風のなかに吸い込まれ、屋台の巨体は遠ざかる。 その後を、大勢の見物客が、ゆっくりと追いかけていく。 私たちは屋上に上る。 さすがに屋上、武甲山から吹き降ろす風が肌を刺す。 団子坂を登りきった先にお旅所がある。 そこに、すべての山車6台が集結する様はさぞかし見応えがあることであろう。 提灯に彩られた極彩色の山車の雅さ。 夜空に雄渾な武甲山が浮き上がり、若衆達の豪壮な掛け声、膨れ上がった観客の喚声が轟く。 たくさんの星は輝き、澄み切って高い夜空を、数千発の色とりどりの花火の閃光が染め上げる。 そんな様を想像しながら、私たちは夜空に、次々と打ち上る花火に酔いしれる。 秩父夜祭の一代スペクタクルは、そろそろ最大のクライマックスを迎える。 「あさひ診療所」の院長先生のご好意、阿佐美のママの心配りに、おおいに感謝し、秩父夜祭を後にする。 秩父夜祭が過ぎれば、正月はすぐそこまで、駆け足でやってくる。 今年の秩父夜祭に繰り出した見物客の数は、31万5千人。 打ち上げられた花火は8千5百発だったそうだ。 阿佐美のママ、「あさひ診療所」の堀院長先生、三橋のみなさん、お世話になりました。 これからも、末永いお付き合いのほど、よろしくお願い致します。 |