小さな旅&日記
秩父の夏
8/14−16<日ー火>
14日から秩父に出かけた。
去年の大晦日に行く予定だったが、予想外の大雪で残念無念。
それ以来の秩父だ。
何時行っても、気持のよいところだ。
東京から、僅か80キロ足らずなのに、こんなにのんびりして、自然に恵まれたところは、他にないだろう。
そして、土地の人は、誰もがのんびりとして人懐こく優しい。
私も、秩父に行き始めて、すでに26年も経つのだから、光陰矢のごとし、これもビックリだ。
ママの実家や親戚の人に、すっかり甘えてばかりで申し訳ないかぎり。
少し時間が経つと、すぐまた行きたくなるほどの魅力がある土地だ。
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雁坂峠に向かう途中の橋 |
14日の午後の3時頃、東京を出る。
何時もは、川越街道をひたすら下るのだが、今回はママの希望で、新大宮バイパスを下り16号へ。
思いのほか、このコースは快適だ。
有料道路と間違えそうなほどで、真っ直ぐな道が続く。
やがて、県道15号の川越・日高線へ。
渋滞にも巻き込まれず、なかなか順調に進む。
ここまで来ると、秩父の山脈も近く、森も深く、流れる川は清冽になる。
川沿いのあちらこちらに、家族連れのキャンプ風景が散見する。
今日はキャンプ日和でよかった。
いよいよ、正丸峠の長いトンネルを通過。
ここを過ぎれば、秩父はもうそこ。
このトンネルをもう何回往来したたことか。
夏でもひんやりの片道1車線のトンネルを通過。
緑もグッと深くなり、蝉時雨も大きくなる。
もう秩父はすぐそこ。
札所と温泉の案内板が随所に出始めた。
彼方には秩父市街が見える。
すでに、日は翳り始めた。
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甲府駅前の信玄公の銅像 |
武田神社の堀の鯉 |
市街を抜けて、小鹿野町の外れ長留に到着する。
近くには、歴史の古い柴原温泉もあり、徒歩で10分足らずでいける。
少し前までは、荒川村だったのが、今は秩父市に合併されている。
昔懐かしい町や村の名前が、どんどんと消えていくのは、少し寂しい。
山間に抱かれた長留に近づくにつれ、蝉のヒグラシがカナカナカナと寂しげな鳴き声。
都会では、まったくと言ってよいほど聞かなくなったヒグラシの声。
到着した時、日は幾重にも連なる山々の彼方に沈みはじめた。
ママの実家に着くやいなや、さっそくの酒と肴が待っていた。
秩父の新鮮な野菜や煮物、空揚げ、酢の物、炒め物、焼物。
様々な心のこもった手造りの料理で、酒盛りが始まる。
酒盛りになると、何時も私が主役に。
気がついてみれば、きっとまた自分だけが、調子に乗って弾けたのかなと、翌日は少し反省することになるのは必定。
気さくで楽しい時間を、屈託もなく過ごしながら飲む酒は最高。
酒の贅いたくなつまみは、やはり人間との愉快で気持のよいもてなしだろう。
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武田神社前のママ |
翌日の15日(月)
12時頃、食事をとる。
勿論、何時もオンブにダッコ状態の私たち。
起きて顔を洗って、歯を磨きさえすれば昼食。
本当に、何時もながらの図々しさ。
昼食など殆ど食べない私たちだが、このときは別。
魚の干物、野菜、揚げ物、炒め物、酢の物。
そして、阿佐美若夫婦の福島県土産のトマト。
ぽってりと肉厚で瑞々しい。
果肉も熱く、噛むと歯型が残るほどに、身が柔らかく締まっていて、なおかつジューシーで甘い。
それもそのはず、会津若松の奥にある村の名産のトマトだ。
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武田神社の堀の欄干で |
大鳥居前の私 |
そして、やはり、この時期はなんといっても「冷や汁」
冷たい味噌汁に具沢山。
胡瓜と茄子の薄い小口切り、茗荷のスライス、大葉の千切り。
煎り胡麻を擂鉢であたり、味噌にまぜ、さらに、先ほどの具を入れて叩き、冷たい水を加え、さらに氷を浮かせる。
なんとも、手間の掛かる味噌汁。
手が込めば込むほどにうまくなるというのだから、造る身になれば大変なことだ。
昨日の二日酔いも、これで一発に吹き飛ぶ。
さて、今日は好天気、何処か出かけるか。
予定としては、近くの温泉に浸かるつもりだったが、せっかくのドライブ日和。
少し遠出でもしてみるか。
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武田神社正殿 |
勿論、運転はママがするのだけれど。
計画をたてるのは私の役目。
久しぶりに、三峰神社まで出かけてみよう。
大滝村の清涼な空気を吸い込みながら、眼下に見下ろす清流は何時見ても美しい。
そして、その先に続く、三峰のスカイラインから、遙に見渡す秩父連峰は絶景だ。
車に乗り、いざ出発の時、空は俄かに掻き曇ってきた。
走り始めると、ポツポツと雨がフロントガラスにあたる。
まるで、先ほどまでの天気は嘘のよう。
走るにつれ雨脚は激しくなる。
大滝村を通過した頃はいっそう激しくなる。
川のように路上に流れる雨を跳ねる水しぶきが、左右に激しく飛び散る。
ワイパーがひっしに、右に左に雨をぬぐうが追いつかない。
かなり視界不良の強行軍、急傾斜の崖つたいの国道を進む。
やがて、二差路にでる。
左に行けば秩父湖・三峰神社、右へ行けば雁坂トンネル・山梨方面の表示。
私たちは急遽計画を変更、山梨へ。
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国道140号線雁坂道の勝沼あたり。左手に笛吹き川が流れる |
雨脚はさらに激しくなり、ますます視界不良。
我々は臆するところなく、ぐんぐんと進む。
山はますます深く、道は切り立ってくる。
車のラジオが告げる。
秩父地方は集中豪雨注意報が。
西武鉄道の一部が運転休止してるようだ。
かなり山を登りつめてきた。
前方に、雲を突くようにシュプールを描いた橋が見える。
「あれはなんだろうね」
「きっと、高速道路の建設工事じゃないの」
そうではなかった。
我々の進む道がそのまま、そのシュプールを描きながら進んでいくのにはビックリした。
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渓谷にに掛かる橋 |
ママの実家の近くの大鳥居 |
後ろからは、さいわい車が来ていない。
豪雨の中、傘をさし、橋から眼下を見下ろす。
何百メートルあるのかと思えるほどで、目が眩みそうになる。
後で分ったのだが、ループ橋という。
さらに進むと、我われの念願の雁坂トンネルに辿り付いた。
何処までも真っ直ぐなトンネルだ。
途中途中に、距離表示が点灯。
全長約6キロ。
走れども走れども出口はまだ遠い。
秩父甲斐を跨ぐ頑強な岩盤にトンネルを掘るのは、さぞかしや難工事であったことだろう。
やっとの事で出口へ。
有料代金〆て710円なり。
高い様だがすごく納得。
山梨側は晴れていた。
暫らく下り坂を進むと「道の駅」みとみがあった。
少し休憩をする。
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バーベキューの開始 |
日差しが強く肌が痛いくらいだ。
買った「富士の源流水」を飲みながら、車は一路勝沼方面へ。
もう暫らくして戻る予定が、だんだんと山梨市街に近づく。
深沢七郎の小説に出てくる笛吹川沿いの、まだまだ険しい道を進む。
塩山を過ぎ、やがて、葡萄の里勝沼に辿り付いた。
道路標識はすでに、甲府・昇仙峡が出てる。
ここまで来たら、一気に甲府まで行ってみるか。
すでに、50キロは走っているのだろうか。
ママは運転が好きなのには、今更ながら感心。
いくら走っていても全然苦にならないようだ。
一日中車を走らせてる時もあるのだが、平気にのようだからありがたい。
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バーベキューで煙がモウモウ。右クリックで拡大 |
山梨はまさに快晴で行楽日和。
この辺りまでくると、笛吹川の流れも、さすが広くゆったりと流れている。
私たちは甲斐秩父連峰を越して、甲府にたどり着こうとしている。
やがて、甲府駅方面の表示が出る。
無目的に来たので、取り敢えずは、甲府の駅に行ってみよう。
くにゃくにゃと曲がる道を道なりに進むと、善光寺なる表示が。
善光寺通りがある。
長野の善光寺と関係があるのだろうか。
通りの遙先、正面に山門が威容を誇っていた。
きっと、有名な由緒ある名刹であろう。
帰りに寄る事にしよう。
取り敢えずは甲府まで。
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ニーサン手作りのバーベキューセットは大活躍 |
やっとのことで甲府駅に到着。
駅前の欅の街路樹が綺麗だ。
正面玄関脇には、武田信玄の銅像が鎮座している。
ほーとー鍋でも食べて行きたいものだが、残された時間は少ない。
すると、武田神社なる表示が目に入る。
我われは道路標示を頼りに、武田神社に向かう。
前に、武田神社行のバス。
これについていけば、目的地に着くはず。
とろとろと進むと右左に山梨大学ある。
なかなか整備された町並みで、城下町のような佇まいだ。
すぐに、武田神社に到着。
うれしい事に、駐車場は無料。
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左から、タカハシさん、ユウヤさん、ニーサン、マサシさん、イマイさん |
まだまだ、日は高く、空には真っ白な入道雲。
照り返す日は肌をさすが、吹き渡る風が気持ちよい。
お堀には、色とりどりの錦鯉がゆったりと泳いでいる。
そして、水鳥や亀も時間を忘れたように、右に左に優雅に泳ぐ。
正面の朱色の欄干を渡ると大きな石段。
日に照らされて、ギラギラ銀色に照りかえる。
ここが、武田神社。
どうやら、武田家の居城跡らしい。
ここの地に本丸を構え、甲斐の国を支配したのだ。
夏の陰影の濃い木立を真っ直ぐ進むと、神社の正殿があった。
思ったよりはこじんまりとした神社で、豪壮でなく華美でないところに風情がある。
拝殿で、神妙に参拝。
何時ものことで、200円を入れ、御神籤を引いてみた。
吉。
「古いものを失い、新しい事が生まれる」ような事が書いてあった。
これからは、私の新生の時代かも、いい歳をして、勝手にこじつけの解釈。
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花火大会の開始。童心に返るママ |
ぶらりぶらり境内を散策。
武田信玄も飲んだという井戸があった。
この水でお茶をたてる美味しいそうだ。
不思議と、神社には、お茶をたてると美味しい水が湧き出ている。
東京の明治神宮の菖蒲田の奥の、清正の井もそうだ。
さらに奥に行くと、藤村記念館なる建物があった。
明治時代から昭和にかけて現存した小学校を、この地へ解体し移築したようだ。
西洋式の瀟洒な建物。
当時の欧化政策による、西洋建築様式の代表的な建物のようだ。
確かに、西洋風ではあるが、何処か日本風でちぐはぐなところが微笑ましい。
さくさくと境内めぐりの後、神社前の土産屋で一休み。
陽光はまだまだ厳しい。
私たちは売店でソフトクリームを食べる事に。
ベンチに座りながら、吹き渡る風に吹かれながら食べる、冷たいソフトクリームはなんとも美味しく甘露。
私はバニラと巨峰のミックス、ママは巨峰。
さあ、これから気合を入れて、秩父まで戻らなければならない。
今日はみんなでバーベキューだ。
客人としては、遅刻しては失礼千万。
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花火のセット |
愛犬ラブも登場 |
来た道を戻れば良いのだが、途中道に迷う。
しかし、最近の我がナビゲーターは性能がよい。
少々の道の間違いもかなりの精度で修正できる。
ママの隣で経験を積んだおかげで、だいぶ方向感覚が良くなったようだ。
たゆたうようにゆったりと流れる笛吹川沿いに、来た道をずんずんと山間の里を進む。
さすが山梨。
いたる所に温泉があり、信玄の隠れ湯などが神出鬼没。
時間があれば、とっぷりと浸かりたいものだが、如何せん時間がない。
勝沼も過ぎ、快適に突き進む。
山峡に流れる笛吹川は、やがて狭くなり、眼下を見やれば、狭隘の谷間を流れる。
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一気に点火された花火は壮観。なかなか見ごたえがある。右クリックで拡大 |
とうとう、みとみの「道の駅」に。
雁坂トンネルを越せば秩父。
よし、これから幾つトンネルがあるのか数えてみよう。
いったい幾つのトンネルがあるのだろうか。
日本3大峠と言われるだけあって、さすがにトンネルが多い。
室伏・上門坂・城山・雁坂と次々に登場するトンネルの数は11になるだろうか。
フルスピードで通過するために、トンネルの名前を筆記するのも結構至難の業だ。
中には、トンネルの名前が表示されてないものもあった。
古代、日本武尊が蝦夷征伐に超えた難所の雁坂峠だけあって、さすがにトンネルの多さに驚く。
秩父地方はすでに雨も上っていた。
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自家製ナイアガラの滝 |
マイちゃんのワンマンショー |
数時間前の豪雨が嘘のようだ。
日も翳り、蝉の声も心なし寂しげに響く、山峡の峠をひたすら下る。
遙彼方には、行きに通った、素晴らしいシュプールを描くループ橋も現れた。
雲を切るように、風を突き抜けるように、エンジン音を谷あいに共鳴させるかのように、一路秩父へ。
だいぶ峠を下り、とうとう大滝村に辿り付いた。
小鹿野町長留まではあと一息だ。
なんとか、バーベキューには、遅刻しないで間に合いそうだ。
すでに、日は大きく翳り、深い樹叢を走る道の空気は、ひんやりと冷たい。
遠くでは、ヒグラシの合唱が始まりだしている。
車を走らせてから、すでに5時間ぐらいは経過しただろうか。
走行距離は120−30キロ位か。
ママは何もなかったように元気だ。
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左から、イマイさん、タカハシさん、マサシさん、ユウヤさん。右クリックで拡大 |
これから、夜の部が始まる。
駐車場で実家の当主、義兄のテルさんと若者2人が墨を起こしている。
テーブルには、これから焼かれる肉や野菜が、ドーンと置いてある。
甥っ子のユーチャンはまだ何かを買出しに行っているようだ。
秩父夜祭の本町代表マサシサンが、「タムラサン、ビール何にします?」
でっかい特設冷蔵庫には、びっしりと缶ビールやいろいろな酒が詰まっている。
ここでは、何時も飲む・食べる・喋るだけの私は、キリン一番搾りで、ぐびーっと咽喉の渇きを潤す。
長いドライブの後に、冷たいビールがグビグビと、咽喉を流れ込む気分は最高。
墨の火力も全開、これからパーティーは始まる。
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罰ゲームの人間頭花火の製作 |
人間頭花火発射 |
テルさん手造りのバーベキューセットが大活躍。
この日のために、仕事の合間に作ったそうだ。
なんつたって、コンマ何十分の一の精度で、物を作る技術者の作ったセットだ、威力抜群。
次々と焼かれるロース肉やハラミやホルモンや野菜。
食べては飲み、飲んでは食べて、ワイワイガヤガヤ喋るだけの私。
こんな毎日が続けば、人間はまず、ブヨブヨデブデブになり、内臓を壊して死ぬ事間違えなしだ。
質素この上ない生活をしていた135歳のオールド・パー爺さんが、王様の招きで都会に出て、
贅沢三昧をし始めたら、ものの一年もたたずして死んだのも頷ける。
お祭り気分の暴飲暴食、これもまた、たまには楽しいもの。
ふだんは小食の我だが、楽しい宴会になると食も大いに進む。
秩父の風に吹かれ、川のせせらぎをきき、時おり鳴く遠くの鳥の声。
夜空には、昼間の豪雨が嘘のように、月が煌々と照り、星が輝いていた。
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人間頭花火に点火。このグッド・アイデアは私なのだ。右クリックで拡大。 |
仕上げには定番の焼きそばが焼かれた。
大量に焼かれた焼きそばも、あっという間にみんなの胃袋に収まる。
酒も入り、みんなのテンションも大いにヒートアップ。
何処からか花火が持ち出された。
ねずみ花火がチュルチュルと跳ね回る。
最近はねずみ花火を作る業者がいないようで、すべてが中国製らしい。
昔のように、しつこいほど追いまわす迫力に欠けている。
線香花火がパチパチと弾ける姿は懐かしい。
ドカーンとドカーンと大玉も夜空に次々と打ち上がる。
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カラオケ風景。ショットバー・ピーポッポより広いかも。 |
そして、ユウちゃんのアイデア・人間花火発射台。
ジャンケンで負けた人が、たくさんの花火を刺したハッポースチロールを、頭に被り、花火を発射する。
私も参加するはめに。
幸運にも難は逃れられた。
弾け飛ぶ火の粉で、足や腕がかなり熱そうだ。
人の不幸は蜜の味、大いに盛り上がる。
そして圧巻は自家製のナイアガラの滝。
ビニールのロープにくくりつけられた、たくさんの花火に点火。
見事に花火は煌きキラキラ輝く。
すでに9時をすっかり回った。
さー、これからは第2弾のカラオケ大会だ。
バーベキューの残骸をかたし、食べられる料理と酒をカラオケルームへ運び、カラオケ大会が始まった。
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盛り上がるMr三人組 |
寛ぐ、ママ&実家のお姉さん |
次から次に、自慢の歌が繰り出される。
音響機器に強いテルさん特製のカラオケルーム、音響は抜群だ。
テルさんが十八番、五木ひろしを歌い始めた。
何時聞いても、情感がこもって上手い。
さすが、いろいろなカラオケ大会で賞をさらっただけの事はある。
私は、若者達とバーコーナーで賑やかに酒を飲み、この上なく相変わらずの上機嫌。
だいぶ、飲み続け、酒が回ってきた。
時間はすでに1時過ぎ。
カラオケ大会はますます盛り上がっている。
昔だったら、ここからが私の真骨頂。
ずるずるどくどくと酔いししれ、翌日二日酔いの痛い頭を抱えながらの猛省となるのだが。
最近は少し学習したのか歳なのか、ここで綺麗に退席をする。
私はぐっすり眠りについたが、まだまだカラオケ大会は続いたようだ。
とてもとても長く、楽しい一日であった。
秩父のみなさま、楽しいパーティーをありがとうございました。
マスターの誕生日
8/12<金> |
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ミッチ&キヨミちゃん、ケーキをありがとう |
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ゴウちゃんの友達、川端さん、ミッチ、ブーブクリコのプレゼンター、マコちゃん |
ミッチの子供さんが、私の誕生日祝いのメダルをプレゼント |
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ブーブクリコは、どっしりとした風格、たまりませんな |
気持ちよくサーブする私&Mrタカハシ |
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ミッチ&キヨミちゃん、今日はありがとう |
ミッチオーダーの赤いフローズン・ダイキリー、なかなかグッド! |
昨日は私の58回目の誕生日だった。
あと2年で、私も還暦。
自分が還暦を迎えるなんて信じられない。
でも、確実に、人は歳をとり、いつかは土に帰る。
それまでに、まだまだ遣り残してることがたくさんある。
若い頃は、夢だ理想だといって、やりたいものを追い求めて生きてきた。
しかし、今は齢を重ね、それなりに自分も周りの世界も、少しは見えるようになって来ているようなようだ。
2007年問題とは、まさに私が生まれた昭和22年の団塊の世代のこと。
私のように、理想を追い求めながら、気がついてみれば、社会からドロップアウトしないで、
高度経済成長を立派に支えてきた人々が定年を迎える年だ。
さいわい、私は自営業で定年はない。
健康でありさえすれば、自分の好きなバーテンダーを、半永久に続けることができるのはラッキーといえる。
私の場合、趣味が仕事になったのか、仕事を一生懸命に、
ひたすら努力してやっているから好きになったのか良く分らない。
人は私のことを多趣味に感じるようだが、私はある意味で無趣味。
なぜなら、私の趣味は、すべて仕事に繋がっている。
何時も、仕事と趣味が一致しているから、今はさらに楽しい。
今まで生きてきて、関わった仕事でつちかった、様々な技術や知識の集積が、
すべて何処かで繋がってきたような気がして楽しい。
そんな私の誕生日を覚えてくれていて、メールやチャンパンのプレゼント。
そして、午前零時の合図とともに、そっとケーキをプレゼントしてくれたミッチ&キヨミちゃん。
みなさま、どうもありがとう。
2年後には、赤いベストを着て、ずっとずっと、現役で頑張ります。
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