小さな旅&日記
仙石原の夕日
2005/10/30<日>-31<月>
昨日のぐずついた天気も、何とか持ちこたえての曇り空。
1時頃家を出て、一路箱根へ。
首都高から東名をひたすら南下。
多摩川を越した辺りから、天気は持ち直す。
1時間あまりで、海老名パーキングに到着。
日差しが強いくらいに、天気は回復。
ここで、少しばかり休息。
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やっと着いた箱根 |
ママは横浜豚骨チャーシュー・ラーメン。
私は東京ラーメンを食べる。
どちらのラーメンも、味はいまいち、どこか食傷気味。
そんなに一服していたわけでもないのに、時間は3時近くになっていた。
これはいけない。
まだまだ、先は長い。
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仙石原は快晴 |
東名は空いていた。
ずんずんと車は走る。
メーターは130キロ、140キロを越していた。
びゅんびゅんと風を切りながら、なだらかな傾斜の登り道を進む。
前方には、丹沢山の山脈が、悠然と我われを待ち構えている。
ひときわ、大山の姿が大きい。
やがて、秦野を越し、御殿場の標識が出現した。
東京を出て、休憩も入れて3時間あまり。
渋滞さえなければ、なんと近いのか。
やはり、文明の発達した時代、距離はさほど問題ではない。
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国道138号線沿いで |
御殿場のインターを下りて、国道138をひたすら進み、目的地の仙石原へ。
秋の仙石原の夕日に沈むススキ原は、i一度は見た方がいいよと、お客様に勧められた場所。
まだ時間は4時過ぎ、夕日には早い。
余裕を持って目的地に向かう。
途中少し道に迷う。
セブンイレブンで地図でもと思い立ち寄る。
ちょうど、箱根を特集している雑誌があった。
なかなか、良くできた本で助かった。
本の地図をたよりに、仙石原へ。
すこし、日も翳り始め、これはお誂え向き。
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仙石原は雄大 |
やがて、75号線にハンドルをきり、しばらく行くと、そこは仙石原。
真っ直ぐな1一本道、前方にはなだらかな山脈。
そして、遙かなたまで、高く伸びたススキの原が広がる。
路肩の膨らんだところに、何台も車が駐車。
我われも、通行の邪魔にならない処に車を停める。
微かに、風にそよぎ、ゆらゆら揺れるススキのパノラマ。
私の背丈ほどもある、ススキが何処までもどこまでも広がる。
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日が翳り始めた。写真をクリックで拡大 |
やがて、日が落ち始めた。
秋の雲海が薄墨を流したように暮れはじめたかと思えば、
沈み始めた太陽に照り返されて黄金色に変る。
反射した落日の太陽が、ススキ原に照射し、その様は王朝絵巻の雅の世界。
ススキから連想される、日本の侘び・寂びの世界とは程遠い。
長谷川等伯の世界よりか、尾形光琳や俵屋宗達の世界に近いかもしれない。
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夕日は輝き始めた |
活火山を抱える箱根の地。
火山灰地の不毛な土地には、ススキしか生き延びれないのだろうか。
自然が作り出した荘厳で雅な創造物が、今、我われの眼前に、ドラマティックに展開している。
日が落ちるとともに、吹き渡る風も、心なし冷え冷えしてきた。
まだまだ、名残惜しいのだが、今日の逗留地へ出かけねばならない。
目的地はすぐ近くにあった。
今日のチェックインは6時。
まだ時間があるので、すぐそこに見える、芦ノ湖へ。
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神々しく輝く夕日く |
湖畔には、遊覧船が停泊し、すでに、乗船口は閉じられていた。
黄昏時の湖畔をぶらつく。
漣のたつ湖は、どんよりと青黒く、遠くから冷たい秋風が肌を刺す。
さすがに、この時期、箱根の秋色は濃い。
閉店間際の土産物屋も帰り支度。
お土産と酒を買ってホテルに。
計画通りに到着。
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宿泊ホテルの近くの芦ノ湖・湖尻 |
すでに、辺りはすっかり暗く、冷気も一段と強い。
フロントでチェックして部屋に。
晩御飯の前に一風呂浴びて、一杯やりながらの食事は最高。
さっそく温泉に浸かりに。
風呂場にすでに、人影は殆どない。
大きな風呂場は貸切状態。
肩まで湯船に浸かり、足を真っ直ぐ伸ばす。
体がほぐれ、肩から悪い気が、どんどん蒸発していくようだ。
365日、酒の切れることのない身体。
肝臓の後ろの膵臓、そのまた後ろの脊髄が、ぎしぎし音をたてながらほぐれているみたいだ。
やはり、本物の温泉は、身体に優しく、疲れた身体を包み込むように蘇生してくれる。
さては、これから食事。
そして、そのあと、部屋でのんびり酒を飲みながら、秋の夜長でも楽しもう。
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日が落ち始めた芦ノ湖で |
翌日、7時頃眼がさめる。
食事は8時頃の予定。
まだまだ、時間に余裕がある。
朝風呂は、さぞかし気持ちよいことだろう。。
出かけてみれば、この時間。
私には、えらく早い時間なのだが、世間の常識では、おおいに遅いのであろう。
私たちの常識は、何時も世間の常識とはずれているようだ。
風呂場には、またしても、誰もいない。
またもや、ざっぶん、のびのびの気持ちよさ。
風呂場の小窓を開けると、すーっと、朝もやに抱かれた冷涼な風が吹き込む。
肩まで湯を浸かり、足を投げ出し、頭には冷たい風がひやりとあたり心地よい。
朝ご飯の時間が近づき、名残惜しいが、そこそこに風呂を切り上げる。
温泉浴もこれで最後、大いに堪能させてもらい満足この上なし。
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ホテルの玄関にて |
湖尻・桃源台から大涌谷へ |
朝食はバイキング。
だいたいが朝寝るような変な生活。
朝ごはんなどとんと縁がない。
そこは豪華なバイキング。
この時間、不思議なことに、食欲があって嬉しいかぎり。
美味しく食事がとれることは、健康な証拠だ。
調子にのって、すこし食べ過ぎたくらい。
部屋で一休みして、10時にチェックアウト。
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ロープウェーからの眺望 |
今日の計画は、昨日ママが練っていたようだ。
計画の第一弾は、ロープウェイで大涌谷へ。
チェックアウトを済まし外へ。
すこし肌寒い曇天。
しばらくすると、小ぬか雨が降り始めて嫌な予感。
ロープウェイの湖尻桃源台駅の駐車場へ車を停める。
箱根はどこも、駐車場が無料なのが嬉しい。
観光でお金を落としてくれるから、駐車場なんてただでいいと考えているのだろう。
なかなか正しい考え方でよろしい。
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貸切のロープウェーで |
箱根のロープウェイに乗るのも何年ぶりだろうか。
前回の時は、もの凄く霧が深く、まったく何も見えなくて、悔しい思いをした。
今回もまたかと疑念が湧いたが、天気はだんだんと回復模様だ。
ロープウェイに乗り込む。
私たち2人の貸切状態。
するすると登る彼方には色づき始めた山々の紅葉。
眼下にはの芦ノ湖が広がり、湖が遠くに霞んでいく。
前方の山を覆う灰色の厚い雲の間から、時おり薄日がさし始めた。
上につく頃は強い日がさしているかもしれない。
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早雲山に向かうモダンなロープウェーで |
高度が上るに従い、紅葉前線も本格化する。
目的地の大涌谷に着いた。
でも、まだ先があった。
終点の早雲山まで行ってみることに急遽変更。
ここから乗り換えた ロープウェイは最新バージョン、はなかなか快適。
するすると滑るようにロープを伝っていく。
ゴンドラの作りも小洒落ててモダン。
恐々と覗き込む眼下100メートル以上したに、湯煙を上げた地獄谷さながらの大涌谷が広がる。
吹き上げられる噴煙の硫黄が、生物や植物の生存を許さない、そこはまさに死界。
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天気も回復途上、紅葉が美しい |
登りつめた終点、そこに早雲山駅があった。
下りてみるが、閑散としていて何もなし。
もともとの計画通り、大涌谷大涌谷に戻ることに。
いっけん、無駄足のようだが、おかげで、上から寂寞とした死界を見ることができたのだ。
それも、往復で2回も見れたのはかえって幸運。
大涌谷に到着した。
駅を下りると、前の駐車場には観光バス。
お年寄りに混じって、若いカップルも。
すこし、観光地らしい賑わいもあり、雰囲気が少し盛り上がり楽しい。
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眼下の噴煙煙る大涌谷 |
大涌谷駅 |
風が冷たく、どんよりとした天気。
土産物売り場ですこし買い物をする。
ここから先は、急勾配の階段が続く。
かなりきつい階段。
大勢の老若男女の列が、数珠繋ぎで登って行く。
お年寄りにはかなりきつい。
途中で休憩している人たちもいる。
手で引っ張って貰っている人もいる。
ママもけっこうきついみたいだ。
いろいろな外国語もちらほら聞こえる。
やはり、箱根は有名な観光地なんだなと納得。
頂上に着いた。
硫化水素の温泉特有の、硫黄の臭いが充満している。
風向きにより、もろに受けたら咽喉がやられそうだ。
ボコボコと熱泉が吹き上がり、そこに卵が入れられていた。
それは、 大涌谷名物の黒卵。
硫化水素と卵のマグネシウムが化学変化をおこし、硫化鉄に変化し、真っ黒な卵になるようだ。
中は普通のゆで卵で、味もそれ程変わりはない。
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大涌谷の源泉 |
大涌谷 |
頂上からは、遙に箱根の山々が見渡せる。
すでに、正午を過ぎていた。
吹く風は心持冷たいが、雲を切り裂いて、太陽が輝き始めた。
まだまだ自信なげな陽光を浴びながら、来た道を戻る。
大涌谷駅に戻り、ロープウェイで桃源台へ。
帰りのロープウェイから見る眺めは、朝の眺めとは一変していた。
晴れた秋空、紅葉の木々の向こうには、芦ノ湖の湖面が、きらきらと光っていた。
向こうから来るゴンドラの子供たちが手を振っている。
私たちも応えて子供たちは手を振る。
すれ違いざま、子供たちの笑顔がとても可愛く印象的だ。
あどけない子供の笑顔は、何時でも美しい。
桃源台駅に到着。
とても楽しい遊覧だった。
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大涌谷からの下り、天気は快晴に |
湖面にそって車を走らせ、箱根神社に向かう。
芦ノ湖の北に湖尻はあり、神社は一番の南に位置する。
モザイク模様に紅葉しかけた山間の道をくねくねと進んで30分、
右手にまたもや芦ノ湖が顔を出した。
日差しが強くなっているせいか、湖面もどこか穏やかに揺らいでいる。
箱根神社の駐車場に車を止める。
急峻な階段を登ると本殿が待ち構えていた。
山門の前では、ご老人たちが記念写真を撮っている。
私たちは、山門を潜って本殿へ。
朱色に塗られた社はこじんまりとしているが、
やはり歴史があるからなのだろう、風格と凛とした気品がある。
お賽銭を投げ入れ、型通りに深く礼をし、二拍、そして一礼。
すぐ左手に、大きな小鎚が置いてあった。
それにさわり、なぜると、希望が叶うと書いてある。
勿論のこと、我われも気持を入れて撫ぜる。
上から階段を見れば、やはり、なかなかの傾斜。
お年寄りには、けっこう辛い。
先ほどまでの天気が嘘のように、雨が降り始めた。
急いで階段を下りるが、車に着いた頃には本降り。
やはり、山の天気は気紛れで、油断がならない。
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彼方の芦ノ湖は輝いている |
眼下の木々の紅葉 |
さてこれからは、国道1号に出て、昔の東海道の名残を残す旧道を抜け、湖畔で昼食にしよう。
雨はあがり始め、また頼りなげに日がさす。
湖畔沿いに進むと、街道沿いに、趣のある杉並木。
旧道らしきものがあったがさだかではない。
多分そうなのだろうということにして、元箱根町へ。
そろそろ今日の昼ご飯時。
ママさんは本で調べて、老舗の「本陣」か「大正」のどちらかに、決めていたようだ。
両方の店の前に行ってみたが、何となく気が今ひとつ。
近くに、芦ノ湖を見渡せるレストランがあった。
午後の2時、店にはそこそこのお客さまがいる。
奥の金髪の2組の家族ずれ、交わす英語が賑やか。
ママはわかさぎ定食、私は山菜蕎麦を注文。
まだまだ、時期外れなのだろう、わかさぎのフライは小さい。
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ロープウェーから、山々の紅葉が、くっきりと見渡せる |
大きな皿に、わかさぎのフライが8匹位か。
私も1匹貰い食べさせて貰う。
あつあつでほくりとしてさっぱりしているが、やはりまだまだ旨味が足りない。
口の中で噛んだあと、ほわーっと広がる柔らかなほろ苦さがないの寂しい。
私の山菜蕎麦。
具もたっぷりで結構、そば粉もしっかりしているのだが、生憎の茹ですぎ。
蕎麦のコシがないのが残念。
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朝の芦ノ湖とは違い、湖面は光っていた |
さっきまで晴れていた空。
今は一転して、また雨が降り出している。
空には微かに残光も残り、決して重苦しい雨ではない。
きっと通り雨、またすぐ、雨は上り、日がさすだろう。
山の天気は本当に気紛れで浮気ものだ。
騙されてはいけない。
すぐ近くに、箱根の関所跡がある。
小雨の中出かける。
入場料は、資料館の見学も合わせて300円。
チケットを2枚買って入場。
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箱根の旧道辺り |
箱根神社のママ |
古い古地図と当時の設計図にもとずいて、5年くらい前に復元されたようだ。
まだ、白木のむくの匂いが伝わる。
当時の関所の内部の風景がおおよその見当がつくように、人形や調度が展示してある。
あっという間で見終わる。
湖沿いの細い並木道、100メートルほど行ったところに、歴史資料館があった。
中には、さまざまな歴史的資料が展示してある。
関所の警吏の使った刀、十手、火縄銃、槍、弓、火縄銃、鎧、編み笠。
そして、さまざまな古地図や証文手形、記録帳。
精細な資料を通して、遠く江戸時代の歴史に触れると、何故か不思議とロマンを感じる。
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箱根神社の山門 |
箱根神社の本殿 |
ひととおり見て回りして外に出ると、すでに雨は止んでいた。
とことこと、違う道を楽しみながら車に戻る。
すでに、3時を経過していた。
これから、国道1号へ出て、畑宿へ、そして、735号箱根新道へ抜ける。
またしても雨が降り始めた。
車はくねくねの登り傾斜道を進む。
切り立った山を抜ける道は、すでに何処か薄暗く寂しい。
芦ノ湖からはすでに遠く、目指すは小田原。
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箱根神社の急峻な階段 |
関所跡の前のママ |
雨脚も強くなり、道のカーブもきつい。
秩父の山道になれたママは軽快に飛ばす。
やがて、下り道になる。
すでに、峠は越したのだろう。
カーブ連続の昔ながらの峠道。
途中に、大きな山門があった。つい気になるので寄ってみた。
箱根大天狗山神社別院天聖院。
日本で唯一の子供の観音様が祀られている。
大きな極彩色の観音様の向こう、ますっすぐ100メートル先に、朱色で鮮やかな本殿があった。
これより先は通行禁止の立て札。
写真撮影も禁止でえらくガードが固い。
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芦ノ湖の遊覧船ロ |
芦ノ湖の前のママ |
かなりの山間、小糠雨がしとしとと降り、薄もやかかった冷気は新鮮だが肌寒い。
これから、箱根湯元を抜け、小田原へ。
下りの細い片側一車線の街道を、しとど降る雨にうたれながら進むのも、なかなか情緒がある。
10分もすると、左手に、ぽつぽつと温泉旅館が出現。
しばらく行くと、昔からの温泉街か、街道にへばり付くように林立している。
きっと、この辺りは、昔からの温泉街なんだろう。
なんとなく、昔ながらの何処か懐かしい風情がある。
さらに、坂道を下ると、広い谷あいがあり、そこには大きなホテルが犇いている。
そこは、箱根湯本の大きな温泉街だった。
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箱根駅伝の折り返し地点で |
箱根湯元のホテル |
ホテル郡を見渡しながら行くと早川があった。
橋を渡り始めた時、小田急ロマンスカーが、ゆっくりと終点の箱根湯本へ走り過て行く。
突き当たりを右にきり、271号線に出る。
すでに、雨は上っていた。
これから、小田原厚木道路を経て、厚木インターから東名高速道路に出て、いっきに東京へ向かう。
小田原につく頃、すでに雨はあがり、清々しい天気になった。
すでに、時間は4時近くななっている。
すでに、日が落ち始めている。
なにもなく平穏無事であるなら、多分、あと1時間くらいで板橋区大山には着くはずだ。
そして、ショットバーピーポッポの1週間が始まる。
海ほたるから、富津へ。
2005/10/23<日>
今日は快晴、ドライブ日和。
計画通り、アクアラインで海ほたるへ。
12時半過ぎに家を出る。
首都高を飛ばし、池袋を通過し、箱崎を経由。
今日は見事に晴れ上がり、空は何処までも青く高く、秋の筋雲もゆっくりとたなびく。
まさに今日のドライブは快適。
お台場をあたりから、左手に東京湾が見え、海も秋の陽光にきらきら輝いている。
羽田飛行場を発着するジャンボジェットが、大きく旋回する姿は、旅を想像するのか、
何時見ても何処かロマンを感じる。
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お台場辺りの湾岸道 |
一時間あまりで、アクアライン・海ほたるに到着。
ライトに照らされた、トンネルの二車線の道路は真っ直ぐに伸びる。
トンネルを抜けるとぱーっと視界が開け、真っ青な海がパノラマのように光っていた。
いがいと駐車場は閑散としている。
私たちはエレーベーターで、まずは四階に。
いろいろな売店やゲームセンターが並んでいる。
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海ほたるで、ママ&私NO1 |
土産物売り場は、やはり賑やか。
木更津名物のお土産がたくさん並んでいる。
佃煮や干物、漬物や瓶詰の辛し味噌などなど。
どれもこれも、殆どのものが試食できるのは嬉しい。
蛸入り山葵漬け、岩海苔、あさり和えのきゃらぶきなど、次々に、面白半分に試食。
試食すればするほど、何か土産でも買わなくては悪いような気持ちがしてくるから不思議だ。
私たちも、岩海苔やら辛し味噌やら蒲鉾など、ついつい買ってしまう。
商売、やはり、ケチってはいけないということなのだろう。
損して元を取るのが、商売の常道だなんて変に感心。
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海ほたるで、ママ&私NO2 |
商店街を抜けると、そこは海ほたるの展望バルコニー。
前方には、真っ青な東京湾がきらきら輝き、波は穏かで、風は優しくそよぎ、日差しは痛いくらいだ。
彼方には、湾に張り付くように、高層ビル群が霞んでいる。
湾の真ん中あたりに、風の塔がぽっかりと浮ぶ。
全方位、紺碧の海に包囲されるのは久しぶり。
何時も、出かける時間が遅いので、こんなにきらきら輝く海を見るの感動もの。
殆どが、たどり着けば夜の黒く盛り上がった海を見るだけ。
闇に漂う、潮騒の音と、磯の香りを聞くだけのことが多く、残念至極の結末。
近くでは、若者のバンドがライブ演奏をしていた。
ロック系のバンドで結構上手い。
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バルコニーにて |
掘削機の実物大の模型 |
今日はまだ、食事をしてない。
5階に上がり、レストランで軽く食事をすることに。
私は、海ほたる名物のアサリ饅頭とアサリ汁。
ママは、あさり汁にコロッケ、そしてコーヒー。
饅頭の具にはアサリがたっぷり。
ほかほかの真っ白な蒸しパンを、パックリと割ると、
なかにはたっぷりのアサリの餡が入っている。
ふっくらした蒸しパンの温かで柔らかい食感の後、
アサリの磯の香りが口の中に、じゅわーっと充満する。
どこか、子供の頃食べた玄米パンを思い出す。
漆塗りの大椀にたっぷり盛られたアサリ汁も見事。
小粒なアサリがたっぷりと入った白味噌仕立て。
少し、味が薄めなのが物足りない。
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バルコニーからの景色 |
食事をしながら、窓外の海を見渡す。
海は、何処までも青く穏やか。
海面を、すいすいと、何隻もの白いクルーザーが行き交う。
海の彼方の遠くには、房総の街が霞んでいる。
一休みしたし、これから、木更津に向かう事にしよう。
海風を受けながら、ふりそそぐ秋の陽光を浴びながら、短いドライブは快適だ。
真っ直ぐな縦断道を突き進むと、あっという間に、あっけなく木更津に到着。
これで三千円は少し高いんじゃないの、なんて言いたくなるほどの距離。
もう少し安くして、利用者を増やした方が良いのじゃないって、ちょっぴり苦言でも呈したくなる。
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名物のあさり汁&あさり饅頭 |
木更津の街はのどかで、どこかのんびりしている。
何処近くの海岸でも行ってみるか。
私たちのドライブは、何時でも出たとこ勝負の無計画。
だから、計画に縛られず、あて所ない自由で気ままなのんびり旅だ。
どうやら、道を間違えてしまったようだ。
でも、この先に行けば、きっと何処かの海岸には着く筈。
どんどんと車を走らせると、港湾に辿り付いた。
何かの作業船なのだろう。
何隻も停泊している。
私たちも、車を降り暫らくは休憩。
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海ほたるから見る木更津方面 |
アクアラインの出口 |
湾は油で汚れ淀んでいる。
釣り人がたくさんの釣り糸を垂らしている。
魚が釣れたとしても、この薄汚れた海に生息していた魚を、
はたして食べられるものやらと、つまらない詮索。
一服のあと、車を走らせて行くと、君津に出た。
子供のとき、親爺の友達が君津に別荘を持っていた。
夏休み、家族揃って、何泊もとまった。
別荘の裏山を越すと、そこはもう広い砂浜が開けていた。
波は穏やかで、はるか遠くまで浅瀬が続く。
内房の夏の海、楽しい一日を過した記憶が蘇る。
今はすでに面影はなく、君津は高度経済成長を支えたコンビナートに変貌している。
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停泊船と油まみれの海 |
彼方に見える木更津の街 |
さらに進むと富津に出る。
富津にも、高校時代、兄貴たちと一緒に海水浴にきたことがある。
たくさんの民宿が、夏の間、せめぎあうようで、とても賑やかで楽しかった。
海水着に着替え、サンダル履きで宿を出る。
少し歩くと、そこには広い海が広がっていた。
あの海岸は何処なのだろうか。
君津ほどではないが、すでに四十数年の歳月が経つ。
分らなくて当たり前だ。
こんなことを回想すると言うのは、私も歳をとった証拠なのだろう。
標識に、富津岬と出てる。
きっと、風光明媚な岬が、海に突き出ているのだろうと、想像をかきたてられる。
狭い道を進む。
だんだんと木の背丈も短く、一方向に枝がたわんでいる。
強い海風を受けている証拠だ。
海はもうすぐそこまで迫ってきているはず。
岬はきっと近い。
道の終点が岬だった。
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展望台から見える半島 |
階段だらけの展望台 |
富津岬は広い公園になっている。
老若男女が浜辺を散策している。
秋の陽光に照らされながら、そよぐ海風もなま暖かで気持がよい。
若者達が水しぶきをあげながら、水上バイクを楽しんでいる。
日が少しづつ傾いてきた。
岬の先には展望台がある。
階段だらけの真っ白な展望台の頂上には、大勢の人が眺望を楽しんでいる。
私たちも上ることに。
かなりきつい階段だ。
ふだん歩きなれていないママには、だいぶきついようで遅れ気味。
やっとこさ辿り着いた頂上の展望台、見渡す東京湾は絶景と言っても過言でないくらい。
360度のきらきら煌く紺碧の海は、絵に描いたように美しい。
遠くには、富士山の雄姿が浮かび上がる。
靄がかかっていなければ、さらに勇壮な富士山の威容を目にできるのだが。
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展望台のママ&私 |
やはり、久々に見る富士山は優美だ。
展望台が、風で右に左に微かに揺れている。
最近は地震が多く、かなり揺れに敏感。
展望台に居合わせた人たちが、地震と間違える程の微妙な揺れで、少しだけ気味がが悪い。
夕暮れまじか、はるか彼方の輝ける紺碧の海。
何処までも抜けるように高く青い空。
幾重にもたなびく秋の鰯雲が煌く。
だいぶ、日も翳ってきた。
秋の日はするすると滑り落ちる。
横須賀の彼方の夕陽は、次第に、水面に影を落としはじめる。
海の漣が光の鱗のように、黄金色に照り輝き始める。
これから木更津にでも戻って、何処かで食事でもしよう。
取り合えづは、違う道を頼りなくとろとろと走るのが我われの信条。
日はすとんと知らないうちに落ちている。
秋の日は、釣瓶落しのようにという形容は、まさに然りと何時もながらの納得。
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水上バイクの若者たち |
照り輝く夕日、画像をクリックで拡大 |
道に迷いながらも、何とか木更津市内に辿り付く。
港から見渡すはるか彼方、夕靄にぼんやりと残光に照らされた、
黄金色に輝く富士山のシルエットが浮かび上がり美しい。
こんな素晴らしい富士山を毎日見れるなんて、木更津の人はなんて幸せなのだろうか。
木更津の市内を車でとろとろと走る。
日曜の夕暮れ時、街は意外と静かだ。
何処か、気のきいた店でもないかなと捜すが、なかな見つからない。
長い間の水商売、良い店を捜す嗅覚だけは身に付けているのだが。
できれば、地元の漁師達が集まるような料理屋が在れば最高なのだが。
もう時間も程よく、小腹も空いたし、咽喉も寂しがっている。
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木更津港から見た富士山、画像をクリックで拡大 |
駅の看板 |
ちょっと気になる居酒屋があった。
車を停めて中に。
6時ではまだ早いのか。
お客様は誰もいなかった。
まずは、エビスビールの生を。
運転役のママはお茶を。
ここは、今は珍しい炉端焼き。
お好み串焼きの盛り合わせ、刺身の盛り合わせ、さんまの刺身。
鰯の丸干し、海草サラダ。
今年は秋刀魚の豊漁。
冷蔵輸送の発達で、何処ででも、秋刀魚の刺身が食べられるようになったのは嬉しいかぎり。
でも、ここは本場の水揚げ漁港。
一匹の秋刀魚が大根のつまの上に盛り付けられている。
器は料理の着物とは、北大路魯山人がいみじくも言った。
やはり、器を見切って、料理を一幅の絵として盛りつけることは大切だろう。
確かに新鮮であることに間違いないが、どこか物足りない。
鰯の丸干しは美味い。
カンカンに焼けた炭で、強火の遠火で焼かれた丸干しは、皮はぱりぱり。
噛むと、柔らかでほっくりした白い身が、ほくっとしていながらも、心地よい青み魚の香りが広がる。
骨ごと、ぱりぱり、ぽりぽり、ほくほく食べる歯ごたえと食感は楽しい。
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炉端焼きにて |
私は、飲食業に入ってからというもの、殆どが外食。
一番食べたいのは、おふくろの味、家庭の味。
美味しく焼けた焼き魚はまさに家庭の味で嬉しい。
大袈裟に言えば、どんな名調理人の作ったフレンチよりも美味いかもしれない。
酒のメニューを見ると、さすがにブーム、焼酎は沢山あるのだが、日本酒はさっぱり。
さる大手の山廃純米吟醸を注文。
なんとなく味がボケ、吟醸香が鼻先をくすぐるように漂う、あの独特の華やかさがない。
私の好みとしては、少し寂しい。
適度に酒を飲み、料理をつまむ。
店にも、だんだんと、地元のお客さまが来店して賑やかになる。
焼き場から、大きなしゃもじで、お客様に料理を提供する様は、見ていても楽しい。
仕上げに、焼酎を。
十割蕎麦焼酎を。
これが、100%そば粉が原料で、意外と美味い。
蕎麦焼酎にしては、どこか熟成感があり、ずっしりとしているのだが、重たくない。
口の中では、舌先を這うように漂う焼酎の香りが、飲み込む瞬間に心地よい戻り香の余韻となる。
さてさて、これからまだまだ帰りの旅が待ってる。
適度なところで、会計を。
最近は、適度で程よい加減で切り上げられるほどに、この歳にして少しの学習効果。
時間もだいぶ遅くなった。
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夜の海ほたるは、幻想的でロマンティック |
思い切って、帰りもアクアラインにしよう。
金田口から入ると、アクアラインが暗い海の真ん中を突き抜けるかのように、真っ直ぐに伸びる。
はるか彼方には、湾岸の街の灯が輝く。
夜の海ほたるに到着。
昼間の景色と夜の海ほたるの景色は大いに異なり、幻想的で、夜の風情はなかなか華やいでいる。
テラスにでると、海面にきらきらと無数の光が、点滅しながら光っている。
人工的な照明なのだろうが、あれが海ほたるなのかと想像すると楽しくなる。
遠くには、これから我われが帰る、東京の街が煌々と浮かび上がる。
そこには、様々な人間達が蠢き、逞しくも激しく、限りないエネルギーがいつも燃焼する世界がある。
今年も川越祭り。
2005/10/16<日>
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いよいよ始まる夜の賑わい |
昨日から降りだした雨が、朝方まだ残っている。
今日の川越祭りはどうなるのだろうか。
昼過ぎに、パソコンで検索して、観光協会へ電話。
天気が回復しているので、決行します。
ぜひ、来てくださいとのこと。
まずは腹ごしらえ。
スパゲッティを作って食事。
3時前に、川越へ。
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山車の提灯が灯され、祭りは本番 |
曇ってはいるが、雨はあがって、回復途上。
川越街道を避け、大宮経由で行く。
大宮バイパスは、広々として気持が良い。
真っ直ぐに伸びる三車線の道路は、意外と信号がない。
大宮の先で八王子・川越方面に向かうバイパスへ。
スポーツで一躍有名になった、埼玉県栄高校を右手に、さらに真っ直ぐな直線道を進む。
少し、高架道なので、遙彼方の街並、そして遠くの連峰も微かに見渡せる。
晴れた日は、パノラマを見るようで、爽快この上ないのだが。
やがて、川越市内へ。
さすがに祭り一色。
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ホーライ、ホーライの喚声で、盛り上がり始める |
交通規制され、市内に入っても、目的地までは辿り付けず、あちらこちらを迂回する。
交通整理の警備員も、地元出身ではないので、聞いても、地理の案内ができない。
あちらこちら動いているうちに、誘導にしたがって狭い道を進むと、
なんとメーンの会場に飛び出てしまった。
祭りの連中も、車が出てきたのにビックリしただろうが、こちらはさらにビックリ!
後ろからも、誘導にしたがって、次々と車が来る。
祭り男たちが、何とかくい止め、車をバックさせる。
我われも、恥ずかしながら、衆人環視のなか、何とか会場の中でユーターン、今来た道をバックする。
あちらこちら、ぐるぐる迂回させられながら、やっとのことで、いつも停める駐車場に辿り付く。
日はだいぶ暮れかけている。
祭りの人並みにもまれながら、祭りのメーンストリートへ。
日が暮れると、祭りは本番、大いに盛り上がる。
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昔懐かしい、レトロなお化け屋敷 |
今年は、例年に比べて、人出が少ない。
警備の警察官に話し掛けたら、今年は例年の半分くらいの人出だと言っていた。
でも、凄まじいばかりの人出より、これくらいの方が、のんびりゆったりしていて心地よい。
ぷらぷら行くと、お寺の境内への参道に、裸電球をともした夜店が、ビッシリと建ち並ぶ。
その先には、何時ものことで、見世物小屋があるはずだ。
やはり、そこには、去年とはまた別の見世物小屋があった。
呼び込みのおじさんやお姉さんの声が、境内に賑やかに響く。
子供の頃の縁日をついつい思い出し入って見れば、
何だこれはで終わる事必定なのだが、ついつい中へ誘われる。
木戸は銭600円。
分っていても入ってしまうのだから、祭りとは不思議な異空間。
蝙蝠のような隈取の若い男が、マイク片手の案内役。
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元気な呼び込みのお姉さん |
蛇を食いちぎる、黒髪の少女 |
汚れも目に付く、赤い襦袢を着た長い黒髪の若い女性が、燃え盛るロウソクの束をくちのなかへ。
さらには、50本束ねられたロウソクに火を。
垂れる炎のごとき蝋を口の中へ、タラーリ、タラーリと流し込む。
口からは煙が立ち上っている。
そして、一瞬の静寂。
ロウソクの炎に向けて、口から飲み込んだ蝋が吹き付けられた。
ゴボーッという爆発音が炸裂。
ボワーッと一瞬、巨大な炎の玉が出現した。
彼女の口の中の舌は黒く、まだ湯気がたち上っている。
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タラリタラリと垂れ落ちる、火の玉のような蝋を口で受け止める |
そして次は、生蛇食べだ。
生きた蛇が奥から舞台へ。
彼女に首を捕まれた蛇は、くにゃくにゃと悶えているよう。
動物的な直感なのか、己の死の恐怖に慄いているかのようだ。
やがて、一気に、彼女が蛇に、バブリッと食いつき、頭を食いちぎった。
首を切り取られた蛇の体が、だんだんと力なく萎え、そして1本の紐のようにだらりと垂れ下がる。
彼女は口をもぐもぐしながら、ごくりと飲み込んだ。
私の前の私と同世代くらいの夫婦の奥さん、舞台から目をそらせ後ろ向き。
気持悪と怖さで、旦那さんの腕を必死に掴んでいる。
女性には、この芸、さすがに酷かもしれない。
そこそこに、私たちも小屋を後に。
中に入ろうと言ったのはママなのだが、ママも気持ち悪くて吐き気がしたみたいだ。
それにしても、彼女は、祭りの間、何回火を吹き、蛇を食べるのだろうか。
私たちには分らない、裏技があるのは間違いないのだろうが、
芸とはいえ、身体には絶対に良くないことは確信できる。
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上品なおびんずる様 |
喧騒をよそに、昔ながらの経師屋 |
小屋の外に出ると、何故かほっとし、不思議な開放感。
お寺さんの本堂横の「おびんずる」さんに、健康祈願。
お賽銭箱に賽銭を投げ入れ、銅鑼をたたき柏手を打つ。
だいぶ、ママも歩き疲れたようだ。
何時も行く、物産広場で休むことにしよう。
ぷらりぷらりと歩いていくと、物産広場へ。
いつもなら、広場はごった返しているのだが、今年はゆったりと寛げる。
まずは、生ビールで咽を湿らせる。
川越の地ビールが注がれる。
値段は一杯350円なり。
そっけない紙コップに注がれたピルスナータイプのすっきり味。
ホップも程よく効いて軽快な味。
秩父で飲んだ地ビールと何処か似てる。
あのビールも、製造元は川越だから、一緒かもしれない。
つまみに、おおぶりなフランクフルト・ソーセージを。
最終日のこの時間、1本300円が2本で500円に値引き。
ささいなことだが、得をした感じで嬉しい。
ほっくり、しっとり、ぱりっとしていて、これが以外にいける。
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いよいよ祭りも佳境に入る |
ビール一杯のあと、飯能の地酒・天覧山の樽酒250円を。
ほどほどに冷たい樽出しだ。
ほんのりと杉樽の香りが漂い、飲み口は爽やか。
祭りの時は、何を飲んでも食べても美味く感じる。
ママは焼きそばを食べたかったようだが、屋台はなし。
仕方なしに、大阪焼きなるものを買ってきた。
私は、別のコーナーで福島の地酒・東薫の樽酒の冷やを。
きんきんに冷やされた酒もまた一興、悪くはない。
口に含むと、微かに甘く、杉の香りが、戻り香りとなって鼻先をかすめる。
癖のない味でさらりとしているが、私には少し物足りないか。
福島の酒と書いてあるので、ふくらみがあって、コシの強い酒を期待したせいなのだろか。
ママは隣で、先ほどの大阪焼きを食べてるが、なかなか進まないようだ。
「どうしたの、残して?」
「もう、二度と食べない」
よっぽど、ママの口には合わなかったのだろう。
仕上げに、天覧山をもう一杯飲んで、この場はおつむに。
華やかに飾られた山車が、次から次とすれ違っていく。
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煌々と輝く祭りの提灯 |
祭りの賑やかなお囃子の音に誘われて、見物客も山車とともに移動したり、立ち止まったりで忙しい。
山車の屋台では、様々な装束に身を包んだ踊り手が、激しく、時には艶かしく、そして、愛嬌に満ちた踊りを繰り広げる。
観客もお神酒が入り、演者も囃し方も、山車の曳き手、先導役もすでにお神酒たっぷり。
祭りの異空間のハレ舞台は、熱気で大いにヒートアップ。
ふだんは、小江戸の風情ある蔵の町も、今はすでに祭りの昂奮で盛り上がる。
時には、騒然とし、きわどい一触即発の気配さえ感じることも。
祭りは、ハレの世界。
そこには、人間の人生の縮図があり、怒りや悲しみ、そして歓喜のエネルギーが迸る。
夜空に打ち上げられる、何万発の色とりどりの花火にも、そのさまは似てる。
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メーン会場に集結しはじめた山車 |
夜も八時を廻る。
山車の宮入もあます所後わずかだ。
山車がメーン通りに集結し始める。
川越の町が、祭りの熱気と喚声で、ますます膨れ上がってくる。
集結し始めた山車のお囃子、太鼓、横笛、鉦の音は激しく打ち鳴らされ、
ホーライ、ホーライの嬌声があたりいったいにどよめく。
川越の祭りはそろそろ大団円を迎えようとしている。
祭りを共有した人々が、いくばくもなく終わる祭りを惜しむかのように、あちらこちらで喚声が上る。
大勢の人と、同じ時間、同じ場所で、非日常の祭りのハレを共有するのは、大いに楽しい。
そして、明日への生のエネルギーを充電したかのようで嬉しい。
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帰り道、山車をバックに、ママをパチリ! |
懐かしい記憶を肴の酒は美味いかな
10/3(月)
昨日は昭和記念公園のコスモスを見に行った。
新青梅街道をひたすら下る。
以外に、目的地の立川は遠い。
出てきた時間が遅かった。
すでに、日も翳り始めている。
とりあえずは、明るい内に着きたいもの。
やっとの事で、公園に到着。
残念無念、すでに閉園。
しかたなく、車を降りる事もなしに、目的もなく、車をひた走らす。
さて、何処へいくやらの風来旅。
標識が小平と出た。
そうか、小平に出て新宿方面に行こうか。
すでに、あたりは暗くなりはじめた。
空の残光で雲がが照り輝いて美しい。
武蔵野の空気は綺麗で澄み通っているから、空の雲海がきらきら光るのだろう。
やがて、小平に。
玉川上水沿いの細い街道を抜ける。
上水の藪では、喧しいほどの鈴虫の声。
片道一車線で、車は渋滞気味だ。
途中から道をそれて行く。
すっかり暗くなった。
対向車のライトが眩しい。
とろとろあてもなく進むドライブも何処か楽しい。
それにしても、かれこれ3時間余りの運転だが、ママは平気で疲れ知らず。
車の運転に関しては、なかなか体力があり感心する。
やがて、国分寺に出る。
まだまだ先は長い。
このあたりで、そろそろ一杯やりたいところだが、半分は道に迷ってるようなもの。
まだまだ油断はできない。
地図も見ずに気ままなドライブ。
一時間もすると、昔懐かしい府中に出てしまった。
こどもの頃、自転車で何度かきたことがある。
当たり前のことだが、府中の街は、目を見張るほど変貌している。
大きなデパートや小洒落た店が犇き、賑やかに華やいでいる。
祭りの提灯が灯って、秋祭りの風情。
参道の狭い一本道を抜ける。
かすかな頼りない記憶だが、この先にはお宮さんがあったはずだ。
進んで行くと、正面に記憶通り、どかっと神社が登場。
車を何処かに止めて、ちょっと一息、参拝でもしてみるか。
ところがなんと、駐車場がない。
だいぶ行き過ぎたところに、やっとこさあった。
でも、まだ先は長い。
戻るのも億劫。
仕方なくまた先へ。
そうだ、ここからは、私が子供の頃遊んだ千歳烏山も近い。
ちょっくら寄って、何処かで一杯やることも一興。
すでに、車に乗り続けて4時間は経つ。
東京オリンピックの折り返し地点の飛田給。
オリンピックの記念ボードを見やりながら、甲州街道を登る。
国領を過ぎた辺りから、旧道へ入り、仙川へ。
こどもの頃、このあたりは一面の田んぼで、まだまだ長閑だった。
やっとこさのこと、千歳烏山に着いた。
駐車場を捜すが、またもや、なかなか見つけられない。
仕方なく、少し離れた場所に置く。
昔は、小さな駅前商店街だったこの界隈、この賑やかさにはビックリだ。
駅の周りをぷらぷら散策。
いろいろな店ができているが、昔の名残は何処かにあるはず。
駅の踏み切りの前は、かつては原っぱ。
そこには、隣の電気屋の14インチの小さいテレビが一台、高い台の上に鎮座。
かの懐かしい街頭テレビだ。
大袈裟に言えば、大群衆の老若男女が、まだまだ高価で珍しい、小さなテレビを取り囲む。
力道山のプロレス全盛時代。
ヒール役シャープ兄弟と戦う、日本の英雄・力道山と東富士のタッグチーム。
非道なまでの反則技に、日本チームは最後の最後まで追い詰められる。
観客は手に汗の興奮もヒートアップ。
もがき喘ぎ苦しんだ末に、力道山の天下の宝刀、起死回生の空手チョップが炸裂。
大逆転劇で幕を閉じる。
悪役タッグが、完膚なきまでに叩き伸ばされ、リングに大の字だ。
日本のヒーロー力道山組の両手が高々と上る。
駅前の原っぱは、子供たちの遊び場であり、時には劇場であった。
世田谷には、いたるところに原っぱがあったもの。
そんなことを思い出しながら、踏み切りを渡る。
踏み切りだけは、かつてと変らず懐かしい。
すぐ先にの甲州街道側に、烏山小学校があったはず。
夏休みには、校庭での映画会。
みんなで、家族みんなで出かけたのも楽しい思い出。
蚊に刺されながら、特設スクリーンに映画が写る。
まだまだ、娯楽が少なかった時代、映画は最高の娯楽であった。
突然、映写機のフィルムがぷちっと切れる。
繋がるまで、がやがや雑談を交わしたり、校庭を走り回るのも楽しかった。
その思い出の小学校は、今はなく、区民センターになっていた。
烏山小学校の記念碑が建っている。
でも、小学校跡の前には、京王書房の本屋が変らずに在って、何故かほっとする。
古い記憶を確認できると、人は安心するのかもしれない。
そろそろ、我われも食事と酒の時間だ。
近くに、海鮮居酒屋があった。
急勾配の階段を上り、靴を脱いでカウンターへ。
日曜の夜のせいか、店内はまばら。
まずは、エビスの生ビール。
運転をするママはウーロン茶。
ぐびっと飲むビールは、五臓六腑にしみわたる。
付け出しをつまみながらメニューを見る。
カワハギの肝和え、鯨の刺身、生牡蠣二人前を注文。
生牡蠣は、少し小ぶりだがほっくり盛り上がり、回りは黒々。
口に入れるとぷくっ、噛むとじわーっと磯の香りが。
しかし、ポン酢の紅葉和えの垂れが濃いのが惜しい。
レモンを絞った位が、生牡蠣には丁度良い位だ。
さらに、二人前を追加。
酒は茅ヶ崎の天青の吟醸。
なかなか、どっしりとして飲みごたえあり。
そして、鯨刺し。
降ろし生姜にニンニクが添えてある。
醤油にといて、さくっと付けて口の中へ。
ふっくらとして、生暖かいような柔らか味。
噛むとじわーっと、懐かしい鯨の旨味と、程よい生くささが心地よい。
カワハギの肝和えがカウンターへ。
壁に張り紙。
店長お奨めの日本酒・奥播磨。
純米をぬる燗で。
すこし、熱燗になっている。
そのせいか、酒のバランスが少し崩れているようだ。
少しの熱燗くらいで、純米酒は崩れてはいけない。
大根の妻に大葉。
肌色の肝にだかれた、真っ白な身のカワハギが盛り込まれている。
やはり、この季節のカワハギは美味い。
しっとりとしてほろ甘い肝に包まれた、つるんと白いカワハギの甘味が、口の中に広がる。
芋焼酎・佐藤の黒を飲みながら悦に浸る。
さらに、松茸と舞茸の天麩羅。
やはり季節ものは嬉しい。
少し、衣が厚く、油の切れが悪いのは残念。
やはり、茸の天麩羅は、さくさくぱりぱりの食感が欲しい。
運転役のママは食事で、山芋とづけ鮪の丼を注文。
ところが、山芋とづけ鮪が出てきた。
もう一つ、再度山芋とづけ鮪の丼を注文。
私は、山芋とづけ鮪を肴に、麦焼酎をちびちび。
オーダーミスの肴、これが以外にいける。
物事って以外にこんなもの。
ママも満足そうに丼をいただく。
私はほろ酔い、ママは満腹。
そろそろの帰り時に。
まだまだ、これからの道のりは、そこそこ長い。
これからさき、千歳烏山で一杯やることも二度とないだろう。
懐かしの地での酒は不思議なほろ甘い酒だ。
懐かしい時代の記憶を肴に、酒を啜るのもなかなか乙なもの。
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